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第11章 赤毛の指令者と遂行者

 天からの恵みたる陽光がツァンダの町に必要以上に降り注ぐ7月のとある日。1人の男がその恵みを逆に災いと受け取ってベッドに伏していた。
「暑い……」
 元々体が氷の魔力に慣れすぎているせいなのか、それとは関係なく、自身の体を流れる魔力に負けているのかあるいは両方か、蒼空学園に籍を置くグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は冗談を言う気にもなれず、ただひたすらに暑さに耐えていた。というよりは、耐える以外の選択肢が思いつかなかったというだけなのだが。
 そんな彼が寝ている部屋に、何やら奇妙な音が飛び込んできた。機械音ではなく、どちらかと言えば生物の発する「声」のようなもので、それが窓の外から断続的に聞こえてくるのだ。
 音の発信源を探るべく、グラキエスは暑さで参っている体を無理に動かし、窓の近くへと歩み寄った。
 果たしてそこには確かに生物がいた。だがそれは人間ではなく、4本の足で地面を歩く少々大型の動物。セントバーナード犬――厳密にはパラミタセントバーナードだった。どうやら先ほどから聞こえていた声のようなものとは、この犬の吠え声だったらしい。
「……なんで犬が……?」
 犬はただやってきたわけではなく、しきりに部屋に入りたそうに、グラキエスに向かって吠えている。雰囲気からして襲いにきたというわけではなさそうだが、だからといってほいほいと部屋に入れてやるほど、彼は無警戒というわけではない。
 だが結局、グラキエスは犬を部屋に招き入れた。その犬自体に何となく見覚えがあったのと、犬の首輪に手紙らしきものが括りつけられているのを発見したからである。
 窓を開け、部屋に犬を入れると、グラキエスは首輪から手紙を抜き取った。それは彼の友人である蒼空学園のロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)からのもので、中にはたった一言、
「指令者になれ」
 とだけ書かれていた。
「指令者……。ああ、スパイの真似事をするあのゲームか……」
 そういえば最近そんなものが流行っていたな。暑さに揺らぐ頭でグラキエスはどうにか状況を理解した。要するにロアは自分にそのゲームの指令者となって指令を出せ、と言っているということか……。
「せっかく誘ってくれたことだし、付き合うか……」
 夏の熱気で体力が落ちていて、可能であれば動きたくないところだったが、せっかくの友人からの好意と遊び心を無碍にはしたくなかった。
 と意気込んだのはよかったが、結局グラキエスができたのは紙とペンを用意することのみだった。
「しかし指令……、指令か……。氷……。何か冷たい物、が欲しいな……」
 氷の魔力が強く流れるグラキエスは暑さというものに非常に弱い。夏の時期は特にその傾向が顕著に現れ、結果的に体力が落ちるだけではなく、頭の回転も悪くなってしまうのだ。
「頭が……、働かん……」
 視界がぐらつくのを必死にこらえグラキエスはペンを歩かせようとするが、それができない程度に彼は衰えていた。最終的に暑さに負けた彼はそのまま紙を乗せたテーブルに頭を軽く叩きつけ、その手からペンを転がした。
 その衝撃音に気づいたのか、部屋のドアが開き2人の男が入ってくる。グラキエスのパートナーであるエルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)だ。
「グラキエス様、いかがなさいましたか?」
「一体何の騒ぎだ、さっきは外に犬がいた……、と思ったら今は部屋の中にいるのか」
 部屋の中に鎮座するパラミタセントバーナードを見やるが、それよりもベルテハイトはグラキエスの様子の方が心配だった。全く動じない様子から考えて、この犬が何かをしたとは思えない。となればグラキエス自身がついにこの暑さにノックアウトされてしまったか。
「おや、ペンが落ちておりますよ。何か書き物だったのですか? まったく、無理はせずにお休みくださいとあれほど……」
 だがベルテハイトの心配はそこまでだった。彼がパートナーのところへ行く前にエルデネストが先に心配し始めたのである。
 苦笑しながら床に落ちたペンを拾うエルデネストは、グラキエスの頭の下に敷かれているものに気がついた。ペンを持っていたということは何かしらの書き物だったのだろうと想像つくが、果たしてグラキエスは何を書いていたのやら。
