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リアクション
〜2〜
「あれ? そろそろ飲み物が足りなくなってきたかな?」
それから暫く。ファーシーがシートの中央を眺めてそんな事を言った。空のペットボトルを持って首を傾げている。見ると、それぞれに持ち込んだジュースや酒類が殆ど残っていなかった。未開封の缶も、数えるほどしかない。弁当類も、統合されたエミリアの重箱を含めて中身は少なかった。
「わたし、ちょっと買い物に行ってこようか? 皆、まだ帰らないわよね?」
ファーシーはそう言って腰を浮かしかける。太陽が沈むまでには、もう数時間かかりそうだ。だが、そこで菜織が立ち上がった。
「……いや、私が行こう。今日は差し入れも持ってきていないからね、その位は」
そうして、ついでというようにアクアを誘う。
「アクア君、折角だから、買出しに付き合ってくれないか」
「私……ですか?」
「――いいね」
そして菜織は、政敏に向けてそう念を押した。
ひととおり注文を聞き、菜織とアクア、美幸は一旦外に出た。訝しげな様子で、アクアが訊く。
「何処へ行くんですか?」
「そうだな、コンビニでいいだろう」
公園から20メートルほど先にあるコンビニに向かいながら、菜織はそういえば、とある事を思い出す。
「……懐が心許なかった」
財布の中を確認してみると、案の定である。だが、特に行き先は変えずに彼女はコンビニエンスストアの自動ドアをくぐった。店内は、雑誌の立ち読みやら彼女達同様の買い出しでそこそこ込み合っている。
「先にATMでお金を下ろすとしよう。手数料はこの際目を瞑るよ」
苦笑して角にあるATMに歩いていく。1人使用中だったので後ろに並んでお金を引く用意をしながら、菜織は機械から一歩離れたアクアに世間話的に声を掛けた。
「そういえば、アクア君はアーティフィサーを目指していると聞いたが?」
「? ……ええ、まあ……」
アクアは肯定だけして、他に言う事もなかったので口を閉じる。だが、ATMが空くのを待つ間、3人もいて何も発言しないというのは――
菜織達はどうとも思っていないようだが、ほぼ初対面でこの沈黙は何か落ち着かない。それを埋めようと、アクアはぽつぽつと話し始めた。政敏の知り合いである彼女達に隠すような事でもない。こうして関わりを持った以上、簡単な契機程度は彼から聞くこともあるだろう。
「かつて過ごしていた研究所に行って色々と片付けたのですが……、その後に政敏に言われたのです。『俺達の幸せのためにアーティフィサーにならないか』と……。勿論、だからといって目指す必要はありません。ですが、私の周囲にはアーティフィサーと関係している者も多く……」
彼女はそこで、何かを考えるように沈黙した。結生遼の顔を思い返していたのだが、それについては何も言わず。
「まあ、それでなってみるのも良いかと思ったのです」
やがて、結論だけを言葉にした。ATMの機械が空き、菜織は慣れた仕草で手続きを始める。
「そうか、緋山君が……」
ほどなく、機械からじゃらじゃら、ともガーっ、ともいえる音が聞こえてきた。それを何の感慨もなく見つめていると、美幸が横から話しかけてくる。
「このATMも機晶技術が使われていますよ?」
「……これに、ですか?」
初耳だ、というそのニュアンスに、美幸は言う。
「そうですね。お金を引き出す時に、激しい音が聞こえましたよね?」
「……ええ。それが?」
「あれは実はワザとです。そうすることで、使う人に機械が今動いているという安心感と、あの音が終わるとお金が出てくるという意識付けをしています。取り忘れ防止なんです」
「…………」
「……気づいていない人が殆どですけれどね。知らず知らず、失敗を防ごうとしてくれているんですよ」
黙ったまま機械を見ているアクアに笑顔で言い、そこで、菜織が財布を仕舞った。振り返ってカゴを取る。
「さて、じゃあ買い物を済ませてしまおうか」
そして、注文された飲み物やつまみを入れていくその最中で、菜織は先程の美幸の言葉に続けるように話し始める。
「現場の技術者は、技術も確かに大事だが、人を幸せにする……そういう事を真剣に考えていく必要があるのだ。……まあ、それでトラブルが減れば負荷が下がるから結局、自分達の為でもあるのだが」
「…………」
「彼は『それを学んで欲しかった』のではないだろうか。捻くれ者だからね、口には出さないのだ。アレは」
少し嬉しそうに語る菜織の顔には、自然な笑みが浮かんでいた。曖昧なところから来るものではない、ここに居ない誰かを――彼を明確に思い浮かべての、笑顔。
