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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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     ◆

 朝食を取ったハツネたちは、再び陽動の為に屋上から去って行く。目的地が明確である為に、彼女たちの足取りは軽く、動きも早かった。それこそ、違和感を覚えていた来栖が制止しようと試みるも、その行動そのものが間に合わない程に。
そして彼女たちが去ったタイミングで、屋上には全く別の人影があった。
「そう言う事だったかぁ……へぇ」
 声の主はなぶら。いきなりにやってきた彼等に驚きの色を見せたのは、以外にも葛葉だけである。来栖と鍬次郎は別段動じる事無く彼等の姿を捉え、各々が臨戦態勢を取った。
「おやまぁ、俺が定位置についてない内にきちまったか……油断も隙もあったもんじゃあねぇな」
「此処は危険ですよ。ある意味立ち入ってはならないかもしれない場所です。早く此処から離れてください」
 なぶらの後方から追いかけてきた二人――フィアナと明子も、屋上に出てくるや声を上げた。
「なんです? この嫌な空気は………」
「あらら、あのおにーさん一人じゃなかったって訳かぁ……厄介だわね」
 なぶら、フィアナは武器を取り、明子は素手のままに構えを見せる。
「はぁ……こんな事なら武器、持っとくんだったなぁ…」
 明子は徒手空拳たる自身に若干の不安を持ちつつ、鍬次郎、葛葉、来栖と対峙した。
「フィアナ。君は下がっていて良いですよ。どうせ戦えないでしょ」
「なっ――!? 失礼な! 私だって」
「私だって、なんです?」
「私だって……戦えます」
 語尾が小さくなっていく彼女に対し、なぶらは表情を緩める事無く、構えを解く事無く、故に背を向けたままに答える。
「自分が戦う理由を、誰かの所為にしているなんておかしな話だよねぇ……今の君に、果たして誰かを守る事が出来るかな?」
 随分と挑発的な、しかし何やら意味ありげな発言を見せるなぶらは、相手の出方を伺いながら、しかし決して注意を背ける事無く口を開く。
「おいおい、随分余裕じゃあねぇかい、兄ちゃん」
「無駄口叩く余裕があれば、こちらの攻撃も避けられるんでしょうね」
 鍬次郎が先制攻撃を仕掛けに足を進め、その援護とばかりに来栖が両の手に握られている二振りの剣を投擲した。
「余裕はないよ……今大事な話をしている最中なんだけどなぁ……」
「しらねぇよ。向き合って獲物突き合わせた段階から、命のやり取りは始まってるんだぜ? 相手を舐めるのも大概にしな」
 身を躱し、鍬次郎よりも先に自らに到達する投擲された剣を避けたなぶらは、逃げた勢いのままに鍬次郎に切りかかった。が、姿勢が不十分だったのか、すぐさま彼に弾き返される。
「くっ! やっぱり二人相手ってのはきついかぁ……」
「当たり前だぜ、漸く気付いたのかい?」
 と――。
「こっちも二人目、居るんですけど?」
 大きく足を広げた状態で、明子がなぶらの背後から姿を現した。彼の肩を掴み、開いた足を勢いそのままに振り抜く彼女。その攻撃を何とか刀の腹で防いだ鍬次郎は、舌打ちをしながら後退した。
「……あぁ、そうかよ。言われて見りゃあ、そっちも三人だったけか」
「鍬次郎さん、舐めたらいけないのはこっちも同じですよ」
 言いながら、今度は葛葉が鍬次郎の前へ踊り出ると、手にする猟銃を二人に向けると、両の手でそれを持って引き金を引いた。
本来病院では絶対と言っていい程に聞く事のない、身の毛も弥立つ音が響き渡り、なぶらと明子の横を弾丸が掠めていく。
「うわぁ……銃器かぁ、こっちぁ素手なのに」
「今のはちょっと……さすがにまずかったですよね」
「三対二。まぁこっちの方が優勢なのはかわりませんけど」
 来栖がそう言うと、今度は二人の後ろ、壁に突き立っていた剣が僅かに震え、宙に持ちあがる、彼女の手には、更に二刀の剣。そしてそれは互いに引きあい、惹かれあい……。
「っ!? なぶらさん! 明子さん!」
 二人の名を呼んだフィアナが、思わずその足を彼等の元へと向けた。手にする剣を大きく回し、向きを変えて二人の背中目掛けて飛んでいた剣を二本とも弾き落とす。
「……フィアナ」
「さんきゅー、助かったわ」
「いえいえ。それよりもなぶらさん、さっきの物言い……気に入りませんね。覚えていてくださいよ。後できっちりお話、聞かせて貰いますから」
 随分と鋭利な眼光が、鍬次郎を、葛葉を、来栖を。そしてなぶらを捉えていた。
「え? 何……結局俺なの?」
「いい途中だったんでしょうけどね、あんな言われ方をされ、さも『足手纏いは下がっていろ』なんて様に言われたら、さすがに私も黙っていられません。しっかりきっちり戦って、後で貴方も懲らしめます」
「うっそーん」
「あーあ、こりゃあフィアナちゃんに一本取られたわね、お兄さん」
 三人はそう話を纏めると、再び対峙している三人の方へと顔を向けた。
「三対三。これで五分だ。文句はないだろう?」
「あぁ、ねぇな」
「望むところですよ」
「はぁ……聞き分けのない人たちだ事で」
 鍬次郎と葛葉が返事を返すのに対し、来栖は一人、ため息交じりにそう呟いた。

