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第15章 女装で迷子に海京のスイーツを

 海京のどこかにて、決して大きいものではないがそれなりに威圧感のある声が響いていた。
「大体どうして2人だけで買い物に行こうとするんだ」
「探すこっちの身にもなってくれなきゃ困るんだよね、さすがにさぁ」
「迷子になるというのを盾に脅すなんて、さすがに人としてどうなんだよ」
「しかもあんな女装なんてさせちゃってさぁ。これ結構精神的ダメージでかいんだよ?」
 一体何があったのか、男2人が、それぞれのパートナーらしき女2人をベンチに正座させ、頭ごなしに説教しているのである。
 説教自体は20分程度で終わったが、それを受けていた方はその3倍もの時間が過ぎたように錯覚していた。

 事の始まりは柊 真司(ひいらぎ・しんじ)ルアーク・ライアー(るあーく・らいあー)の2人が、それぞれのパートナーから携帯電話のメールにて呼び出しを受けたことだった。
「おや、柊も呼び出されたクチ?」
「ルアークもか?」
「いきなり和葉からのメールで、『海京の中央公園に来るように』ってさ」
「俺もだ。ヴェルリアが珍しくメールしてきたかと思ったら本人はいないし、精神感応はなぜか繋がらない……」
 そのような会話を交わした男2人は、ふと自分たちの近くに1台のカセットテープデッキと大きな段ボール箱、そして1枚のチラシと地図らしきものが置かれていることに気がついた。オープンリールのそれは、かつて放送されていたテレビドラマを髣髴とさせる……。
「……これってまさか」
「『ミッション・ポッシブルゲーム』、だねぇ……」
 デッキの近くには「真司、ルアークへ」と書かれた紙が置かれてある。間違いなく自分たちへの指令だと知った真司は、そのテープを再生する。
『……おはよう柊君、ライアー君』
 デッキから聞こえてきたのはルアークのパートナーである水鏡 和葉(みかがみ・かずは)の声だった。
『普段からイコンを乗り回し、様々な敵と日夜戦い続けている我々だが、やはり休息というものは欲しくなる。それも心の底から楽しめるようなものが必要だ』
「あの馬鹿、一体今度は何をやるつもりなのかなー……」
 和葉の前口上に嫌な予感を覚えたのか、口調こそいつも通りの軽薄なものだが、声には不安がにじみ出ていた。
『そこで君たちの使命だが、近くに置いた段ボール箱の中に入っている着物を着て、女性で一杯の超人気スイーツ店のケーキ全種類を1つずつ購入し、地図に描かれた海京南ブロックにある公園、そこに午後3時までに持ってくることにある。着物を着て買い物をした証拠として、同梱した「銃型ハンドヘルドコンピュータ」で静止画を撮ってもらおう』
「無茶苦茶な指令だな。いくらなんでもこんなのにつき合っていられるか」
「女物の服だなんて、ほんと面倒くさいねぇ」
 段ボール箱の中身が女物の着物であることを確認し、毒づいてその場から離れようとする2人だったが、次の和葉の言葉により思いとどまらされた。
『ちなみに言っておくが、君たちもしくは君たちのメンバーが待ち合わせ場所に来るのに間に合わなかった場合、当局は仲間であるヴェルリアちゃんと2人で買い物に行ってしまうからそのつもりで』
「なんだって!?」
 その言葉に真司とルアークは同時に叫んでいた。
『なおこのテープは自動的に消滅する。成功を祈る』

 どっか〜ん!!!

