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【ザナドゥ魔戦記】芸術に灯る魂(第2回/全2回)

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【ザナドゥ魔戦記】芸術に灯る魂(第2回/全2回)

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序章 更けゆく夜

 夜だ。
 それは、紛うことなき夜だった。
「…………気持ちいい」
 アムトーシスの夜風は、街の中央に建つアムドゥスキアスの塔によく吹きこんだ。
 迦 陵(か・りょう)はホールのベランダに立ってそんな風の心地よさにひと時の幸せを感じた。彼女は瞼を閉じたまま、肌に感じる風の感触を楽しんでいたのだ。
 ザナドゥに太陽はなく、空に光は存在しないというが――彼女にしたらそれは大したことではなかった。なぜなら彼女は、人間の持つ正常な視覚を有していないからである。
 アルビノ。生まれたときから彼女は弱視で、わずかな光であっても眩しさを感じてしまう。彼女にごく当たり前な世界を見せてはくれない。
 だから彼女は瞳を閉じる。それが迦陵。瞼、開くことなき歌姫だった。
「陵さん? 何をしているのでありますか?」
「あ、いえ……」
 ホールの中から陵を呼びかけてきたのは土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)だった。
 エンヘドゥのお付き役として彼女の世話を任されているなんちゃって軍人契約者は、振り返った陵の穏やかな笑みを見て小首をかしげていた。
 が、やがて思い出したように言う。
「時間もありませんから、そろそろ練習を再開しましょう」
「ええ、分かりました」
 ちらりと、ベランダの両隅で槍を掲げている警備兵に目をやって、陵は雲雀に促されるままホールの中へと戻った。
 そこは、アムドゥスキアスから夜の間だけ自由に使っていいと借り受けた練習用ホールだった。
 陵が戻ると、すでに歌の練習を再開していた南カナン領主の双子の妹――エンヘドゥと冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が彼女に視線を送った。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
 陵が謝ると、二人は慌てて苦笑を返す。
「い、いえ、別にわたくしたちはもう少し休まれてても構わなかったのですけど……」
「マリーウェザーさんが……」
「明日は本番なのでしょう? だったら、念入りにやっておくに越したことはないわ」
 外見的には10歳そこそこの娘でありながらも、やけに威厳のある金髪の少女が優雅に紅茶を飲みながら言った。
 陵のパートナーであるマリーウェザー・ジブリール(まりーうぇざー・じぶりーる)だ。その隣では、修道服の禁書目録 インデックス(きんしょもくろく・いんでっくす)がまるでメイドのようにかいがいしく彼女のお世話をしていた。髪色は銀、そして瞳はマリーウェザーの青に対して翠玉のような緑であるが……それを除けば外見は彼女と瓜二つである。
 マリーウェザーの言うことも最もだと、陵たちは練習を再開した。そんな彼女たちを見守っていた一群の中で、ぴょこっと獣耳の少女が顔を出す。
「わー、エンヘちゃんすごいの〜! みんなも歌うま〜い!」
「当然ですね。小夜子様は真正なる百合園の淑女ですから」
 獣耳の娘――魔神ナベリウスが一人であるナナにそう言って胸を張ったのは、小夜子のパートナーであるエンデ・フォルモント(えんで・ふぉるもんと)だった。
 何気ない会話をしているように見えながらも、彼女は静かな視線でナナを終始視界に置いている。エンヘドゥと仲良しだと言ってホールまで練習に付き合ってはいたが、仮にも彼女は魔神である。何をしでかすか分からない……といったところだ。
 そんなエンデの懸念を知っている如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は、ナナのことは彼女に任せておくとしてエンヘドゥから常に目を離さなかった。
「みなさーん、お夜食をここに置いておきますからー」
「「「はーい」」」
 芸術大会当日に使う小道具の細かな手入れをしている正悟の横で、エミリア・パージカル(えみりあ・ぱーじかる)がテーブルに夜食とお茶を用意してくれる。
 と――模造剣の刀身を拭いていた正悟の傍に座ったのは、エンヘドゥや小夜子に付き合って舞いを踊っていた榊 朝斗(さかき・あさと)だった。慣れないことをやったせいだろう。汗びっしょりになった彼は、もう勘弁してくれとばかりに息をついた。
「ご苦労さん」
「ほ……本番は……ぼ、僕は警備だからね。そのこと……忘れないでよ」
「分かってるって」
 ぜえはあと呼吸を間に挟みつつ話していた朝斗に、練習を見守っていたルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)がタオルを持ってきてくれた。
「ありがとう、ルシェン」
「どういたしまして」
 にっこりと笑ってその場を去ったルシェンは、他のメンバーにもタオルを渡しに行ったようだ。汗をぬぐうと、若干ながら身体が楽になる。少なくとも風邪をひく心配は少し薄れただろう。
 朝斗は何気なくエンヘドゥを見つめた。横へ視界を動かせば同じように、正悟が彼女を見つめていた。
「明日、本番だね」
「ああ……」
「無事に終わるかな?」
「どうだろうな」
 不安をぬぐうように、二人は会話を重ねた。
 心の表面は穏やかでありながらも、なぜかその内側はざわめいていた。それはきっと、失うかもしれないという焦りと恐怖だ。だがそれを覆い隠してでも、前に進もうと決めていた。
「よし、じゃあ僕も……再開しようかな」
 疲労が回復してきて、朝斗は立ちあがった。
「ああ。しかしそれにしてもお前……」
 朝斗を見上げた正悟は、何とも言えない顔をしていた。
「な、なに……?」
「びっくりするぐらい似合ってるな…………その衣装」
「バカなこと言わないでよっ!?」
 女物のドレスを纏って髪を左右で結い女装していた朝斗は、顔を真っ赤にしながら叫んだ。



