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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 突ノ章

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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 突ノ章

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chapter.1 地下一階(1)・穴 


 安倍 晴明(あべの・せいめい)は、人の多い場所を好まない。
 特に人を避けているからでも、不精だからでもない。ただ、それが埃の立ちやすい環境であるからだ。晴明は、それほど潔癖であった。
 そんな彼にとって、今置かれているこの状況は、心に負荷をかけるに充分値するものと言えるだろう。

 葦原城。
 明倫館につくられたその城の一階、普段は使われることのない広間に、地下探索隊の面々は集まっていた。ざっと見ても百はいるであろう。その中にいて、晴明は小さく溜息を吐いた。
 なんでよりによって俺が。
 声にこそ出さなかったが、晴明の顔はさもそう言いたげであった。今のこの状態ですら心に重たいのに、これから行く場所は日の目を全く見てこなかった地下なのだ。汚いに決まっている。晴明はこれからのことを思い、今一度息を漏らした。
 その「これから」について、総奉行であるハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)が説明を始めた。
「今より、ここにいる者たちで、地下城に行ってもらうでありんす。文献によると、地下五階まで広がっているようでありんすから、もしブライドオブハルパーがあるとしたら、そこでありんすね」
 かつてパラミタの近くにあったという浮遊大陸ニルヴァーナ、そこに行くために必要なものがそのブライドシリーズなのだと、ハイナは改めて話す。
「それで、その地下への道は……?」
 生徒たちに促されると、ハイナは小さく頷いて畳の上を数歩歩いた。ぴた、と歩を止めた先にあったのは、何の変哲もない押入れだった。眉間に皺を寄せる生徒たちをよそに、ハイナは襖を開けると、ゆっくりとしゃがむ。何度かコンコンと床板を叩いた彼女は、僅かに音の違う箇所を見つけると、強めにそこを叩いた。
 するとどうだろうか、ハイナが叩いた床板がガタンとへこんだかと思いきや直後に逆側がシーソーのように跳ね上がった。
「!」
「文献にあった通りでありんすね……!」
 生徒たち同様、ハイナも目を見張った。目の前には、今の今まで床板で塞がれていた抜け穴が現れていたのだ。
 かろうじて人ひとりが抜け落ちることが出来るであろうその抜け穴はしかし、思いの外底が浅かった。ハイナが手を伸ばすと、底面にある石床に指先が触れそうだ。これではちょっとした落とし穴程度で、到底地下へ進むことなど不可能である。
 万が一の落下防止策として穴の下に石床を敷いたのか、初めからこのつくりだったのかは定かではない。そもそも場所が違っていたのではと思う者もいたが、ハイナの自信満々の表情がその可能性を否定させた。
「晴明!」
 と、そのハイナが晴明の名を呼ぶ。「ん?」と大義そうに晴明が返事をし近付くと、ハイナはにっこりと笑って告げた。
「この底面を壊すでありんす」
「……はぁ!?」
 聞き間違えか、と一瞬思ったが、そうではないようだ。晴明は自分が動くまでハイナが譲らないのだろうと察すると、彼女と入れ替わるように押入れの奥に足を踏み入れた。
 まあ総奉行が壊せというのだから、後のことは本人がどうにかするのだろう。半ば自棄気味に晴明は心中で呟くと、人型をした紙を一枚懐から取り出した。
「式神コリジョン、発動」
 晴明がそう唱えた次の瞬間、紙はまるで息を吹き込まれたかのようにひとりで動き出し、勢いよく石床へとぶつかっていく。紙とは思えない速度と重量で体当たりを食らわせた紙は、自身の損壊と引き換えにその衝突部分をあっという間に粉砕した。
 これが式神の力か。周囲の者たちはその洗練された技に感じ入った。同時に、疑問も抱いた。
「……コリジョン?」
 その名称は、一般的な認識としてあるはずの、いわゆる「安倍晴明という陰陽師が使う式神の名」を飾っていなかった。
「青龍とか白虎じゃ……」
 何人かがそう漏らしたのを聞き逃さなかった晴明は、自身の式神についてぶっきらぼうに短く話した。
「なんか古臭いだろそんなの。俺は平成生まれの陰陽師なんだよ」
 それで選んだのが、歳相応の感性によって名付けられた横文字ということなのだろうか。ちなみに彼によれば「振動する空間」と書いて「コリジョン」と読むそうだ。まさに歳相応である。
「それよりほら、ここは壊したからもういいだろ」
 崩した床面から舞い上がる粉塵を避けるように、晴明が後ずさりしながら言った。
「ワッツ!? 晴明、役目はこれで終わりではないでありんす! 皆と地下に行くでありんす!」
「いやだよ、だって見るからに汚いし。何年もほっとかれた場所なんだろ? 虫とか埃がいっぱいに決まってる」
 間近で床下に広がる空洞を見て、駄々をこね始める晴明をハイナが注意するが、彼はすっかり行く気をなくしているようだった。その晴明の気持ちを持ち直させようと話しかけたのは、彼と共に明倫館での生活を送っていた参道 宗吾(さんどう・そうご)神海(しんかい)お華(おはな)、そして大橋 千住(おおはし・せんじゅ)らだった。
「なあ晴明、俺らも行くから一緒に行こうぜ」
「せっかくの機会を、無下にすることもなかろう」
「ほらー、ぶつぶつ言ってないで、とっとと行くよ?」
「ひひ、ビビってんのか?」
 四者四様の叱咤激励を受け、晴明が目を伏せる。自分のわがままであるとどこかで分かってもいるのだろう。しかしその一方で、彼は意固地でもあった。
「……百歩譲って、この中に入るとして、ほんとにこんな大人数で行くのかよ」
 晴明にとって、地下空間の汚れはもちろん、人ごみの中での活動も、不得手なものであった。ハイナが晴明を今回の任に選んだのも、こういった性格面での難があるからに違いない。
「別に俺ひとりくらい行かなくたって……」
 周りを見渡して晴明が言う。するとその中から、ひとりの生徒が近づいてきた。
「そんなことを言わずに、私たちと一緒に行きましょう」
 優しい口調でそう話しかけたのは、沢渡 真言(さわたり・まこと)であった。真言は晴明の不安を取り除くべく、いくつかの案を出した。
「私も潔癖症な方ですが、こうして手袋をすれば……と言っても、これだけでは心許ないですよね。除菌剤を持ってきていますので、よかったら使ってください」
 手袋と除菌剤を両手に持ち、さらに真言は提案する。
「もし大勢の方がいて不安でしたら、近づいてくる方に身体検査をして、心身に影響が及ばないようにもしますし」
「あー……なんかアレか、気遣わせてんのか、もしかして」
 少し眉尻を下げて、晴明が口にした。真っ直ぐこっちを見ているハイナと、周囲で誘いかけてくる宗吾たち。そして、ストレートな親切心を見せてくれた真言。ここまでされて退いたのでは、意固地云々の前に男としての沽券に関わる。
「行くよ」
 短い言葉であったが、それは彼の決意を感じ取るのに充分であった。
「その意気でありんす! さあ、皆でこの穴から地下へ進むでありんす!」
 ハイナが改めて指示を出す。それに応じるように、生徒たちは次々と穴の奥へと飛び降りていった。