 その言葉が聞こえなくなると同時に、カセットテープデッキは音を立てて爆発した。これは真司のパートナーであるヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)が仕掛けた機晶爆弾によるものである。
「嘘だろ……。あの2人が、買い物に行くって……?」
 真司はその場で頭を抱え、地面に膝をつく。それはルアークも同様らしく、しきりにこめかみを押さえていた。
 2人は知っている。今回の指令者2人が、極度の方向音痴であることを! ヴェルリアは近所の散歩でも道に迷ってはぐれてしまい、その度に精神感応で真司を呼び出して助けてもらうほど。和葉に至っては葦原明倫館に入学するはずが、どこをどうすれば間違うのか天御柱学院に入学してしまい、専門の迷子担当員がつけられるほどである。この2人が揃って買い物に行くということは2人同時に迷子になる――それも一緒にいるならいいが、少しでも離れてしまえば捜索が死ぬほど難航するであろうことは確実であると言えた。
「やるしかないのか……? 場所と時間を考えるとやるしかない……。あの2人を買い物に行かせるくらいなら……。いや、しかし……、しかし……」
 真司が頭を抱えて葛藤するのも仕方が無いことだった。女性が男物の服を着るのは、おしゃれの意味もあって特に問題視はされない。だがその逆は違う。男性が女物の服を着るのは、言ってみればその男性の尊厳を根本から傷つけることに等しい。無論、自ら望んで女装するのであれば話は別だが。
「なあ、柊……」
 悲愴な面持ちの真司の肩をルアークが軽く叩く。
「やろうよ……」
「……は?」
「この際、やるしかないでしょ。早くあの危険物コンビを回収しないことには、俺たちの苦労は止まらないよ」
 1着の着物とウィッグを抱えたルアークもまた、顔を青くしていた。だがここで指令に従わず、パートナーたちを放置していては、今以上に苦しい結果が返ってくることを考えれば、やるしかないのだ……。
「幸いにしてさ、今この場にいるのは俺たちだけ。近くにはトイレもある。隠れて着替えるには好都合だ」
「…………」
「一時の恥と一生の苦労。どっちが辛いか、よく考えて、さ……」
「……やるしかないか」
 半ば諭された形となった真司がゆらりと立ち上がる。
「そう、やるしかないんだ。バレないように女装して、危険物を回収。そんでもって全部終わったら、あの2人にしっかりとお説教もしないといけないしねー」
「説教か……。いいな、それ……」
 その瞬間、真司の目に光が戻った。
「よし、そうと決まったら早速着替えますかねぇ」
「着付けは任せた」
 こうして2人は、揃って女物の着物を身につけ、頭にウィッグ――真司は黒のロングヘアー、ルアークは薄茶のウェービーヘアー――を乗せ、薄く化粧を施し、スイーツ店へと出陣したのである。
(それにしてもこの着物、前に翡翠が着せられてたような……。ああ、翡翠といえば、あいつをからかうための化粧の技術をまさか自分に使う日が来るなんて思わなかったなぁ……)
 今ここにいない和葉のパートナーの1人の姿を思い浮かべ、ルアークは真司の後ろをついて歩いた。

 人というものは、どんなものであっても「壁」というものを1つ乗り越えれば、多少はどうにかなってしまうものである。「女装をする」という壁を乗り越えた2人は、精神的に慣れたのか、少なくとも歩き方等の動きだけは男らしさを感じさせないものとなっていた。さすがに口を開けば地声が出てしまうのだが。
 端から見れば着物姿の女が仲良く(?)歩いているといった風の2人は、それから20分ほど歩いた所にあるスイーツ店にやってきた。「指令」と共に置かれていたチラシによって場所はすぐにわかった。そこに辿り着くまでに時間がかかるとは思わなかったが。
「さて、難関その2に来た、ってとこかねぇ」
 声量を落としてルアークが真司の肩を叩く。
「じゃ、買い物は任せた」
「……は?」
 いきなり何を言っているのだこの男は。真司は目でそう主張した。
「いや、だってね。俺、金持ってないのよ」
「何!?」
「ちょ、声が大きいって」
「……っと」
 思わず出た大声に、2人は口元を押さえてそれを殺す。
「……なんで持ってないんだよ」
「いやぁ、財布を握ってるのがよりにもよってあの和葉なんだよね。だから実は最初から柊に買い物させるつもりだったの」
「それで俺が金持ってなかったらどうするつもりだったんだ?」
「そうなったらさすがにヘルプコールだねぇ」
「……まったく」
 真司は大きくため息をついた。単に前に出たくないと言い張るだけならまだ対処のしようはあったかもしれないが、金銭を持っていないとなればどうにもならなかった。
「わかった、俺が買うよ……」
「助かるよ。ああ、そうそう、男だとバレるのもなんだし、注文する時は高い声出した方がいいよ」
「高い声って……」
 アドバイスを送るルアークの口元は手で隠されていたが、目は完全に笑っていた。となればおそらく口も笑っているだろう。
(まったく、自分が行かない分、楽しんでるだろ、絶対……)
 もちろん口には出さなかったが、真司は内心でルアークを呪っていた。
 一方、そのルアークはといえば「指令」と共に同梱されていた銃型HCで、ケーキを注文する真司の姿をデータに収めていた。何しろこれが無ければ指令を達成したことにならないのだから、彼としては心を鬼(?)にして相棒の写真を撮る以外に無かったのである。とはいえ、最終的にその画像は封印し、世の中に出回らないようにするつもりでいたが。
「全種1つずつでございますか?」
「無理な注文かとは思いますが……」
「いえ、大丈夫ですよ。少々お待ちください」
 目の前の人間が実は男であると気づかなかったのか、あるいは気づいた上で無視してくれたのかどうかはわからないが、店員は真司の注文に笑顔で応じた。だがその注文した真司は、現在「どうなってもいいから早くやってくれ」と投げやりな心境になっていた。
(少なくともこの姿を知り合いに見られるのは勘弁だ……! それ以外なら、もうどうでもいい……)
 その思いが伝わったのか、数分後、大量のケーキの入った箱が真司の目の前に置かれた。
 料金を支払い、領収書をもらって、真司はルアークと共にそそくさと店を後にした。その背に店員の「ありがとうございましたー」の声を受けて……。

