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リアクション
第2章 音楽と絵画と三人の娘 1
シャムスたちがやって来たのは、主に音楽の演奏が披露されるコンサートホールだった。
と言っても、今回は芸術大会である。音楽の演奏に限らず、演舞や演劇なども舞台を使って披露されていた。
「うんうん。観客は大盛況みたいだねー」
「野次馬のような連中もいるみたいだがな。地上の者たちがどれほどの芸術を見せてくれるのか、一つ見てやろうといったところだろう」
顔をしかめてシャムスが言う。
「ははは。それは仕方ないよ。どこの街だって、野次馬ってのはいるものさ。それは君たちの地上の街だって変わらないでしょ?」
「……まあな」
「それにだからこそ、ボクとしては、君たちの芸術がどれだけの心を掴めるかを観ることができるってわけだからね」
「…………」
アムドゥスキアスはにこやかな笑みを浮かべており、シャムスはその瞳に鋭い眼光を見た気がした。地上の演目を見極めようとする批評家の光である。
単にお遊び気分で芸術大会を楽しんでいるようにも見えるが、その実、アムドゥスキアスはしかと地上の芸術を評価している。その事を忘れてはならない。シャムスはそう心に唱えた。
そんなとき、
「あ、領主さまー!」
「ん……? ――へぐっ!?」
ドーン! と、なにやら人影が猪突猛進そのものでぶつかってきた。腹にフルスロットルな衝撃を受けて、シャムスはせき込む。そんなことはおかまいなしに、涙目になりながら胸にぐいぐいと顔を押し付けてくるのは一人の少女である。
「やっと会えたー! 寂しかったよー!」
「わ、わかった。わかったから離れてくれ、飛鳥」
飛鳥 桜(あすか・さくら)の身体を離して、ようやく解放されたシャムスは息をついた。そこに、桜のパートナーであるロランアルト・カリエド(ろらんあると・かりえど)が遅れてやって来る。
「飛鳥ー、もう足早すぎやわー。先にいかんといてくれ……って……、やっほー、領主さんやないかっ」
「……相変わらずだな、お前たちは」
「いやー、そんな褒めんといてくれ。親分、照れるやないか」
「…………」
別に褒めてるつもりは全くなかったが、シャムスは苦笑するだけに留めた。
「それよりも聞いてーや、領主さん。俺たちもこのホールで演奏するんやで。しかも団体で」
「ほう……」
芸術には無縁のように見えたが、そうでもないのか? とシャムスは心の中で思った。
「俺らのかっこええ情熱の律動見せたるから、応援したってなー」
「ああ、もちろんだ」
友人が出場するのであれば、応援しない道理はない。快くシャムスは頷いた。
と、そこにもう一人フラフラと歩いてくる影がある。
「お二人とも……先にいかないでくださいよ……走るのは疲れるんですから」
「……ほんまに歩いて来よった」
桜のもう一人のパートナー、ローデリヒ・エステルワイス(ろーでりひ・えすてるわいす)だった。走るのは苦手なのか嫌なのか、彼は飽くまでも徒歩で二人のもとまでやって来たようだ。それでも面倒くさいのか、頼りなさげにフラついているが。
シャムスとしては初めて出会う相手だ。自分を見つめている領主の視線に気づいて、ローデリヒは恭しく頭を垂れた。
「はじめまして、領主さま。私、ローデリヒ・エステルワイスと申します。以後お見知りおきを」
「あ、ああ……こちらこそ」
桜やロランアルトの仲間にしては、なかなか礼儀作法が出来た男だった。
それもそのはずで、ローデリヒはもともと名門貴族出身の剣の花嫁である。今でこそ、このようなおっとりとした成りをしているが、最低限の作法は習っているのだった。
ローデリヒとの挨拶も終えたところで、桜が喚きだした。
「もう、ここ広すぎるよー! ローデ兄じゃなくても迷子になるよー!」
「……全く、いつも迷子になってるように言わないでください。お馬鹿さん」
「……いつもやん」
「っお黙りなさい!! ほら、準備がありますので、行きますよ!」
「ぐおっ!? おま、襟引っ張ん」
