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リアクション
【6】
「うっ、くっ……」
姫野 香苗(ひめの・かなえ)は泣いていた。
誰よりも早く百合園学園の寮に辿り着き、誰よりも早く瀬蓮の部屋に入り、誰よりも早く眠り姫になった瀬蓮に対峙した。
もちろん瀬蓮の部屋には瀬蓮以外誰も居なくて、香苗の本来の目的を達成するにはこれ以上ないくらいに好都合なこの部屋の状態だったのに。
「どうして……どうしてなの……!?」
涙が溢れて止まらない。
「どうして、瀬蓮お姉様が氷に覆われているの……?」
正しくは、瀬蓮のベッドが氷に覆われ、その中に瀬蓮が眠っているという状態だった。
それがとても悲しかった。悔しかった。
なぜなら、
「せっかく寝ているお姉様に抱きついて柔らかな胸にすりすりして、ほっぺちゅーしたり、すりすりしたり、それどころかあんなことやこんなことや、とにかくいろいろ出来ると思っていたのに……!」
それは、香苗の野望だった。
女の子に抱きつきたい。いちゃいちゃしたい。もっと過激なあんなことやこんなこともしたい。
けれど、香苗のその欲望とも言えるほど強い思いは、往々にして嫌がられた。過剰すぎたスキンシップだったのだ。
だから、眠っている女の子が相手ならば、と思ったのだが、そう上手くは行かないらしい。
それが悲しくて泣いていた。
「どうして泣いているの?」
そんな香苗にかけられた声。
いつの間に入ってきたのか、そこには秋月 葵(あきづき・あおい)が居た。その横にはフォン・ユンツト著 『無銘祭祀書』(ゆんつとちょ・むめいさいししょ)――通称黒子ちゃん――の姿もある。
「瀬蓮お姉様が……氷のベッドに……抱きつけなくて、あうぅ……!」
泣いているところを見られ、そして相手がそれを気にしてくれている。それをいいことに、香苗は葵に抱きついた。
そして葵の柔らかで甘い香りを全身で堪能して、ああやっぱり女の子はいい、素敵だ、可愛いは正義って本当なんだ。そう心から実感する。
「氷のベッド……? 本当だ、これじゃ瀬蓮ちゃんに近付けない……」
抱きついてきた香苗を抱き締め返して、あやすように背中を撫でていた葵が瀬蓮の状態を確認して愕然とした声を出した。しかしすぐに火術を使って氷を溶かす、という考えに辿り着き、それを実行しようとして――香苗がくっついて離れないことに苦笑した。
「あのね、瀬蓮ちゃんの眠るベッドの氷を溶かしたいんだけど……」
「はぅ〜、可愛い女の子の腕の中は癒されるぅ〜……」
離れないどころか、恍惚とした表情と声で、葵のぺったりとした胸に頬をすり寄せていた。
「えぇい! そなたは何をしておられる! 緊急事態なのだぞ!」
さすがに、黒子ちゃんが怒った。我に返った香苗が黒子ちゃんを見た。
「はうん。チャイナドレスの美少女〜……♪」
そして、黒子ちゃんに抱きついた。
「なっ、ちょ……!?」
突然の事でうろたえているが、香苗は気にしない。そばに茨があっても気にしない。なぜなら香苗の目的は、女の子に抱きつくことだ。もともとは眠っていて無抵抗な女の子にあんなことこんなこと、だったがもうこの際なんでもいい。可愛い女の子に抱きつければ、もうそれだけでいい。
「こっ、こらっ、離せ! 離さぬかっ!」
「イヤ〜! きゃっきゃするのっ!!」
黒子ちゃんが喚いても、香苗は離さない。女の子同士できゃっきゃできない欲求が溜りに溜まっていたから。
一方で葵は困惑する。瀬蓮を助けに来たはずなのに、何故か別の少女がいろいろと、それこそ本当にいろいろな意味で大変なことになっていて、パートナーが半ば組み敷かれるような状態にされていて、でも相手の少女には悪気はないどころか止めるのを躊躇ってしまうほど幸せそうにしているから、自分が何をすればいいのかわからなくなってしまった。
が、不意に視界に入ったものを見て、あ、と思った。
茨が伸びてきていた。
さっきまで特に動きがなく、こちらに襲い掛かってくることもなかったからその存在を失念してしまっていた。
恐らくこちらから動き回り、積極的に瀬蓮を助けようとしなければ襲い掛かってはこないのだろう。
