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【十一 和の心】

 別働隊の大半の者達が、その姿に一瞬、息を呑む思いだった。
 遺跡の中に突如として現れた巨大な影は、明らかにこの場には似つかわしくない外観だったのである。
「ねぇ、あれって……千手観音、だよね?」
 美羽がわざわざ確認した。
 だが、誰も答える者が居ない。答える必要が無かったのである。
 確かにそれは、千手観音立像を髣髴とさせる外観を見せていた。だが、その表面は人間そっくりの柔らかな肌の質感に溢れており、まとっている衣服も上質な絹の繊細さを思わせる。
 胸の前で組まれた二本の腕以外に、背後には全部で40本の腕が伸びており、それぞれが思い思いの方向に指先を向けていた。
「なぁんだか、いや〜な予感がしますわねぇ」
 レティシアの頬を、冷たい汗が伝い落ちる。
 不意に、千手観音の総勢42本の腕が一斉に動き、合計210本にも及ぶ指先を、こちらに向けてきた。と思った次の瞬間には、とんでもない事態が発生していた。
 千手観音の210本の指先から、熱線レーザーが放たれてきたのである。指一本一本から放たれた訳だから、当然レーザーの数も210条という途方も無い規模であった。
「うぉっ!? 何だこれは!?」
 武尊が横っ飛びにかわしながら吼えた。恐らく、この場に居る全員の声を代弁した形になっただろう。しかし同時に、確信もした。
 あの千手観音は、敵だ。それも、マーダーブレインの仲間であると見て間違い無さそうである。
 210条のレーザーをかわした直後、セシルがはっとした表情で、微笑を湛える不気味な千手観音の面を凝視した。
「ま、まさか……アルゴンキン001を撃墜したあのレーザー攻撃の犯人が、この千手観音ではないのでしょうか!?」
「どうやら、間違い無さそうであるな」
 凶司のHCを横から覗き込んでいたドクター・バベルが、吐き捨てるように答えた。このHCには、マーヴェラス・デベロップメント社のサーバーから仕入れてきたウィルス情報が記憶されているのである。
 そのウィルス情報の中に、目の前の千手観音のように、210のプロセスを一度に破壊する超攻撃的なウィルスが存在する旨が記載されていた。
 スナイプフィンガー。
 それが、この電子結合映像体として別働隊の前に立ち塞がる、新たなウィルスの名称であった。
「ふん。上等ではないか」
 正子が両手の包丁をゆっくり眼前にかざし、独特の姿勢を取った。
 泰山包丁儀の構えである。
「凄い……なんていう気迫!」
 思わず、傍らの理沙が唸った。
 理沙とセレスティアは正子とは第二家庭科室で何度も顔を合わせているが、この泰山包丁儀の技を見るのは、ふたりともこれが初めてだった。

     * * *

 別働隊の遺跡内侵入に少し遅れて、小次郎、クリアンサ、レイチェルの三人が遺跡に到達した。
 遺跡内に足を踏み入れてみると、既にほとんどの罠が発動済みであり、特にこれといった危険は残されていなかった。
 小次郎の、先に本隊か別働隊を行かせて罠をやり過ごすという戦略は、見事に的中したといって良い。
 しかし、あまり愚図愚図はしていられない。のんびりしていると、マーヴェラス・デベロップメント社のエージェント達がスパダイナを掻っ攫ってしまうという危惧が、小次郎の中にあった。
 尤も、まだこの時点では、小次郎はスパダイナが巨大円柱型マシンビルディングである事実を知らない。
「急ぎましょう。ここからがいよいよ、本番です」
「流石に……緊張しますわね」
 先を進む小次郎に促され、クリアンサとレイチェルが後に続く。如何に罠の大半が発動済みとはいっても、経路を誤れば新たな罠が発動するかも知れないのである。
 今までのように、ほとんど何も考えずに斜面を登るという訳にはいかなかった。