襟を掴まれて、ロランアルトはズルズルと引きずられていった。そのせいで首を絞められており、気絶している。きっと走馬灯でも見ているのだろう。ぐったりして、なぜか薄くほほ笑んでいた。見知らぬおばあちゃんが、川の向こうで呼んでいるのかもしれない。
そんなロランアルトに桜はびしっと敬礼した。殉職した刑事に向けた手向けのようだが、あながち間違っていなかった。
「今日は最高の舞台にするからね! 絶対見ててよ、領主さま!」
桜はそう言って、ロランアルトたちの後を追って去っていった。シャムスはそれを見送った。
それから間もなく、舞台上の進行役である魔族の娘が、そろそろ次の演目が始まる時間であることを告げた。
演目名は楽器の演奏だ。ピアノ伴奏……そして篳篥(ひちりき)。最初、シャムスはそれが何の楽器であるのか分からなかったが、ともにいたヴィナが教えてくれた。
なんでも地球の日本という場所で生まれた楽器らしい。菅楽器の一つであり、いわゆる吹き物楽器の一種だ。
と――舞台に薄い照明が降りたとき、そこに座っていたのは一人の青年だった。
「あれは……」
シャムスが声をあげる。
青年の名は遊馬 シズ(あすま・しず)といった。確か、契約者の東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)とともにアムトーシスに降り立った悪魔だったか。
彼は片手に持っていた篳篥を軽く回すと、それを口元に寄せて演奏の構えをとった。同時に、もうひとつの照明が彼の斜め後ろを照らす。
そこでピアノを前にして座っていたのは秋日子だった。
初めて見る楽器に戸惑いを覚えている者もおり、観客の間をざわめきが波打った。当然の反応と言える。しかし、二人が演奏直前の構えを取ると、それらのざわめきも息を呑んだ。
――演奏が始まる。
瞬間、観客の間を驚嘆が広がった。
その演奏は、響きのよい篳篥の音色と幻想的なピアノの旋律の、見事な調和だった。どこか不思議な異世界へと誘われるような錯覚。穏やかながらに力強いそれは、コンサートホールにいる観客全てを、瞠目させる波となっていた。
自身も驚きの為に目を見開いていたアムドゥスキアスは、やがて静かに笑みを浮かべた。
(篳篥……か)
やはり地上の芸術は良い。心地よい音色に、彼は身も心も委ねて耳を傾けていた。
篳篥が和の管楽器であるならば、クラリネットは洋の管楽器だった。
そんなクラリネット演奏を控え、出番を迎えようとしている乙川 七ッ音(おとかわ・なつね)は、舞台の裾で座ったままじっと目をつむっていた。額に浮かぶ玉の汗からは、彼女の緊張が伺える。
「大丈夫だよ」
そんな彼女の肩に触れたのは、パートナーの碓氷 士郎(うすい・しろう)だった。
「七ッ音の信じるままに、吹けばいい」
「士郎……」
振り向くと、士郎は穏やかな笑みを浮かべていた。
士郎の笑みを見て少しは緊張がほぐれたのか、七ッ音は静かに頷いた。
「はい」
そうしているうちに、時間が迫って来た。
ホールのスタッフから呼ばれて、二人は舞台へと移動する。まだ照明がついておらず薄暗いままだったが、七ッ音は観客の奥にアムドゥスキアスたちがいるのを見つけた。
照明が差す。
ピアノの伴奏は士郎。そしてクラリネットは七ッ音。
彼女自身が作曲したクラリネット協奏曲が、いま――アムトーシスの舞台の上で奏でられた。
ピアノの伴奏は優雅で、七ッ音のクラリネットの演奏を邪魔しようとはしない。しかしそのうえで、彼女の力強く心に打ち響く音色を引き立たせてくれる。
優しげなソナタを奏でる一楽章――「薔薇の雫」。
寂しげな短調のロンドを紡ぐ二楽章――「落ちた花弁」。
雄大さの加わったソナタが創る三楽章――「雨上がりに」。
(聴こえていますか……?)
己が世界と音色に集中するべく瞳を閉じていた七ッ音は、それが届くことを願った。アムトーシスの魔族たちに……地上の人々に……芸術の魔神に。
クラリネット協奏曲『雨の庭』はそうして、演奏を終えるそのときまで、幻想の世界をホールに生みだしていた。
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