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【五 緑に輝く瞳】

 アルゴンキン001が攻撃されたのを受けて、アルゴンキン002は急遽、部隊の降下ポイントを東へ3キロ程度、移動した。
 流石にあのレーザー攻撃はこの位置までは追ってこないようで、ひとまず002隊の面々は安全に中腹の山林内に降下することが出来た。
 002隊のメンバーにも飛行手段を用意している者は居たが、大半は徒歩での移動手段しか無い為、降下ポイントがずれたのは、幾分スパダイナへの接近時間が遅くなるというデメリットを孕んでいたのだが、撃墜される危険を冒す程の判断力は、搭乗していたエージェント・ホフマンとエージェント・ローデスには無かったようである。
 ともあれ、全員の降下が無事に終わると、アルゴンキン002は一旦ツァンダ南方山岳地帯の北北西に位置する停泊地にまで退いていった。
 去り行く飛空船を見送りながら002隊の面々はひと息入れ、今後の行軍ルートを確認し合っていた。
「想定到達時間より、およそ一時間程のロス、ということになりますか」
 手元の地図を覗き込んでいるシズルの傍らで、つかさはゆったりとした笑みで小さくかぶりを振った。
「一時間程度であれば、誤差の範囲内と考えて宜しい……相手はルーターマシン、足が生えて逃げる訳ではないのですよ」
「それにしても師母殿、どうして空飛ぶ魔法を皆さんにかけないのですか? 飛んでいく方が、移動は遥かに速くなると思うのですが」
 シズルの問いに、矢張りつかさは口元を穏やかに緩め、諭すようにいう。
「敵が現れる前にこちらの手の内を見せてしまっては、それだけで勝機が大きく損なわれます。切り札は、ここぞという時に用いなければ、ね」
 なるほど、とシズルは小さく頷いた。個人的な戦闘力では平均的なコントラクターには決して劣らない彼女だが、知略・智謀といった点では、矢張りつかさには及ばない。
 と、そこへクドがいつもの調子でフラフラと、ふたりの前にやってきた。
「やぁお嬢さん方、折角皆でひと息ついてるんだし、あんパンでもどうかしらん?」
 つかさとシズルは思わず互いの顔を見合わせ、口元を僅かに歪めた。
 以前、シズルを守る為にマーダーブレインの手痛い一撃を喰らった筈のクドであったが、この場に於いてもそのマイペースな言動は一切変わっておらず、ふたりとも苦笑を禁じ得なかったのである。
 すると、別方向から若干上ずった声が響いた。
「あ〜! 良いもの持ってんじゃん!」
 見ると、ミルディアが今にも涎を垂らさんという程の勢いで両目を輝かせ、クドの手にしているあんパンをじろじろ凝視している。
 隣で真奈が呆れ返っていたのは、いうまでもない。
「ミルディ……あんパンぐらい、帰ったら購買でいくらでも買えるでしょうに……」
「その考え方は間違ってるわ! こういうところで食べるからこそ、格別の美味さがあるってものよ!」
 何やら妙な持論を力説するミルディアだったが、あんパン所有者のクドにしてみれば、特定の誰かに提供することには拘らない。欲しい者が居れば、欲するところへ提供するのが彼のやり方でもあった。
「ま、おひとつどうぞぉ」
「サンキュー! あんパンブラザー!」
 妙なあだ名をつけられてしまった。流石にこれは、クドも予想外であった。

「ねぇちょっと、エージェントなんとかさん!」
 あゆみが、ノートパソコンを開いて現在地と今後の経路を確認中のエージェント・ホフマンに、いささかぶっきらぼうな調子で呼びかけた。
 名前を覚えられていないことに苦笑を浮かべたエージェント・ホフマンだが、決して嫌な顔を見せないのは、よく訓練が行き届いている証拠といえるだろう。
「これはミス月美、如何様な御用でしょうか?」
「随分と呑気にやってるけど、001隊の安否はちゃんと確認出来てるの!?」
 あゆみの指摘も、尤もな話である。普通であれば、仲間達があれだけの攻撃を受けて撃墜されたのだ。心配のひとつでもしてみせるのが人情というものであろう。
 ところがエージェント・ホフマンはといえば、ひたすら己の仕事にのみ没頭するばかりで、ひとことも001隊については触れようとしないのである。その点が、あゆみには随分と冷たく感じられてならなかった。
 そして実際、エージェント・ホフマンの返答はといえば、恐ろしく冷淡な内容であった。
「それなら、エージェント・ローデスに任せてあります。彼に聞けば、何か分かるでしょう」
「任せてありますって……あなたねぇ、自分の上司も巻き込まれてんのよ!? 気にならないの!?」
「えぇまぁ。我々は結果を出してなんぼの商売ですから」
 恐ろしくドライなひとことであった。いってしまえば、結果を出す為であれば上司ですら簡単に見捨てる、という話になる。
 ところが、エージェント・ホフマンに食いついてきたのはあゆみだけではなかった。
「今の話……聞き捨てならないな」
 リアトリスが、恐ろしく真剣な表情でずいっと身を乗り出して、エージェント・ホフマンに迫る。するとリアトリスのすぐ後ろから、ベアトリスとメアトリスが同じく、責めるような目つきで押し寄せてきた。
「仲間をそんなに簡単に見捨てるって、どういう料簡!?」
「そんなひと、絶対友達とは呼べないよ!」
 ベアトリスとメアトリスが揃って口撃すると、どっちがいっているのか分からなくなる。一種の幻惑攻撃のようなものだが、エージェント・ホフマンは相変わらず、冷淡な調子で応じるのみであった。
「仕事と人間関係は、別物であると考えております故」
 要するに、どんなに親しい友人であっても仕事であれば簡単に切り捨てるし、どれほど嫌な相手であっても、必要とあれば大事にする。
 仕事とは、つまりそういうことなのだと、エージェント・ホフマンは言外にいっているのである。
 更にリアトリスが何かいおうとすると、そこへ狼顔の巨躯が三人をなだめるように口を挟んできた。
「まぁそう、いじめてやりなさんな。彼らは彼らなりの倫理で動いているのだよ。他人がとやかくいえる話ではない」
「えぇー!? お義父さん、それはないんじゃない!?」
 ベアトリスに矛先を変えられた格好となったスプリングロンドは、困ったように頭を掻いた。彼は、様々な戦場で色々な性格の上司や部下、同僚達を見てきている。
 その中には、エージェント・ホフマンのような考え方の者も決して少なくなかったのだ。共感するつもりはないが、理解するだけの懐の深さはあった。
 更にメアトリスが何かいおうとした、その時であった。
「み……美晴さん!?」
 すぐ近くで、半ば悲鳴にも近しい甲高い声が響いた。

