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リアクション
■ 母のペンダント ■
長期休暇の前になると、パラミタに来ている生徒たちの話題に帰省という言葉がよく聞かれるようになる。
家を飛び出てパラミタにやってきたイリス・クェイン(いりす・くぇいん)は、帰るなんて考えたこともなかった。けれど今年は、あまり気は進まないけれど母の遺品整理をかねてドイツの実家に帰ってみることにした。
郊外に建つ屋敷はどっしりと厳めしく、まるで父のヴォルフ・クェインそのものだ、とイリスは思う。
さっさと自分の部屋に向かおうと思った矢先、ばったりと父に出くわした。
皺一つない上質なスーツも特徴的な口ひげも、イリスの知る父のままだ。
「お前……」
イリスの姿を見るとは思ってもいなかったのだろう。
さすがに驚いた様子の父に、イリスは嫌味たっぷりに挨拶する。
「あら、お父様。お元気そうで何よりです」
そして父の驚きがさめぬうちに、そそくさと自分の部屋に向かった。
イリスの部屋は、出ていった時そのままに維持管理されていた。
理想的なまでにすべての揃った部屋だ。
イリスは子供のころから、何ひとつ不自由のない生活をしてきた。
洋服も本も何でもあった。
けれど……その中に自分で手に入れたものは1つもなかった。全ては父から与えられたもの。
そこに置かれた自分はまるで、父の所有物、屋敷の装飾品の1つでしかないようにも感じた。
だからイリスは窓の外で遊ぶ同年代の子を見ては、いつか自分もあんな風に自由に外で遊んでみたいと思っていた。
そんな生活に嫌気が差したイリスは、母が亡くなったのを契機に家を飛び出したのだった。
「あの時は二度と戻るものかと思っていたけど……」
いざ帰ってくると懐かしい。
そういえばこんなものもあったのだと、イリスは自分の部屋を堪能した。
短かった実家への滞在を終え、イリスが家を出ようとした時、再び父に会った。
「お邪魔致しました」
慇懃無礼に別れの挨拶をして立ち去ろうとした時……、
「すまなかった」
父の謝罪の言葉にイリスは毒気を抜かれて立ち尽くした。
「私の不器用さで、お前には寂しい思いをさせてしまった。お前が家を出た後、それに気づいたよ」
ヴォルフはそう言うと、ペンダントを取り出した。それにイリスは見覚えがあった。いつも母の首にあるのが当然のように思っていた、あのペンダントだ。
「若い頃あいつにプレゼントして、いつも大切にしていたものだ。これをお前に持っていて欲しい」
父はペンダントをイリスに渡し、
「今更こんなことを言う資格はないが、帰りたくなったらいつでもここに帰ってくるといい。――待っている」
そう言った。
父の言葉になんだか素直に返事をしたくなくて、イリスは素っ気なく答える。
「向こうで私のやりたかった事をやり終えたら……帰ってくるわ」
そしてもう父の方は振り返らずに、イリスはパラミタへと、自由の地へと戻って行くのだった。