だからさっきまでは大丈夫だった。けれど今は、香苗のスキンシップに抵抗する黒子ちゃんの動きに反応してしまったらしい。
ゆっくりと黒子ちゃんに向かって伸びて行く茨。
「黒子ちゃん、危な――」
言いきる前に、茨の棘が黒子ちゃんのチャイナドレスから伸びた腕に刺さった。瞬間、黒子ちゃんから力が抜ける。それをしっかりと抱き締め支えた香苗は、
「思う存分すりすりし放題……っ!」
これ以上なく幸せそうな顔で、言うのだった。
「まったくもう! あなたたちは何をしているのですかっ、この非常時に!」
叱責する声が響いた。
ほぼ同時に、香苗にも伸びていた茨が試作型星槍によって切断される。
カツンッ、とハイヒールの硬質な音を響かせて、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が立ちはだかった。
そして未だ黒子ちゃんに頬ずりしている香苗を見て、
「まったく無防備で世話の焼けるお嬢様方で……」
呆れたような声を出す。
「少し離れていてくださいまし。ここでは危険でしてよ?」
一応そう声をかけ、次に亜璃珠は葵に向き直った。
「あなたは? 無事ですの?」
問うと、葵がこくりと頷く。少しほっとしたような顔をして再び茨を、その先の氷漬けにされたベッドに眠る瀬蓮を見た。
「氷を溶かさないことにはどうにもなりませんわね」
「あたし、火術使えるよ!」
「あら。それは非常に頼りになりますわね。ではこうしましょう、私が茨からあなたを全力で護りますわ。だから貴方はあの氷を溶かしてくださる?」
亜璃珠の提案に、葵は精神を集中させることで応えた。術の威力を調節するには、かなりの集中力を必要とする。弱すぎては溶け切る前に茨に襲われてしまうかもしれないし亜璃珠にも強い負担をかけてしまう。かといって普段使っているノリでやってしまうと、氷は溶けるだろうが寮まで炎上させてしまうだろうし瀬蓮に怪我をさせてしまうかもしれない。
だから、慎重に、丁寧に、魔力を練り上げた。
火術を使い、ベッドを覆う氷を溶かしていく。茨は亜璃珠が斬って、集中の邪魔をさせないようにしてくれている。安心して使っていると、
「オレも手伝ってやる」
国頭 武尊(くにがみ・たける)が葵の隣に立って、火術を展開させていた。絶妙に加減された火力で、他のものに燃え移らないように気を使って。
「いい思いさせてもらったからな。茨の園を覚悟して入ってきたら秘密の花園だったわけだし」
「なっ……まさか、誰かの部屋を物色したりしたのではないでしょうね!?」
武尊の言葉を聞いた亜璃珠が、顔色を変えて反応した。
「抵抗できない女の子にヒドいことを……?」
葵までもが悲しそうに言うので、武尊は慌てる。二人の少女にそんなことを言われてはたまったものではない。亜璃珠は殺気さえ放っていそうだし、葵は泣き出しそうなほどに悲しげな声を出すし。
「どっちもしてねぇよ! 冤罪だっ!」
「あら、していませんの? いい思いだなんて言うから早とちりしてしまいましたわ。発言には気を使っていただきたいものですわね」
「しかもオレが悪者扱いか! マジ女怖ェ!」
言いながらも三人は、氷を溶かす行為も茨を斬り払う行為も手を抜かず続行していた。
その成果が現れはじめる。
瀬蓮の頬に触れることができる程度まで氷が溶けてきたのだ。
「おっし、あとちょっと……!」
武尊が嬉しそうな声を上げた。
その、嬉しいという感情は達成感からだったのだが、
「……ねえねえ、瀬蓮ちゃんに、キスするの?」
葵が悲しそうに言った。
「寝てる間に知らない人にキスされたら、瀬蓮ちゃん悲しむと思うんだ」
「……別に、キスしたくて氷溶かしてたわけじゃねーよ。オレだって知らねー奴に寝込みを襲われるのは御免だしな。安心しろ、いつものノリで関わっちまっただけだ」
武尊はわかっている。童話や携帯小説の世界なんかとは違って、現実が厳しいと言うことを。
「オレは高原の王子様なんかにゃなれねーよ。そう言いきれる奴が高原にキスすればいい。オレは女子寮探検ができただけで満足さ」
「最後の一言がなければまだカッコ良いと思えましたのに、損な方ですのね」
「余計なお世話だ」
揶揄するように亜璃珠に言われ、武尊はつっけんどんに返す。
「でも嫌いじゃありませんわよ、比較的ですけど」
