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一会→十会 —アッシュ・グロックと秘密の屋敷—

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一会→十会 —アッシュ・グロックと秘密の屋敷—

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【閉ざされた屋敷・2】


 屋敷の中、契約者達の目の前で、幾つもの出来事が現れては消える。
 めまぐるしく美しい思い出の数々、万華鏡でも覗いてるような光景に、彼等は困惑しつつも目を奪われていた。
「これは一体何時の、何処の出来事なのだ?」
「……詳しくは分かりません。でも私は、今私達が見ているのは屋敷が持っていた記憶なんだと思います。何かがあって崩壊するまでの、アッシュさんとご両親が暮らしていた時間を、私達は見ている」
 豊美ちゃんが説明したのと同じタイミングで、忙しなかったそれが動きを止めた。
 今のアッシュは――見た目から12、3歳くらいであろうか。
 屋敷の様子が妙に騒がしい。アッシュの両親の仲間の魔法使いらしき人物達が、アッシュの父親と顔を付き合わせ難しい顔をしている。
 と、そんな折に玄関チャイムが鳴った。
 客人を取り次ごうとした初老のメイドが扉を開いた瞬間、その背中に生えた刃の切っ先に、契約者達は目を見開く。
 刃を抜いてメイドを壁に押しやりながら現れたのは、乳白金の髪に紫の瞳をした――少年だった。
 一見すればアッシュと似ている部分はあるが、瞳は暗い色をたたえ濁りきっている。例え彼を知るのがメイドを殺した事実を見る前だったとしても、一目で不快感を持つような、そんな邪悪な少年だった。
『Waldemar Gruenewald!!(*ヴァルデマール・グリューネヴァルト!!)』
 屋敷の中の魔法使いの誰かが、そう叫んだ。
 彼等は杖や剣を手にヴァルデマールと呼ばれた少年に飛び込んで行くが、一人は壁に叩き付けられ、一人は血に塗れた哀れな姿で床に伏して行く。
 最終的に残されたのはアッシュの父親だった。
――――!!
 唱えた魔術のスペル――闇を払う言葉を嘲笑うかのように、ヴァルデマールは放たれた光を自らの杖の先で作り出した闇で飲み込んだ。
 その後の光景に、傍観していた契約者達も思わず目を伏せる。
 屋敷の主が死んだ事で、招かれざる客は泥で汚れたブーツで丁寧に磨かれた床を踏み荒らし奥へと進んで行った。
 辿り着いたのはあのリビングだ。
 模様が刻まれた家具は動かされ、起点になっているのは中央の逆さまのテーブルに描かれた魔方陣。その上に、状況を理解出来ていない様子で怯えるアッシュがへたり込んでいる。
 魔法を発動させているのはアッシュの母親だった。
「やめて!!」
 それが過去の出来事だろうと、豊美ちゃんが叫んでしまったように、居ても立っても居られず契約者達は前に出るが、ヴァルデマールの杖と魔法はそこをすり抜け、アッシュの母親を貫いた。
「……酷いな……」
 震える豊美ちゃんの肩を抱いて、姫子が言葉を落とす。
 しかし母親が惨殺された事で、まだ少年であるアッシュの心へ炎が灯ったのだろう。魔方陣の中で彼は立ち上がり、震えを抑えながら杖の先をヴァルデマールへと向ける。
Brenne auf mein Licht!
 爆発するように強い光りを伴って、アッシュの杖の先から放たれる炎。
 だがヴァルデマールはそれを見て歓喜の笑みを浮かべた。
 ――これを待っていた。笑みはそんな言葉を現していたのだろう。ヴァルデマールの杖が紫のキューブを作り出し急激に拡張する。そしてワニの口蓋のように開くとアッシュの炎を飲み込んだ。
 アッシュの杖が弾け飛ぶように、床へ転がって行く。
 ヴァルデマールが勝利を叫んだ。少年のアッシュは、それを茫然と見つめるばかりだ。
「――アッシュの……炎を操る魔法を奪い取ったみたいだ」
 不愉快そうに顔を歪めているアレクの横で、ハインリヒが感情を含まない声で皆へ伝える。
 ヴァルデマールは満足そうに杖を人撫ですると、アッシュへ一度背中を向け――
 そしてぐるりと振り向いて杖の先を向けた!
 アッシュが死ぬ。
 これが過去なのだと分かっていても、今のアッシュが健在だと分かっていても、見ていた契約者達は皆そう思った。
 だがその瞬間、ヴァルデマールとアッシュの前に光りの壁が立ち塞がると、屋敷の天上から煙を巻きあがり、床や照明器具がバラバラと崩れ落ちてきたのだ。
 その術こそが、虫の息ながらも生き続けていたアッシュの母親の作った守りの術だった。
 ヴァルデマールは信じられないというように目を剥いて、自分の掌を見つめている。手袋を外した彼の手は光りの力を受け、裂傷を負っていた。
『Scheisse!!(*糞!!)』
 ヴァルデーマルは激昂し、杖から――アッシュから奪ったばかりの炎でアッシュの母親へ止めをさす、が、屋敷の崩壊は止まらない。
 ヴァルデマールは焦り出した。
 懐から取り出した赤い魔法石へ力を送り込み、術が完成するとアッシュに向かって投げつけるようにする。
 赤い魔法石はアッシュを守る光りに阻まれ砕け散るが、その欠片は宙空で一つに戻るとヴァルデマールの手にもう一度収まった。
アッシュが胸に手を当て、その場に膝をつく。
「今の魔法は?」
「アッシュから何かを吸い取ったように見えるが……」
 魔法石の正体については推測でしかなく、その間にも屋敷は崩壊を続ける。もう時間が無いと悟ったのだろう、ヴァルデマールは懐に魔法石をしまい、足早にそこを去って行く。
 アッシュが伸ばした手は皮肉にも守りの壁に阻まれ、届かないままヴァルデマールの姿は消え去った。
 