日本酒や洋酒、1・5リットル入りの水や500ミリの紙パック乳飲料にお菓子。レジで会計を終えて外に出て、お勤めの半分以上を終えた太陽を受けながら彼女達は歩く。
「仲間や家族、そういう範囲だけではないのだ」
自然すぎて気付かないような幸せ。でも、確かにそこにある幸せが、街中には溢れている。それを『使う』『触れる』『出会う』、誰かの気持ちを想像して。
「――『人を信じて、人を愛さず。人を信じず、人を愛せ』。……彼の口癖でね。設計とは、そうして成り立つものなのだそうだ」
「…………」
アクアは何も言わない。何も言わない中で、彼の顔を思い浮かべてみる。廃研究所についてきた時の様子、日記を燃やす自分をただ、見届けていた時の顔。
自分の為に。そして。
『俺達の幸せの為に、アーティフィサーになる気はないか?』
なんとなく、しっくりきて。
「……らしいですね、それは……」
それだけ、呟いた。
「アクア、勉強の方は進んでいるのか?」
コンビニから帰り、買ってきた物を広げて雑談する。その中で、レオンがそんな事を言った。寺院から抜けた後に衿栖達と交わした会話の中で、アクアは『アーティフィサーの勉強でもしようかと思っている』と胃っていて。その延長線上、という感じの何気ない話し方だ。
これまでの事を考え、アクアは答える。
「いえ、そんなには。定期的に関われるような所には特に入っていませんし。今日、何人かの方と機晶技術に関しての話はしましたが、それくらいです」
「そうか……」
レオンは前を向いたまま少し間を空け、それから言う。
「まあ、機工士を目指す途中で解らないことや引っかかることがあれば何でも聞いてこい。ああ、連絡先は……」
そうして、住所と連絡先を紙に書いてアクアに渡した。それを受け取り、彼女はレオンの言葉と行為の意味を考える。その間にも、彼は淡々と話を続けた。
「知識や技術についても、それなりに持っている。人形師として手のかかる弟子も抱えているしな。教えることにも慣れている」
「もう、手がかかるって、どういうことですか? でも、アクアなら出来の良い教え子になりそうですね」
衿栖が前半に対してむくれ気味に言い、それからにっこりと微笑む。
「教え子……」
その言い回しに、アクアは改めて渡された紙を見つめた。
(例えるなら、家庭教師的な事をするという意味でしょうか……)
もう1度、話の流れを反芻してみる。……やはり、そういうことのようだ。かつて、レオンが自分を修理しようとしたことがあるのを思い出した。その時は拒んだが、破壊されて動けなくなった際に修理し続けていたのが彼である事も認識してはいる。
目が見えなかったが、時たま聞こえてきた声や気配から。
その後、一時意思疎通が可能になったのも彼の処置があったからだ。
「……分かりました。では、何かあったら」
特に断る理由も思い当たらず、アクアは首肯する。そこで、ゴーストを追いかけていっていたリアが戻ってきた。
「ダメだったのだ。追いかけたけど、途中で消えて見えなくなってしまったのだ」
ルイの隣に座り、お茶を飲みながら彼女は報告する。
「消えるまでに随分時間がかかったのだ。逃げるのに夢中で、消えられる事を忘れていたっぽかったな。物理攻撃も効かなかったのだよ」
その話を聞いて、衿栖は首を傾げた。自分達が来る前に何かあったようだ。
「消える? 逃げる?」
加えて攻撃が効かない。花見の最中に幽霊でも出たのだろうか。
「ねえアクア、もしかして、山田の霊でも出たの?」
「!?」
アクアは『びっくり』という表現がこれ以上当て嵌まる場合もないだろう、というように分かりやすく驚いた。
「だから……、何故何も言っていないのに分かるんですか!」
ばっ、とこちらを見て、両の拳を握り締めて訴えるように言う。だが、驚いたのは衿栖も同様である。
「え? 本当に山田の霊なの?」
ぱっと思いついたことを冗談で言ってみただけなのだが。
「…………」
先に話した皆は既に知っていることではある。だが、何となく自分が口を滑らしたような気になって、アクアは押し黙った。
「今の言い方……、何人かに言い当てられたんですね? ということは、ここで初めて霊が出たわけじゃないみたいですね……」
ちなみに、殆ど前情報無しに霊の正体を言い当てたのは、衿栖で3人目だったりする。
「何があったんですか? 悩んでいるのなら相談に乗りますよ」
「べ、別に、悩んでいるわけでは……」
少々たじろぎながら反射的に虚勢を張る。すると、朱里が力強い口調でこう言ってきた。
「アクア、1人で悩んでも問題は解決しないよ!」
「…………」
アクアは何かに押されるように僅かに身を引き、話を待つ姿勢である彼女達を順に見遣った。