「……オイやめろ、期待するだろ」
「あら、そこまでではありませんわ。思い上がらないでくださいまし」
「……やっぱ女怖ェ!」
「あ、氷! 溶けたよ、溶けてきたよ!」
ベッドを覆う氷が溶けた。
あとは王子の到着を待つばかりだ。
*...***...*
瀬蓮の王子となるべくして、久我 雅希(くが・まさき)はやってきた。
茨の道を草薙 庵(くさなぎ・いおり)と共に切り開きながら辿り着いた瀬蓮の部屋。
「氷はもう溶けているみたいですね、雅希様」
声をかける庵に頷いて応え、雅希は瀬蓮が眠るベッドへ一直線に近付いた。茨を斬り、サポートしてくれている亜璃珠たちに庵が頭を下げてから、彼女たちと同じく茨の対処を始める。
一方で茨を庵に任せた雅希は、
「ちゃんと生きてる……よな?」
横たわり動かない瀬蓮の腕を取り、脈を測る。速くもなく遅くもない。平常であることを確認し、次に額に手を当てた。氷漬けのベッドに眠らされていたとは思えないほどに正常な体温。それに安心する。
同時に不安にもなった。
この『物語』が、瀬蓮に眠り以外の影響を及ぼさないことが、そのまま『物語』の強さに感じたから。
「早く目覚めさせないと別の影響も出てくるかもな……」
優しく髪に触れながら、手を後頭部に当てる。
「悪い夢はもうお終いだ。今目覚めさせて――」
「ちょっと待ってよ」
今にも瀬蓮にキスをしようとしている雅希の腕を、西園寺 沙希(さいおんじ・さき)が掴んで止めた。
「お姫様への口付けは譲れないな。僕は王子様だし」
「俺だって譲るつもりはない」
「王子じゃないのに姫にキスしようなんて良くないね。折角の物語なんだから配役に従ったら?」
「関係ないな」
「君は何者なの?」
「姫のハートを盗む盗賊だ」
「そんな大変な泥棒はさせないし、男に可憐な女の子の唇は譲れないな」
二人の間で火花が散った。
「王子の座を譲る気はないよ?」
「姫のハートを盗む邪魔もさせない」
険悪な雰囲気になり、それを敏感に察知した庵は焦った。焦りを外面に出さない程度にはそれを抑えられたが、困ったのは事実だ。
誰かに助けを求めるように視線を向けるが、黒子ちゃんは相も変わらず眠り続けていたし、香苗はそんな彼女に頬ずりすることに夢中で、そもそも雅希たちの存在にすら気付いていないかもしれなくて、亜璃珠と武尊はたまに罵り合い、それでも背中合わせで茨と戦っていて。
そんな中で目を合わせてくれた葵が救世主に見えた。が、葵も困ったように笑って言った。
「さっきも言ったんだけどね。寝ている間に知らない人にキスされちゃうのって、ショックだと思うんだよね」
「……雅希様ー」
葵の言葉を受けて、さらに困ってしまった。そんな無理矢理なことを雅希にさせたくないし、沙希と争うようなこともしてほしくない。
誰か、誰もが納得するような王子が現れれば。
そう思った時だった。
「瀬蓮ちゃんの目を覚まさせるのは、私だよ?」
霧雨 透乃(きりさめ・とうの)が現れて、毅然とした態度と物言いで言い放ち、
「透乃ちゃん、頑張ってくださいです!」
それを緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が応援している。
「あっ、ちょっと待ってよ! 王子様にならこのアインもおすすめだから!」
「待て! なぜ自分なのだっ……!」
さらに岬 蓮(みさき・れん)とアイン・ディアフレッド(あいん・でぃあふれっど)が現れて、王子様として瀬蓮にキスをする権利を巡り登場し――。
庵と葵は再び顔を見合わせた。
事態はどんどんややこしくなっている。
止める術は思いつかない。
二人は困ったような笑みを浮かべながら、
「瀬蓮の王子は、俺だ!」
「僕だよ」
「私よ!」
「透乃ちゃんがいいと思いますっ!」
「アインよ!」
「だから何故自分なのだっ!」
と白熱する面々を護るため、茨を斬るのだった。
「何故、自分なのだっ!」
「だって『眠り姫』がキスで目覚めるっていうなら、女の私はまず選択肢から外れるでしょ? だから、アインにしてもらえばいいかなーって」
アインの叫びに、蓮はさらりと応える。アインはどうすればそんな結論に辿り着くのか理解できない、とでも言いたげに眉間を抑え、苦虫を噛みつぶしたような表情をし、大きくため息を吐いた。
