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浪の下の宝剣~龍宮の章(前編)~

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浪の下の宝剣~龍宮の章(前編)~

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13.夕焼け空とちゃるめら



 海京は、海に浮かぶメガフロートである。そのため、地上の町と違いほぼ全てをゼロから作っている。地下水が湧き出すこともなければ、地盤が想定より緩くなることもないし、その土地の呪いや伝統も何も無い。
 都市計画を妨げるものが存在しないのだ。そのため、規格にそって厳正に町作りができ、無駄なものは計画の段階で排除されていく。それでも、人が集まれば人の都合が生じてくる。
 四方をビルに囲まれた、不思議な空き地はその人の都合の産物だろう。道に隣接していないため、町を歩く賞金稼ぎに目につくことはないだろう。海京に住んでいる人ですら、こんな不思議な空間があると知らない人の方が多いはずだ。
 バスケットコート程度の広さの空き地の真ん中に、一軒の屋台が出ていた。
「へい、ラーメンおまちっ!」
 空き地には、折りたたみ式のテーブルと椅子がいくつか点在し、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はそれぞれのテーブルにラーメンを運んでいた。席についているのは、佐野実里に協力を申し出たうちの一部と、安徳天皇の護衛の面々、そして閃崎 静麻の姿があった。
「……どういう事なの?」
 ラーメンが運ばれてきた小谷 友美は困惑しながら美羽に尋ねた。
 安全な場所まで案内する、という話だったはずだ。確かにここは安全そうではあるが、何故屋台が出てラーメンが配られているのか、よくわからない。
「大変だったんだよ。一度屋台をばらして、それでここまで運んでもう一度組み立てて。間に合わないかと思ったもん」
 道に隣接していない空き地に、立派な屋台を持ち込むのは確かに大変だっただろう。
「スープもね、ベアトリーチェが作ったのと、実里が作ったのと、あとロアが作ったのがあるんだけど、それを持ってくるのも大変だったんだよ」
 スープは一旦ばらして運び込む、なんてことはできない。あの大きな寸胴を、どうにかこうにか持ち込んだ苦労話が始まりそうになったので、友美は慌てて、
「そうじゃなくて、どうしてラーメンを作ったり配ったりしてるのかしら?」
「だって、みんなお腹すいたよね?」
「それは、そうだけど……」
 ラーメンのいい匂いにお腹が刺激されてしまったのか、友美のお腹がぐぅとか細く鳴いた。体温がかぁーっと上昇していくのを自覚する。
「おいしーから、絶対残さず食べてね」
 そう言うと、美羽は駆け足で屋台まで戻っていく。まだまだラーメンが届いていない人がいっぱいいるのだ。
 もう友美は呆れることしかできなかった。お腹が空いているのは事実だし、周りはもう食べ始めている人もいる。
「……せっかくだし、頂こうかしら」
 箸に手を伸ばそうとした友美の懐が震えた。映画館に入る時に携帯電話をマナーモードにしっぱなしだったことをふと思い出す。取り出すと着信が恐ろしい数にのぼっていた。ほとんどは、はぐれてしまった護衛のメンバーからだ。
 友美は箸を置くと、電話に出た。

