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砂時計の紡ぐ世界で 後編

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砂時計の紡ぐ世界で 後編

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 あっ、という声が聞こえて、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は振り返る。
 地下室には、砂時計の捜索にあたっていた面々も姫からの言葉を告げる連絡を受け、そこに集まっていた。
 アクリトたちの見る先には、唯斗に抱えられた姫が、護衛の皆とともにいた。開け放たれた地下室の扉から、部屋の中心をじっと、一心に見つめていた。
 そう、部屋の中央──そこには。彼ら、彼女らの前には大きな、翡翠色に輝く砂を満たした砂時計が浮いている。
 紛れもない。『回帰の砂時計』に他ならない。
 アクリトたちがここに着いたときには、既にあった。
 内部の、砂。本来こんな色なのだな、とアクリトが呟く。
「どうする、姫さま。破壊……しようか? いつでも、準備はできてるよ」
 リアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)が、砂時計の所在を予測し当てた姫君へと問うた。
 こんなもの、ないほうがいい。破壊して、なくしてしまうべきだ。そういう思いがあった。
 だがダイム姫は、リアトリスに首を左右へと振って、それを留めるよう表現する。
「どうして」
 ダイムは応えない。ただ、ぽつりひと言、「ここに戻ってたんですね」。──そのかすれ声が、地下室に木霊する。
「……ダイム姫様」
 納得のいかないそぶりのリアトリスに代わり、姫たちを迎え入れた非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)が口を開く。
「これが……件の砂時計ですね。どう……なさいますか?」
 破壊か、停止か。どちらをとるべきか。
 彼女は穏やかに、しかししっかりとした口調で姫に選択を提示する。
 唯斗の腕の中で、姫は彼女の言葉に瞳を惑わせる。
「あたしのブリザードで氷結停止させましょうか? 十分、可能ではありますわよ?」
 ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)が、提案をする。しかし姫君は彼女の言に、首を左右させる。
 そうではない、と。破壊でも、停止でもない。
「む。それじゃあ、どうしますの?」
「そうだな。破壊もしない、停止もさせないというのなら、どうするのかを理由含めて聞かせてもらいたい」
 どちらでもない。その腰を折られた感に口を尖らせるユーリカへと、、イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)も同調して姫君へと問いかける。そんなふたりと姫との様子を心配げに、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)も負傷をした面々の──それはどれも掠り傷程度であったけれど──治療をしながら、見守っていた。
 訊ねられた側の姫君はふたりに対し、いや、この場の皆に対しどう言葉を紡ぐべきか決めかねているようだった。
 暫く、間が必要だった。姫君が、その心を決めるまでの間が。
 ダイム姫は、口を開く。もうすっかり掠れきって、声らしい声すら殆ど出ないような聞き取りづらいものではあったけれど、ゆっくりと精一杯、喉の力を込めて。
 ここが、姫と砂時計の最初に出会った場所だということ。
 ここで彼女は見つけ、自身の部屋へと持っていった。そして死する間際に──願った。
 砂時計は姫の願いを叶え、彼女の前から消えて。
「──やがて我々の時代において、やっぱりこの場所だった地点から、砂時計は発見された、ってことね。力を失うと同時に、戻ってきたのね」
 姫様との、出会いの場所に。本来、あった場所に。
 グラルダ・アマティー(ぐらるだ・あまてぃー)が姫の時代の出来事を、現代へと繋ぎあわせて、そう言った。
 キミの仮説が当たったな。アクリトに言われ、グラルダは肩を竦めてみせる。
「あるいは、見つけたいと思う者たちの願いに、明確な場所を提示して応えたのかもしれんな」
「意外ね、アクリト教授がそんなセンチメンタルな推測するなんて。どうかしちゃったんですか?」
「さあ、な」
 ちらり、壁際に並ぶふたり組を見遣りながらアクリトが言う。
「え、俺たち?」
 ニーア・ストライク(にーあ・すとらいく)クリスタル・カーソン(くりすたる・かーそん)のペアが、一瞬きょとんとして、それから照れくさそうに頭を掻く。
「別に、俺たちはただ……なぁ」
「ええ」
 ふたりの服装は、部屋の誰よりも派手に汚れて、埃まみれだった。
 それは彼らが他の誰よりなりふりかまわず、汚れなど顧みず無茶なところ、あり得ない場所にまで首を突っ込み、砂時計を探していたことの証左だった。
 彼らは、一生懸命だった。
 いや、きっと彼らだけでなく、この世界に迷い込んだ皆が各々何かについておそらく、集中していた。一生懸命だった。
 姫君が、ふたりの、一同の様子に微笑する。そして唯斗へと、自分を下ろすよう、そのうえで砂時計のもとへ連れて行ってくれるよう、語りかける。
 そっと唯斗は彼女を下ろし、その右側に回り肩を支える。左には、近遠がついた。
 生まれたての仔馬のように、その足取りは弱々しく、おぼつかなく。両側を二人に支えられていても、何度もがくりと崩れ落ちそうになる。
 もう、両足に力さえ入らない。麻痺しきっているのだ。死する間際、願いを叶える直前の彼女へと──回帰が進んでいるがために。
 ゆっくり、ゆっくり。姫君の足は僅かな速度の前進で砂時計への歩を刻む。
 どれくらいの時間が、必要だったろう。
 中空に浮かぶ砂時計の目前に立った彼女は、両脇の二人に目礼をして、囁いて。
 支えてくれていた彼らの肩から、両腕を引き抜く。震える足が一歩、二歩。今にも折れそうになりながら砂時計への距離を詰めて、両手を眼前の女王器に差し出す。
「あっ」
 リアトリスが、思わず声をあげた。
 ──どうにか、間に合った。両膝が限界を迎え倒れ伏す前に、ダイム姫はその両腕の中へと『回帰の砂時計』をしっかり、抱きしめていた。
 駆け寄ろうとした面々へと上半身の身振りだけで、大丈夫だと彼女は表現する。
 そして、座り込んで。腕の中の砂時計をじっと、見下ろす。
 
