リアクション
襲撃を受けた場合を想定して用意済みの礼拝室へ向かう経路で、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)とソーマ・赤嶺(そうま・あかみね)が合流していた。彼らは向こうの準備を手伝っている途中に騒ぎを聞きつけて、向かっているところだった。
「向こうは無事か?」
「自分たちがいたときはあやしい者の気配はありませんでした」
「そうか」
だが安心はできない。彼らの目標がイナンナであるのは間違いないのだ。
イナンナがいる限り世界樹とリンクすることはできない――その事実に、遅かれ早かれ敵は気付く。
カルロスは油断なく、細心の注意を払って廊下を進む。
「それにしても、なぜあんな化物が結界をすり抜けられんだ? 大口径レーザー砲も跳ね返す結界だというのに…」
独り言のつもりだったのだが。
「私の結界は……上空だけでしたから…」
弱々しい声でイナンナが答えた。
「大丈夫ですか?」
「ええ…」
振り返ったカルロスに、気丈にも笑みを見せる。
彼女の手をとって支えていたニンフルサグが補足した。
「イナンナさまの対魔結界は通常キシュ全体を覆っているのですが、今度の敵の攻撃に対処するため、盾形にして上空のみに張ってあったのです」
「側面からは入り放題か」
突き当りのT字路を左に曲がろうとして、カルロスはぴたりと足を止めた。勢いで横を抜けかけた神官に、行かせまいと制止の手を伸ばす。
廊下の右手側には人影があった。
右目に眼帯をつけた女の獣人と、リリカル魔法少女コスチュームをまとったツインテールの少女だった。ただしその手にはミサイルポッドがあり、少女といえど戦闘力は疑いようもない。
(進路とは反対側だが、同じ廊下に出れば見つかって追いつかれるのは確実だ。さてどうするか)
「母さん!?」
そちらを覗き込んだソーマは思わず驚きの声を上げてしまい、あわてて口をふさいだ。
「しっ」
「カルロスさんたちは行ってください。自分たちはここに残ります」
「しかし――」
「彼女は自分の妻です」
霜月の澄んだ目に見つめられ、カルロスは口をつぐむ。
「オレも残る。ジナを他人に任せるわけにはいかないからな!
あ、でもコタローを頼むわ」
そう言って衛は腰からコタローをはがそうとしたが、コタローはがっちりしがみついて放そうとしなかった。
「コタロー?」
「いやれす! こた、じにゃたすけう、じぇったいたすけう!」
そのためにここまで来たのだと、コタローの震える肩は言っていた。
衛はふうと息をつく。
「わーった。じゃあぬかるなよ!」
「あいっ!」
ジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)とクコ・赤嶺(くこ・あかみね)はタケシの命を受けて、イナンナを探していた。
彼女があの邪魔な結界を張っていることには気づいていた。彼女をどうにかできればアストーがキシュを破壊することができる。アストレースがセフィロトとリンクするのを邪魔しようとする者は、すべて自分たちドルグワントが排除しなくてはならない。
『イナンナはセフィロトの……だ』
頭の隅でしつこく何かが繰り返している。
(まったく、いやになるわね。これって何なのかしら?)
クコは前髪を掻きあげ、その下で眉を寄せる。
『イナンナはセフィロトの……だ』
(どこかバグっているのでしょうか? あとでルドラさまに点検していただかなくては)
ジーナもクコも同じものを感じていたが、互いに感じているものを口に出して相談しあうほどなれあってはいなかった。
そんな2人の前方に、ばっと軍服を着た男が飛び出してきた。男は手にした機関銃でスプレーショットを放つ。
「いまだ、行け!」
ひるんでいる隙に、男の後ろから神官らしき紫の衣装を着た者たちが飛び出した。その中央にいる白い髪の女性は間違いなくイナンナだ。
男も最後尾について走り出す。
「待ちやがれでございますっ!」
ジーナがミサイルポッドを持ち上げ、発射しようとしたとき。
「させねえっ!」
神速で走り込んだ衛がミサイルポッドを鳳凰の拳で弾き飛ばした。
ガランガランと音をたて、ミサイルポッドは後方へ吹っ飛んで転がる。
「またきさまでございやがりますか、しっぽ!!」
「オレは「しっぽ」じゃねえ! 新谷 衛だ!」
「きさまごときやからはしっぽでじゅーぶんでございますっ!!」
「なにおーっ!?」
衛とジーナのやりとりを尻目に、クコはきびすを返した。
彼らと神官たち、どちらが優先されるかは決まっている。
だが、すぐ行く手をふさがれた。
黒い前髪の間からやわらかな茶色の瞳が彼女を見つめている。聡明な顔立ちの若者と、その後ろには銀色の髪の少年。
「クコ」
「あなたたち」
どちらもクコは覚えていた。ダフマで一度、彼女を捕縛した男たちだ。あのときはうまく隙をついて逃げることに成功したが…。
「きっとあなたならこうするだろうと思って、ここで待っていました」
まるで彼女をよく知っているかのような、親しげな言葉。
(いいえ。あれは、ああしてこちらを混乱させようとしているだけ)
「そこをどきなさい、と言ってもどかないのでしょうね、ニンゲン」
「ええ。いくらあなたの頼みでも、ここから先へ通すわけにはいきません」
「そう。なら、力ずくで行かせてもらうわ」
今度は油断しないと低くかまえをとる。
彼女が発する殺気に、ソーマはぐっとあごを引いた。それが伝わったのか。
「ソーマ、きみにはクコの連れている傀儡の相手を頼みます。そしてほかの覚醒者やあの少年たちが現れて邪魔をしないか、警戒していてください」
霜月はささやいた。
「は、はい。
あの……父さん」
「ん?」
「母さんを…」
――倒すんですか?
