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リアクション
6.ひとり
2日前から、パートナーの水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は出張で出かけている。
マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)は休暇中であり、1人、留守番をしていた。
出かけ前、ゆかりは元気のないマリエッタのことを気にかけていたけれど、寝不足だとか適当に誤魔化して送り出し、それからずっとマリエッタは官舎の自分のベッドで眠ていた。
カーテンを下ろし、陽の光を浴びずに。
時折目が覚めて、何か飲んだり、用を足したりシャワーを浴びたりする以外はずっと眠っていた。
……ずっと深く眠っていられたらよかった。
目を閉じたら、そのままずっと眠っていたかった。
眠ったら何もかも忘れられるのではないかと思って。
でも、眠りは浅く、目が覚めてしまい、寝付けなくなる……。
眠っていたいのに。
今、何時なのか。どれだけ眠ったのか。
カーテンを閉めっぱなしで、時計も見ていないのでわからない。
再び、目を閉じる。
眠れない。
瞼の裏に見えてしまう。
あの人の、顔が――。
決して手に入らない、想いの人の顔が。
彼女の視線は決して自分には向けられない、いつも彼女が愛する人のことだけ……見ている。
彼女がその人のことしか見えないように、自分も彼女のことしか見えていない。
(忘れたい。忘れてしまいたい)
でも、忘れることをマリエッタの脳は拒否していた。
マリエッタは大きく息をついた。
「怖い……」
忘れることが何故か怖かった。
「喉……乾いた」
妙に熱っぽかった。風邪でも引いたのかとも思ったけれど、そうではないようで。
諦めてベッドから這い出て、マリエッタはシャワーを浴びた。
「あの人の顔、消えない……消せないのなら、何か他のことでも……」
ぬるい湯を浴びながら、何か他のことでもしようとマリエッタは考える。
「忘れるために何をしよう……んー、世間では確かバレンタインデーだったよね」
地球の日本ではバレンタインといえば、チョコレート、らしい。
誰かに贈るためというわけではないが、美味しいチョコレートケーキでも作って食べようと、マリエッタは決めた。
良い気晴らしになるだろう、と。
服を纏って買い出しに行き、必要な物だけ購入してすぐに、部屋に戻って。
マリエッタは猫の絵の入ったお気に入りのエプロンを身につけ、レシピ本を手にケーキ作りを始めた。
材料を計って順番に入れて混ぜて、生地を作っていき。
「甘い匂い〜。ちょっと味見!」
チョコレートは湯煎で溶かして、味見をしたり。
甘い香りに心が弾み、マリエッタはケーキ作りに夢中になっていった。
ゆかりのお菓子作りを手伝うことくらいはあったけれど、自分で作るのは初めてだった。
焼きあがったスポンジにチョコレートを塗って。
出来上がったケーキを見たマリエッタは。
「わーっ」
思わず感動して、拍手をした。
意外に綺麗に出来ていた。
「さて、味見味見。あ、でもゆかりの分は残しておかないとね……」
包丁でカットして、少しだけ食べてみて……安堵の息を漏らした。
味も悪くはない。
ほっとして、微笑みを浮かべかけたその時――。
不意に、想いの人の顔が浮かんだ。
(あの人もこうして、好きな人のためにお菓子作ったりしてるのかな……)
作っている最中、考えずにいられたことが。
また、頭の中を巡ってしまっていた。
愛する人を想い浮かべながら作っているのだろうか。
相手のことだけを考えて、喜んでもらいたいと思いながら。
味見をして、ほっとする思いは自分なんかよりずっと強いのだろう。
食べさせてあげたり、するのかな。
愛する人に美味しいと言われて……とっても喜ぶのだろう。
「あ……」
ぽろりと、口に運んでいたケーキがテーブルに落ちた。
同時に、水滴も――涙も、テーブルに落ちていた。
「ああ……せっかく美味しい物、食べてるのに、台無しじゃない」
落ちたケーキを手でとって口に運んだ。
涙の味しか、しなかった。
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