 石床によって外界と隔てられていたその抜け穴は、晴明が最初に破壊した地点から二メートルほどの深さで足をつけることが出来た。そこからはひたすら下り坂が続いており、まるで巨大な蟻の巣の中を歩いているような感覚だった。
 当然、明かりもなければ道らしき道もない。「地下城」と呼ぶにはあまりにかけ離れている。
「ここは……グランに活躍してもらいましょうか」
 集団の先頭側にいた晴明のそばで、真言がパートナーの名を呼んだ。
「グラン、灯りをお願いします」
 名を呼ばれ、小さな体をとてとてと動かしながらグラン・グリモア・アンブロジウス(ぐらんぐりもあ・あんぶろじうす)が真言の近くにやってきた。
「転ばないように、明るくする……」
 ぽつりと呟いたグランは、光精の指輪をはめた手をかざすと、人工精霊を呼び出した。グランのそれは、百メートル前後まで移動が可能な、広範囲の精霊だった。
 光をまとった精霊が、ふわりとトンネルのような道を照らす。
 お陰で進行速度が上がった一同は、程なくして細く下へ下へと続いていく道の終わりにたどり着いた。そう長くは歩いていない。距離にしておよそ二百から三百メートルを、所々折り返しながら下っていったからだ。つまり、あくまで葦原城の真下を地底へ地底へと進んだに過ぎない。
「これは……」
 そしてその抜け道の先にあったものを見て、晴明たちは声を上げた。

