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千年瑠璃の目覚め

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千年瑠璃の目覚め

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第1章 広間のシンフォニー


 霧がかったタシガンの夜。
 庭園を飾るランタンや篝火が赤々と燃え、来客たちを迎え入れる。
 かちゃかちゃという食器の触れ合う音も微かに聞こえる。
 それらが一つになると、五感で感じる以上の「宴の悦楽」を感じる――ヴェルナディ・モーロア卿は陶酔したような口調で呟く。
「すべてが欠くべからぬ旋律――それが妙なる調和で一つになった時、得も言われぬシンフォニーが我らの耳に届いてくるのだ」
 それが、宴をすべての人に開放する理由だと言う。


 シンフォニーに例えられるかどうかはともかく、現在、旧・謁見の間には確かにどこかアーティスティックな雰囲気が漂っている。
 庭園のどこかから、楽団の奏でる優美な音楽が微かに聞こえてくる。室内ではクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)が余興にと申し出て奏でる機晶シンセサイザーの音楽が、年季の入った古城の広間を柔らかな空気で満たしていた。少し離れたところでは、師王 アスカ(しおう・あすか)が絵を描いている。
「あ、ジェイダス様〜、お久しぶりです。なんか凄いですねぇ、悪魔と魔鎧がいっぱいですよ〜。
 あ、今日はですね、この千年瑠璃の姿を絵に描きたくて立候補しました〜。こればっかりは性分なのでぇ……」
 なので、私は絵を描かせてもらいます♪、と、来場してジェイダスに挨拶するやすぐに画材を取り出して、広間の一隅を占め、絵を描きだす自由ぶりだったが、モーロア卿からは何も咎めるような言葉はなく、クリストファーがここで演奏していたいと申し出た時もあっさりと許可した。宴そのものに加え、大事なこの旧・謁見の間に出入りする人間も、検閲しようという気はないらしい。客の自由を許す大らかな態度は、宴の主としては好もしいものかもしれないが……
 学士が奏でる音楽が漂う向こう、絵筆を動かす画家の目が向かう先に、大海の紺碧の色と見紛う石柱がある。
 『美しすぎる魔鎧』、千年瑠璃の眠る石柱である。
 主に立候補した者たちの、千年瑠璃との対面と力試しのトライアルはすでに始まっている。


「――しかし、そうは言っても不測の事態で宴客が被害を蒙るような事態は、主催としてお望みではありますまい」
 黒崎 天音(くろさき・あまね)は、このイマイチ心の読めない貴族悪魔に、しかし現タシガン駐留武官として礼を欠かさぬ態度で進言を続けた。隣では天音のパートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)、そしてジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)が、どこか値踏みするような視線をモーロア卿に向けていた。
「物々しい警備がお好みではないことは了解しました。それではせめて、人的被害を防ぐための最低限の警備策を」
 正直なところ天音にも、「宴の周辺で起こることは些細なことも不協和音に聞こえることもすべて、交響曲(シンフォニー)を紡ぐ霊妙なる旋律の一つであるのだから、何一つ排除したくはないのだ」などという言い分で、殺害予告まで受けているのに入場規制を何もかけようとしないモーロア卿の本心は分からない。この宴の最大の目玉である千年瑠璃に殺害予告が出ていることは、ジェイダスを通じてこの宴にやってきた契約者たちには知らされている。が、招待状を受け取ってやってきた賓客も含め、宴の客はそのことを知らないのだ。
「無関係の人間に被害が出れば、霊妙な調べも止まります」
 天音の言葉に、モーロア卿はふむ、と顎に指を当てて首を捻った。
「なるほど、では貴君らなら千年瑠璃の主探しを中断することなくこの城を警備するのに、どのような計画を立てるかね」
 その言葉を受けて、シャンバラ教導団大尉である叶 白竜(よう・ぱいろん)が、パートナーの世 羅儀(せい・らぎ)を後ろに従える格好で進み出、卿に挨拶すると、あらかじめ古城を下見しておいた結果から考えられる警備計画を提示する形で語り出した。ふむふむと、卿は白竜と天音の話を聞いていたが、どうも警備というものにあまり関心がないらしく、最終的には「貴君らの思うようにやってくれたまえ」と、はっきり“丸投げ”する意思を見せられたのには、さすがに2人も鼻白んだ。だが、それを見せるのは礼を失することになるので表情には出さずに堪える。