「ん……、この文面は……、指令? ……ああ、最近流行ってるあの遊びですか」
「遊び?」
「ご存知ありませんか、ベルテハイト。最近契約者の間で『ミッション・ポッシブルゲーム』というのが流行っているのですが」
「……そういえばそんなのがあったな」
 ということはこの犬がその「指令」を運んできたのかとベルテハイトは思ったが、どうやら違うらしい。近くに置かれていたもう1枚の手紙の中にロア・ドゥーエの名前と「指令者になれ」という文面が書かれていたことから、
「むしろグラキエス様が指令者になる予定だったようですね」
「ロアからの遊びの誘いだったのか……」
「で、指令を書こうとしたら途中で力尽きたようですね。無理せず私たちに言えばいいのに……」
「そこは同意だな。ほらグラキエス、今はとにかく寝ろ。ロアが来た時に話くらいはしたいのだろう? 少しでも体を休めて回復させておかなければ、それもできないぞ」
 机に突っ伏して寝るグラキエスを何とか起こし、2人は自分のパートナーをベッドに寝かせる。完全に力が抜けているからか、グラキエスの体は少々重く感じた。
「指令の続きは私が書きますから、グラキエス様はお眠りください」
「……すまない」
 グラキエスはうめきながら、ベッドに体を横たえた。
(というか、これ……、最初から書き直した方がよさそうかな……)
 グラキエスの書いた指令は、お世辞にも指令という体裁を為していなかった。よほど暑さに参っていたと見える。
 さすがにフォローのしようが無いと感じたエルデネストは、こっそり新しい紙を取り出し、そこに指令を書き記していく。
「まず氷ですね。それから冷たいもの、と……。ん、資金? はいはい、それもですね。……まだ何か? シロップに、練乳と餡子? ということはカキ氷ですか。じゃあそれは……ベルテハイトに買いに行かせましょう」
「何?」
「いえ、この指令書の内容だと、それも買わせるというのは少々厳しいかと……」
「……ああ、確かにこれは厳しそうだな。わかった、そういうことなら私が買いに行こう。だがその間くれぐれも、グラキエスに妙なことをするなよ!」
「わかっておりますよ」
 どうもこの悪魔のことがベルテハイトは好きになれなかった。彼自身はパートナーのことを弟と見ており、その態度はさしずめ「弟思いの兄」といったところだったのだが、目の前にいる悪魔はそうではない。この男は言ってみれば契約というものを笠に着て自らの執着心を充実させたいだけに過ぎない。こうしてある程度は釘を刺しておかなければ、何をしでかすやらわからないのだ。そして、そのことについては悪魔の方も承知しており、たとえ吸血鬼が何事か騒いでいようとも、無視して執着心を満たそうと考えていた……。
「さて、書き終わりましたので、運んでもらいますか」
「ロアによろしくな」
 部屋の中で大人しく待っていた犬の首輪に手紙を挟み込むと、2人は犬を外へと送り出した。

『おはようドゥーエ君。
 この頃どうにも私は調子が悪い。その原因については君も承知済みだろう。要するにこの暑さに参ってしまっている。何とかしてこの暑さを乗り切る必要があるが、差し当たり何か冷たいものが欲しいと思っているわけだ。
 そこで君の使命だが、まず氷を10キロほど、次に栄養価が高く食べやすいもの(もちろん冷たいものだ)を調達することにある。資金援助は3000ゴルダまでなら可能としよう。調達方法や運搬の方法は問わないが、特に氷の方は届いた際に量が減っているとわかれば、失敗扱いとみなす。
 言うまでもないだろうが、君もしくは君のメンバーが暑さにやられ熱中症で倒れたとしても、当局は一切関知しないからそのつもりで。
 なおこの手紙は直ちに消去してくれたまえ。成功を祈る』
「……意外と無茶な指令を出してくるもんだなあいつ。氷10キロとかどうすんだ。後は栄養価の高くて冷たい物? ……結構ノリがいいな。さらに資金援助もありとは」
 手紙を燃やしながら今回の遂行者であるロア・ドゥーエは、手紙を運んできたセントバーナードの頭をなでていた。
 暑さに弱いグラキエスは最近の授業にも出ていない。このゲームは、それを心配したロアからの気配りだった。「指令」という形にしてしまえば、グラキエスが無理に外に出る必要は無くなるからだ。
「じゃあまずは氷だな。レヴィシュタールに作ってもらうか」
「……待て、今なんと言った?」