(本当に、どうしてこう揃って底抜けのお人好しなのでしょう……)
何とも呆れてしまう。しかし、彼女達がお人好しであるのは純然たる事実らしいので仕方ない。そうして、アクアは溜息を1つ吐いてから幽霊がどのように自分の周囲をうろついているのかを話し始めた。内容自体は先程と然程の違いはない。
「うーん……」
話を聞いて、衿栖は何か引っ掛かる事があるのか眉を顰め、それからアクアに確認する。
「最初の頃は夜、眠っている時に声が聞こえていたんですよね? 何を言っていたか、分かったんですか?」
「それがですね…………」
『…………?』
後を続けずに言葉を切られ、皆は何となく固唾を呑んで身を乗り出した。彼等の間を風が音を立てて通り過ぎる。それから、更に少し彼女は間を空けた。
「空京に、自分の墓が建てられた、と……」
「……お墓、ですか?」
内緒話でもないのに無駄に前のめりの体勢のまま、衿栖は言う。アクアも無駄に前のめりの体勢のまま、頷いた。
「また、初日はまだ悪夢だと思っていたので、信じ込ませる為なのかどうか1週間くらい延々墓の話でした。それである日、目を開けたら彼の顔が至近距離に……。今思えば、その時に私が過剰反応したのがいけなかったのでしょうね。ゴーストだと自覚して以降は、起きている時にも現れるようになって……」
そして今日、持ってきていた本から幽霊の話になり、花見の席に呼び出そうとした仙姫の踊りに釣られたのかどうか、姿を見せた山田が慌てて逃げ出し、リアが追いかけていったのだと説明する。
「昼ですよ、昼! 真昼です。あの時間に、この広い公園で、私と山田が偶々居合わせるなんて有り得ません。何処から付いてきていたのかは知りませんが、私が1人になった時に脅かそうとでも思っていたのでしょう」
怒りに近いものが徐々に沸いてきたらしい。興奮してきている。
「……あれは、絶対に楽しんでいます。そうとしか思えません」
悔しそうだ。何だか凄く悔しそうだ。一度、目を落として歯噛みして。
「貴女達も見ましたよね? あの姿を。正に、ホラー映画に出てくる幽霊そのものです。何故あんなにリアルなのですか? その辺を漂っているゴーストとか、以前にキマクの住処に来たゴーストなどかわいいものだったじゃないですか」
「そ、そうね、確かに……」
「ええ、健康そうな外見ではありませんでした!!」
逆ギレ気味に念を押されて、本日山田出現時に一緒に居たブリジットやルイ達もそれを認める。その答えで、幽霊を怖がっていることに少し市民権を得た気になったのか、アクアは開き直ったように言う。
「私だって、ゴーストやアンデッド全てが苦手というわけじゃありません。いえ、勿論、山田ごとき苦手でも何でもありませんが……あんなのがいつ出てくるか分からないというのは気分が良いものではありませんから。それに、対策は講じてあります」
そうして、花琳の方にちらりと目を遣る。その為に美少女ヒーローなるものにまでなったのだ。当然の如く、経緯については割愛するが。
「花琳からはネクロマンサーである姉を紹介してもらうことになっています。これで幽霊退治が成功すれば問題ありません。ゴーストの撃退法についての本も読んで、いくつか試したりもしましたが、中々有効な方法が無かったので……」
持って来ていた本を出して見せる。それを受け取って胡散臭げな装丁の表紙を眺め、政敏はアクアに言う。
「撃退ねぇ。そりゃちょっと違うだろ」
「……どういう事ですか?」
「話し合いをしたら理解し合えるかもって話も出たんだろ? 俺もそう思うけどな」
――幽霊は伝えたいことがあるから出てくる。それが解消されたら消えるものだ。
「お前の事が気がかりってことじゃないか。……悪い奴なんだろうが、お前と一緒で少しは丸くなったんじゃね」
冗談交じりに言う。チェリーには使っていなかったお前という呼称を使ったのは政敏なりの仲間としての認識だ。アクアの方はそれについては特に意識せず、しかし何か異論ありげな表情で彼を見ていた。
「……テロに失敗して殺された男が、丸く、ですか? 私には、嫌がらせに来ているとしか思えないのですが……」
「聞いてみたらいいんじゃねーか。何か用かって。ふてぶてしくさ」
そう言ってから、そういえば、と政敏は思う。自分は山田太郎の事については何も知らないのだ。興味が無かったから、弔いにも行かなかったし。
「…………」
俯き加減のアクアは、明らかに気が進まないという顔をしている。話をするということ自体に、やはり抵抗があるらしい。そこで、衿栖が彼女に声を掛ける。
「アクア、山田のお墓参りに行ってみましょう」
「…………?」
「お墓の場所を伝えてきたんですよね? 行ってみれば問題も解決するかもしれません」