――取り戻せるんですか?
どちらを訊きたいのか、ソーマにも分からなかった。それを聞きたいのかも。
そんなソーマを見て、霜月は微笑を浮かべると、ぽんぽんと背中を叩いた。そして狐月【龍】の柄に手を軽く添えたまま、前へ踏み出す。
「さあ、行きなさい」
迷いのない父の背に、ソーマは数瞬の間見とれ、こくっとうなずく。
「行きます」
フューチャー・アーティファクトを手に、彼は吹っ切った決意の表情で双龍の傀儡へと向かって行った。
「クコ」
霜月は妻の名を呼んだ。彼が呼ぶと、彼女はいつも笑顔で応じてくれていた。「なに? 霜月」と。彼を見返す目には、いつも愛があふれていた。
「彼女」が恋しい。「彼女」を取り戻すためなら自分は何でもする。
何でも。
「迎えに来ました。一緒に家に帰りましょう」
「ええ、帰るわ。あなたを倒し、イナンナを倒して、アストレースさまをセフィロトとリンクさせてからね!!」
クコの両手足に蒼白の燐火の青白い炎が灯ったと思った瞬間、ひゅっと風が霜月のほおをかすめた。ぴしりと皮膚の裂ける感覚が走って、のどとほおに裂傷がつく。
獣人ゆえの尋常ならざるスピードで、クコはさらに回し蹴りを放つ。それを、霜月はからくも狐月の鞘で食い止めた。
「……ふん。全然遅いわねっ!」
前足上段回し蹴りから後足中段回し蹴りへ。ジャックナイフのように返ってきたかかとが肩に当たって壁まで弾き飛ばす。追い討ちをかけた爪は、しかし次の瞬間残像を貫き壁へとめり込んだ。
背後へ回った彼を肩越しに見て、クコはにやりと笑う。
「あら。少しはやるようじゃない。
なら、これはどう!?」
クコはさらにスピードを上げた。突きと蹴り、掌打、引っ掻きが流れるような連携技となって霜月を襲う。その動きは電撃。身軽にして峻烈。途切れることのない攻撃は青白い光の軌道を描きつつ霜月へと肉迫する。
「どうしたの? 受けることしかできないの? その剣は飾りとでも言うつもり?」
嘲笑する自分の声を、クコはどこか別人のように聞いていた。
(頭が痛い。痛みが始まったのは前からだけど、このニンゲンと戦うようになってからさらにひどくなった気がする…)
さっさと終わらせないと。
そう思うのに、爪もこぶしも思うような効果を上げてくれなかった。どれも微妙にかわされている気がする。かすめているから分かりにくいが、まともに入ったものは1つもない。
「抜きなさいよ、ニンゲン!」
はあはあと上がった息で、クコは叫んだ。
これだけの戦いをしながら、いまだ狐の文様が描かれた鞘に収まったままの剣を指差す。
「自分は、あなたと戦うために来たのではありません、クコ」
「……あなた、私に戻ってきてほしいって言ったわよね!? 私はあなたみたいな男に従うのはごめんよ! 私を従わせたいのなら、相応の力を見せなさい! 私を倒して、腕ずくで納得させてみなさいよ!!」
「そうすれば、あなたは自分の言うことをきくというのですか?」
「できるものならね!」
ふん、と鼻で嗤ってみせる。
きっとこれで激怒したに違いない。挑発で熱くなった隙をついてカウンターで魔障覆滅を叩き込み、一気に仕留めてやる――それがクコの目論見だった。
しかし半眼に伏せられた霜月の目が決意を持って開いたとき。
そこにいたのはそれまでの霜月ではなかった。
「一度だけ。あなたに本気の剣を向けましょう。
自分が用いる攻撃は抜刀術『青龍』――居合です」
片手を軽く鞘に添え、片手を柄に。低めの体勢から鯉口が切れた瞬間、ぐんと彼の身が迫ったように感じて、クコはあわてて手を振り下ろした。その爪を初撃がはじく。
剣術は技をもって斬り、居合は神速をもって斬るという言葉がある。
宣言された上の攻撃でも防げないのが抜刀術の極み。
二撃が無防備なクコへ迫る。自分を見る霜月の冴え冴えとした目に恐怖を感じてクコは腹の底から震えあがった。
「……助けて……だれか…………………そうげつぅっ…!!」
「はい」
ぱちん、と音がして。霜月の二撃目はクコの顔のすぐ前で納刀された。
「やっと思い出してくれたんですね、クコ」
にっこり笑う彼のどこにも先までの恐ろしさはない。まるで、助けを求められなくても最初からこうするつもりだったというように…。
「霜月……あなた、わざとね!?」
なんて意地が悪いの!
