リアクション
▽ ▽ ――その異変を、気付く者はいなかった。 その地が、いつ森でなくなり、いつ枯れたような荒野になってしまったのか。 剥き出しになったその大地には、何が隠されていたのか―― その決戦は、ヤマプリーの荒野にて勃発した。 首都が壊滅したスワルガは、背水の陣という意気込みでヤマプリーを攻め、それを迎え撃つヤマプリーの全勢力が、荒野で激突したのだ。 「この瞬間を以って、貴様等の命の全ては私が預かった!」 最前線で敵軍を迎えるジャグディナは、腰のエストックを抜いて天に掲げた。 「誰一人として、私より先に死ぬことは許さん。死に物狂いで私について来い! 己の為に全てを屠り、薙ぎ払って進軍せよ! 奴等を根絶やしにした先に、我等の未来がある!!」 そして、エストックを敵軍にまっすぐに向け、ジャグディナは叫んだ。 「突撃!」 雪崩のように、互いに軍に押し寄せる軍勢。 数多の思い、数多の結末を乗せた、最後の戦いが始まった。 ◇ ◇ ◇ 「こんな、馬鹿な……」 アザレアは、ついに世界樹に辿り着いた。 根元から、内部に入る道を見つけ、深部へと進んだアザレアは、『王の寝所』へと至り、その光景に愕然とした。 全ての命の祖である神は、既に死んでいた。 その死骸は乾き、ミイラ化している。 死んでから、既に相当の時が経過していた。 「――そうだ。この世界に、王たる神は既にいない。 王のいない世界は、滅びるだけ」 背後からの声に、はっと振り返る。 そこに居たのは、イデアだった。 会うのは初めてだったが、アザレアは、彼が何者なのかを知っていた。 「あなたが殺したの?」 まさか、と、イデアは肩を竦める。 「俺が此処を見つけた時、既に王は死んでいた」 「……そうか……。あなたは、神を復活させようとしてたんだね」 アザレアの言葉に、ほう、とイデアは感心したように呟いた。 「『滅亡の預言者』。成程、俺のことも解るか」 アザレアは、悲しそうに眉をひそめる。 此処へ来て、ようやく知った真実が、悲しい。 「あなたは神を復活させ、かつての楽園を取り戻して、世界を救おうとしてた。けど……」 だが、彼もいつしか、忍び寄る悪意に染まってしまった。 自分が神として、楽園に君臨することに、目的が摩り替わってしまったのだ。 「俺は狂ってなどいない」 イデアは、そんなアザレアに笑う。 「――さあ、どうする、『預言者』? 広大な森は、王を失って死にかけた世界樹が生命力を吸収し尽くし、荒野と成り果てた。 世界の悪意に染まった世界樹は、この後どうなるのか」 アザレアは、目を見開く。 ズシ、と重い地響きと共に、ミシリと何かが軋む音がした。 「世界の王が……神が居ない……」 世界樹がざわめいている。 アマデウスは、今にも動き出しそうなその世界樹を見て、決意を固めた。 「世界の滅亡を止める為……、世界樹を制する者が必要なら、私が、その存在になりますわ」 シャクハツィエルから奪った、力。 その力を解放し、アマデウスは女神として覚醒した。 「いけない……!」 駆けつけたシャクハツィエルは、間に合わなかった、と唇を噛んだ。 アマデウスは力を解放し、女神に昇華しようとしている。 「いけません。それは、その力は……!」 嘶きのような叫びを上げながら、アマデウスが暴走しようとしていた。 溢れる力は聖なるものではなく、その目が狂気に支配されようとしている。 その覚醒に反応するかのように、世界樹がギシギシと軋んだ。 シャクハツィエルがアマデウスの腕を取った時、二人は、爆発するような炎に包まれた。 咄嗟、シャクハツィエルはアマデウスを抱きしめる。 暴走する力を放出しながら咆哮を上げるアマデウスはしかし、シャクハツィエルを見なかった。 「――あなたが望むなら、全てを差し出してもよかった。 だが、この力だけは……」 不完全な、この力。この呪われた力は、奪われても消えない。持ち主が増えるだけだ。 歪んだ形で増殖した力はきっと、二つの大陸を滅ぼすことすら、できてしまう。 アマデウスと共に、強大な炎の魔法に包まれたシャクハツィエルは、自分達に魔法を放ったディヴァーナが、世界樹の枝の上に立っているのを虚ろに見た。 見下ろすイスラフィールの瞳には感情の色がなく、ただ意思の無い瞳をシャクハツィエル達に向けている。 「……そうですか、貴公が……」 そのまま倒れ伏したシャクハツィエルは、死を覚悟して意識を手放した。 