     * * *

 小次郎達から遅れること、更に数分。
 今度は、衡吾がひとりで遺跡の侵入口に姿を現した。
 彼は一瞬、中に入るべきかどうか、大いに迷った。というのも、雇い主であるマーヴェラス・デベロップメント社のエージェントとは、ここで合流するよう指示を受けていたのである。
 最初のうちこそ、指示に従って待機していた衡吾だが、次第に馬鹿馬鹿しくなってきた。
(ここで何もせずにボケっとしておくのは、時間が勿体無いな。どれ……ひとつ、下見でもしてきてやるか)
 思い立てば、すぐ行動である。
 かくして衡吾もまた、遺跡内へと足を踏み入れていった。

     * * *

 舞台は変わって、蒼空学園の第三コンピュータ学習室。
 山と積み上げた機材の巣の中で、ダリルは鬼のような形相を浮かべていた。
「まさか、これは……何ということだ!」
 スパダイナ内に侵入して、もう相当な時間が経過している。これまでに彼は、膨大なメモリ空間内を必死に探索していたのだが、遂にある重要な情報に辿り着いていた。
「なぁ……何を見つけたんだ?」
 山葉校長が、隣の席から表情を強張らせて覗き込んできた。これに対しダリルは、怒っている訳ではないのだが、酷く険しい顔つきで問いかけてきた山葉校長を睨みつけた。
「校長……伊ノ木美津子(いのき みつこ)という名に、心当たりはあるか?」
 恐らく知っているだろうが、ダリルは敢えて聞いてみた。果たして山葉校長は、あからさまに狼狽した様子を見せた。
「伊ノ木っつったらおめぇ……馬場の幼馴染じゃねぇか! 何でその名前が、ここで出てくるんだよ!?」
「校長、それにルカ達も、これからいうことを、落ち着いて聞いてくれ」
 ダリルは目の前の山葉校長のみならず、インターネットマイクを通じ、電脳世界内にダイブしているルカルカ達にも向けて、静かに、そして緊張の声で語り始めた。
「マーダーブレインとスカルバンカーを作成した張本人。それが、伊ノ木美津子だ」
 ダリルと山葉校長の間に、重苦しい沈黙が垂れ込めた。インターネット接続のスピーカーの向こうからは、ルカルカや真達の息を呑む気配が、ありありと伝わってくる。
 更に、ダリルは続けた。
「それからもうひとつ……半年前、つまり去年の年末だ。蒼空学園内で起きた河童の群れによる生命力強奪事件を、覚えているな?」
「あぁ、そりゃもう……っておい、まさか! あの河童どももなのか!?」
 山葉校長の半ば悲鳴に近い叫びに、ダリルは緊張した面持ちで深々と頷く。知ってしまった以上は、全てを報告しなければならない。
 ダリルは静かに言葉を繋いだ。
「親玉を倒した瞬間に、全ての河童が掻き消えた。その理由はひとつ。あの河童どもも、電子結合映像体だったからだ。だがその役割は、マーダーブレインとは若干異なる」
 人間の死には、大きく分けて二種類ある。ひとつは生命力が失われる肉体の死、そしてもうひとつが脳波が生命の息吹を失う脳死である。
 ダリルはいう。河童タイプの電子結合映像体は、それらふたつの死因のうちの一方である生命力を奪う為に現れた。そしてマーダーブレインは、もうひとつの死因である脳死に繋がる脳波データを奪う為に出現した。
 生命力と脳波を奪えば、理論上は、これだけでひとつの生命を構成するデータが揃ったことになる。
 果たしてこれが、何を意味するのか?
 今のところ、ダリルはまだそこまで解明するには至っていない。
 と、その時であった。
『ねぇ……ダリル』
 不意にスピーカーから、電脳空間内にダイブしているルカルカの声が響いた。若干、緊張しているように震えている。
「どうした?」
『その、河童の群れなんだけどね……今、ルカ達の前に、居るんだよ……』
「何だと!?」
 ダリルは慌ててモニター上のターミナルウィンドウに視線を走らせ、ルカルカ達のプロセス位置を探り、更にその周囲に位置しているインスタンス種別を照合した。
 しまった、とダリルは心の中で激しく地団太を踏んだ。