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第8章 天使光臨!?

「動き出した歯車。坂を上るまでは人力を必要とした運命の車輪も、山を越えてしまえばあとは自力で転がるのみ。
 そして物語に限らず全ての現象は「そうあろう」とするもの。たわんだ運命の糸は今一度引き絞られ、自己修復を図ろうとする。
 修復される世界とは、どのようなものか。そんなものに、はたして任せていいものだろうか?
 それが気にくわなければ、全力で戦え。
 無意識という世界の調和に。
 リストレイター諸君、さだめの力に、きみたちは勝てるだろうか?」

 じーっと頬杖をついて聞きいっていたエピが、そこで「おや?」と気がついた。
「それ、ナレーションじゃないね、シヅル。いいの?」
「いーの。こっちの方がカッケーだろ?」

 ――カチカチ、カチカチ。
 運命を書き換える音は、まだ全員の心に響いている。
 そしてリストレイターたちはだれ1人、新しい物語の創造をあきらめてはいなかった。



 夜も更けた真夜中。
 妻を失い、今また娘をも失った、胸を押しつぶしそうな悲しみの中、キャピュレットはベッドにもぐり込む。
 みじめだった。ほんの数日前、あの大宴会を開いたときには何もかも順風満帆に見えたのに。
 あれからわずか10日にも満たない間に、彼は1人きりになってしまった。
 長い長い1日を終えて、こうしてベッドに入っても、安らかな眠りはやってこない。
 妻を思い、娘を思い、涙していると。
 突然、ぱあぁと部屋の中が明るくなった。まるで太陽が部屋の中で生まれたようだ。
 光点の中心には――――
「て、天使さま!?」
 キャピュレットは大あわてでベッドを飛び出し、床にひざまずいて両手を合わせた。
「愛し子よ。この家に、新たな悲劇が訪れようとしています」
 空飛ぶ魔法で宙に浮き、光術を後光がわりに使用した――天使の羽はお手製だよっ――ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、ものものしくそう告げた。
「……天使というよりヴァルキリーだが」
 ぼそっと後ろに控えていたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が、ルカルカにだけ聞こえる声でツッコミを入れる。
「うるさいわねっ」
 黙れと肘打ちを入れ、こほんと空咳をするとあらためて床にぬかづくキャピュレットに話しかけた。
「これもすべてあなた方2家の争いが原因です」
「て……天使さま……すでにわたくしは、これ以上ない悲しみにくれております。妻を亡くし、子を亡くし、後継とすべき男子もおりません。なのにさらなる悲しみが、あるというのでしょうか…?」
「ある!」
 ダリルが前に出て、巨大な十字架の槍を突きつけた。
「大公家、モンタギュー家、キャピュレット家。三者がともに悔いあらためねば、救済のない死の十字架が、若い命を再び狩るであろう」
「そんな…!!」
 厳しい大天使の御顔を拝し、キャピュレットは再び額を床にこすりつけた。
 汗まみれになり、そんな、そんなと繰り返す彼と床の間に指を差し入れ、ルカルカは面を上げさせる。
「よいですか? 大罪の道に救済はありません。罪を赦し、ひとを赦す慈悲の道こそが、天の門へと通じているのです」
「天使さま…」
 光の天使は最後にそう告げて再びもう1人の天使のそばに戻ると、天を指差した。
「決して忘れてはなりませんよ。天国の門は常に開かれてはいますが、必ずしも全ての者がくぐれるとは限らないのです。魂の安らぎを得たいのであれば、慈悲の心を持ち、寛容であり続けなさい」
 指先から強い光が発せられ、キャピュレットは目を開いていられなくなった。
 閉じていた目を開いたときにはもう天使の姿はどこにもなく、光は消え失せ、暗闇ばかり…。
「夢…? いやまさか…」
 震える手足で、ベッドにもぐり込む。
「しかし……悲劇とは……若い命……慈悲…」
 罪を赦すとは? モンタギューをということか?
 いくらその意味を考えても、分からなかった。
 しかし天の言葉とはそういうものだ。そのときになってはじめて、あああれはこういうことであったのかと思う。
 だがそれが、新たな悲劇が起きてからだと思うと、うかうか眠ってもいられない。キャピュレットは闇に目をこらし、じっと考え込んでいた。



