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リアクション
■第30章 遭遇(1)
ついに3日目の朝がきた。
今日、別働隊はアバドンの隊を襲撃することになっており、その隙に救出部隊はキシュに入ってエリヤを救出、すみやかに脱出するという計画になっている。予定通りすんなりといけば、夕方にはエリヤを連れてここの上空を飛んでいるはずだ。
「空気が清浄だわ。それに、空の色まで違って見えるわね」
リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は、風に吹き流される髪を押さえながらつぶやいた。
「さすがにここまで近づきますと、大気から砂が消えますね。東カナンは砂が降らない所でしたが、こうしてみますとやっぱり、西や南の影響を受けていたんですね」
空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)が、袖で隠した口元で、あくびを隠した。
さまざまな天幕が張られた中、起き出しているのは彼女と狐樹廊だけだ。まだ時間が早いということもあるが、皆強行軍による疲労が蓄積されているのだろう。ギリギリまで休息をとって回復に努めようとしているのだ。
リカインも体の節々が少し痛い。だが、とうとうこの日が来たという、はやる気持ちにそわついて、どうしても寝ていられなかった。
それに…………どうしても今のうちにしておきたいこともある。
ぱしゃりと水音がしたのを機に、リカインはそちらへ視線を流した。
少し先でうずくまっていたセテカが身を起こし、振り返ってこちらに歩いてくる。その手には洗面器が握られており、濡れた髪が黒くなっていた。
(黒……じゃない。濃茶ね)
濡れて濃く見えているだけだ。それを、風で乾かすようにくしゃくしゃ膨らませている。
難しい表情をしている…。リカインは無言で、近づく彼にタオルを差し出した。
「ああ、ありがとう」
タオルを見て、初めて彼女に気づいた様子でセテカが受け取る。
「髪の色が変わるだけでずいぶん印象が変わるのね」
「そうか? これが元の色なんだが」
前髪を引っ張って光に透かす。少しウェーブがかかった細い髪は、光が透過すると金色に見えた。
「金髪じゃないんだ?」
「昔から、すぐ陽にやられるんだ」
「目も、青じゃないのね」
下から覗き上げた瞳は、すぐ横の空と同じ色をしている。
「青灰色……夜明けの空の色」
「東カナン人にはよくある目だ。バァルもエリヤもこの色をしている。特にバァルの目はすごいぞ。虹彩がくっきりとしていて、冴えた冬の空を思わせる色だ。俺みたいなぼんやりした色とは違う」
「ふうーん」
知性の光を放つ彼の瞳は、ぼんやりしているとはとても思えないけど。
なんだか距離を意識してしまって、背中で手を組むとそのまま1歩2歩と後ろにさがった。セテカはタオルを首にかけ、彼女が何か言うのを待っている。
「セテカ君。セテカ君には、迷いがないよね。はじめは、見せないようにしているだけかと思ったけど。
私はね、迷うくらいならやらない方がいいんじゃないかって考えてるんだ。そういうときって、大抵失敗したとき傷つくのは自分じゃなくてほかの誰かだから。そもそも胸を張っていられることなら、最初から迷う必要なんてないしね」
「そうか? 俺だって迷うさ。ひとはだれだって迷う。迷いがないのはむしろ危ぶむべきことだ。それは過信でしかない。
リスクとリターンを天秤にかけ、釣り合うのならやめるべきだと俺は思う。きみの言う通りだ、犠牲が大きすぎる。リターンが圧勝しなければそれはただの博打で、愚か者のすることだ」
「勝てない戦はしない?」
「負ける戦をすれば、犠牲になるのは俺だけじゃなく周囲の者たちもだからな」
「じゃあ、私たちは勝てるのね」
「勝てる」
セテカはあっさりとやさしいうそをついた。
この行為に「勝ち」などないのだ、最初から。だれ1人、勝者など存在しない戦いも、この世には存在する。
だが生まれたときからの付き合いであるバァルすら見抜けないセテカのうそを、なぜリカインが見抜けるだろう?