 全てが終わり、過去の出来事は去った。
 契約者達が立っているのは、魔術によって破壊された屋敷の中だった。しかし草木が支える様にしているお陰で、不思議と暖かみを残している。まるで今此処で契約者達が目にした、母親の光りの魔法のように――。
「豊美、鏡が――」
 姫子の言葉に豊美ちゃんが視線を落とせば、銀の鏡はいつの間にか砕け散っていた。折角手にした手掛かりを失ったにもかかわらず、豊美ちゃんの顔は穏やかであった。
「……あなたはずっと、アッシュさんの思い出を守り続けてきたんですね。
 私達にそれを見せてくれて、ありがとうございます。ゆっくり、休んでください」
 慈愛の表情でそう言い、割れた鏡の処理をハインリヒに任せ、豊美ちゃんは『ヒノ』を掲げると屋敷へ向けた。屋敷がこれ以上荒らされぬよう、安らかに朽ちていけるように、豊美ちゃんの魔法は屋敷を覆い隠していく。
 契約者達は皆、ただ黙ってそれを見守っていた。
 何時しか、しとしとと雨が降り出し、豊美ちゃんの頬に長い黒髪が張り付いていく。指先は体温を奪われかじかんだが、それでも豊美ちゃんは『ヒノ』を降ろさず魔法を続けた。
「手伝おう。……せめてもの手向けに、な」
 姫子がそこに加わり、やがて屋敷はその全てが見えなくなった。強く探そうとされない限りは、建物が衆人の目に晒される事はないだろう。
「お待たせしてすみませんでした。私達も帰りましょう――」
 豊美ちゃんが言い終わる前にふら、と身体が揺れ、傍に寄ったアレクに受け止められる。
「まったく。疲れてるだろうに、しっかりと術をかけおって。
 付き合ったのは私の意思だが、苦言の一つくらいは口にしてもよかろう?」
「あはは……。ごめんなさいアレクさん、すぐに退きま――わぁ?」
 豊美ちゃんが身体を離す前に、アレクが豊美ちゃんを抱き上げる。
「疲れてた女性を、雨の中歩かせる訳にはいかないよね」
 アレクの代わりにそう言うと、ハインリヒが豊美ちゃんの上にコートを掛けて身を翻し、仲間達を先導するように行く。
「……そうですね、知られては仕方ないですねー」
「うん、帰ろう」
 豊美ちゃんの了承の言葉を聞いたアレクは静かに答えて、進み始めた契約者たちの後ろをゆっくり歩き出した。
「アレクさん……あったかいですー」
 豊美ちゃんの顔がアレクの胸に埋まる。雨は宿泊地に到着した豊美ちゃんが顔を上げるまで、静かに降り続けていた――。


 * * * 



 一通りを話し終えたエリザベートははぁ、と息を吐いて、補足するように話し出した。
「アッシュに使用された魔法石が如何なるものか、また何処にあるのかは私にもよく分からないですぅ。イルミンスールはあの魔法石を『魂の牢獄』と言っていますけどぉ、それ以外はよく分からないですぅ。もっと分かるように言ってほしいですぅ」
「魂の牢獄……言葉を聞くだけなら、魂を閉じ込めてしまう代物のようだな」
「そんな効果みたいですねぇ。この『魂の牢獄』が各地に散らばったことで、皆さんが件の異世界に迷い込む事件が起きたわけですぅ。
 アッシュは魂の殆どを失い、そのままではいずれ死んでしまったでしょう。彼を結果的に救ったのは、イルミンスールですぅ」
 話によれば、イルミンスールがアッシュを彼の出身地ということになっているウィーンに導いたのだという。何故そのようなことをしたのかはイルミンスールは語らないとエリザベートは言ったが、おそらくアッシュの存在がこの異世界を股にかけた事件の鍵であるが故なのだろうと推測出来た。
「ウィーンで育ったアッシュは、『アッシュ・グロック』として成長し、やがてパラミタに渡りましたぁ。彼の魂が成長すると、世界の各地に散らばっていた『魂の牢獄』はお互いに引かれ合い、その力は世界と世界を繋げるほど強いものだったそうですぅ。豊美やアレクはそんな現象に、偶然に巻き込まれてきたってわけですねぇ」
「……本当に、偶然なのか? そう何度も偶然が起きるとは思えないのだが……」
「最初はほんとに偶然でしたよぅ? 二度目には既にヴァルデマールの方が豊美とアレクを危険人物と見定めていたみたいですけどねぇ。
 二人はそんなことを知らないまま、異世界で起こった事件を解決することで『魂の牢獄』を解放してきましたぁ。もちろん今回も、ですよぅ。
 もう大分、あなたは思い出しているんじゃないですかぁ?」
 エリザベートの問いに、その場にいたアッシュはこくり、と頷いた。纏う雰囲気もどことなくそれまでとは違って見えた。
「ふわぁ……もうこんな時間ですぅ。そろそろおしまいにしましょうかぁ。
 明日か、明後日かには豊美とアレクも戻って来るはずですからぁ、迎えてやるですぅ」
 そう言って場をお開きにしたエリザベートは、テレポートでイルミンスールへ帰っていった。