「いくらなんでも遅すぎやしないかな?」
 あ、もうカラか。
 グラスの上で振っていた瓶を覗きこみつつ、カルシェ・アサッド(かるしぇ・あさっど)が言った。
「今気づいたんだけど、もうとっくにロミオは迎えに来てないとおかしい時刻じゃん。ほら、東の空が白い。そろそろ町のみんなが起き出すころだ」
「そうだね」
 柵を背に、座り込んでいる貴宮 夏野(きみや・なつの)。すっかりおなかが張って、眠気がきているらしい。目元をこすっている。
 彼らは、何も気づかれていないかキャピュレット家の様子を探ってくる、という名目で、それぞれメイドと男性客に変装して葬儀のあと数日続く宴席で飲み食いしまくってきたのだ。
 あげく。
「お墓で、ピクニックもいいじゃん」
 と、お持ち帰りした食べ物とジュースで、夜通し墓所前で続きをしていたわけだが。
「何かあったのかな?」
「かもね。でも、あっちにもリストレたちが何人か行ってるし。彼らを信じて待つしかないよ」
 今から向こうへ行って、何かできるわけでもなし。
 心配したって無駄無駄と、新しい瓶のコルクを飛ばす。
 ぽんっと勢いよく弾けたそれを、頭の上で掴んだとき。
 柵向こうの木々の隙間から、見知った人物がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「パリスだ。何しに来たんだ? あいつ」
 ほんの数時間前、キャピュレット家でぐでんぐでんに酔いつぶれていたのを見かけたが。
「考えてみたらさ、彼もかわいそうだよねー。本気でジュリエットのことが好きで、妻にする気満々だったんだから」
 どこまで本気でそう思っているのか、腿で挟んだグラスに瓶の中身を移すことに集中している姿では判断つきかねたが、とにかくカルシェはそう言った。
「でも今来られるとまずいよね。ロミオとはち会わせしちゃうかも」
 それも面白いかもー、とか言うカルシェの前、夏野がすっくと立ち上がった。
 その手には、先ほどカラになった瓶が握られている。
「?」
 カルシェが見守る中、夏野は襟をぐいっと引っ張り、格好を崩すとよろりよろりと歩き出し、茂みからパリスの前に転がり出た。
「? きみは…」
 すっかり酔いがさめた顔のパリスが、足元に倒れ込んだ少年に驚く。
「いっててて…。転んじまった、ちくしょうめ…。
 おや? パリスさん」
 とろんとした目でパリスを見上げる。
 乱れた服装、その口調。そばに転がるのはカラの瓶。
 パリスはあっさりと彼を酔っ払いと決めつけた。
「こんな所で何をしている? それになぜわたしのことを?」
「なんでって……あんた、ちょーゆーめーじゃん、結婚式の当日に、花嫁が死んじゃったってぇ。すっごいタイミングだよねぇ、それってぇー」
 くつくつと肩を震わせて、自分の言葉に自分で笑う。
 パリスはふうと息をつき、夏野を引っ張り上げた。
「さあ立ちなさい。すっかり足元がおぼつかなくなってるじゃないか。送って行こう。宿かい? それとも家? そういえばきみ、どこか見覚えが――」
「さっきごしょーばんに預かったお館で、ちらとお見かけしましたよ」
「ああ、なるほど」
「パリスさん、そんな暗い顔しててもしょうがないじゃないか。一緒にお酒でも飲んで、明るく考えようよ〜。ねー。
 花嫁さんは死んじゃったかもしんないけどさー、あなたは生きてる。せっかく生きてるんだから、楽しまなきゃ。飲んでー、めいっぱい騒いでー、楽しもうよ〜。ホラ、笑って、笑って。悲しんでると、悲しいことしか起きないさぁ」
 よろよろと、適度に足をもつれさせ、パリスに寄りかかって歩く邪魔をすることで、パリスがよけいなことを考えたりしないようにする。
 パリスは夏野の肩ごしに、ちらと墓所の方を伺った。
 キャピュレット家で酔いから冷めたあと、傍らにジュリエットの姿がないことが無性に悲しくなって、彼女に会いにきたのだが、今日はどうやら無理らしい。
 草葉の陰からカルシェが見守る中、2人はヴェローナへと続く道を下って行った。
(夏野、グッジョブ!)