 屋台のカウンターには、安徳天皇と静麻の二人だけが座っていた。
「はい、熱ので気をつけてくださいね」
 ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)がラーメンを安徳天皇に出す。
「学食のラーメンとは香りが違うのう」
「ラーメンは……職人によって全部違う」
「ふむ、そういうものであるのだな。妾は学食のものしか食べておらんゆえ、見聞が狭いのであろう」
「今日は……まぁまぁ」
 実里はカウンターの向こう側、ベアトリーチェとロアと共にラーメンを作る側だ。
 安徳天皇の護衛が二十人を超えており、繁盛しているラーメン屋のように先ほどまで物凄く忙しかった。今やっと、少し落ち着いたところだった。
 それにしても、安徳天皇と違って静麻はせっかくのラーメンに興味を示すことなく、難しい顔をしている。というか、なんで彼がここにいるのかベアトリーチェにはわからなかった。
 まだ接触するには早い、みたいな事を実里が言っていたはずなのだが。屋台の準備をしているうちに、状況が変わってしまったのだろうか。しかし、本人を前にしてなんで閃崎さんがいるんですか、などと尋ねられるわけもない。
「俺の顔になんかついてるのか?」
 ベアトリーチェの視線に気付いて、静麻が尋ねた。
「ふぇ? ああ、えっとその、ラーメン伸びてしまいますよ?」
「……あ、ああ、そうだったな。悪い悪い」
 まるで今までラーメンがあった事に気づいていなかったかのように、きょとんとした顔をすると、箸に手を伸ばした。

