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なし

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らばーず・いん・きゃんぱす

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らばーず・いん・きゃんぱす

リアクション


●ちーちゃん

「ほら、結構可愛いだろ?」
 と九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)は言った。彼が抱き上げて仲間たちに見せているのは、茶褐色の怪ゴムであった。怪ゴムは彼のなすがまま、へらりと体を垂らしてぶら下げられていた。
 実は彼、学長の密命を受けるより先に、怪ゴムを飼い慣らしていたのである。
 偶然これに襲われたジェライザ・ローズだったが、プリンの欠片を与えてみると、この小さな褐色ゴムはすぐに、尻尾を振る犬のようになって彼の足元にじゃれついたという。出会いから数時間が経ち、今や褐色ゴムはそれなりの大きさになってはいるものの、その忠誠心は変わらず、ジェライザ・ローズが歩むあとからぴったりと付いてくる。
「ロゼ、学長は排除しろと言ったはずじゃないか。情を移すのは考えものだよ」
 冬月 学人(ふゆつき・がくと)は眉をひそめた。しかしロゼはなんら意に介さない様子だ。よしよし、などと言ってゴムのつるつるした背中を撫でている。それが気に入っているのか、小さな茶色ゴムはアメーバ状の体を広げてぺったりとした。
「殺からも何かいってやってくれよ」
 学人は『殺』・パーフェクトガイド(きる・ぱーふぇくとがいど)に振り向く。
「よろしくてよ」
 殺はつかつかとロゼに歩み寄った。両手を腰に当てて、バッサリと一言、
「ロゼ……馬鹿なんじゃありませんの? 一回岩に頭打ち付けなさいな
 なんというか、色々な意味で殺は容赦がない。
 ところがロゼはやはり動じず、
「そう堅いこと言うなって。ときどきエサをあげておけば無害なんだから。実は名前もつけてんだ。茶色ゴムだから『ちーちゃん』」
 などと言って眼を細めている。
「なんだよそのストレートすぎる名前は。殺も呆れてるよ……って、殺!?」
 学人は絶句してしまった。さっきまで大反対だったはずの殺が、『ちーちゃん』を聞く急に表情を軟化させていたのだ。それも、ほぼ180度逆に。
「ちーちゃん……褐色ゴム擬人化……ご主人様とか……うほっ、萌える!」
「『うほ』って言った!」
 さっきの態度はどこへやら、ダイヤモンドのように目を光らせる殺は、脳内で『ちーちゃん』を自分好みの超美形に変換し、身を捩るほどに悶えていた。これぞ萌えのコペルニクス的転回、あるいは、萌えのビッグバンとでも言おうか、無論、この瞬間彼女は『ちーちゃん』擁護派に舵を切っていた。
「な、可愛いだろ、『ちーちゃん』?」
「ああ……彼の真のお姿が目に浮かぶようです……」
 などと盛り上がるロゼ&殺に対して、もはや学人はこういう他はないのであった。
「こいつら……ダメだ、早くなんとかしないと……」
 結局、しぶしぶ学人も同意し、三人して『ちーちゃん』を学外に連れ出すことになった。
「排除というのは何も、殺すことばかりじゃないだろ? 学校の敷地の外に逃がしてやればいいじゃないか」
「その通りですわ、ちーちゃんは大地に還り、凛々しくなって戻ってくるのですわ!」
「いや、戻ってきたら駄目だろ……。って、おい」
 校門付近には、よりによってアクリト学長がいるではないか。これ以上騒動を広げないよう、学長御自らが見学会の看板を下げに来たのだ。
 学人は身をすくめた。殺気看破や禁猟区を駆使してここまで来たが、相手が学長というのは分が悪そうだ。見つかってしまったら最悪、退学処分になってしまうかもしれない。大急ぎで物陰に隠れて相談する。
「どうする……別の門まで移動しようか?」
 ロゼが提案するも、殺は長い髪を揺らして首を振った。
「見つかるリスクは引き返しても同じですわ。むしろここは、学長を動かしてしまう方がいいでしょう」
 一計を伝えるや、ぱっと殺は駆け出し二人の元から離れた。
 それから何秒もしないうちに、
「きゃー、どなたかたすけてくださいませー、へんなゴムがおそってきたのですわー!」
 凄まじいダイコン演技で、殺がそんなことを叫ぶのが聞こえた。
「なんだありゃ、酷いな……」
 呆れ顔のロゼは、さらにここでもう一度呆れることになった。物陰から学人が飛び出して、
「あ、あー! だれかがゴムにおそわれてるみたいだー、たすけないとー!」
 殺に負けず劣らずのダイコン演技で、アクリトのほうを見ながら叫んだのである。
(「こんなの騙されるわけないだろ……!」)
 天を仰いだロゼだったが、仰いだ姿勢のまま背後に倒れ込んでしまった。後頭部を打ちそうになるも、それは『ちーちゃん』が飛び出してクッションになってくれたので無事だ。
 なんと、アクリトが小走りで、
「それはいかん、どこだ現場は」
 と学人を追ったのだ。本当かよ、と思いつつもロゼは急いで門より『ちーちゃん』を連れ出した。

 ロゼと『ちーちゃん』は大学から何キロも離れ、山の麓までたどりついた。ありったけのプリンを与えてから、ロゼは褐色ゴムに告げた。
「じゃあな、ちーちゃん、安全なところで達者で暮らせよ」
 たった数時間の付き合いなのに、いざ別れるとなると目頭が熱くなり、ロゼは大学に駆け戻ろうとした。
 ところが振り返ると怪ゴムは、のそのそと彼を追いかけて来るではないか。
「バカっ! 戻ったら殺されちまうぞ! 山に行くんだ!」
 大喝すると瞬時、びくっ、とちーちゃんは硬直したが、それでもやっぱりじわじわとロゼに付いてこようとする。
「行けってのがわからないのか! 行けよ! 山に入れっ!!」
 叫びながら不覚にも、ロゼの目から熱いものがあふれてしまった。愛を知らずに育った彼は、献身的な愛情を示してくれる存在には弱い。しかしここは非情にならねばならない。涙を拭って、
「付いてくるな! 来るなーっ!!」
 両手に石を拾って、威嚇するように次々と投げた。投げながら、またロゼは大粒の涙をこぼしていた。
 とうとう彼の意志を理解したのか、しゅんとうなだれ傷ついた様子で、ちーちゃんは大きく跳んで山に飛び込み、そのまま姿を消したのである。
「山なら……甘いものだってある。元気でな……」
 ロゼは背を向け、大学に向かってとぼとぼと歩きはじめた。
 それでもなお、幾度か振り返って山を眺めた。