「あんなことを言うクコが悪いんですよ。あなたに本気の剣を向けろだなんて……できないことは知っているでしょう」
詫びるように初撃ではじいた手をとって、そっと指でこすった。
あれが演技で、本気ではなかったというのか。今も思い出せる、霜月に斬られると思ったときの恐怖に身を震わせる。そんな彼女の前、霜月はこするクコの指に結婚指輪を見て、表情をゆるませた。
これがあったから、必ず彼女を取り戻せると信じられたのだ。自分のことを何もかも忘れていても、彼女ははずしていなかった。だから絶対に彼女のなかから自分は消え去っていないと確信できた。
「母さん、よかった!」
双龍の傀儡がぴたりと攻撃をやめたことでこちらの様子に気付いたソーマが駆け寄ってくる。霜月はクコの前をソーマに譲った。
「ソーマ」
「母さん!」
笑顔で喜びあう2人を見て、心の底からほっとする。
(これであとは向こうの方たちですね)
霜月が目を向けた先では、衛とジーナが激しく舌戦(?)を繰り広げていた。
「だーかーらー! 朝は精のつくモンいっぱい食べなきゃいけないんだよ! 昔っからそう言われてるだろ?」
「朝食はしっかりとるのが決まりでございます!」
「ならやっぱり中華だ、中華!! 絶対中華!! 異論は認めん!!
ギョーザ、しゅうまい、春巻き、蒸し鶏、レバニラ炒め、豚肉辛し炒め、牛肉のオイスターソース炒め――」
「肉ばっかりじゃありませんですかっ!」
なぜこんな会話になったかはともかく、2人ともしっかり戦ってはいる。
ジーナがエネルギー弾を撃ち出せば衛はバイタルオーラで相殺し、真空波やファイアストームが打ち出されれば軽身功と神速で壁や天井を無尽に駆け、かわす。バリアが張られれば等活地獄や鳳凰の拳で破砕し、ミサイルポッドを取りに行く隙を与えない。
ジーナも衛に捕まるまいと多様な攻撃を仕掛けており、2人はかなり際どい接戦をしているのだが、その合間に話している会話は上記のようなものである。
「ブレックファストはサニーサイドアップとトーストにサラダと決まっております! それが一番ルドラさまやアストーさま、アストレースさまがお喜びになるメニューですよ!!」
「いや、ルドラってスパコンだろ! 食うのかよ!」
ツッコミもしっかり忘れない。
「もう! しつっこいしっぽでござりやがりますですね!!」
顔を真っ赤にしたジーナはでたらめにエネルギー弾を放出する。
乱舞するエネルギー弾をかいくぐり、衛は一気に間合いを詰めた。
あわててバリアに切り替えたジーナだったが、張った瞬間衛の龍の波動でぱりんと割れる。
衛のいつになく真剣な顔が間近に迫った。
「ジナ! 戻ってこい! オレは『性別を気にしながら頑張っている』ジナがいいんだ!
