校長室
ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3
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■7 ふいに寒さを感じなくなって、少女は目を開いた。 ふわふわの上掛けがあごのあたりまでかぶさっていて、じわじわと温かさを感じる。 清潔な真っ白いシーツからは、お日さまのにおいがしていた。 「ここは…?」 「あ? 目、覚めた?」 添い寝するようにベッドに乗り上げ、平行してうつぶせになっていた少女が覗き込んでくる。 「おかーさん! セラが目覚ましたよーっ!!」 少女の張り上げる言葉に、部屋のドアが開いた。入口の形に部屋の中の闇がくり抜かれ、そこに人影が立つ。 「あらあら。お姉ちゃんが騒がしいからですよ。せっかく寝付いたのに」 「だーってーっ」 足をバタバタする少女。 「お、姉ちゃん…?」 「しようのないお姉ちゃんですねえ。ね? セラ」 前掛けで手を拭きながら枕元へやってきた人影が、そこに腰をかける。入口から入る光が少し顔に当たっていた。やさしげな微笑を浮かべて見下ろしている、中年の女性…。 「おかー……さん?」 「なぁに?」 「でも……じゃあここ、天国なの?」 「おかーさん、セラったら、まだ寝ぼけてるよ!」 きゃははっととなりの少女が笑う。 楽しそうに、両足をバタバタさせて、ほおづえをついた。 「セラってば、一体どんな夢見てたの? そんなこと言いだすなんて」 「ゆ……め…?」 夢だったの? あれが全部…? 「お外でマッチ、売ってたの……あと、毛布も。いろんな人、が……買ってくれたの」 「へーっ。それで?」 「大きなお屋敷のきれいな人がね、私のこと、娘だって言ったの」 「えー? なにそれ? そーんなこと考えてたんだー?」 意地悪く笑う姉に、セラはカッとほおを赤くする。 「あー、赤くなったー!」 つんつんとほっぺをつっつかれる。 「お姉ちゃん、妹をいじめちゃいけません」 「はーい」 くすくす、くすくす。 少女をとり囲む2人の声はどこまでも温かく、慈愛に満ちている。 「ほかには?」 「あとね……あいどるにならないか? って」 「アイドル? へーっ、いいじゃない!」 いいのか、少女には分からなかった。 「それで……お歌教わったの。キラッて」 「キラ?」 「こう、目のところで指を開いてね、キラッ」 左手の人差し指と中指を、目はさむようにして開くと、面白がって姉も真似をした。 「キラッ」 「キラッ――ぷぷぷぷぷっ」 「あははっ」 2人で顔を合わせ、おなかを震わせて笑う。 母親の手が、さらりと前髪を梳いて横へ流した。 「楽しかった?」 「――うん…」 母はこんな顔をしていただろうか? 思い出せなかった。だけど、その手から伝わるぬくもりはとても気持ちいい。 「おかーさん…」 「もう遅いわ。2人とも寝なさい」 「うん」 と、姉が同じ上掛けの下にもぐりこむ。 「――あ。その前にお歌聞かせてよ。どんな歌教わったの?」 「あんまり……覚えてない…」 夢の中だし。 「いいからいいから」 催促されて、少女はおずおずと上掛けの下で小さく歌い始めた。 「ああ、それ知ってる! 一緒に歌お」 一緒に幸せの歌を歌っているうちに、少女は眠りについた。 身も心も温かく、満たされたまま…。 「幸せになってください」 母白星 切札(しらほし・きりふだ)が、そっと額にキスをした。 「何もかも、大丈夫だからね。心配しないで」 白星 カルテ(しらほし・かるて)は勇気づけるように、ぎゅっと少女の手を握り込む。 夢の中の少女にまで伝わるように。 「心配いりません。ずっとそばにいますから」 耳元に口を寄せ、ささやいたリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)は握り込んだ手の力を強める。 反射だろうか? 少女のこぶしがぴくっと反応した。 「……おか……さ…」 唇がかすかに動いて、そんな言葉をささやいたような…。 しんしんと音もなく降り続ける雪が、路上でうつぶせになった少女の上に降り積もっていく。 少女の体は小さくて。 あっという間に白く覆われた。 少女の枕元では七刀 切(しちとう・きり)が燃え尽きたマッチを手に、目を閉じて座っている。 そのマッチは、リゼッタから渡された物だった。 この炎の暖かさを雪に込めてほしいと…。 暖かな雪。 そんなものがはたして存在するだろうか? 火のついたマッチを渡されたとき、切は疑問だった。雪は水が凍ったものだ。想像するのも難しい。 そんな切の考えを読み取って、リゼッタはマッチを持つ切の手を両手で包んだ。 「温かいでしょう? そしてこれは冷たいですか?」 そして彼女はこう続けた。 「あとはこの温かさを雪に込めてください」 こめられているか、正直今も分からない。 少女の上に降り積もる雪は、やっぱり白い。――そりゃあ、雪がほかの色に変わるわけはないんだけれど。 だけど切は願った。 少女に降る雪には、温かさがこもっているように…。 「よお、遥遠」 背後、音もたてず着地した緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)に呼びかける。 「天の采配役、ご苦労さん」 「――少女は?」 声にこもった不機嫌さに、おや? と切が目を開ける。 「眠りましたわ。幸せそうにほほ笑んだまま」 答えたのはリゼッタだ。 「どうした? 気にくわないのか?」 「……街中が新年を迎える喜びに満ちた中、小さな子どもが孤独に凍死する……こんな本に、何の意味があるんです?」 まるでキリストのようだ。 たった1人の無垢な人間がすべての罪を負い、人々は新しい自分に生まれ変わる。 こんな本をリストラする意味が、はたしてあるのか? 「さあねぇ……童話ってそういうもんだし。教訓求めるなら寓話だし。 明確に書かれてないってことは、これを読んでそれぞれが思うこと、それ全部正解って意味かもなぁ」 燃え尽きたマッチをくるくる回す。 次の瞬間マッチは霧散し、天へと昇っていった。 「ワイはこう思う。どこの世界でも、人は無意味に生まれ、無意味に死んでいく。奇跡ってヤツはそうそう起こるもんやない。いくら奇跡を望んでも、100のうち99までがかなえられんまま終わるのが普通。けど、この少女はその人生かけてこの街に奇跡を起こした。 ただ一夜だけ、名もなき貧しい少女が、マッチを使って小さな、しかし暖かな奇跡を起こしたのです……ってのも、ロマンチックかね?」 今日1日で起きたさまざまな出来事は、この街の人々の記憶にいつまでも残り、楽しい思い出として繰り返し語られていくことになるだろう。 その中には、常にこの小さな少女が存在する。 名前を知る者はだれもいない。 この少女がどんな少女であったかを知る者も。 けれど欠かせない存在として彼らの思い出語りの中に登場し、その中で少女はいつまでも生きていくのだ。 それは、この街で少女が生き続けているということにならないだろうか? 「あまり知られてませんけど、切くんって意外と少女趣味ですよね」 「うっ…」 永遠の眠りについた少女を見下ろしたまま、素っ気なくつぶやくリゼッタ。 しかしその口元には、うっすらと笑みが浮かんでいたのだった。