天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

そんな、一日。

リアクション公開中!

そんな、一日。

リアクション



20


 目が眩むほどの青が、空に広がっている。
 蓮見 朱里(はすみ・しゅり)は、晴天を見上げたまましばし動けないでいた。
 思えば、ほんの四年前までは。
 朱里は、ごく普通の女子高生だった。
 普通の家に生まれ、不自由なく育ち、学校に通い、門限に気を配りながら遊びに出かけているような、普通の。
(なのに、今は)
 恋人が出来て、数々の想いを積み重ねて結婚して、子供も生まれて。
 自分の店を持って、歌姫としてのデビューも果たして。
 地球にいた頃読んだ雑誌に、『カリスマ主婦』に関する特集が載っていたことがある。読んだ当時は彼女らのことをどこか同じ人間とは思えず、フィクションの存在のように感じていた。雲の上の存在だと。手も届かない、届いたとしても継続できっこないと思っていた、のに。
(案外、できちゃうものなんだなあ……)
 家事に育児に冒険に、さらに加えて芸能活動。
 数々の仕事に追われる日々はめまぐるしく、立ち止まる暇さえないけれど。
 助けてくれる友人がいる。スケジュールを組むマネージャーは、『本業は主婦』ということを理解して、無理な予定にならないよう配慮してくれる。
 家族だって、笑顔で応援してくれて、支えてくれて。
 こうして今、自分が立っていられるのは、多くの人に助けられているのだと感じる。
 だからこそ、不安に思う。
(私は、ちゃんとみんなの期待に応えられてる?)
 いい加減な仕事をしているわけじゃない。やれるだけのことはやっている。だけどどうにも自信が持てず、不意にこうして胸が締め付けられることがたまに、あった。
 期待されることは嬉しい。
 任せてもらえることも、信じてもらえることも、とても。
 でも、だからこそ。
(苦しい)
 重圧に、潰されそうなのだった。
 じわりと、視界が滲んだ。空の青が、ぼやける。まばたきをしたら溜まった涙が零れそうで、必死に目を開けていた。けれどいつまでも目を閉じないでいられるはずもなく、ぽろりと目尻を伝って雫が落ちる。
 泣いてしまった。幸せなのに。
 どうしてかな。朱里は心に問いかける。
(変だよね? 幸せなはずなのに、悲しくて涙が零れるなんて)
 涙を拭うこともできずに、ただただ朱里は立ち尽くした。


 朱里の様子がおかしいことにアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が気付いたのは、朝起きてすぐだった。
 せっかくの休みだというのに、どこか疲れた顔をして、笑顔にもいつもの輝きはなくて。
 無理もない、と思う。やることが多すぎるのだ、彼女は。あんな日々を送っていたら、気の休まる暇がない。心身ともに疲労やストレスが溜まっているのだろう。
 その全てを代わってやることができたなら、どれほど良かっただろう。そこまで万能でないことがもどかしい。
「朱里」
 庭で立ち尽くしぼんやりとする朱里に声を掛ける。はっと朱里はこちらを見、慌てた様子で笑顔を作った。手まで振っている。元気だとアピールするように。
 僕にそんな気を遣わなくていいのに、と、愛しさと苦しさが込み上げてきた。
 庭に出て、朱里の隣に立つ。足元の洗濯かごから洗い立ての洗濯物を手にし、皺を伸ばして物干し竿にかけた。
「アイン?」
「今日は僕が家事をやるよ」
「えっ、でも……」
「ゆっくり休んで欲しいんだ。今日ぐらいは」
「……ありがとう」
 そう言って朱里は微笑んだけれど、どこか浮かない様子のままだった。心優しい彼女のことだから、アインが心配していることに気付いて胸を痛めているのだろう。
 夫なのだから、愛しているのだから、心配して当然だ。
(だから、そんな顔しないでくれ)


 アインは本当に、今日一日全ての家事を請け負った。
(アインだって、疲れてるだろうに……)
 心配をかけただけではなく、本来自分がやるべき仕事までやらせてしまうなんて。
 申し訳なさが、じわじわと心を蝕む。
 苦しい、と思ったタイミングで、
「朱里」
 アインの優しい声が聞こえた。顔を上げると、彼はマグカップを持って立っていた。
「どうぞ。落ち着くよ」
 渡されたカップからは、心安らぐ香りがした。
 ハーブティーを一口飲んで、隣に座ったアインを見る。
 ごめんね。今日一日、手伝わせちゃって。
 そう言おうとした矢先、
「いつもありがとう」
 とアインは言った。やっぱり声は優しくて、言葉だってとても優しくて、また涙が浮かびそうになった。
「いつも、僕たちのために頑張ってくれて」
「……頑張れてる? 私。頑張れてる……?」
「ああ。とても」
「……そっか」
 認めてもらうことは、こんなにも嬉しいことなのか。こんなにも、安心することなのか。アインの一言で、今までの苦しかった思いや不安が溶けていくようだった。
 大きな手が、朱里の手に重ねられた。自然と、どちらからともなく指を絡める。
「辛い時、苦しい時には、いつでも僕達を頼ってほしい」
 寄り添い、アインの肩に頭を預けながら、すぅっと入ってくる言葉をじっと聞いた。
「無理して一人で抱え込むことはないんだ。今までも、そしてこれからも、僕達は大切な『家族』で、生涯パートナーなのだから」
「そうだね」
 アインが居てくれたから、朱里はここまで頑張ることが出来た。
 そしてきっと、これからも。
「……今までと逆になっちゃうね」
「ああ。今度は僕が、きみを支える番だよ」
「うん。ありがとう。……明日からまた、頑張るね」
 どんなに大変だって、辛くたって、きっと、ふたりなら。