天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

そんな、一日。

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そんな、一日。

リアクション



25


 目を覚ました。カーテンが閉じられていてもなお、光の強さを示すように明るい室内で茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は伸びをする。
「ん〜っ……」
 ベッドを降りて、素足のままで窓に寄った。カーテンを開ける。光が差す。眩しくて反射的に閉じた瞼を、すぐまた開く。
 広がった青空に、思わず声が零れた。
「今日もいい天気ね!」
 こんな日には何をしようか。
 洗濯? しよう、きっとよく乾く。布団も干したら幸せだ。
 それからご飯を作って、食べて、エネルギーを充電したら工房の掃除をして開店準備を――
「……はっ!」
 途中で気付いた。これではいつもとまったく変わりない日になってしまう、と。
 それは駄目だ。だってこんなに天気がいいのに。ばっ、と振り仰いだ空は、衿栖の考えを肯定するように雲ひとつない快晴を晒している。
 慌てて衿栖は考える。今日一日を、有意義に過ごす方法を。
 思案すること一分少々。衿栖は机に向かい、ペンを取る。
 メモに書き出したものは、工房で必要な物リスト。
「私ってあったまいー」
 買い物という『仕事』をこなしながら、晴れた街の散歩をする。一石二鳥ではないか。
 思いつきをレオン・カシミール(れおん・かしみーる)に了承してもらい、ご機嫌に支度を済ませた。


 工房を出て目の前の通りを真っ直ぐ歩くと大通りに突き当たる。
 左に曲がって大通りを行くと、三軒目に赤い屋根の店があり、そこは衿栖の工房が贔屓にしている店のひとつだった。
 この店で必要な物を買い、店主と話をし、店を出る。すると通りの反対側に紺侍の姿が見えた。声をかけようかと思ったが、おばあさんと話しているようだったので振りかけた手を下ろし、次の店に足を向ける。次は、レオンから頼まれた機晶技術研究のための工具だ。


 いくつか店を回ると、あっという間に時間は経って昼を過ぎた。大通りを行く人は時間の経過と共に増え、すれ違う女性とぶつかりそうになった。小ぶりなダンボールを持った人に荷物が当たってしまい、頭を下げて先を行く。
 人と人の間に、クロエに似た後ろ姿があった。隣には、彼女と年の近そうな少女の姿。クロエであるという確証はないし、声はかけずに目的地へと向かう。


 ついつい店主と話し込み、店を出たら外はいっそう暑くなっていた。暑さがピークになる時間帯だ。どこかで涼もうかな。そう考えた時、足を止めるのは大体いつも『Sweet Illusion』の前だった。いきつけの店が、フィルの店と同じ並びにあるからだ。
 覗いてみれば、ケーキ屋として丁度ピークの時間帯。バイトの子が忙しなく動き回る中、フィルはカウンターで紅茶を淹れたりと涼しい顔をしている。
「フィルさんが楽な仕事してるように見えるー」
 なので、店に入って冗談交じりに笑った。
「私にかかればどんな仕事も朝飯前だよー」
 食えない笑みで答える彼女からは、意図が読み取れない。フィルは、表情の薄いリンスよりもよほどポーカーフェイスだよなあ、と思う。
「そうそう。今日、店内は生憎の満席でしてー」
「えっ、そうなの」
 慌てて店内を見渡すと、確かにどの席も人で埋まっていた。すぐに席を立ちそうな気配もない。
「じゃあ買って帰ろうかな」
 いい天気だし、公園で食べるのもいいだろう。気持ちを切り替え、ショーケースの中を見る。美味しそうなケーキが、ひとつ、ふたつ、みっつ。
「これください」


 街の喧騒から離れ、自然が奏でる音しかなくなった場所に工房はある。
「こんにちは」
 音のない空間に、衿栖の声が響いた。声に、リンスが顔を上げる。運がいい。丁度休憩中だったようだ。
「どうしたの」
「別に? フィルさんのところに美味しそうなケーキが三種類あったからどれも食べたいなって買っちゃって、でもひとりで食べるには多すぎるからみんなで食べたらどうかなって思って足を運んだだけだけど?」
「長いね、理由」
「うるさいっ。食べるの? 食べないの?」
「いただきます。クロエも呼んでいい?」
「三種類あるって言ってるでしょ」
「ありがとう」
 相変わらず素直になれない自分に頭を抱えつつ、キッチンを借りてコーヒーを淹れる。ケーキを皿に移してテーブルに運び、みんなで手を合わせていただきます。
「休みなの? 今日」
「なんで?」
「うちに来たから」
「工房は開いてる。天気がよかったからさ、お使いがてら散歩することにしたの」
「ああ、だからその荷物」
「いっぱいお店回ったからね〜……あ、そうそう、来る途中でね――」
 見たことや話したこと、聞いたこと。面白かったものからよくわからなかったものまで、余すことなく話して聞かせた。そういう時、いつだってリンスは静かに相槌を打つ。この時間が、空気が、衿栖はとても好きだ。そして、例外なく楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。
「また来るね」
 たくさんの荷物を持って、衿栖は玄関に立つ。
「あんまり無理しないでね」
「お互いね。じゃあ」
 手を振って、背を向けて、さようなら。
 今日が晴れでよかったと、夕暮れを迎えた空を見ながら思う。
 そうでなければ、いつもと違った日にしたいとは思わなかったかもしれない。
 いつも通りだったなら、ここに来ることもなかった。
(また来るね)
 別れ際の言葉を胸のうちで反芻して、衿栖は帰途に着いた。