「そっか」
ほっとして肩から力の抜けたリカインは、自然と笑顔になった。
「そんなことより、言うことがあったんじゃないんですか?」背後の狐樹廊が、タイミングを見計らって口を挟む。「皆さん、そろそろ起き出してきますよ」
「あ、そうだった。
あのね、これからセテカ君がしようとしてること、蒼空歌劇団の1人として、歌姫として、後世に語り継げるような形にしてみたいんだけど……いいかな?」
「……は?」
彼女がここで自分を待っていたのには何か理由があったのだろう、とは考えていたが、まさかそんなことだったとは。思いもかけず、セテカは素で驚いてしまった。
………………えーと。
いや、そんな大層なことはしてないんだが。
それどころか、これからのことを思えば、彼らには罵倒されても仕方がない人間になるだろう。刺されなければ幸運かもしれない。
(まいったな…)
内心苦笑しているセテカの前、リカインは続けた。
「でも、伝説なんて表現にはしたくないから。
本当は私も救助隊についていって無理やりにでも生還させたいところだけど、人数の問題もあるし、きっと私には無理だから…。私は私にできる精一杯のことをして、あなたたちを援護する。SP全てを費やして、それで立てなくなったとしても構わない。私の悲しみの歌で、少しでも血が流れないよう敵の動きを抑えてみるわ。
無茶しないでとは言わない。ここは、みんなが少しずつ無茶をするときだっていうのは分かるもの。私がセテカ君に願うのは、1つだけ。きっと生きて戻ってきて。……そして1回くらい、本人役でゲスト出演してほしいかな。なんてね」
こんな自分の思いすら、今は重荷になってしまうかもしれない。リカインは最後、少しだけ茶化すことで自分の言葉をやわらげた。
「リカイン……ありがとう。
だが安心してくれ、俺は自己犠牲とは無縁の男だ。無茶はしない。俺は、きみたちがきっと助けてくれると分かっているから行けるんだ」
「助けるわ。必ず」
誠実に頷く彼女に、セテカはウィンクを飛ばす。
「きっと美しいに違いない、きみの歌姫姿もぜひ見てみたいしね」
「キシュまであと数時間の距離だ。1時間も進めば北カナンに入る。援護部隊とはここで分かれよう」
昼の小休止を挟んだあと、おのおの支度を終えた彼らを順に見て、セテカは言った。
彼は上将軍位を表す紫紺色の甲冑を着ていた。遙遠が着ているバァルの物とよく似た甲冑だ。二の腕には、位を表す臙脂の腕章が巻かれている。この姿であれば、遠目でも彼が東カナン領主側近であると神殿の者たちにも分かるだろう。
「この先、大勢で移動しては不審に思われる。計画は以前言った通りだ。それぞれ都に入ったあと、神殿の周辺で待機していてくれ」
「あたしは援護部隊のみんなを案内してキシュに入ったあと、神殿内の像を使ってあなたたちと合流するから」
救出部隊と一緒に正面から潜入するには、イナンナではさすがに無理があった。
これまでのように小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)のヴォルケーノに同乗させてもらうべく、そちらへ走り寄る。
「では出発」
東カナン正規軍の甲冑に着替え、護衛兵に扮した救出部隊と援護部隊、それぞれ分かれて浮かび上がる。
「あれ?」
隊の後方、上空に上がった長原 淳二(ながはら・じゅんじ)が、南東の方角を振り返って、一番最初にそれに気づいた。
何かが接近してくる。あれは……ワイバーン部隊?
「北カナンの空挺部隊かな? 俺たちに気づいて確認に来たとか?」
「早すぎる! 第一、後方から来るかよ!?」
追い風に乗り、ぐんぐん接近してくる。
それはネルガル率いるワイバーン部隊だった。
周囲を数十のドラゴンライダーたちに囲まれたネルガルの姿を見て、全員が驚きに息を飲む。
旅装束姿で神官衣は着ていなかったが、他のワイバーンとは違った胸甲や兜を付けた一際勇猛そうなワイバーンに騎乗したその威風堂々とした姿を見れば、たとえネルガルを見たことがない者でも彼だと気づいたに違いない。
あきらかに、向こうもこちらに気づいている。
「――くそ。まさかこんなところででくわすとは…」
だがこれはチャンスでもあった。ネルガルがキシュにいないと分かった。侵入には好都合だ。
「ここはこの帝王が引き受けた!」
ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)が、ワイバーン隊を迎え撃つべく先陣を切ってワイルドペガサスの向きを変えた。
「ネルガルの足止めは俺様に任せろ! おまえたちは先へ進むがいい!!」
肩越しに太陽のような満面の笑みを見せたヴァルは、快哉の声を上げてまっすぐ突っ込んでいく。
もちろん数十の神官戦士を相手に、彼1人向かわせるわけにはいかない。
義を見てせざるは勇なきなり。メイベルはパートナーたちと視線を合わせ、力強く頷いた。
「皆さん、頑張ってくださいですぅ!」
「ご成功をお祈りしています!」
「みんなっ、ファイトだからねーっ!!」
「あとから必ず追いつきますから」
元気よく手を振りながら、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)、シャーロット・スターリング(しゃーろっと・すたーりんぐ)の乗る小型飛空艇が離れて行く。
「面白い! シャンバラの戦士の力と意地、存分に見せつけてやるとしよう!」
とはエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)。
さらに何人かが彼らに従うように、そちらに機首を切った。
(ネルガル……神に頼らない、人による人のための統治。あなたの主張が、必ずしも間違っているとは私にはどうしても思えない…。
だけど、神の力で民衆を抑えつけたら、それは人の心を持つ神による統治だわ。とても人の統治とは言えない。第一、人による統治を望むあなたが、なぜ神の力を用いるの? 神を否定するあなたが!