「時に……卿、お聞きしたいのですが」
 説明を終え、白竜が改めて切り出した。
「私は無骨な軍人風情で芸術品の価値はわかりませんが……鎧というものは美しさを求めるものなのでしょうか?
 戦場で主の身を守って、初めてその価値があると思うのですが」
 その言葉に、モーロア卿はふむ、とまた落ち着き払って一言漏らしただけで、しばらく顎をつまんで捻るような仕草をしていたが、
「確かに、貴君の言葉にも一理ある。そう、鎧ならば」
 よどみない口調で語り出した。
「魔鎧というのは、存在そのものが二重唱だ。そう思わんかね」
「二重唱」
 武人たちの隣に佇み、話を聞いていたジェイダスが、含意を問うように復唱する。またしても音楽の例えだ。
「魔鎧にはすべからく、魔鎧となる前の人生があった。そして魔鎧となってからの人生を今背負っている。鎧として生まれる前にあった歴史と、今の生が重なり合う、実に玄妙なる二重唱だ。
 そのような非常に精巧な生命である彼らは、単なる武具を超えて存在そのものが霊妙で甘美なのだ。
 ……そう感じるのはあるいは、私が武人ではないからかも知れんがな」
 美酒を飲んでいるかにうっとりと、独り言のように卿はそう結んで、口を閉じた。
(これは……やはり、『千年瑠璃』は他のシリーズを集める餌である可能性もあるな)
 ブルーズは心の内で呟いていた。白竜もまたその可能性を考えていた。
(シリーズものであれば全て揃えたいと考えているのではないか)
 特に、そのようなことを考えていてもおかしくはなさそうな人物像である。趣味道楽の価値を、己の行動の基準としているかのような。
 そのために宴という派手な形を取ったのだろうか、とも白竜は考える。

「自分もお聞きしたいのですがよろしいでしょうか、卿」
 いつしか楽を奏でる手を止めていた、クリストファーが視線を臆せず真っ直ぐにモーロア卿に向けていた。卿が頷くと、話し始めた。
「卿は二百年前に見つけたと仰る。
 そして卿の仰る通り、勇士の出現を期待されているなら、当然、過去に何度かお披露目を行ったことと思います。恐らくはザナドゥで。
 そうすると今回は何度目なのでしょうか?」
 そして、これまでの披露目では、殺害予告だの奇妙な噂だのの異変や事件は全く無かったのでしょうか。そう訊こうとしたクリストファーだったが、
「いや、これが初めての披露目になるが」
 予想外のモーロア卿の一言に遮られて一瞬きょとんとなった。
「私がザナドゥで出来る程度の『主探し』なら、製作者たるヒエロ・ギネリアン自身が行えるはずだからな。
 今は行方不明の彼だが、完成後何年かは彼の手元にあったはずだ。もしかしたら、私が彼女を見つけた二百年前まで、ということも考えられる。
 ヒエロは、ザナドゥには彼女に相応しい主はいないと考えたのかもしれん。
 パラミタと地球が繋がって、大陸には契約者たちが溢れつつあり、ザナドゥを含めて世界が旧態から変わりつつある現在こそ、彼女に相応しい人物が見つかるかも私が考えたのだ」
 そう話すと、モーロア卿は最後に言った。
「今がその時だった――だから今宵なのだ」
 クリストファーはじっと彼を見た。
 説得力があるようで、無い気がする。それに……気のせいでなければほんの少しだけ、先程までの余裕がなくなった声音だったように思えた。
(まぁ……今はこれ以上訊いても、答えてもらえそうにない、か)
 そう結論したクリストファーは、失礼しました、と小さく頭を下げ、演奏に戻った。
 おりしも、パートナーのクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が石柱の前に立ち、トライアルに臨もうとしているところだった。