 全く同じタイミング。全く同じ場所で、しかし狐樹廊は誰に気付く事もなく、ただただその様子を物陰から伺っていた。
「血の気の多い人々ですね。いやはや、手前はその手のやりとりはどうも馴染めぬ故、こちらはこちらでよろしくさせていただくとしましょうか。どれ、あれが何か。誰が張ったのかくらいは見て差し上げましょうか」
 ふらりふらりとその横を進む彼は、すんなりサイコメトリの出来る位置までやってくると、陣に手をかざして残留思念を読み取り始めた。が――そこで彼の言葉は止まる。そこで彼の動きが止まり、そして彼の思考が止まる。

「あぁ、成程」と。

 まるで自分が置かれている状況を他人事の様に把握し、彼は無表情のままに覚悟を決めた。おそらくは、怪我程度で済むだろう事を願いながら。

 彼のかざした手に呼応し、その陣はゆっくりと光を外へと漏らし始めた。それこそすなわち、陣が発動した瞬間である。
これには顔を突き合わせて牽制しあっていた六人も反応し、そちらの方を向く。
「おいおいおい、俺たちの仕事、まさか失敗なんて事はねぇだろうな」
「あれは……難しい判断ですよね」
「何言ってるんですか。誰かがあの陣を発動させた。それはもう立派に失敗ですよ!」
 鍬次郎と葛葉があっけらかんとして言うのに対し、来栖は酷く不機嫌そうに返事を返す。
陣の近くにいた狐樹廊のその手前、何かが影を落としていく。それは一見すれば、狼の様な物。昼だと言うのに真っ黒で、明るい外で漆黒だった。その影が一つ、二つ、三つに四つ。五つと六つを飛ばして七つ。最後のダメ押しで八つが見えた。
 まるで何か、纏っていた物を剥ぐかの様に、それらは少しずつその全貌を露わにし、一同の前に姿を現す。
「狼……?」
「なぶらさん、来ますよ……」
「くっそぉ…あのニヤケ眼鏡、無事に帰ったら絶対一発ぶん殴ってやるわ! こんなんどうしろってのよ、素手で」
「あぁ、んじゃあ俺たちはここ等で引き上げるとすっか。何せ防衛目標がなくなったんだからよ」
「うわぁ……無責任だなぁ。でもまぁ、それもそうですね。僕たち、何をする目的もなくなっちゃいましたし」
「何言ってるんですか!? これからあの化け物どもを倒すんですよ! みんなで!」
 鍬次郎と葛葉が帰ろうとしているのを、来栖が何とか止めようと声を掛けた。が、鍬次郎は笑う。「わかってねぇな」と。
「あの陣の中心、何が見える?」
「え…? 中心に――女の人が」
「そうですよね。あれは女の人ですよね。でも、恐らく数人は知ってる筈ですよ。あの女の人が、どれ程の暴れっぷりか、を。少なくとも僕たちは、それを間近で見ました。あれは逆らうべきじゃない。然るべき処置を取ったとしても、彼女が怖くないわけがない。怖いと言うより、気味が悪いんですよ。だから僕たちは此処で御免ですよ」
 言いかけた葛葉が、既に屋上を去ろうとしていた鍬次郎の後を追って歩き始めた時、急に彼が振り返った。
「葛葉、伏せろ!」
「えっ?」
 手にする刀を大きく横へと薙ぎ払い、そして葛葉の頭上に来ていた狼を打ち戻す。
「なんだよ。俺たちゃ帰るんだよ。敵じゃあねぇんだよ。お前のご主人様に雇われたんだ。わかるか? 犬っころ」
 が、その漆黒はすぐさま体を起こして再び二人に向けて飛びかかる。無論、一匹だけがそこまで活性化する訳ではないのだ。その場にいる全員に向けて、漆黒の狼が牙を光らせて飛びかかる。いわば乱戦と言う中、狐樹廊の前には士狼の姿が。
「なんじゃあ……屋上が薄気味悪ぅて来たら、何で真っ黒い犬がおるんじゃ? しかもみんなで襲われとるし」
 手にする刀の鞘で狐樹廊に牙を剥ける狼を受け取る彼は、力ずくでそれを押し退けて距離を広げた。
「すみませんね。どうにも……」
「気にする事ないき。どうせこうなるんじゃないかって思うてたんじゃ」
 後ろにいた狐樹廊の前に立ちはだかったまま、士狼は顔だけ彼に向けて返事を返した。
「士狼さん、前です!」
「わかっとる!」
 二撃、三撃と続く狼の攻撃を防ぎながら、彼は体制を立て直した。
 一同が黒い狼と闘っている時である――それはゆっくりと姿を現すのだ――。

 その場の誰もが、気付かぬように。