実を伴わない主張なんて、結局ただの詭弁じゃない!)
エターナルコメットに乗ったフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)が、先頭に踊り出た。
「カナンの人々を騙し、操ろうとするあなたを、私は認めない!」
真っ向から突きつけた指先。その先で天のいかづちが、白光の太き柱と化して落ちた。
「ネルガル様、コントラクターたちがあのような所に!」
先頭を行くドラゴンライダーが、地上から浮かび上がった飛空艇やペガサス、箒たちを指差した。
このカナンの地で、あのような乗り物を使用する者は限られている。付近にエリュシオンの大型艦船の姿はない。バラバラで統一感のない服装といい、どう見てもあれはシャンバラ人どもだ。
北カナンまで1時間たらずの、こんな場所に? しかもあの人数……どう見ても50人はくだらない。ちょっとした軍隊並だ。
数度の対峙を経てコントラクターたちの並々ならぬ力を知るネルガルは、これを軽視することはできなかった。
「一部がこちらへ向かってきます! われわれに気づいたようです!」
言わずもがなのことを……ネルガルは舌打ちをもらす。
「戦闘態勢をとれ。油断するな。やつらは少数でも侮れん」
「はッ」
ドラゴンライダーたちはディフェンスシフト、エンデュアを次々と発動させていく。流動するスキルの白光に包まれた彼らは、ハルバードを構えた。
「キシュに連絡をとれ。空挺部隊を向かわせろ」
「分かりました」
指示を受けたドラゴンライダーが携帯を取り出し、キシュの空挺部隊を呼び出そうとする。
次の瞬間、天のいかづちの白光が彼に直撃した。
「うわあああぁぁぁーーーっ!!」
ディフェンスシフトはドラゴンライダーを守っても、ワイバーンまでは防御しない。片翼の皮膜を破られたワイバーンはバランスを崩し、きりもみ状態となって墜落した。
この高度から落ちれば、墜落死はまぬがれない。
「だから油断するなと言ったのだ」
兵の無能さに苛立ちながら、ネルガルは自身に向かってきた天のいかづちにバニッシュを放ってこれを相殺する。ほかのドラゴンライダーたちも、コントラクターたちが次々と放つ火術、雷術、氷術、ファイアストーム等の魔法攻撃をワイバーンを巧みに操ることで避けるか、あるいはラウンドシールドで受け流した。
「1、2、3……ネルガルを入れて30人か。少ない少ない。俺様の敵ではないなっ!」
ヴァルは高笑い、龍の波動を放ってディフェンスシフトとの中和を図る。
「くそっ!」
待ち構えているというのに真正面から突っ込んでくる彼の大胆不敵さを警戒したドラゴンライダーが、近寄らせまいとハルバードで前方を薙ぐ。それも見越していたヴァルは、間合いに入る前にワイルドペガサスの背を蹴り、ハルバードを足場として再び跳躍するや相手の背後を取った。軽身功と勇士の薬の成せる技である。
後ろ回し蹴りがきれいに首に決まり、ドラゴンライダーは悲鳴を上げることもできず即死して、地表に落ちていく。
「悪いな。だが墜落の恐怖よりマシだろ。――おっと」
声をかける暇もなし。脇から突き出されたハルバードを紙一重で避ける。引き戻されるそれをはっしと掴み、にやりと笑ってヴァルは再びワイバーンの背を蹴った。
「ネルガルとドラゴンライダーを、できるだけ引き離すのですぅ」
「分かりました」
メイベルの指示に従い、シャーロットはカタクリズムで風を巻き起こした。仲間の行動を妨げないよう、範囲を絞って周囲のドラゴンライダーのワイバーンとネルガルとの間に風の壁を作り上げる。
「うわあっ!」
ワイバーンは風の影響をまともに受け、吹き流された。ドラゴンライダーが体勢の立て直しを図る前に、メイベル、セシリア、フィリッパの魔法が放たれる。ねらいはもちろんワイバーンだ。