「うむ。美味であった。妾は満足ぞ」
「気に入ってくれたなら……嬉しい」
 食事を終えた安徳天皇は、今まで視線も向けていなかった静麻の方へ顔を向けた。
「さて、お主は妾に聞きたい事があるのであろう?」
「やっと俺の方を見たか」
「むぅ、それでは妾が意地悪しているみたいではないか。別にやましい気持ちがあったわけではないぞ、ただ……食事を作る過程というのを見るのは初めてでな、ちょっと心奪われてしまっただけじゃ」
 天皇だった頃は、食事作りに触れる機会なんて無かった。今は天御柱学院に保護されている立場だが、自由に動けることはなく食事も部屋に持ってきてもらっている。安徳天皇にとって、料理とは未知の技術なのだ。
 そのため、目をキラキラさせながら身乗り出してラーメンを作る過程を見ていたのである。
「うぅむ、気を悪くしなたなら謝ろう……して、何を尋ねにきたのじゃ?」
「……草薙の剣の本当の使い道は何だ?」
「ふむ、本当の使い道と問うか。困ったのう……、妾は宝剣の本当の使い道はわからんのだ。ああ、待つのじゃ、落ち着け、本当の使い道は知らぬが、何に使えるのかは知っておる」
「なんだ、そのもってまわった言い回しは」
 静麻は呆れ顔で言う。静麻を煙に巻いて、うやむやにしてやろうという様子では無いのがまたよくわからない。
「言葉には魂が宿るものよ。故に、言葉は慎重に選ばなくてはならぬものなのじゃ。特に、神の血を引く身であると気を遣わねばならぬこともある。力あるものの話なら、なお更じゃ」
 人の言葉には力があるというのが、言霊と呼ばれる考え方だ。
「遠い昔、時間と空間を紐解く式を組もうとしたものがおった。妾はその研究の末に何を見たのかはわからぬ。じゃが、少なくともある程度まではとんとんと進んでおったらしい」
「なんだ、その話は?」
「よいから、最後まで聞くのじゃ。お主はもう耳にしておるかもしれぬが、その研究を行っていた場所が龍宮と呼ばれている場所じゃ。あの時、妾が尼ぜと共に海に入った時のことじゃ……その時、妾はその場所へと流された」
「……」
「さて、その時の妾は生きておったのか死んでおったのか……。まぁ、よい。そこについては、妾にはわからぬものばかりであった。見たことの無き文字、図画、床や柱も妾の知らぬものよ。じゃが、そこが何のためにあるのかはわかっておった。不思議な話であろう? そなたならもしかしたら、同じ体験ができるやもしれん。妾はきっと、あの剣に教えてもらっていたのじゃろう、知らず知らずのうちにな」
「……俺には、そんな経験は無いが」
 安徳天皇は、寂しそうに微笑んだ。
「もしくは、妾はいつの間にか自分が自分でなくなっておったのやもしれぬ……で、あればこそ、もうしばらくは見て見ぬふりをしたいところであったが。これが宿命というものなのかもしれぬな。さて、そろそろお主の質問に答えてやろう。あの草薙の剣は、龍宮の式そのものじゃ。それがあれば、あの施設で行われていた研究内容と結果を手にすることができる。もっとも、完成はしておらぬがな」
 遠い過去に作られた研究施設。それが龍宮であるという。
 今では実用化されたイコンもまた、古王国時代よりも遥か以前の超文明の産物であり現代の科学力で一から作り出したものではない。もし、龍宮というものがその時代のものであるとすれば、未完であるとしても進んだ技術があると考えていいだろう。
「その研究は、時間を戻したり進めたりするようなものをやってたのか?」
「それもテーマの一つではあったろうよ。しかし、妾は興味が無かったのであまり詳しくは知らぬ」
「興味が無かった、だと?」
「それほど驚く事かのう」
 時間を巻き戻せば、過去を改ざんすることができる。安徳天皇は、天皇の中でも不遇であったものの一人だ。わずか八歳で、海へと沈んだ自分の人生を憂いていないとでも言うのだろうか。
「それほど意外であるか……しかしのう、仮に時間をもどしたとて、あの時勢の中ではどちらかが滅ばねばならぬが定めよ。妾には、自分の為に源氏を皆殺しにするほどの器量は無い」
 もしくは、覚悟がなかったか。そう安徳天皇は付け加える。
 龍宮で行われていた研究について、彼女は触れられる場所に居た。それも、相当な期間だ。彼女が目覚めたのはいつかは不明だが、海京が建造されるまでの時間は決して短くはなかったというのが、彼女の言葉や表情から読み取れる。
 それだけ時間があれば、宝剣による知識のサポートがあればいずれは研究内容を理解することもできただろう。それを彼女が知らないというのは、嘘でなければ自ら触れないようにしていたことに他ならない。
 自分の人生をリセットできるかもしれないなんて、それがどれほど甘美な誘惑だろう。その手法があるかもしれないのに、彼女は手を触れようとしなかったのだ。
 そうさせたのは、自分の幸福と釣り合うものの大きさのためだろう。彼女が幸せであるためには、源氏が滅ばなければならない。彼女の言葉で言うなら、それだけの器量と覚悟が無かったということだ。
 だが―――もし、その天秤の片方に乗るものがそこまで重く無いものであれば。
 誰も不幸にならない結果だけを得ることができるのであれば、話は違っていたのかもしれない。
「……わかった」
 不意に、実里がそう言葉をこぼした。
 安徳天皇と静麻は、どこか遠くを見ている実里の顔を不思議そうに見つめた。
「話が……ある」
「なんじゃ?」
「なんだ、いきなり?」
 実里は一度、頷いた。誰に対してのものかはわからない。
「龍宮の場所が……三枝が見つけた。龍宮の管理は草薙の剣の持ち主がすること……だから、閃崎静麻が思うがままでいい。だけど三枝はダメ……そう、言ってる」
 実里は静麻を見る。
「今の龍宮は主不在……今は緊急防衛システムが対応をしているけど、いずれ破られる。龍宮を守るためには、主を再設定して……本来の防衛システムを起動させないといけない……そのために、協力して欲しい」
「あんたも役者の一人ってわけか」
 実里はためらいがちに頷いた。
「私は……話を伝えているだけよ。本当は……あなたの問題……だから、関わらないのがいいと思ってた」
「主の再設定をするには……龍宮に行かないといけないの。だからすごく危険……だから、少し待つ……協力するなら準備をして欲しい。必ず、三枝とパジャールがくる」
 話はそれでおわりとでも言うかのように、実里は視線を外した。
 今すぐに答えを聞くつもりは無いようだ。それでも、あまり時間があるようでもないし、猶予は一日か二日ぐらいだろう。
「お主がゆくのなら、妾も行かねばな」
 安徳天皇がそういうと、実里が頷いた。
 なぜ、と静麻は問わなかった。