|
|
リアクション
●Back in Black
夜間の行軍は緊張の連続である。
それが、空を征くものであればなおさらだ。
カルキノス・シュトロエンデは岩に取り付くと、深く息を吐き出した。
――びびってるわけじゃねぇんだけどな。
しっかりと口を閉じて彼は思った。
もとより死ぬ覚悟はできている。
だが、ここで死ぬつもりはなかった。大願を果たすまでは。
――エリュシオンにあった『竜の谷』も今はない。
彼は思う。遠き故郷を。
クランジ戦争で、そして続く総督府の恐怖政治下で、もはやドラゴニュートは全滅の一歩手前の状態にあった。いや、事実上滅亡種なのかもしれない。
――同族たちの想いも俺は背負ってる。
長い爪で岩を握りしめると、表面が削りおちてパラパラと石の粉が舞った。
竜族の誇りにかけても、負けるわけはいかない。
カルキノスは歯を食いしばって岸壁を上った。ひどい乱気流にも閉口したが、ここの登りにくさも想像を絶するものがあった。いくら翼があっても、振り落とされて無事という保証はなかった。
わずか数分とはいえ、両腕にかかる力は数時間分の疲労となった。
それでもカルキノスは見つけたのである。目指すものを。
「いいぞ」
そう言って、隠しスイッチを押す。
小さな唸り音を上げて岩場の一部がゆっくりと開き始めた。
「またダリルの言う通りになったか……」
パラミタの上方、具体的には空京の上空、監獄島『エデン』が浮いているのはそのあたりだ。
エデンは難攻不落の要塞でもあった。
なにしろ、接近する方法がごく限られている。通常の飛空艇であればすぐに迎撃されて撃墜されるであろうし、飛行能力がある者であってもそれは同じだ。監視塔に発見されて悲惨な運命をたどることになるだろう。
しかし、エデンが出現してから数年、レジスタンスもただエデンを見上げて臍をかんでいるわけではなかった。
多数の犠牲を生み、また試行錯誤を繰り返すことになったとはいえ、エデンに関する情報は着実に蓄積されていった。
これらを元に、レジスタンスの頭脳たるダリル・ガイザックはエデンの防衛に隙があることを見出していた。
エデンは、真下からの接近に弱点がある。
正確には真下に近いある角度、しかも、誤差の許されぬごく狭いスペースを外れず飛空艇や翼で接近すれば、エデン側に察知されることなく外壁に取り付くことが可能だとダリルは突き止めていたのだ。
さらには、接近ルートの範囲内に非常用の出入り口があることも判明している。
おそらくこれは緊急脱出口だと思われるが、現在は無防備だった。こんな場所からクランジが脱出することになる事態は想定されていないのだろう。
この情報を元に、レジスタンスはこの日、エデンへの突入作戦を決行した。
「よし」
カルキノスの招きに応じ、極限まで動作音を消音した小型飛空艇が入ってくる。
――たどりついた……この場所に!
ルカルカ・ルーが真っ先に降り立った。彼女の両足はついに、門を開かぬエデンに到達したのだった。
金鋭鋒の死を想うたび、ルカルカの胸は痛まずにはおれない。彼女は鋭峰の腹心だった。鋭峰が生きていれば、このような世界の実現はなかっただろう。仮に実現したとしても、全力でその打破に挑んだはずだ。
彼の意志を継ぐ――それがルカの行動原理だ。仇討ちではない。そんなもの鋭峰の魂は望んでいないだろう。鋭峰の志を果たすことで、彼の生きた道の正しさを実証するのだ。
――世界を取り戻す。その第一歩として、威圧に用いられていたこのエデンを陥落させる……!
だがルカルカ自身は、周囲にそう思われているほどには強硬な考えではない。可能なら、クランジたちと和解の道を選びたいとも思っている。しかし停戦や和平は勝者からもたらすものと信じるがゆえ、あえて強硬な態度をとり続けた。それを不服として彼女の元を離れていった者も少なくはないが、それでも態度は軟化させなかった。現在、自分に求められているのがその姿勢だと、理解しすぎるほどに理解していたためである。ルカのこの考えは、パートナーのダリル、夏侯淵、カルキノスを除けば、レジスタンス穏健派の筆頭たるヌーメーニアーら、ごく一部の者しか知らない。
夏侯淵が水銃『破流』を構えたまま、ルカに目線を送った。
――クローラとの連絡は?