 海京は巨大エレベーター「天沼矛」を中心ブロックとし、そこからさらに東西南北と区分けがなされている。天御柱学院の強化人間部隊が警護に当たっている――この事実についてはごく一部の人間にしか伝わっておらず、表向きは海京警察とシャンバラ国軍が治安維持に務めているとされている――そのブロックの内、彼女たちは南側にある公園のベンチにてのんびりと談笑していた。
「2人の女装姿……、一体どんな感じになるんでしょうね」
「えへへー、楽しみだよねっ」
 その「彼女たち」とはもちろん、今回の指令者であるヴェルリアと和葉である。
 正確には、今回の指令を考えたのは主に和葉の方であり、ヴェルリアはそれに誘われただけにすぎない。そもそも和葉がこのような指令を出したのは、単に「面白そうだったから」だった。「ミッション・ポッシブルゲーム」の存在を知った時に、
「こんな遊びがあるなんて。こんなに面白そうなのは、乗らないと損だよね!」
 という程度の動機でしかなかったのだ。
 同じくゲームのことを知らなかったヴェルリアは、パートナーの真司から精神感応による通信が来た際、ついそれに応じそうになったが、和葉にそれを止められた。冒頭で真司が「精神感応が繋がらない」と言っていたのは、実はこれが理由だった。
「ところでヴェルリアちゃん、今何時かな?」
「えっと……、午後2時ですね。約束の時間までは1時間あります」
「1時間かー。さて、それまでに2人は到着するかな?」
「しなかったら、その時はお買い物ですね」
 近くの自動販売機で購入した缶の緑茶を飲みながら、2人はベンチの上で待ち続ける。
 そうして10分経った頃だろうか。遠くの方から着物姿の女2人が大股で歩いてくるのが見えた。先にそれに気がついたヴェルリアが、隣の首謀者に声をかける。
「和葉さん。もしかしてあれって……」
「ん? おお〜?」
 和葉もその姿を認めた。あの立ち居振る舞いと顔つきは、まさに自分たちのパートナーのそれだった。
 女装した男2人は、ようやく見つかった指令者の前に、何も言わずに立ち塞がった。歩き疲れたのか肩で息をする2人に向かって、まずヴェルリアがこう言い放った。
「あの……、すいません。どなたでしょうか?」
 答えない2人に対し、今度は和葉が感嘆の声をあげた。
「わーお、想像以上の出来上がりだねっ! 二人とも美人さんだよっ? っていうか思わず見惚れちゃうくらい!」
「…………」
 やはり無言のまま、やってきた着物の女2人――真司とルアークは購入してきたらしいケーキの箱を和葉に差し出し、銃型HCに収められた買い物風景の画像を見せた。
「おおー、ケーキだー!」
「お2人とも、お疲れ様でした」
 ヴェルリアが労いの言葉をかけてくれるが、真司とルアークはそれに応じず、その場から離れた。
「あ、あれー?」
「あの、2人ともどちらに……?」
 程なくして2人が帰ってくる。今度はいつもの男性用制服姿だ。どうやら女装を解除しに行っていたらしい。
 そうしていつも通りの格好になった男2人に、和葉が暢気な声で指令の終了を宣言する。
「なんだ、そのままでいても良かったのにさ。というわけで、これにて指令はしゅーりょー! 2人とも、お疲れ様! さてヴェルリアちゃん、ケーキ食べちゃおうか」
「そうですね、せっかく買っていただいたことですし。あ、真司もルアークさんも良かったら一緒にどうですか?」

 そして次の瞬間、男たちの怒りが爆発した……。