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幻夢の都(第1回/全2回)

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幻夢の都(第1回/全2回)

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第3章 黄金都市の囚われ人 2

 瀬山 裕輝(せやま・ひろき)に自覚というものはなかった。
〈黄金の都〉は人の欲望を形にするという。あるいは迷いを具現化させ、幻に惑わすという。だが裕輝には生憎と幻は見えなかった。なぜなら自覚がないからである。
 幸せは自覚があって初めて認識することが出来る。それが幸せであるかどうかすらも、当人の認識が成せるものであって、自覚がないならば、それが幸せか不幸せか、判断出来ない。裕輝は自分が何を幸せと感じ、何を幸せでないと感じるかすら、分からなかった。
 幾人かの契約者が、〈黄金の都〉に紛れ込んでいたらしい。
 町の人々は少しずつ幻から救出され、列を作って脱出ルートを辿っていっている。その中に混じりながら、裕輝は静かに歩みを進め、ふいに、暗がりの部屋に興味を示して、入っていった。
 黄金に満ちた町にあって、部屋は金銀財宝に埋め尽くされた宝部屋のような様相をしていた。
 ふいに、カチャカチャと金属がこすれ合うような音がした。視線を音の方角へと送ると、人型の影と、足下に無数の影が見えた。黄金の骨で出来たボーンナイトと金貨虫だ。裕輝がさしたる驚きもなくそれを見定めると、モンスターどもは一斉に襲いかかってきた。
 何の動きもなく、裕輝は頭上と足下から飛びかかるモンスターを眺める。敵の手が差し迫ろうとするや、途端、両手と足が風を切った。
 徒手空拳の技がモンスターを迎え撃ったのだ。見る者がいたとして、それを言い表すことは出来ないだろう。『攻撃以外の動作がいつの間にか攻撃に転じている』、その技は、一瞬のうちにモンスターどもを撃退していた。
 にも関わらず、裕輝はやる気のなさげな目で亡骸を見やって、
「つまらんやっちゃなぁ……」
 淡々とつぶやき、身を翻した。
 部屋の隅では霧が雲のような固まりとなって、それを見ていた。虚無の中にある眼差しは、裕輝をじっと見続けていた。



 あの時、守れなかった大切な人を、もし守り切れていたらどうなっていたか。
 もしも、などあるはずはないのに、永井 託(ながい・たく)はずっとそんな幻に苛まれていた。それは託が何度も自分で描いた夢で、何度も望んだことだった。だが、夢は夢に過ぎない。終わりは必ず訪れるのだ。
 託はふいに右手のブレスレットに目を落とし、思い出した。いまの自分にとって大切なものが何であるのかを。誓ったのだ。あの時のことは忘れなくても、それに囚われたりしない――と。託は大切なものが何なのかを、その時に再認識した。
 途端に、夢は終わりを迎える。
 気づけば〈黄金の都〉にて、囚われていたのが自分だけではないことを知った。他の契約者たちの姿もあったのだ。
 託は彼らと協力し合って、黄金都市を抜け出す事を決めた。
「キミの目的次第では、朱鷺と協力しませんか? ここから脱出するのは、ちょっと人手が足りないようなので……」
 近づいてそう言ってきたのは、東 朱鷺(あずま・とき)と名乗る女だった。銀の髪に色っぽい褐色の肌をした知的な女性。朱鷺は知的探求心旺盛な女で、脱出すること以外にも、知識欲を満たそうとする目的を持っていた。
「朱鷺の目的は、めぼしい物を漁りつつ脱出です。せっかく来たんですから、頂ける物は頂かないとですね」
 言いながら、朱鷺はくすっと笑う。
 珍しい性格の女性だと思いながらも、託はそれに乗っかった。味方は多いほうが良い。その他にもヒラニプラ南の地祇だと名乗る老獪な娘などと出会い、託は共に脱出方法を探ることになった。
 それからは、脱出を共に探ることになった。町の人々の意識を取り戻し、脱出ルートを模索して、列をなし、護衛を付けて、移動を始める。誰かが幻に捕らわれても、それを解放できるように、皆で協力することを誓い合った。
「ここで見られる夢はなかなか悪くなかったけれど、これくらいにしてもらわないとね」
 つぶやきながら、託は決然とした微笑を浮かべた。
 静かな闘志が見え隠れする微笑に、驚いたように朱鷺が訊いた。
「どうして、そこまで怒っていられるのですか?」
 託は一瞬だけ呆気に取られるや、苦笑いを浮かべ
「別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、この状況が気に入らないだけさ」
「気に入らない?」
「うん。……夢を見るのはいいことだよ。それに、幻に逃げることだって悪いとなんて思わない。でも……、それが今ある大事なものを捨てたうえでのことなら、だれが許そうとも、僕は許さないよ」
 町の人々には、町に残して来たものがあるはずだ。それこそ、家族や、家や、絆を。託はそれが気に食わず、わき上がる苛立ちを笑みで抑え込んでいるのだった。
 朱鷺は珍しいものでも見たように目をみはってから、
「なるほど。そういう考え方も出来ますね」
 言いつつ、包み込むように笑った。
 ふいに、朱鷺のもとに五匹の神獣が戻ってきた。西、東、南、北、それぞれの方角に探索へ向かっていた獣たちである。神獣は朱鷺にしか理解できない鳴き声を発し、それにうなずくと、朱鷺は先頭にいる仲間に安全そうなルートを教えてくると、託に言った。
「託さん」
 離れる前に、朱鷺は託を見つめ、
「朱鷺は、あなたに会えて少し良かったと思っています」
 言い残してから、その場を立ち去った。
 どういう意味かは分からなかったが、託は悪い意味じゃなさそうに感じた。