 はぐれ魔導書 『不滅の雷』(はぐれまどうしょ・ふめつのいかずち)はアムドゥスキアスの謁見の間にいた。
 魔道書とは言っても、呼称はカグラと呼ばれる。元は関西弁で無邪気な魔道書だったが、今はすっかりその成りは潜め、妖艶な美女へと変貌していた。どこかバルバトスにも似た雰囲気がある、と、アムドゥスキアスは漠然とながらそんなことを思った。
 と――
「故郷を想う囚われの姫の歌や舞は必ずや観衆の心を惹くでしょう。そしてそれは『善良』な地上の人間には不可能な芸術…………モモ様とサクラ様はいかがです?」
 カグラは唇を歪めて笑みを作ると、謁見の間にいる三人に尋ねた。
 ナベリウス三人娘は、今は二人娘だった。ナナは最近、エンヘドゥと一緒に遊んでいることが多く、どうやら捕まらなかったらしい。
 モモとサクラはきょとんとして首をかしげた。
「ゼンリョウってなーに?」
「フカノウってなーに?」
「…………」
 なるほど、難しい言葉は苦手なようだ。
 代わりにアムドゥスキアスに視線を送ると、彼はうーんと唸ってから答えた。
「どうかなー? ボクはあんまり不可能とか可能とかって考えたくないんだよね。やりたいかやりたくないかだけなんだー」
「と、言いますと?」
「だって不可能って言われちゃったらそれで終わりなんでしょ? つまらないじゃない」
 実に単純な理由だった。
 カグラは、この男の頭は本当に子どもなんじゃないかと、一抹の不安を覚えた。だが、他にも聞きたいことはある。いまはそれは置いておくとした。
「では……別の話になりますけれども」
「うん、なーに?」
「芸術大会の結果によっては、アムトーシスと南カナンの友好関係はどう変化するとお考えですか?」
「…………」
 一瞬だが、ピクリとアムドゥスキアスの眉が動いたのをカグラは見逃さなかった。モモとサクラはやはりきょとんとした顔で首をかしげている。
「いえ……不躾な質問でしたわ。何卒ご容赦くださいませ」
「ううん、良いんだよ」
 アムドゥスキアスは人懐こい笑みをニコッと浮かべた。
 今となってはそれも、カグラの目には道化の仮面にしか映らなかった。
「では、これで……」
 立ち上がったカグラは、退室しようと扉まで下がっていった。と、扉に手をかけようとしたそのとき、彼女は振り返った。
「最後に……もうひとつだけよろしいでしょうか?」
「なーにー?」
「魔族が奪った魂は、魂の主の意識を保ったまま永遠を生きられるのでしょうか?」
 質問の際にカグラは目を伏せていたが、ふとあげると、ぞくりと底冷えする冷たさを感じた。アムドゥスキアスは優しげに微笑しているが、その目の奥にあるのは、まるで蛇が獲物を睨むような光だったからだ。
「……さあ、どうかな? 肉体的な寿命は、あるんじゃないかな。どうして、そんなことを聞くの?」
「……他意はありませんわ。個人的に気になっただけで」
 カグラは震えを隠すように笑みを拵えて言った。
 では、と告げて彼女が謁見の間から出て行くと、アムドゥスキアスはため息をついて、椅子の肘かけに肘をついた。その顔に差したのは、昏い陰だった。



