校長室
ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3
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■6−1 次のパーティー会場へと向かう人々の間をすり抜け、向かい風が吹く夜の街を、少女は走り続けた。 だが容赦なく吹きつける氷のような寒さが小さな体から無慈悲なまでに力と熱を奪っていく。 ダッフルコートや手袋をしていたときならまだしも、今はアイドルルックに着せ替えられたままだ。毛布もなく、フリルやサテンの布は熱を保ってはくれない。 家のある区画はまだまだ遠い。 少女は一度休憩をとろうと、風よけとなる建物の影へと避難した。 「寒い…」 風は直接触れることはなくなったが、上から雪は降りしきる。 何か暖をとれる物はないだろうか? 少女はぱたぱたと服の上からたたいた。ポケットに銅貨はたくさんあるものの、これは今、何の役にも立たない。店は全部閉まっているのだから。 「あった!」 少女はポケットの中から、マッチ箱を取り出した。 先の折り、眼鏡をかけた白衣の人から渡された物だ。これで何かをしろと言われたけれど、直後彼は警官に捕まってしまって、結局何をすればいいのか分からないままだった。 「使っても……いいのかな」 使えと渡された物だし。いいよね。 少女はマッチを擦った。 「ここよ!! ずーっとこのときを待ってたわ!! 今こそ私の出番ーーーーっ!!」 暗闇の中、コトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は狂喜のあまり小躍りした。 いそいそと服を脱ぎ、その下に着込んだ肌色ボディスーツ姿になる。顔の下半分を隠す黒マフラーを巻き、腰に赤鼻の天狗面を付け、まぼろし天狗、いざ出陣! 「――って、ああっ!! 光が!」 コトノハの伸ばした手の先で、マッチは思い切り不自然な突風を受けて消えてしまった。 「ええっ!? どうしてー???」 ――うーん…。先に着替えておいた方がよかったんじゃないでしょうかねー? 「だってだって、あの格好でずーっと待機してるのって、さすがに恥ずかしいんだもの!」 ――まぁそうですねー。じゃあ次回に期待しましょう。 「ううううう…」 マフラーを噛み締めている間に、少女がまたマッチを擦った。 「今度こそーーーーっ!!」 飛び込もうとするが、またも突風がマッチの炎を吹き消す。 あきらかにさっきより早い。 「ちょっと風!! あなたわざとやってるでしょ!!」 これじゃあいつまで経ってもマッチから出られないじゃない!! どこともしれない街の映像に向かい、指をつきつけて怒る。 「まぁまぁ、落ち着いて」 同じくマッチを合図に出ようと出番待ちをしていた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)が、なだめるようにコトノハの肩をたたいた。 肩越しに振り返るコトノハ。さすがにまぼろし天狗の格好で、正面からは向き直れない。 「次は俺たちが試してみよう。あくまで偶然ということもある」 「そうそう。そんなに落ち込まないで。あんまり悲観的になっちゃ駄目だよ! もしそうだったとしたって、あそこへ行けないってわけじゃなし! ほかにも方法はいくらでもあるんだから!」 「――うん…。ありがとう」 いつも見る者の気持ちを明るくさせるヴァルキリーの集落 アリアクルスイド(う゛ぁるきりーのしゅうらく・ありあくるすいど)の笑顔に、慰められる思いでうなずく。 「よし、セラがマッチを擦るぞ。やっぱりセラもおかしいと思ったのか、今度は3本を1度に擦るようだ」 「コトノハさん、見ててね!」 タイミングを見計らい、涼介とアリアは飛び込んだ。 「……ああっ!!」 手で囲った中、温かな炎がロウソクのように燃え立った瞬間現れた光景に、少女は驚きの声をあげた。 