 夢を見ていた気がする。
 それは遠い遠い過去の追憶だった。瓦礫ばかりの戦場で、育ての親であり、姉であり、恩人で、初恋だった人を失った。そのとき、どんな顔をしていたかは思い出せない。ただ泣き崩れ、叫び、自分の無力さを呪った気がする。血だらけの彼女の身体を抱きしめながら、死ぬ、ということを知った気がする。
 それは遠い遠い記憶の果てだった。

 ぽつっ……と、頬に冷たいものが落ちてきた気がして、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)は目を開けた。
 視界一杯に、少女の顔があった。
 ふいに先ほどまでの夢と少女の顔が重なり、クドは失った人の名を呼ぼうとしてしまった。だが、寸前で思いとどまり、改めて少女の顔をはっきりと見つめた。
「ミルちゃん……」
「じーちゃん……め、さました……?」
 クドと同じ白い髪をした幼い少女は、泣きそうな顔でささやいた。
「……まさかミルちゃんと間違えちゃうなんてねぇ。いやいや、失敬。ところで、どうして泣いてたんですか?」
「じーちゃんがどっかとおくにいっちゃったの。いまはめのまえにいるけど」
 ミルチェ・ストレイフ(みるちぇ・すとれいふ)は涙ぐんだ目をぬぐって、支離滅裂にも聞こえることを言った。クドはミルチェの頭をぽんぽんと叩き、ようやく起き上がった。
「感傷に浸るなんてお兄さんらしくないですね。……ここがどこかもよく分からないし、さっさと脱出しましょうか」
 周りは黄金に輝く町だったが、クドは大した驚きもなく、服についた汚れを払って、ミルチェに言った。この町が普通でないぐらいはクドには雰囲気から察することが出来た。さっきの夢も、この町がもたらすものだったのかもしれない。ミルチェのおかげで現実に還ってきたのだと思い、もう一度、クドは足に抱きついているミルチェの頭を撫でた。
 クドはふいに、言い出す。
「まあ、とりあえず脱ぎましょうか」
 なにがとりあえずなのかは分からないが、ミルチェはいつも通りなので何も言わなかった。大人しくそこらへんの財宝の上に座って、いそいそと服を脱ぎだしたクドを見守る。
 クドは桜柄のパンツ一丁になると、そのゴム部分に銃を押し込んだ。
「これで無防備ではありません。じゃ、いきましょうか、ミルちゃん」
「うん、じーちゃん!」
 ぴょんと財宝の山から降りたミルチェの手を握って、クドは散策に繰り出した。
 ミルチェはクドの顔を見上げ、ふと、また泣きそうになった。元の世界ではいなくなったはずのクドがすぐ傍にいる。それだけで、ミルチェは嬉しさや哀しさが混じり合って、切なくなってくるが、泣くのを我慢した。
 笑顔でいないと、自分が弱くなってしまいそうだから。ミルチェは笑みを浮かべて、クドの手を強く握り返した。