 ロアの発案に異を唱えたのはレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)。ロアのパートナーである。
「え、だから氷10キロを作ってもらおうかと」
「私1人でそれを作れというのか!?」
「しょうがないだろ、俺たちの中で氷作れるのレヴィシュタールだけだし」
「というか、1キロの間違いじゃないのか?」
「ゼロが1つあった。間違いない」
「……意外と無茶を言うのだな、彼は」
 ロアがグラキエスを相手に妙なことを思いついた、と聞いたレヴィシュタールは最初こそ不安になったがすぐに思い直した。思えば最近のロアは彼と会えなくてつまらなさそうにしていた。その上、暑さに弱いと公言していたグラキエスの体調が崩れたのだろうかと心配してもいたのだ。ならば非常識なことはしないだろうと判断したのである。
(どうもロアはあの少年を友人というより、弟のように思っているようだな……)
 グラキエスの髪はロアと同じ赤。パートナーの1人は自分と同じく吸血鬼。何かしら親近感が湧くのだろう。だから無茶に見える指令でもこなそうと思うのかもしれない。
「……まあいい。休みながら行けば何とかなるだろう」
「溶けることも考えて多めにな!」
「わかっている」
「で、氷を運ぶクーラーボックスはイルベルリに調達してもらうか」
「ん、僕がやるの?」
 ロアのもう1人のパートナーであるイルベルリ・イルシュ(いるべるり・いるしゅ)がその声に応じる。
「もちろん調達はするけど、氷10キロと食べ物って、相当な荷物になるんじゃない?」
「まあヘリファルテがあるんだし大丈夫だろ。10キロを1つとは書かれてなかった。つまり2つか3つに分けて運んでも問題ないってことだ」
「なるほど!」
「だからボックス自体はでかくてもいいぞ。アレに積んでいけば問題無し!」
 小型飛空挺ヘリファルテは、数ある飛空挺の中でも飛行速度が速いことで知られる。だがその代わり、それを達成するために「1人用」という制限がついている。そのため下手に積んでしまえば移動不可能になる可能性があった。今回の場合は1人につき5キロの氷、つまり5000ccの水を運ぶこととなるため、積み方によっては問題無く飛行できるだろう――4人まで乗れる小型飛空挺アルバトロスであれば荷物を積むのも楽だったのだが、彼らはそれを持っていなかった……。
「それにしても……」
 イルベルリはふとロアをまじまじと見つめる。視線を受けたロアがいぶかしげな目を向けた。
「ん、どうした?」
「いや、それにしてもロアにも学校のお友達がいるんだな〜、と思って」
 それを聞いたロアは思わず脱力した。
「おいおいイルベルリ、意外と失礼なこと言ってくれるんだな」
「だってロアって、どっちかと言えば『自由な旅人』って感じでしょ? てっきり学校に行ってても友達できるとは思えなかったし」
「いやいや確かに俺は旅人やってましたけど今は学生ですよ? 蒼空学園の生徒ですよ? そりゃアナタ、学校に行ってるんだから友達の1人や2人くらいできるってもんですよ?」
 ロアという男は幼少の頃にパラミタに連れてこられたため、地球での暮らしというものをよく知らない。そうして放浪の旅を続けていたせいか、気まぐれで、自由を好むようになり、嫌なことはすぐに放り出すという性格になっていった。蒼空学園に入学したのも、言ってみれば「何となく」であり、それをよく知るパートナーにしてみれば、ロアに友人ができることなど難しいのではないかということになるのだ。まして彼は普段は無口な方であり、その無口さと人目を惹く外見が合わさってクールに思われがちなのだ――今のこの状況において普通に話していることから、実際は別にクールでもなんでもないのは丸わかりであるのだが……。
「まあとにかく、その友達の所に行くんだね?」
「おう。なんてったって『指令』だしな」
「じゃあ僕も一緒に行っていい? その友達に会ってみたいしさ。後、挨拶代わりに紅茶も持っていこうかな。いいのが手に入ったんだ」
「……それはいいけど、大丈夫か?」
「へ、何が?」
 ロアのその確認の言葉に、イルベルリは目を丸くする。
 その疑問に答えたのはレヴィシュタールだった。
「グラキエスのパートナーに吸血鬼がいるぞ」
「…………」
 イルベルリは羊の獣人なのだが、実は彼、吸血鬼のレヴィシュタールによく睨まれているのだ。レヴィシュタールの言い分としては、
「なぜかイラッとする」
