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2月14日。

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リアクション



11


「ありえませんね! ええ、まったくありえませんよ!」
 ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)は、工房に持ち込んだこたつの中にもぐって不満を漏らした。
「ほら、リンスさんもこちらに座ってください! 話を聞いてください!」
 ばんばん、こたつ机を叩いて座るように催促する。叩いた衝撃で積まれたみかんが転がる。ノアはそれを取って皮を剥いた。白いアレも気にせず口にぽいぽい放り込む。
 催促してもなお、机に向かい続けるリンスをじーっと見ていたら、観念したようにこたつに来てくれた。正面に座ったリンスは、口を開かない。
「…………」
「……もしかして、何があったか訊くべき?」
「何があったかと言いますとね!」
「語りたかったんだね。どうぞ」
 多少態度が冷めすぎだが、構わない。
 管を巻かせてもらおうと、ノアは今日ここに来るまでにあったことをリンスに喋った。


「ハッピーバレンタイン♪」
 今日、2月14日はバレンタインデーである。
 ノアはシスターだから、バレンタインの由来を話して聞かせることにした。特にメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)はバレンタインというイベントを知らない。
「ローマ帝国時代から歴史をずらーっと暗唱することもできますが、私が眠くなるので一先ず置いておいて。
 まずは日本と欧米の違いから教えましょう!」
「はい、お願いします」
 メティスは真剣な目をしていた。手にはメモ帳と筆記用具。勉強熱心な生徒さんである。
 それに比べてレン・オズワルド(れん・おずわるど)はあまり興味がなさそうにしていた。見守る態度、とすればいつも通りなのだが。
「…………」
「? どうした、ノア?」
「いいえ、別にー。
 ……さて、違いの件ですが。なんと、ヨーロッパでは女性だけじゃなく男性からも親しい異性に花やケーキ、メッセージカードを贈るんですよ!」
「ほう? 男からも贈るのか」
 ヴァイシャリーの土地で、新たに開いた冒険屋ギルド事務所の書類を見ていたザミエル・カスパール(さみえる・かすぱーる)がその言葉に反応した。
 ノアは頷きながら、レンをチラ見する。が、レンの表情はサングラスに隠れて読み取れない。
「こほん」
「?」
 咳払いをしてみたが、レンの反応は疑問符を浮かべただけだった。
「……なお、私はチョコもクッキーも大歓迎! マシュマロも可愛いですよね!」
「?」
 好きなものを主張しても、やはり疑問符。
「日頃からの感謝の気持ちを盛大に贈って頂いて結構なのですッ!!」
 ちらっ、ちらっ。
 見てみるが、反応はない。
「……えっと。……レンさん?」
 数秒の沈黙。後、
「俺は日本人だが……」
 告げられた真実に、ノアは家を飛び出したのだった。


「……いや、そういう習慣がないなら仕方ないじゃない」
「仕方なくないですー! 少しはレディに気を遣うものですよ」
 思い出して悲しくなってきた。こたつに潜る。
「レンが来ても居ないって言ってくださいね」
「それはどうなの人として」
「私のためになりますので、無問題です」
「ああ、そう」
 ノアはこたつの中に潜って目を閉じた。
 来ないでほしい、来てほしい。でも顔を合わせづらい。
 だから、口ではあんなことを言って。
 ――ほんとうは、
 本当は、……なんと言いたいのだろう。


 さて一方、ノアが飛び出した部屋では。
「…………」
 困ったような顔で、レンは立ち尽くしていた。
「追いかけるべきか?」
「そりゃあそうだろうよ。拗ねてるぜ、ノア」
「と言っても、あいつの行く先なんて、」
「工房だろ? 人形工房。こたつとみかんも持ち出されてるしな」
 ザミエルに言われてなるほどと頷く。あそこなら行きやすいし、居心地も良いから気分を落ち着けるには最適だろう。なんだかんだで愚痴を聞いてくれるであろう、お人好しな店主も居るわけだし。
 迎えに行こうとしたら、ザミエルに手を掴まれて止められた。
「手ぶらで行く気か?」
「……それもそうだな」
 習慣がなくても、感謝の気持ちを表すことなら出来たはずだった。
 それをしなかったのは、レンのミスである。
 だから、踵を返してキッチンに立った。キッチンには既にメティスが居て、チョコレートを作っている。口元に笑みを浮かべて、丁寧な手つきで。きっと大切な人たちを想い浮かべながら作っているのだろう。
 邪魔をしないように、声はかけずに材料を計量した。手際良く作っていく。
 作るのは、いつか食べたアップルパイ。
 レンに出来る精一杯の感謝の現れ。