「ふわー…………」
 惚けたように大口を開けながら頭上を見上げていた由乃 カノコ(ゆの・かのこ)は、街のお祭り騒ぎに感心しているところだった。なんでも芸術大会なるものがあるらしい。前日の夜である今夜は特に、出し物の準備に街中がせわしなく動いていた。
「すっごい、すっごいなぁ、おっちゃん!」
「はいはい。その言葉、今日だけで一五回目だぜお嬢ちゃん」
 ギィコ、ギィコ、とゴンドラを漕ぐ主人は呆れたように言う。
「だってほんますごいんやもん! 夜も綺麗なイルミネーションやでぇ……」
「イルミネーション?」
「ああ……いや、なんでもない。こっちの話や」
 発光体が瞬く様子を言い表したが主人には通用しなかったようで、苦笑しながらカノコは手を振った。主人は訝しげに首をかしげたが、すぐに気にしなくなったようで再び舟を漕ぐことに専念した。
(こんな夜は…………熱狂のヘッドセットに限りますなぁ!)
 何を思ったかそんな結論に達して――カノコは愛用のヘッドセットをスチャッと装着した。
「イエーイ! 盛り上がってるかいベイベェ! 本日は芸術大会イズ前夜祭パーティナウ! 魔族も人も関係ねぇ! 一緒にスパーキングしちまおうぜ!」
「だあああぁぁっ! うるさいわ!」
「あだぁッ!?」
 無駄に熱血に叫び倒したカノコの頭を、ゴンドラの主人は思わずひっ叩いた。スパン! と小気味の良い音を立てて倒れ込んだカノコ頭から、ついでにヘッドセットが外れる。
「もう〜……いったいわぁ、おっちゃん〜」
「やかましい。俺のゴンドラの上では静かにしてろ。……いや、他のゴンドラでもな」
 すぐ傍を通ろうとした別のゴンドラへと、身を乗り出そうとしているカノコを見て、すかさず主人は付け加えた。ブー、と声に出していじけるカノコだったが、見た目同様性格もきまぐれなのだろう。すぐに別の物へと興味が移ったようだった。
「んじゃお絵かきでもしよかのー、ういうい」
「そうしてくれ」
 夜とは言え大会前夜ということもあってまだ街灯は多く灯っている。
 ウキウキ気分でスケッチブックに街の風景を描き始めたカノコを見て、主人はまるで手のかかる子供でも乗せているかのように苦笑した。



「出来た……」
 茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は呟いた。
「なにがだ?」
 それに声を返したのは彼女のパートナーであるレオン・カシミール(れおん・かしみーる)だった。
 アムドゥスキアスの計らいによってあてがわれた宿の一室で、二人は窓の外から聞こえる喧騒に耳を傾けながらそれぞれの時間を過ごしていたところだった。レオンは紅茶を飲み、衿栖は何やら机に座りつつチクチクと手を動かしていた。
 レオンはあえて彼女に何をしているか聞いていなかった。
 が、それがようやく明らかになるわけだ。
「これです! これ!」
 嬉しそうに顔をほころばせて、衿栖はレオンに向けてそれを突きだした。興奮冷めやらぬといった様子だ。よほど気合を入れて作っていたのだろう。
 彼女が両手で握っているもの――それは一体の人形だった。
「これは……」
 感心と驚きを含んだ声をレオンは漏らした。しばしその人形の出来栄えに目を凝らしていた彼は、ふっとほほ笑む。
「よく出来てるな。すごいじゃないか」
「ほんとですかっ! ほ、ほんとにそう思いますか!」
「ああ」
 レオンは現実的かつ謹厳な男だ。それは己に対してもそうであるし、自分の契約者である衿栖に対しても同じように接していた。人形師としての技術も、在り方も。それは時に冷たくも映るであろうし、事実、良くも悪くも彼はそれを自覚していた。
 そんな彼の告げた褒め言葉は、衿栖にとって最上の喜びだった。
 とび跳ねるようにしてはしゃぐ彼女を見ていると、自然とレオンの顔もほころぶ。
 ようやく落ち着いた衿栖は、自分が作ったその人形を眺めて遠い誰かに思いをはせるように呟いた。
「喜んで……くれるでしょうか?」
「…………きっとな」
 それはレオンにとっても願いだったのかもしれない。
 やがては警備のためにステージの最終点検を行っているもう一人のパートナー、茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)も帰ってきて、眠りにつき、本番の朝を迎えるだろう。その時こそ人形は、その日、衿栖の指先で生まれるのだ。
 子の幸せを願わぬ親がいるものか。
 そして人形師もまた、人形の幸せを願わぬことはなかった。