「彼らは空を飛べませんからぁ、ハルバードの届かない距離から攻撃して、確実に、1頭ずつ落としていくのですぅ」
それを1人で実践しているのがフレデリカだった。天のいかづちで専制攻撃を行った彼女は、ワイバーンたちから常に一定の距離をとり、朱の飛沫、サイドワインダーで鬼払いの弓を放ちワイバーンの翼を射抜いている。矢に射抜かれた皮膜はパッと炎で燃え上がり、パニックを起こしてハルバードを振り回すだけのドラゴンライダーを道連れに次々と地表に激突していった。
「ええい! 他国のことに口を出すな! よそ者が!!」
墜落していく仲間を見て、ドラゴンライダーが吠えた。
ハルバードを槍のように持ち、投擲する。
「きゃあ!!」
後部に突き刺さった槍に、セシリアの飛空艇が黒煙を上げて失速した。為す術なく、よろよろと落ちていく。
「セシリア!! ――あっ」
そちらに目を奪われた一瞬の隙をつかれ、フィリッパは敵の接近を許してしまった。急襲したドラゴンライダーのランスバレストが炸裂し、フィリッパは飛空艇から投げ出された。
「きゃあああっ!!」
「フィリッパ!!」
メイベルが機首を下げ、垂直降下で彼女を追う。
「手を伸ばすのですぅ…!!」
「いけません、あなたも落ちて――」
「いいから!!」
フィリッパを救うことだけに集中していたメイベルの上に、影が落ちた。
太陽を背に、槍を構えたドラゴンライダーがいる。
友を助けようとする彼女を見下ろす無感情な目。
「!」
「手を放して…!」
「駄目ですぅ!」
「フィリッパさん、メイベルさん!」
フレデリカが頭上に両手をかざした。発動したファイアストームが横に伸び、まるで槍の形に集積する。
「いけっ! グリューエント・ランツェ!!」
燃え盛る炎が、今まさに槍を放たんとしたドラゴンライダーをワイバーンごと横殴りした。
「うわああああぁぁぁ…!!」
炎に巻かれ、たいまつと化し、落ちていく。その間にメイベルはフィリッパを自分の飛空艇に引っ張り上げた。
「よかった……はっ」
「きさま!!」
「きゃ…っ!」
ブン! と背後からハルバードが首を狙って振り切られる。危ういところで皮一枚を裂かれるに済んだが、エターナルコメットにとどまることはできなかった。
「フレデリカ!」
一歩遅れて飛び移った淳二の妖刀村雨丸がドラゴンライダーを串刺しにする。死体を蹴り落とし、手を伸ばしたものの、届く域はとうに抜けてしまっている。
頭から落下していくフレデリカ。彼女はあわてることなく空飛ぶ魔法↑↑を発動させ、再び舞い上がる。その姿に、ほうっと胸を撫で下ろした淳二の死角をついて、ドラゴンライダーのチェインスマイトが繰り出された。
「――うわっ!」
淳二が気配に気づいたときにはもう遅かった。無意識に頭と胸を庇い、身を硬くする。ハルバードの冷たい刃が一刀の下に淳二を切り裂くかに見えた瞬間。
「させん!」
氷室 カイ(ひむろ・かい)の放った奈落の鉄鎖がハルバードを持つ手に絡みつき、これを縛った。
「なにっ!?」
突然微動だにしなくなった己の腕に目を瞠る。ぶるぶると震える手を、それでも強引に振り下ろそうとしたのだが。淳二が得物を握る手を蹴り飛ばすと同時にカイの蒼焔緋水が背を割った。
「サンキュー! ――おっと」
礼を言うそばから今度はカイの後ろで火を吹こうとしたワイバーンに向かい、奈落の鉄鎖を飛ばす。口をふさがれたワイバーンが鉄鎖の重みで頭を下げた隙を狙って、カイがヘルファイアをドラゴンライダーのがら空きの胸に叩き込んだ。
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