     * * *

 加夜は、驚きと嬉しさと、そして疑惑の念がない交ぜになった複雑な表情を浮かべつつ、眼前に佇む見知った姿の女性を、ただただ凝視するしか無かった。
 そこに居たのは間違いなく、蒼空学園生の制服に身を包んだ三沢美晴だったのである。
 だが、どこかがおかしい。
 超感覚を発揮していた為、白い猫耳と尻尾が生えたままという、いささか緊張感に欠ける外観の加夜ではあったが、その面は寧ろ逆に、強烈なまでの戦慄感に襲われている。
 美晴が、ここに居る筈がないのだ。
 その思いが、加夜の全身を更に強張らせているといって良い。
 だがそれでも、一応は問いかけてみなければならない。本当に目の前の女性が美晴ではないとは、いい切れないからだ。
「なんや……ほんまに美晴さんなんかいな?」
 加夜の傍らで、泰輔も眉間に皺を寄せつつ、疑いの感情を露骨に吐き出した。彼とて、フィクショナル内で美晴と面識がある上に、美晴の現状についてはよく知っているのである。
 ここに美晴が居ることの異常さは、加夜と同じく理解し切っていた。
 だが、加夜や泰輔以上に困惑しているのは、エヴァルトだった。彼は学友を救い出す為に、決死の覚悟を持ってこの捜索隊に参加していたのである。
 であるのに、ここで当の美晴が異様な雰囲気をまとって佇んでいるという状況は、エヴァルトの研ぎ澄まされていた感覚を鈍らせるのには、非常な破壊力を持って作用していた。
「くっ……とてもではないが、信じられん。まさかとは思うが、マーダーブレインの差し金か?」
 それでも辛うじて冷静に思案を巡らせられたのは、エヴァルトの強靭な精神力のお陰であろう。
 そして意外にも、エヴァルトのひとことに同調したのはエージェント・ローデスであった。
「その女性は間違い無く、ミス三沢ですね。今、私のマシンから脳波を測定しましたが、本人に間違いありません。決して、コピーなどではなく」
 エージェント・ローデスの酷く冷静なものいいに、誰もが耳を疑った。そして更に彼は、恐るべき分析結果を淡々と口にした。
「ついでにいえば、今のミス三沢はエメラルドアイズに乗っ取られていますな。目をよくご覧なさい」
 いわれるがままに全員、能面のように無表情なままで佇む美晴の双眸に、視線を転じた。
 加夜が思わず、口の中であっと声を漏らした。
 今、ここに姿を現している美晴の瞳は左右とも、見事な程に美しいエメラルドの輝きを放っているのである。少なくとも、加夜が知る限りでは美晴は日本人であり、両目とも黒に近い茶色だった筈だ。
 ということは、矢張りエージェント・ローデスの説明は嘘ではない、という話になるのだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってや。ってこたぁ、仮に僕らがここでエメラルドアイズを倒してしもたら……」
「その場合は、ミス三沢の脳波は完全に破壊され、二度と復帰出来んでしょうな」
 普通であればいい難い内容であっても、エージェント・ローデスはさらっと口にする。全く他人事のような調子である。その態度に内心、腹が立った加夜ではあったが、今はそんなことをいっていられる状況ではない。
「さて……何か方策を考えないといけないね」
 フランツが、珍しく鬼のような形相で小さく呟いた。
「方策っちゅうたかて……」
 泰輔は、小さく唸った。何も思いつかないのである。