 クリスティーは、千年瑠璃の眠る柱の反対側に『青紫の薔薇』を貼り付けると、正面に戻ってそこで剣を抜くと、一閃、鋭く振り捌いた。
 柱の真正面で剣を閃かせたにもかかわらず、石柱の表面には傷はつかず、石柱の向こう側で薔薇だけが切り落とされる。「真空斬り」で、薔薇をターゲットに指定して切ったのだ。
 トライアルを見物するテラスの方からほお、と、余興を面白がるざわめきの声が聞こえる。
 しかし、柱の中の女性は微動だにしない。
(もう少し、切れの良い剣さばきを見せられると思ったのだけど…)
 わずかに納得できない試技になったことを残念に思いながら、クリスティーは、青の中に眠っているかに見えるその女性をじっと見つめた。
(しかし……何故、千年瑠璃は人間形態をしているのだろう?)
 卿の言う相応しい主を待つという意味が、“魔鎧の使い手として相応しい”という事なら、魔鎧の姿でこそ眠るべきではないだろうか?
 魔鎧の使い手はその機能美に対して惚れるのであって、人間形態の美醜で判断するのは変じゃないかな?
 そんな疑問が拭えず、微動だにせぬその影をしばし、凝視していた。


「本日はお招き頂き、ありがとうございます」
 天音と白竜が城内の警備につくためそれぞれのパートナーを連れてこの室を辞したところで、佐野 和輝(さの・かずき)がモーロア卿に近付き、慇懃に一礼した。
「大変申し訳ないが、我が主は国の復興による多忙のため、私が代理として参りました無礼をご了承いただければと……」
「いや、忙しい中ようこそお越しくださった。今宵はぜひ楽しんでいっていただきたい」
 笑みながら和輝は、卿の身なり、物腰に鋭く目を光らせた。
 先程からの彼の言葉も、もちろん、広間の隅で挨拶する機械を窺っている格好で逐一聞いていた。
(……今のところ、単なる趣味にかぶれた道楽貴族という風だが……)
 パイモンの臣下として、招待を受けた主の代理という立場でやってきた和輝には、この地方領主の器量や力量を見極めるという狙いがあった。
ザナドゥは現在、戦争の傷を癒すのに忙しい。ただの一辺境の地の領主といえど、利用できるのなら力を得たい所だが……そのために、この人物を近くでそれとなく観察して、人物評価をするつもりだった。
(何やらキナ臭いこの宴をどのように捌くかで、おのずと領主としての器も見えてくるだろう)
 殺害予告とは別に、すでに、千年瑠璃の生死に関する奇妙な噂も漏れ聞こえてきている。和輝は自分の隣で、卿への挨拶を済ませた後は手持無沙汰に佇んでただ、千年瑠璃の石柱に好奇の視線を送るリモン・ミュラー(りもん・みゅらー)を促し、賓客としての席が用意されているというテラスへ退出することにした。


「…う〜ん、もしかしてこの人死んじゃってるぅ?
 あ、肉体とかじゃなくて『心』が死んじゃってるのかな〜って」
 アスカは絵筆を動かしながら、誰にともなくそんなことを言いだした。
「ここに来る前に色々な噂が飛び交ってたのを耳にしたけど……
 この人がこうなってしまったのは主を待ってるんじゃなくて、自分を殺そうとした人物から『身を守る為』にこうなってしまったのかなぁ」
何故、手に入れてから2百年もたって主を探そうというのか、その疑問は彼女にもあった。それに対する答えは、先程モーロア卿からクリストファーへの返事という形で彼女も聞いてはいるが、その言葉だけで納得するには何かもやもやしたものがあった。殺害予告に対して何も手を打たないのも不自然だ。もしかしたら卿は敢えて、彼女を狙う者をおびき出すために、この宴を用意したのではないか……
そんな湧き出す疑問があっても、絵へと向かう熱意は損なわれず、筆は鈍ることはない。その筆を動かすアスカの感受性も。
「……それにしても、凄い瑠璃色ですね〜。とても美しいけど……他の色を乗せるのが難しいです〜……」
 石柱を支配する圧倒的なその色彩は、見る者の視界に押し寄せ、脳内を浸していくような力のある青だった。