 ──おかえりなさい。

 姫君の掠れた声が、砂時計に向かい呟いた。

 ──ただいま。

 掠れ声がまた、今度はきっと自分自身に対してそう言った。自分自身を待つ運命と、世界とに。
 その瞬間を、姫君は受け入れていた。
 光が世界を埋め尽くしたのは──同じ、その瞬間だった。
 広がる、ではない。まさしくそれは埋め尽くす。埋め尽くしていく。
 光が満たしてゆくその最中に、息せききって部屋の入口へと飛び込んでくる影がひとつ、ある。
「……キミは」
 扉の縁に手をかけて、膝に上半身を支えさせて。肩で息をしている。その長髪と、持ち上げた顔は──雅羅のものだった。
 東の城壁の守りについていたはずの彼女がなぜと、思う暇もあればこそ。
 防衛戦の激しさを物語るように、着衣も肉体もあちこち切り傷、擦り傷だらけの彼女は呼吸すらもどかしいかのごとく口を開く。
「急に……風景、真っ白になって……それから、盗賊たちも皆、消えてしまった、から……っ」
 だから私は、ここに。切れ切れに、彼女は言う。
「──……?」
 ハッとして、雅羅は扉に置いていたはずの手元を見返す。
 そこには、つい今まであったはずの木製の扉すら、砂時計と姫君から放たれる光によって埋め尽くされ、そして塗り潰されて存在を失っていた。
 気づけば、部屋にいなかったはずの皆も地下室であったこの場所に集まっている。
 急激な変化と、増えた周囲の人数とに一様に皆、目を瞬かせて辺りをきょろきょろと見回している。

 ──お別れ、です。 掠れた声で、姫君が皆に対し、言った。

 砂時計を抱いて、彼女は笑っていた。
 一番近くにいたふたりが、息を呑んだ。掠れていたのに、二人以外にも、遠かった者たちにもその声は間違いなく、聞こえていた。
「そっか、もう……お別れ、なのね」
 クリスタルが、ニーアが残念そうに、苦く笑う。
 お別れ。その言葉が意味するのは、自分たちにとっては言葉通りでしかないものだけれど。
 でも、目の前の消えゆく少女、姫君にとっては──……。
「!」
 立ち尽くす雅羅の前に、不意に花束が差し出される。
 いったい、何を。見れば、蒼く長い髪の青年──ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が、顔を正面に向けたまま早く受け取るよう、促している。
「あんたが、ちょうどいいと思う。俺は男だから、女性の君から姫に渡してくれないか。こういうのは、男だったらその人にとって特別なやつじゃないといけないと思うから」
「え……」
 促されるまま、雅羅はその花束を受け取った。
 そしてパートナーの行動に同調するように、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が姫君のもとに歩み寄っていく。
「折角の旅立ちだもん、御洒落しないとね」
 見上げる姫君の頭の上にそっと、手にしたクラウンを載せる。
 何度か、角度を調整して、少し離れてみて。
「──うん、よし。似合ってるよ、とっても。さすが、お姫様だ」
 それが呼び水だった。リアトリスが、終夏が、ヴァーナーが、さゆみが。そしてその場にいた女性陣、ひとりひとりが姫君のもとへと集まっていく。
「さ。行きなよ」
 ダリルが、雅羅にも促す。
 男性陣がふたつに割れて、雅羅とダイム姫の間に道をつくりだす。
 集まった者たちも。道を作った者たちもそれぞれにひとりひとりが、白く染まりはじめていた。
 実感として、わかる。もう、終わりなのだな、と。彼女が、行ってしまうのだと。
 理解したから──雅羅は一歩一歩を踏み出していく。
 姫君の前に、進んでいく。
 すぐそこからもう彼女が見上げているところで、雅羅は膝を折った。そしてダイム姫へと花束を差し出した。
「どうにも、ならないのよね」
 それでも──未練だろうか。言わずにはおれなかった。
 姫君は、まず首を左右に振り、そして頷いて。囁いた。

 ──これで、いいんです。これで、すべて丸く収まるんです。

 差し出された花束に、姫君の指先が触れる。その指先が、白い光の中に消えていく。雅羅自身も同じように、溶けていく。
 顔も、表情も見えなくなる直前──笑顔のダイム姫を、雅羅や皆は見た。
 彼女の唇が、たった五文字を呟くのを、間違いなく見ていた。
 それは、簡潔に。ただ、心から。
 一言の感謝、「ありがとう」と。