 真新しいキッチン。
 真新しい調理道具。
 キッチンに足を踏み入れるのも、チョコを作るのも、それを誰かに渡すのも今日が初めて。
 初めてだらけでドキドキする、ということはなかった。
 作りながら頭に浮かんだことは、上手に出来るかなどではなく、それを渡したいと思う人達の顔。
 ――リンスさん、レン。
 ――受け取ったら喜んでくれますか?
 ――どんな顔をして食べるのでしょう?
 ああ、なんだか。
 ――胸の奥が、温かいです。
 ――まだ寒いはずなのに、変ですね。
「暖房要らずです」
 ぽつりと呟いた言葉に、ザミエルが笑った。レンも笑う。
 なぜ笑われたのだろう。首を傾げると、また笑われた。
 気にしないで冷蔵庫に入れたチョコの様子を見た。固まっている。ぱかん、小気味良い音がして型から外れた。綺麗なハート型。心臓の形。こころのかたち。
「出来ました」
「俺の方も上手く焼けたな」
「なら向かうか、工房へ」
 チョコのラッピングも出来たし、パイも箱に入れた。
 これを持ってノアを迎えに行こう。
 チョコも渡して、感謝の気持ちを伝えよう。


「セイブレム。オズワルドが迎えに来たよ」
「居ないって言ってくださいって言ったじゃないですかー!」
「俺、嘘吐けないし」
 それこそ嘘だ。最初から嘘を吐く気がなかったのだろうに。
 もぞもぞとこたつから出ると、すぐ目の前にレンが居た。
「…………」
「ノア」
「……謝りませんよー?」
「? お前が何を謝るんだ。
 それより、アップルパイを焼いて来た。食べよう」
 レンの手には、白くて平たい大きな箱があった。香ばしい匂いがしている。
「よかったら、受け取ってくれませんか?」
 続いてメティスにそう言われた。差し出されたのは、綺麗にラッピングされた四角い箱。
「チョコレートです。日頃の感謝の気持ちを込めて」
「……二人からそう言われたら、機嫌を直すしかありませんよね。仲直りしてあげます!」
 上手く素直になれなかったのでそう言うと、
「仲違いしていたのか? 俺たちは」
 レンにツッコまれた。
「……や、仲違いって言うか、うー。ツッコまないでください! パイ全部独り占めしちゃいますよ!」
 それは困るとレンが笑うので。
「仕方がないから半分までで許してあげます」


 レンたちのやり取りの傍らで、ザミエルはリンスに地図を見せた。
「この工房がここ。そして私ら冒険屋のヴァイシャリー支部……いや、事務所か。それがここだ」
 つい、と指を地図上で動かす。
 工房と事務所の距離は、近くはない。が、遠すぎるほどでもない。
「なんでこんな街外れに」
「ここからそこそこ近いところを選んだからな。それに郊外なら然程土地も高くない」 
 ヴァイシャリーに事務所を作ったのは何の打算もないわけではなかった。
 百合園女学院からの依頼もあるし、何よりヴァイシャリーは観光都市である。仕事には困ることがないだろうと踏んでのこと。何か騒動があるたびにホテルを借り続けるよりはよほど財布に優しいはずだ。
 それから。
「何かあればすぐに駆けつけろ」
「何か?」
「なんでもいい。夕飯が無いとか、暇だとか、一人でつまらんとかでも」
 遊びに来ればいいと。
「もう遠慮するような仲でもないだろ?」
 リンスは、家族のようなものだとみんな思っているから。
「気軽に来い」
 言って、わしゃりと頭を撫でた。
 目を細めて見上げてくるのが、猫みたいだと思った。