炎が目の前の壁を明るく大きく照らしたと思うや、そこにはおいしそうな料理が乗った長テーブルが映っていたのだ。 ミニトマトが飾られたローストチキンに焼きたてハーブパン、湯気の立つオニオンスープに真っ白なポテトサラダ。そして、クリームやフルーツがこぼれんばかりに乗った贅沢なケーキ。 それらが清潔な白いシーツがかかった長テーブルの上に、所狭しと並んでいる。 まるで、さっき覗いたお屋敷の晩餐のようだった。 「こっちにおいで。これはみんな、きみのために作ったんだよ」 テーブルの向こう側にいる、白い帽子をかぶった白服の男性が、にっこり笑って声をかけてくる。 「そうそう! 涼介兄ぃの料理は、どれもみーんなおいしいんだよ!」 長テーブルの端に座っていた女の子が、歓迎するように両手を広げた。 「あっ、そーだ! 初めまして、ボクはアリアって言います。よろしくね、セラ!」 幻に名前を呼ばれて、少女はビクッと全身を震わせて我に返った。 「あ……。えっ? どうして…」 「さあさあ、細かいことは言いっこなし! 温かいうちにみんなで食べようよ!」 「でも…」 「1人で食べるより2人、2人より3人って言うじゃん! あ、もしかしてマナーとか気にしてる? へーきへーき! おいしー物は、何も考えないで好きなように好きなだけ食べるのが一番! ね? 涼介兄ぃ」 「おまえはちょっと身に着けた方がいいような気もするけどね」 「えー? そんなの気にしてたらせっかくのおいしい味が半減しちゃうよ!」 「はいはい」 くすっと笑って、涼介は広げたナプキンをアリアにかける。 「きみもおいで、セラ」 涼介が伸ばした手に、思わずセラが手を伸ばしたときだった。 囲いを失った炎に、突風が吹きつけようとする。 (きたな) それを敏感に感じ取って、涼介はマッチに火術を放ち、火力を上げようとした。だが風は風速を上げ、強引に火を吹き消す。その強さはマッチを持った少女がよろめき、倒れるほどだった。 「涼介兄ぃ……どういうこと?」 再び暗闇へ戻ってきて、アリアは考え込む涼介の服端を引っ張った。 「間違いなく作為的な風だ。マッチの炎に俺の火術が加わったのを見て、途中で威力を増した」 「リストレイターが邪魔してるってこと?」 コトノハが訊く。 「だろうな。だけど本人は邪魔をしていると思っていないかもしれない。これが正しいリストレーションだと思って、やっている可能性もある」 「少女に食事を与えたり、温めたりするのを邪魔するのが!?」 「どうしよう……どうしたらいい? 涼介兄ぃ」 そのとき、禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)が不敵に高笑った。 「ふははははははっ!! 笑止!! あの程度の風でこの俺様が止められると思ってか!! あさはかな風とやらめ! この胸に燃え盛る情熱が吹き飛ばせると思うなら飛ばしてみよ!! ――とうっっ!!」 少女がマッチを擦るのを見た瞬間、河馬吸虎は全速力で突っ込んだ。 「あのばか、何を舞い上がって…!」 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が顔に手をあてる。 「お姉さま?」 「私たちも行くわよ。あのばかに好き勝手させたら、この本が大変なことになるかもしれない」 「大変なこと、ですか?」 河馬吸虎がそばにいないこの状況は「お姉さま至上主義」「お姉さまは私だけのもの」「お姉さまのそばにはだれも近付けさせない」というちょっとアレな価値観を持つ天夜見 ルナミネス(あまよみ・るなみねす)にとっては、最高に近い状況だったのだが。 「そうよ。例えばこの本が『ピーッ売りの少女』になったり『マッチ棒並のピーッの少女』になったりして、R-18指定になったり、検閲で落ちて発禁本になったりするとか」 「……それは困りますね」 お姉さまと、お姉さまにお仕えするわたくしが出る本がそうなるのは絶対に避けたい。 