校長室
ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3
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■6−3 まぼろし天狗が去ったあと。幸か不幸かハゲまっちょたちは 「うおおおおおーーーっ!!」 とか口々に叫びながら、どこかへ行ってしまった。 「大丈夫ですか」 体力・精神力ともにごっそりはぎとられてその場に呆然と座り込んでしまっている少女の肩に、六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)が上着を着せかける。 「あ、ありがとう……ございます…」 これまでの経験上、少女は多少警戒しつつ、肩に乗った手の先を見る。 そこにいたのが雪のように白い青年と知ったとき、驚きに軽く少女の目は見開かれた。彼の中で唯一色のある赤い両目に、まじまじと見入ってしまう。 「私のような者はめずらしいですか?」 長く見つめすぎたか。礼儀知らずだった自分を恥じるように、少女はうつむく。 心が透けて見えるほど素直な少女。本心を隠すことも知らないその姿に、鼎はほんの少し苦笑し、そして立ち上がった。 「さっき、あなたは懸命にマッチを燃やしていましたね。そこに何が見えましたか?」 「……おいしそうな、お料理…」 「それが見えて、そして消えたとき、あなたは何を思いました?」 「…………もう1回、見たい、って…」 「そしてマッチを擦った? 本当に?」 「…………」 少女は唇を噛み、答えるのをためらう。 「違うでしょう? あなたは本当は、マッチが自分のほしいもの、見たい幻を映したことに気付いたんです。だからマッチを擦った。幻でしか見えない相手を見るために。食べられるわけでなし、料理の幻なんか見たって何もなりませんからね」 あいにくと、飛び出してきたのはあの石本だったけれど。 「あなたが本当は何を見ようとしていたかは知りません。けれど、そうしたからと、どうなるんです? あなたがここで現実から逃げるのは勝手です。ですが、その「結果」を考えてみてください。あなたの父親は確かにひどい父親です。酒に逃避し、ときにあなたに暴力をふるったりもする。そして、そんな現状を変えようとも思っていない。それどころか、あなたを手放す書類にサインまでしてしまった」 感情の欠如した声で淡々と語る。 そんな鼎の言葉に、少女の目に涙がにじむ。 「ですが、それはもしかすると、あなただけでもこの救いのない状況から解放しようとしたがゆえの行為かもしれない。そうは考えてみませんでしたか?」 「……私…」 「妻を失い、娘のあなたを失って、彼に何が残るのでしょう? お酒ですか? しかしそれも稼いでくれるあなたがいなくなれば、手に入らなくなってしまう。彼は完全な落伍者だ。彼が死んでもだれも気に留めない。だれも悲しまない。それどころか、だれも気付かないかもしれない。だれの記憶にも残らない……あなたの記憶からさえも、いつか消えていく。 彼をあわれに思いますか? なら、彼を救ってみてはどうです?」 少女は顔を覆った。 父を救いたい――それは、ずっと考えていたことだった。変わってほしい、以前の父に戻ってほしいと。だけど、どうすればいいか分からなかった。父が喜ぶかもしれないと思いつくことはすべてしてきたつもりだ。父が必要だと言うお金だって、こうして稼いでいる。 でも結局、父は変わらない。銅貨はお酒に消え、家は荒れていく。 結局、自分ではどうしようもないのだ。自分では父の救いになれない。 「もう……どうすればいいか、分からないの…」 ぽつっと少女のつぶやいた言葉に、鼎はようやく彼女に目を向ける。 「どうせマッチを燃やすなら、棒を探しなさい。その棒に布を巻き、髪の毛を数本混ぜて燃やすのです。あとは適当に木材を探して薪にすればいい。 小さな火でも、工夫次第で無限に広がるものです。あなたの火も、もっと広がるかもしれませんよ? ――ま、これもあなたの自由ですけどね」 鼎は素っ気なく肩をすくめ、立ち去って行った。 少女はかぶせられた上着の前を掻き合わせた。 寒かった。今まで感じたことがないくらい、寒い。 まるで心の中に氷の塊を押し込まれているよう……。 「だって……本当に、分からないの…」 動き出した歯車。 坂を上るまでは人力を必要とした運命の車輪も、山を越えてしまえばあとは自力で転がるのみ。 そして物語に限らず全ての現象は「そうあろう」とするもの。 たわんだ運命の糸は今一度引き絞られ、自己修復を図ろうとする――。 「セラちゃん!!」 前後にふらふら揺れ始めたと思ったと思ったとたん、崩れ落ちた少女に火村 加夜(ひむら・かや)は駆け寄った。 「セラちゃん、セラちゃん! しっかりしてくださいっ!!」 うつぶせになった体を仰向けにし、膝の上で抱きかかえる。 「冷たい……氷みたい!」 (体温が下がってる…。このままでは危険です!) かといって今は夜中。しかも年の瀬とくれば、開いている病院や診療所はまずない。第一、運んでいる間に何かあったら…! 「何か……何か燃やせる物は…」 加夜は周囲を見回した。だが薪として使えそうな物は何もない。街路樹は、落ちている枝も雪でしめっていて火がつきそうになかった。 加夜が目にとめたのは、とある建物の裏口横に設置されている物置小屋だった。 「ごめんなさい! でも、一刻を争うんです! ――はあっ!!」 ドアについていた鍵をドアノブごと蹴り砕き、中の物を物色した。掃除道具やいろいろ雑多な物を入れてある中、修理用と思われる木の板を見つけ、運び出す。 「待っていてください、セラちゃん。今温めてあげますからね」 火術を用い、木の板で火を焚いた。 その前でセラを抱き、自分の体温も使って温めようとする。グレーターヒールも使ったけれど、少女自身が拒んでいるかのように、光は少女を覆う前に消えてしまった。 耳元で、一生懸命幸せの歌を歌った。 「思い出して、セラちゃん。昼間、この歌を歌ったとき、あんなに楽しかったでしょう? 幸せだったじゃないですか。思い出して……あきらめてしまわないで…」 せめてこんな、悲しい気持ちで逝ってしまわないで……。