 一夜が明けて、朝日が昇ると早々に、キャピュレットは大急ぎ大公の館を訪ねた。
 昨夜の出来事を話し、大公の意見が聞きたかったからだ。
 しかし着いてみればモンタギューの家紋の入った馬車が横付けされており、モンタギュー夫妻もまた、大公に昨夜起きた不思議な出来事を話して聞かせているのだった。

「本当なんです、大公さま。天のお使いが枕元に現れたのです、それも3人も!」
 通された大公の部屋で、モンタギューは大公に言いつのっていた。
「金の髪の美しい天使が、こうおっしゃいました。
『キャピュレット家との過去の遺恨を許し合うのです。お互い許し合う事で争いは回避され、これ以上悲劇を呼び込まずに済むでしょう』
 と!」
(金の髪……エオリアくんかしら?)
 大公家に滞在している縁続きの姫として、窓下に置かれた箱椅子に座しながら遠野 歌菜(とおの・かな)は考えた。
 モンタギュー家で天使の役をしたのは、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)の3人だったはずだ。
「そして、赤い髪の天使が
『三者が悔い改めねば、救済のない死の十字架が若い命を狩るであろう』
 と。これは一体どういうことなのでしょうか!?」
 その言葉に、バンッと大きな音をたてて、廊下に続く扉が開かれた。
 真っ青になったキャピュレットが立っている。
「何事だ、キャピュレット! ついに礼儀も忘れるほど狂ったか!」
 大公・グロリアーナが一喝する。
 キャピュレットは強張った表情のまま、大公に一礼すると、ソファに腰掛けた。先ほどモンタギューの口から出た言葉が、昨夜の天使の言葉と全く同じであったことに動転するあまり、隣がモンタギューであることに全く頓着していなかった。
「申し訳ありません、大公さま…。わ、わたしのところにも、昨夜天使が訪れまして…。そ、そそ、それで、モンタギューめのやつが申したこととそっくり同じことを、申したのでございます…」
 これを聞いて、大公のしかめられていた眉が、さらにきつくなる。
 歌菜は、今かもしれないと思った。
「大公さま、モンタギューさま、キャピュレットさま。発言してもよろしいでしょうか?」
 立ち上がり、体前で両手を組んでしおらしさを演じる。
「これは……どこぞの姫君で?」
「私の遠縁の者だ。気にするな」
 大公は何を言う気だとの冷たい視線を投げたが、歌菜は無視して言った。
「代々続く抗争なんて、馬鹿げてます。ヴェローナの町の人達が、あなた方の喧嘩でどれほど迷惑しているか知っていますか? あなた方だって、ずっと朝から晩まで、生まれてから死ぬ日まで、喧嘩を続けるのも疲れるでしょう? ひとを憎むのって、つらくないですか?
 仲良くなった方が、絶対にお互い楽だし、利益が出ると思います。きっと天使さまも、あなた方にそれを悟ってほしくて、あなた方の下へ現れたのでしょう」
 さあ言った、と歌菜は少しだけ胸を張る。
 しかし。
「私のもとへは来なかった」
 そのひと言で、大公は一蹴して彼女から目線をはずしてしまった。
「大方おまえたちは、夢でも見たのだろう。ここ最近おまえたちにはつらいことが続いている。気弱になった心が、すがれるものを無意識に求めて幻覚を見せたのだ」
 ……むうーっ。
 3人に背を向け、むくれた顔で箱椅子に座り直そうとした歌菜だったが。
 手をついた箱椅子から、変な振動を感じて、ぴたりと動きを止めた。
 そろーっと3人の様子を伺い、自分から注意が完全にそれているのを確認してから、そろそろと箱椅子を押して隣の部屋に移動させる。
「どうした?」
 シッ、と口元に人差し指を立て、羽純を黙らせると慎重に箱椅子を開く。
 そこには、手足を縛られさるぐつわをかまされた夏侯 淵(かこう・えん)が押し込められ、うんうん唸っていた。
「……淵くん!? どうしてこんな――」
 ほどいて解放された手で、ぷはっとさるぐつわをはずす。
「くそーっ! グロリアーナめ! 天使として現れた俺を見た途端、問答無用で攻撃してきやがったっ。あいつ絶対おかしいぜ。なんか暴走してる感じだ」
「たしかに不機嫌っぽいよね」
 大公役に執着して、ずっと同化しっぱなしだし。
「ローザマリアはこのことに気づいているのか?」
「さあ…。でも、いつもそばについてて、止めないってことは…」
 歌菜は肩を竦めて見せる。
「ということは、あの2人にはこの先も協力は望めないと見るべきだな」
「つか、だれが食い止めるんだよ? もうじき始まるんだぞ?」
 うーーーーん…。
 正直言って、3人とも、やりたくない。
 ローザマリアとグロリアーナを正面から相手にして、勝てるとしてもひどく手こずるだろうし、けがを負いそうだからだ。

 だが時間の流れは無慈悲だ。
 何も良策が思いつかないまま、始まりの合図が、隣の3人の部屋で高らかと鳴らされた。


「大公さま、ご両家の皆さま方、大変です!! ジュリエットさまがよみがえられました!!」