「相手は幼い娘だぞ……?」
「原作では15歳や16歳だったりするよ? 瀬蓮ちゃんの年齢とピッタリ!」
「しかし自分の年齢はだな」
「王子様の年齢には触れられてない場合が多いし、問題ナシ☆」
「いやっ、だから……!」
「大丈夫! アインならできるよ!」
「せやかて! また人を噛み殺してしまうかもせえへん……」
「私、アインのこと、本当は人を噛み殺すほどひどい人じゃないって信じてるよ?」
「貴様……そんなに自分のことを信頼して……」
「うん。だから、できるできる! 大丈夫だよ!」
そうしてアインのやる気が出てきたところに、
「あの……、お待ちください」
ストップをかける声。
「どうして、女性では駄目なのでしょうか? 本来百合園女学院には女性しかいないはず。ならば、女性が男性の役をやってもいいはずでは?」
陽子がそう言い放った。弱気な彼女にしては強気な発言で、それだけ陽子が透乃にキスをさせたいと思っていることが透乃にはわかった。
う、と蓮が言葉に詰まる。陽子が言葉を続けた。
「ですから、透乃さんにも十分な資格があると言えます。そして私たちはこの神聖な場から立ち去って、透乃さんが瀬蓮さんの唇を犯してそして」
「ちょっと後半聞き捨てならないな。犯してそして、なんだって? そんなことはさせないよ?」
ヒートアップしてしまった陽子を沙希が止める。
その脇で、雅希がこっそりキスをして起こしてしまおうかと行動しようとしたところを、透乃が止めていた。
静かに火花散る。
*...***...*
「どこぞのいやらしい生き物のようなこの茨を相手にするのは疲れましたわ。いい加減、王子様に相応しい方が瀬蓮さんを起こしていただけません? このままでは私たちも眠り姫の仲間入りでしてよ?」
最初からずっと茨と格闘していた亜璃珠が、決定を急かした。王子の座を争っていた四人――と、パートナー二人を合わせた六人――は、全員が全員の顔を見た。
「火花バチバチってレベルじゃねーぞ。ベッドの氷が蒸発しそうじゃねーか、あの視線の真っただ中」
武尊が、呆れたような感心したような、どちらともつかないため息と共に言う。
「王子様、誰になるのかなあ」
葵がぽつりと呟いた時、長らく開くことのなかったドアが開いた。全員の視線がドアに集中する。
この場の収束を願う視線や、ライバル登場の可能性に険が混じった視線。
そしてその場に居たのは、恐らく最も『瀬蓮の王子様』が似合うであろう人物。
物語を擬え、絵本に出てくる王子様のような格好をしたアイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)がそこに居た。
アイリスの横には揃いの制服を着て、まるでアイリスを護る騎士のような格好のエルシュ・ラグランツ(えるしゅ・らぐらんつ)とエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)。
そして後方で茨を斬り払うディオロス・アルカウス(でぃおろす・あるかうす)が、
「王子。姫は居られましたか?」
アイリスに声をかけた。
アイリスは頷くと、ゆっくりと瀬蓮に近付く。
ただ歩いているだけなのに、その姿は優雅さや気品まで感じさせるもので。
瀬蓮に近付くアイリスを誰かが止めるということなんて、それはたとえ物語の十三番目の魔女でさえ許されない、神聖なものさえ漂うもので。
ベッドの傍に傅いて、瀬蓮の手を取り、手の甲に恭しくキスを落とした。
「やっぱりそんなダンスに誘うようなちゅーじゃダメなんだヨ」
瀬蓮が起きないのを見てから、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)がはやし立てるように言った。
「唇じゃないとネ。物語でもそうしていたヨ」
にしし、と悪戯っぽく猫のように笑う。
アイリスの動きが躊躇うように一瞬止まった。
けれどそれは本当に一瞬の躊躇で、瀬蓮のキスを巡って争っていた誰かがアイリスを止めるよりも早く、唇に唇を重ねた。
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