そう訊いているのだ。ルカとパートナーたちとの間に言葉はいらない。
――大丈夫。
とルカは小さく頷いた。
レジスタンスのメンバーであるクローラ・テレスコピウムは、そのパートナーセリオス・ヒューレーとともに、囮となってエデンに収監される任務を負っていた。囚われてエデン内部の情報をルカルカに流すのである。また、クローラには山葉涼司と接触するという使命もあった。
御神楽環菜の後を継いで蒼空学園校長に就任するや否、涼司が捕縛されエデンに収監されたことは惜しまれてならない事実だ。彼のリーダー性は必ずや反攻戦線の原動力になるだろう。
現在、ユマの送ったテレパシーにクローラは応じている。
能力制御プレートが取り付けられているためクローラからの信号は通常の人間並だが、ルカはしっかりとその声を聞き取っていた。
クローラにこの任務を命じたのはダリルだった。
「必ず生き延びろ。どんなことをしてもいい。裏切者と言われる行動も許可する」
厳としてダリルは、こう指令を下した。並大抵の任務ではない。殺される可能性は十分すぎるほどあったが、クローラなら必ずやり遂げてくれるとダリルは判断したのだ。
現在、クローラはダリルの期待に応えてくれている。山葉涼司との接触も、どうやらセリオスが果たしたようだ。
暗い中に目を凝らしルカが空を凝視していると、強風のなか七枷陣が到着するのが見えた。陣もやはり特殊改造の飛空艇にパートナーたちと乗っているのだ。ファイス・G・クルーンことクランジφ(ファイ)の姿もあの中にいるだろう。
――エデンか。
シリウス・バイナリスタは飛空艇の窓から見える岩の城を、はじめて見るような目で見つめていた。
たしかに、これほど近い距離で観察するのは初体験ではあった。
これまでは空京の上にあるのを、下から見上げるしかなかった。
いつでも落下できる、そうエデンの主は言っているように見えた。エデンはいつでも落下して、その下の街を押し潰すことができる……と。
――押し潰させやしない。させるもんか。ここでくじけまったら、祖国のご先祖様に合わせる顔がねぇしな。国も生活も、すべて取り戻して見せる……!
シリウスは剣の柄を握りしめた。故国ポーランドの魂よ、共にあれ。
操縦桿を握っているのはリーブラ・オルタナティヴだ。
「この『エデン』になにかがあるのは間違いないようですわ」
彼女は短い期間で、またたくまに飛空艇を手足のように操縦できるようになった。レジスタンスとしてクランジと戦う日々を続け、いつ発見されるかわからないなかでよくやったものだ。これについては、ティセラの死によって自分の役割に覚醒したからだとリーブラは言っている。
「リーブラもそう思っていたのかい?」
サビク・オルタナティヴが口を開いた。
「ええ、ただの監獄、とは思っていません」
ボクの意見を言う、とサビクは告げた。
「なぜさからうものを容赦なく抹殺してきたクランジが、わざわざあんな監獄を作った? それは『放置できないが殺すわけにもいかない』何かを閉じ込めるためじゃないのか。やつらの目的が世界滅亡でなく、クランジの支配する国であるなら……そこには当然、国家神が必要となる」
「つまり、あそこに収監されたのは国家神あるいは国家神の力に近しい者だったんじゃないのか、ってことか?」
シリウスは合点がいったように言う。たしかに、シリウスも薄々このことには気がついていた。サビクに言語化されて、思考が固まったといったところだ。
「そう思います。さあ、サビク、シリウス。私たちもエデンに入りますよ」
リーブラは航行角度を一定に保ったまま、エデン真下の隠し扉に向かっていく。
夏侯淵が誘導するように手を振っているのが見えた。
見よう見まねでファイスがそれに倣っているのがなんだかおかしかった。
「ここまでは計画通りね」
明るい声のルカルカに対し、ダリルは眼鏡の位置を直しながら静かに告げた。
「上手く行きすぎかもしれない。用心を怠るな」