だが、引き戻されるような感覚と共に、再び意識が浮上する。 目を開けると、そこには見知らぬ女性がいた。 「……どなた、ですか……」 クシャナは、きゅ、と唇を引き結んだ。 攻撃魔法が使えなくなり、満足に使えるのは再生魔法のみ。 そんなクシャナの前に、シャクハツィエルが倒れていた。 「……馬鹿な。何をしようというの」 今更自分が、と思いつつ、彼の傍らに歩み寄る。 今、彼を癒せるのは自分しかいない。 ああ。どうして今更、誰かに尽くすなんて、馬鹿げたこと。 起き上がったシャクハツィエルは、礼を言うと、アマデウスの姿を捜した。 近くにいない。 「もう一人、いたはずです。彼女は……」 クシャナは黙って首を横に振った。 「彼女は、……もう無理よ」 シャクハツィエルは目を見開き、悔しそうに俯いた。 「……アマデウス……」 彼女を、救うことはもはや出来ない。 目を閉じて、ぎゅ、と拳を握り締めた。 「……アマデウス。 もしも、次の生が望めるのなら、その時は、あなたに……」 目を開いたシャクハツィエルは、上を見上げ、世界樹の枝を見上げる。 そこにはもう、彼はいない。 「滅びの先に何を見出したのかは知らないが、輪廻の果てまで行こうとも、あなたの野望は必ずくじく」 決意と共に、呟いた。 クシャナは、何となくの違和感を覚えて、じっと自分の手のひらを見た。 シャクハツィエルを癒した後から、自分の魔力に変化が生じた気がしていた。 徐々に、魔力が戻って来ている。 「私は……」 歪んだ力によって女神に覚醒したアマデウスは、半ば意識を飛ばし、暴走していた。 その力は世界樹に絡みつき、狂った力で制御しようとして、力を吸い取る。 ボコ、と地面が盛り上がり、世界樹の根が、触手のように地上に飛び出した。そこから、地面に亀裂が入る。 「神……。 神になろうとした者の、その末路、か」 レキアが、その存在に歩み寄る。 腰の剣を、軽く握った。 「無理をさせて済まない。けれど最後まで、お前には共にいて欲しい、アストラ」 剣化した状態のアストラから、返る言葉はない。 けれど手に伝わる感触が、彼の思いを伝えてくる。 レキアは剣を抜いた。 恐れは無い。居場所を護る。そう決意したのだから。 「世界滅亡なんてもので、俺の居場所は失わせない。例え神が相手でも!」 ◇ ◇ ◇ 魔王と化した存在は、本能的に、この力に引かれるに違いなかった。 何故なら、世界樹は、朽ちようとして尚、この世界で最も巨大な力だったからだ。 闇のもの、魔のもの、悪しきものに身を委ね、魔王と化して、フェスティードは、死んだ。 (そう、俺は死んだ。この存在は魔のもの。 そう、魔王ホロウ。 そうだ。力が要る。強大で、凶悪な力。 それを得てこそ、この存在は諸悪の根源と成すことができる……) 使えるものは何でも使う。 殺人鬼、異形の者、外法の力。 そうして自分は魔王となった。 今また、更なる力を手に入れ、殺し、滅ぼし、この世界を終わらせよう―― 「フェスティードさんっ!」 必死の叫びに、魔王ホロウは目を向けなかった。その姿が悲しい。 けれど止めなくてはならなかった。 「あなたの思いは解ります。けれど、でも、こんなやり方では駄目です……!」 こんな形で向かい合うことは、とても悲しい。 彼と戦わなくてはならないことは。 レウは家族を、エセルラキアを、多くの友を失った。 けれど家族の仇であるツェアライセンもまた、悲しい死に方をし、その連鎖を身を以って知り、だからこそ思うのだ。 誰かを敵として憎み続けることでは、誰も、自分自身も、救われることはないのだと。 理性を失い、魔のものと化した存在は、己の力とする為に、光に群れる蛾のように、世界樹の力を求めた。 世界樹は、狂ったように根を暴れさせ、やがて全ての根を地表に出すと、蠢きはじめる。 枯れた枝が、脆く折れて地に振る。 人の何十倍もある枝が、次々と地表に刺さった。 「……何処かへ行こうというのか?」 黄蓮は、世界樹の動きに驚きながら、その根の一本に、メデューの姿を見つけた。 魔に堕ちた者達が、世界樹の力を奪い取り、その死を早めさせている。 「見つけた。あんなところに……」 黄蓮は、彷徨い歩くメデューの姿を見つけ、それを追って来たのだった。 生命力を喰うのではなく、ただ奪うだけのその姿に、マーラにとって、魂を奪うのは、息をするようなものだと思い知らされた。 (あたしは、己の弱さを認められなかっただけ、逃げていただけだった) だが、だからこそ、メデューを見るに耐えられなかった。 命を賭してでも、彼女を止める。 人としての意識を失い、ただ生きとし生けるものの命を奪い取った末に、世界樹の根元に到達していたメデューは、尚ひたすらに世界樹の力を吸収し続けていた。 近づけば、命を吸収される。だが黄蓮は迷わなかった。 一気に距離を詰める。勝負は一瞬。一撃で決めなければ、逆に自分が捕らわれる。 正面から目が合い、その剣が貫く一瞬、メデューの瞳の、焦点が合った。 一瞬だけ戻った意識が、黄蓮に訴える。 わたしを止めて、と。 黄蓮は、それに答えた。 小さな子供の身体が、黄蓮の腕に抱えられる。 「……ありがとう……」 微かに笑って、礼を言った。 息絶えたメデューは消滅し、それを見届けた黄蓮の外見が、変貌した。 老化が戻り、元の姿に戻ったのだ。 老化は、他者の命を喰わないでいて、弊害が出ないわけがない、という黄蓮の自己暗示が顕在化したものだった。 今、その呪縛から解き放たれ、相応の外見に戻ったのだ。 「……タスクの言葉によれば、我等には来世があるらしい」 そう、彼はそう言っていた。 「……その世界でも、争いは絶えないらしいが……」 それでも、と、願わずにはいられない。 「次は、後悔のない生を送れるといいな」 手向けの言葉にもならないが。黄蓮は、そう自嘲した。 宿らぬ命を嘆くなら、我が身を少し削りましょう 救えぬ命を惜しむなら、心を少し削りましょう 貴方が修羅を歩むなら、私は羅刹となりましょう 「今度、会えたら、お側にずっどいてぇですだ……ずっど……」 フェスティードの死に絶望し、タテハは全てを放棄した。 感情も、記憶も、力の制御も。 壊れた枷は、封印だった。 己の意志に関係なく、周囲の生命力を吸収し続ける、タテハは壊れたマーラだった。 「あなた、一体何をやっているんですの!?」 無尽蔵に無差別に、生命力を吸収しながら戦場を彷徨うタテハもまた、世界樹に引き寄せられていた。 そして、そんなタテハの前に立ちはだかる、フェスティードの妹、セラフィベル。 嫉妬で気が狂いそうになりながらも、セラフィベルは、毅然とタテハを睨みつけた。 「お兄さまは……あなたをそんな風にするために、自分を犠牲にしたのではありませんわ!」 しかし、ゆらゆらと、幽鬼のようにタテハはセラフィベルに近づく。 見えない何かが、セラフィベルに絡み付こうとした。 (……お兄さま……) 兄を捜して、此処まで来て、けれど見付からなかった。 彼は変わり果てた姿となり、魔王として滅ぼされた。 泣きそうな、けれど微笑を浮かべて、セラフィベルは両手を広げる。 それに合わせて、魔法術式の力が翼のように広がった。 「お兄さま。 お兄さまの愛したもの、きっと、ベルが守るわ」 自分の全ての魔力を使い切ってでも。 二人の力が激突する。 世界樹から力を供給するタテハの力は無限に近く、彼女を包み込もうとするセラフィベルの力が圧される。 セラフィベルは、祈るように両手を組んだ。 (お兄さま。力を貸して……!) びくん、とタテハの身体が震えた。 突然、世界樹との繋がりが切れ、タテハは投げ出されるように体勢を崩した。 セラフィベルの魔法の光が、タテハを包み、閉じ込める。 やがてまばゆい輝きが消え、タテハはどさりと倒れた。 セラフィベルは、目を閉じ、微笑む。 力尽き、セラフィベルもまた、その場に倒れた。 世界樹を護る為、異形の魔物と戦うテュールの前に、何者かが割り込んだ。 「悪い。こいつは譲ってくれ」 テュールは彼を見つめ、頷く。 他へ向かうテュールと入れ替わりに、彼は前に進み出た。 「――待たせたな、ヴィシニア」 レンは、魔王と化したヴィシニアを前に、そう言った。 彼女を思わないわけではなかったが、自分の復讐を優先させてしまっていて、彼女のもとに到達するのが遅れてしまった。 レンは剣を抜いて構える。 「長いこと、苦しませて済まなかった。……今、楽にしてやる」 その言葉が、届いたのか、どうか。 異形の魔物と化すヴィシニアが、僅かに笑みを浮かべたような気がした。 獣の唸り声を漏らし、狂気の目をぎらつかせ、そこにかつての面影は全くなかったが、それでも、彼女の笑みだと、そう感じる、一瞬の笑みを。 △ △ |
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