 というだけであり、睨む明確な理由は無いらしい。
 一方でイルベルリはといえば、
「言っとくけど、僕は吸血鬼が怖いんじゃなくて睨まれるのが嫌なだけだからね!」
「ほう」
「だから睨まないでよ!」
 毎度毎度理由も無く睨んでくるこのレヴィシュタールという男が、イルベルリはどうも苦手だった……。
「まあまあ2人ともその辺にしとけ。とにかく今は指令達成が先だ。俺は食い物の調達に行くから、それぞれのやること、きっちり頼むぞ」
「了解した」
「はいはい、ちゃんと手配してあげるよ」
 ひとまずこの場を収め、ロアは買い物の準備を始める。
「ではやるとしようか。ロア、冷凍庫の空きスペースは十分か?」
「……多分大丈夫」
 その言葉を残し、ロアは食料を、イルベルリはクーラーボックスの調達に出かけ、残されたレヴィシュタールは1人黙々と氷術を展開させた……。

「よく来てくれた。歓迎するぞ」
 ヘリファルテ3台を乗り回して――もちろん荷物が落ちないように慎重に、ではあったが――やってきたロアたち3人を、ベルテハイトは快く歓迎した。
(そう、この男だ。彼とグラキエスはどうも馬が合うようだ。できれば、このまま友人として付き合ってくれればいいのだが……)
 あの弟に友人ができたということは、ベルテハイトにとって非常に喜ばしいことだった。
 その友人はベルテハイトに会釈すると、病人に気遣ってか静かに足を踏み入れた。
 案内されるがままに部屋に入ると、そこには確かに病人同然のグラキエスと、そのグラキエスに必要以上のスキンシップを敢行するエルデネストがいた。
「おいこらエルデネスト! 貴様、妙なことはするなとあれほど言ったというのに!」
「え、そんなこと言いました?」
「言ったに決まってるだろうが! いい加減に離れろ、客人のお出ましだ!」
 ベルテハイトの怒りに済まして答えるエルデネストだったが、ロアたちが来たと知ると、途端に姿勢を整えた。
「いらっしゃいませ。グラキエス様がこちらでお待ちになっておられます」
 さすがに客のいる前ではスキンシップを図るわけにはいかないのか、エルデネストは適度に距離を開けた。
「……ロア、来てくれたのか」
「ようグラキエス。指令の通り、お望みのものを持ってきてやったぞ。確かめてくれ」
 言うなりロアたちはその場にクーラーボックス3箱分をゆっくりと置いた。
「まずは氷10キロ!」
 レヴィシュタールとイルベルリの2人が箱を開けると、そこには確かに合計10キロ分の氷が詰まっていた。
「いや〜、これ運ぶの大変だったぜ。いつ溶けるかわからなかったしなぁ」
「溶けないように形を維持していたのは私の氷術だったりするのだがな……」
 氷術で作ったものとはいえやはり氷は氷。いくらクーラーボックスに入れてあったとはいっても、太陽光によって暖められればやはり溶けてしまうのだ。氷が溶けて水になり、さらに気化してしまう前に、レヴィシュタールが氷術を施して再び氷点下の世界に戻し、その量と形状を保っていた。
「十分だ。ありがとう……」
「よし、これで1つは達成だな。というわけで次はこれだ!」
 10キロの氷をエルデネストとベルテハイトの2人に冷凍庫まで運んでいってもらい、ロアは今度は自分のクーラーボックスを開けた。
 その中に入っていたのは、少々の料理とデザートだった。料理の方は、冷ましたジャガイモと同じく冷ました肉を、一口サイズになるように菜物で包んだもの。デザートは種に見立てたチョコレートの粒の入った、スイカのシャーベットだった。
「食べやすい上に冷たいもの。いかがでしょうか?」
「ああ、すごくありがたい……。ちょうど腹も減ってきたところだ。もらってもいいか?」
「もちろん。全部食ってもいいぞ」
「……入るかな」
 ロアはグラキエスの「体質」については何も知らない。彼が知っているのは「グラキエスは暑さにやたら弱い」ということだけである。それが原因なのか、ロアはグラキエスに対し能天気に接することができた。それがグラキエスにとっていい結果に繋がるのか、それとも悪い結果に転がっていくのかは、今の時点ではわからない。
 少なくとも今言えるのは、この後でイルベルリが全員に紅茶を振る舞うこと、エルデネストが氷を削り出してカキ氷とし、ベルテハイトが買ってきたシロップをかけたそれを食べさせようとして、吸血鬼と悪魔の殴り合いが発生するであろうということ、残った氷の塊はエルデネストによってグラキエスの魔力に変換されるのであろうということだった……。