ルナミネスは自分のした考えにこくっとうなずくと、リカインに続いて本の中へ飛び込んだ。 「うわははははーーーっ!!」 「きゃあっ!」 マッチの炎が消える瞬間飛び出してきた何かを避けて、少女は後ろに倒れた。ガツッと壁に頭をぶつけ、一瞬目の前が暗くなる。しかし、すぐ何者かに腕をとられ、引き上げられた。 「大丈夫? きみ」 「は、はい。平気……です」 心配そうに覗き込んできた女性にそう返す。直後、ずきりと頭が痛んだ。 「どこ? 見せて」 少女が顔をしかめたのを見て、リカインは傷を探る。 「少しこぶになってるみたいね」 「大丈夫です…。あの、それより、さっきのは…?」 「ああ。あれは――」 何と言ってごまかしたものか。言いよどんだ直後。 「きさまら、なぜそんな厚着をしておるのかーっ!!」 路地の入口で浮かんだ河馬吸虎の放った口上が、すべてをだいなしにした。 河馬吸虎は怒りに震えていた。 なぜこうも、どいつもこいつも1人残らず肌を覆っているのか? もちろん今は真冬。真冬に人間どもが厚着をするくらいは河馬吸虎だって知っている。 (しかしそれにも限度があろう!) 少なくとも手だの喉元だの、はてはファッションにこだわって膝上までも露出させる女がいて、おかしくないではないか。なのにここのやつらは、1人残らず体を覆って、露出しているのは顔だけだ。耳まで帽子で覆っている。 「それで寒さをしのげていると考えるとは、おろかなやつらめ!! この俺様がじきじきに最も寒さを防げる方法を教えてやるわ!!」 宣言とともに、河馬吸虎はアシッドミストを放った。 「いやーーーっ!!」 「きゃーーーーっ!! 化け物ーーっ!!」 「だれか助けてくれーっ!!」 「く、来るな!! 近寄るな!!」 人々は逃げ惑った。 石本が空を飛んでいるだけでも異常なのに、ベラベラしゃべったあげく勝手に怒り出して、突然魔法の霧で服を溶かし始めたのだ。 そりゃ逃げるって。 しかし河馬吸虎はそんな悲鳴もどこ吹く風。 クルクル回転して飛びながら、ボボボと途中にヴォルテックファイアまで吹いている。 その様相は、まさしく某特撮映画の超有名怪獣のごとし! 火術を使っていたころよりも、数倍(はた迷惑に)ランクアップしている!! 「よいか! 寒さをしのぐには裸が一番なのだ!」 アシッドミストのせいでボロボロになった衣服をかき集め、へたり込んだ人々を前に得意げに説教をしようとする河馬吸虎。 「肌と肌を密着させ、腕をからませて激しく動き合うことで互いを温めあうのだ!! さあ今こそ――へぎゃっ!!」 突然襲いかかったルナミネスの轟雷閃に撃たれ、言い終わる前に河馬吸虎は墜落した。 「ま、待て! ちょっと待てっっ」 怒りを前面に押し出した者よりも、無表情で殺気も見せず攻撃する者がよっぽど不気味だ。河馬吸虎はずりっずりっと後退する。 「お姉さまのご本を発禁本に変えようとする者は許しません…」 「そ、そんなことはしてないぞっ!! 俺様はただ、やつらに寒さへの対処法を伝授しようとしただけで……ほ、ほら、よく物語であるではないかっ、雪山で遭難した者同士が互いの肌で温め合うことで助かるというやつがっ!! お、俺様は純粋に、あれを応用してやつらにおしくらまんじゅうをさせようとだなー」 「言い訳、うるさいです」 バリバリバリバリバリッッ 「へぎゃぎゃっ!!」 再び轟雷閃に撃たれる河馬吸虎。 ルナミネスにはそれが真実かそうでないか、はどうでもいいのだ。これに乗じてこの際、河馬吸虎におしおきをしたいだけだ。 「あなた、わたくしを差し置いて、お姉さまと出すぎなのです」 「へぎゃぎゃぎゃっ!! リ、リカイン……助け…」 夢の中で死んだら現実世界でも死ぬのかしら? まぁそれもいいか――ぼんやりとそんなことを考えつつ、ルナミネスは3発目を放つ。 ――怖すぎです、ルナミネスさん。