無理に何かしようとか思わなくていい! 戻ってきて、オレのためにまた炒飯作ってくれ! ……っていうか、一生オレのために炒飯作れ!!」
瞬間、てのひらからエネルギー弾が霧散して、ジーナはボッと音をたてる勢いで耳まで赤くなった。
「一生朝ごはん……そ……それは……ぷ、プロポーズでござりやがりますですか?」
もじもじ。もじもじ。
「……え?」
ジーナの様子に衛も自分が今何を口走ったのか、頭でリピートして、ボッと全身を真っ赤にする。
朝食は中華+自分のために中華料理作れ=「これから毎朝俺のために朝めしを作ってほしい」
立派にプロポーズです!(断言)
「こ、これは、その……あれだ。ええと」
もじもじ。もじもじ。
「う?」
唐突に戦うのをやめたと思ったら2人とももじもじし始めたのを見て、光学迷彩を用いてジーナの背後に回り、隙を伺っていたコタローがぱさりとフードをはずして頭を現した。
「う? まもたん? じにゃ? う?」
不思議そうに小首を傾げ、2人を交互に見る。
もじもじ。もじもじ。
2人のもじもじは永遠に終わりそうになかった。
結果、ジーナはコタローの治療を受けることに同意した。
「べ、べつにおまえのためなんかじゃないでございますですからねっ、しっぽ!」
コタローがシャンバラ電機のパソコンでプログラム修正の準備をしている間、ジーナは真っ赤な顔で否定する。
「こんなことをしてもワタクシは変わらないというのを証明するために受けるのでございますよ! そこのところ、絶対! 断固! 天地神明神かけて! お間違えなきようにっ!」
ぱちぱち、ぺたぺた。コードがジーナに接続されていく。
「あー、はいはい」
ジーナが修正に応じてくれたのだ、ほかはどうでもいいと思い直したのか、衛は軽く受け流す。
「じにゃ、おねんね。すうーっ」
コタローの手がジーナの目に添えられる。ジーナの目がとろんとなって、まぶたがだんだん下がっていく。
同時にパソコン画面を流れ始めたデータを前に、コタローはカチャカチャとキーを打ち始めたのだった。
* * *
そのころ、
カルロスたちは無事に神官戦士たちの集結した第2の礼拝室に到着していた。
「イナンナさま、もう少しお待ちください。今法具をそろえております。すぐに準備が整いますので」
こちらを任されていた神官長が彼らに気付いて駆け寄り、一礼をして説明をする。
「あ、わたしも手伝います」
ニンフルサグがぱたぱたと神官長について行ったのを見て、ほかの神官たちもあわててそれを追ってイナンナのそばを離れた。
「あなたは? 向こうに戻るのですか」
イナンナからの質問に「うん?」とカルロスは彼女を見下ろす。
襲撃を受けたはじめのうち、トランス状態からなかなか戻れずにいた彼女だったが、今はしっかりと普段の彼女に戻っていた。
彼を、空の欠片をはめ込んだかのような真青の瞳が見つめる。
(ああ、やっぱりきれいだ……俺の知るどの女よりも美しく、気高い)
こんな近くにいても、触れられないほどに。
しばし見とれてしまったカルロスだったが、すぐに彼女が自分の返事を待っているのだと気付いて、とたんピシッと背筋を正した。
「は……はっ! はじめはそれも考えていたのですが――」
声が裏返りそうになって、あわてて口を閉じる。こほ、と咳払いで一拍の間をとって、つなげた。
「先ほど遭遇したように、内部に敵が入り込んでいます。やつらのターゲットはあなたです。あなたを失えばカナンは未曽有の危機にさらされることになる。あなたの戦士たちとともに、こちらの警備を固めたいと思います。
私のような脳筋兵士でも、いないよりかはマシだと思うんでね」
「そうですか。では頼みます」
そうしてニンフルサグたちの元へ向け、きびすを返しかけた彼女に、カルロスは少し口元をゆがめた。
「……こういうのは、すべてが終わったあとにしようと思っていたんだが…」
すっと腰を折ってその場に片ひざをつく。
「女神イナンナ。俺はカナンの生まれではないし、所属は教導団です。よそ者ではありますが、あなたの加護をいただけないでしょうか。俺をあなたの神官としてください」
「神官?」
突然の彼の申し出にイナンナはとまどった。
「でもあなたは兵士でしょう」
「許可がいただけるのであれば、神官になります。神聖なる神官への道を志す俺に、どうか女神様の加護を」
イナンナの祭儀の衣装の裾をとり、うやうやしく口づけた。
彼の頭に軽くイナンナの手が触れる。
「先に言ったように、あなたはまだ兵士です。ですので正式な北カナン神官とすることはできません。けれど、今日、あなたがわたしの神官のためにいろいろと心をくだいてくれていたことは知っています。ここまでわたしたちを無事に連れてきてくれたことも。
ですから特別に、神官見習いとしましょう」
「ありがとうございます!」
もう一度裾に口づけて、立ち上がった。
願いのかなった笑顔でイナンナを見つめる。
ただ許可をもらっただけなのに。彼女が自分を見ていた、認めてもらえたと思うと、それだけで少し距離が縮まった気がする。
「では行きます。あなたの神官の1人として、あなたを護らせていただく」
「神官ではなく、神官見習いです」
「見習い見習い」
わははと笑って背中ごしに手を振るとカルロスは部屋を出て行った。