アクアが先に進む為の、きっかけになるかもしれない。
「…………」
「案ずるより産むが易し、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だよ!」
黙ったまま、迷いを含んだ表情で俯くアクアに、朱里が励ましの声を上げる。幽霊の話が始まってからは、レオンは黙ったままだ。技術屋の彼は心霊現象は専門外である。
「俺達がついてる」
政敏も朱里に続き、なかなか勇気が出ないなら――と、力強く彼女に言った。
「…………」
アクアは更に暫く黙り込み、それから一つ、頷いた。
「……分かりました」
「わらわ達も墓参りについていくのじゃ。のう、主、ノート」
「そうですね、ご一緒します」
「誰のお墓参りですの? って……わたくしも行くんですか? お花見の日に、お墓参り?」
「一蓮托生じゃ。置いてけぼりはごめんなんじゃろ?」
「…………う……、そうですわね……」
傍らで話を聞いていた伯益著 『山海経』(はくえきちょ・せんがいきょう)が、風森 望(かぜもり・のぞみ)と話をろくすっぽ聞いていなかったノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)を誘い――
そろそろ行こうかという時。
あれから適当に飲み食いしていた大佐が軽い口調で皆に言った。
「今だから余罪言うけど、山田殺したの我なんだよね」
「……は……?」
突然の告白に、アクアは片眉を上げる。それは、あのデパートで居合わせた者、多くの者が知っている事実ではある。だが、その後に事件に関わった者、あの場に居なかった者の多くは知らなかった事だ。ファーシーも、誰が、という事までは知らない。
「そうなの……?」
「後、チェリーの人工呼吸器も外したな。当然ガレージ爆破したのも我だ」
「…………」
複雑な――様々な思いが空気に混じる。ガレージ爆破では多大な被害があり、その当事者もまたここには多く居る。……あの粗品はその時の謝罪も入っているのだろうか?
「何故、そんな話を……?」
感情の読めない表情のアクアの問いに、大佐はしれっとして言う。
「なんとなくだ。後は、そっちで好きに判断すればいいさ」
「…………」
立つ前に何とも重要な話を聞き、アクア達は微妙に気まずい空気の中、公園を後にしていた。いや、彼女達が気まずくなる理由は無いのだが、何となく。
「アクア、良かったら、山田さんについて教えてくれない?」
そして歩き出して暫くして――アクアはリーンに話しかけられた。何故、という無言の問いと共にアクアはリーンに顔を向けた。理由を求められていることが分かったのか、こう答えられた。
「ほら、私達は山田さんのこと、よく知らないし」
政敏は興味無いみたいだけれども。実際、彼女が山田について知りたいと言ったのも、アクアがどういう認識を持っているのかを語って欲しかったからだ。
それはきっと、山田の為にもアクア自身の整理の為にも役に立つから。
生きている人が背負っていく。良くも悪くも。
言葉は何時だって生きて行く人の為にあるのだから。
「……知りたいのなら、話してもいいですが……」
平板な口調で言い、静かな空気の中でアクアは淡々と、少し早口で話し出す。
「研究者――長く剣の花嫁を研究していた山田は、私にとって目障りな存在でしかありませんでした。この世から消してしまいたいと思っていました。事実、顔合わせの時に殺しかけましたがしぶとく生き残りました。とにかく、顔を見ているだけで苛々しました。私の所に居ない時間、何をしているのか想像すると虫唾が走りました。……まあ、私は彼の行為自体を止めようとは毛ほども思わなかったので。いい年をして精神年齢が低く、口調は作り物めいていて、本当に卑小で、大体、私がわざわざ別れを言いに行ってやったというのに、また出てくるなどふざけた男です。そうです、あの男は頭の先から爪先までふざけているのです。第一、いい年の中年男がコーンポタージュ好きなど……」
並べ立てられたのは悪口雑言の数々だった。実に忌々しそうだ。
「……あんな男の事など、知っても何の得にもなりませんよ。第一……、本来なら二度と会わない人間の話です。今の話も、全て忘れた方が身の為ですよ。毒にも薬にもなりません。私には毒にしかなりません」
「忘れる……」
そう呟き、リーンは歩く先を見ながら考える。
「時間って優しくて残酷よね」
口に出したのは、そんな言葉。
「……?」
「ね」
そう。良くも悪くも。
怪訝そうな顔を向けてきたアクアに笑いかけ、また前を向く。
――でも、アクアさんは薄れていく事が出来るのかな?
――メモリ……、面倒な機構ね。