 坂を下るにつれ徐々に広がりを見せていく穴は、巨大な門で塞がれていたのだ。
 おそらくは、ここが地下城の入り口なのだろう。周りの壁は門の方へいくにつれ同色の石垣となっており、天井は瓦屋根が岩壁と同化している。苔だらけの門は固く閉じられており、何人の侵入も許さないような雰囲気を醸し出していた。
「晴明、さっきのヤツもう一回これにやったらどうだ?」
 宗吾が晴明に言う。さっきの、とは隠し穴を掘り起こした際に使用した、あの式神のことだろう。晴明は「またか」と言った表情を浮かべたが、先ほどよりも素直に前へと進み出た。
「お前はほんと人使い荒いよな……ほらよ!」
 つい数十分前に見せた式神をもう一度披露し、晴明は門へと体当たりさせた。地鳴りに似た振動が起こり、生徒たちの足元が揺らぐ。
 門に仕掛けは施されていなかったのか、やや頑丈なつくりではあったものの、晴明が今一度その術を使うと門はあっけなく砕けた。無論、粉塵から身を守るため晴明は既に門の傍から離れている。
「おお……」
 大穴の開いた門に思わず感嘆の声を漏らしたのは、真言のパートナーのひとり、マーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)だ。マーリンは自身が魔法使いであることからか、名称は違えど同じ「術」を使う者として関心を向けているようだった。
「さすが日本の魔法使いとして有名なだけあるね。ちょっと今の術について話でも……」
 そう言って近づこうとしたマーリンを制したのは、真言であった。
「ん? ちょっと話したいからそこ……」
 言いかけたマーリンだったが、真言にじとっ、とした目で見つめられ言葉を一旦失った。
「マーリンは、いつも古書に埋もれて暮らしてますから、今は駄目です」
「まあ、そうだけどさぁ……」
 真言はどうやら、普段のマーリンの暮らしぶりから埃を連想し、晴明に近づけることが出来ないと判断したらしい。
「それよりも、ちゃんと警戒していてくださいね」
 真言に釘を刺され、仕方ないとマーリンはディテクトエビルを発動させた。
「他にも気になることがありましたら、遠慮せず言ってください」
 マーリンを追い払った真言が晴明に言うと、彼は少しばかり困り顔で真言に話した。
「まあ、確かに潔癖症っつったけど、そこまで徹底しなくても大丈夫っつーか」
「何を言ってるんですか! お気遣いは無用です! あ、それよりまだお名前をきちんと確認していませんでしたね。ええと……」
 思い出したように、真言が彼の名を脳裏に浮かべる。これから共に行動していくのに、名前も呼ばないのは失礼だと思ったのかもしれない。真言の脳内には、ぼんやりと彼の字面だけが浮かんでいた。確か、「晴明」という方だった。そこまで思い出した真言は、満面の笑みで彼の名を呼んだ。
「あべはるあきさん、ですよね!」
「誰だよ!」
 驚くべき早さで、晴明が否定した。「あれ……?」と首を傾げる真言に、晴明は「せいめい! あべのせいめい!」とすり込むように連呼する。
「……ったく、はるあきとか昭和くさいのやめてくれよ……」
 晴明は僅かに苦笑しつつ、壊した門の先へと進んだ。

 門の内側へ入ると、そこは腐りかけた木の板が敷かれていた。内壁部分は褪せてはいるものの漆喰塗りの跡があり、それなりに城の体を成している様子が見受けられた。
「これが地下城か……」
 晴明が小さく呟く。と、彼はその視界に思わぬものを見つけた。
「……ん? ハイナ?」
 始めは似た人物かと思ったが、その姿形は彼がよく目にしていたハイナそのものだった。
 ここに入る前、抜け穴の前で自分たちを見送ったと思っていたが……。
 晴明がそう思っていると、彼女はにっこりと笑って晴明に近付くと、彼の疑問について答えた。
「わっちも、一緒に行くことにしたでありんす」
 声がくぐもっていてはっきりとは聞き取れなかったが、概ねそのようなことを言ったのだと晴明は推測した。晴明が深くを尋ねなかったためか彼女もそれ以上は会話を続けず、そのまま集団の後方で他の生徒同様に歩を進めた。

「総奉行もついて来るなんて、よっぽどすごいヤツなのかもな、ブライドオブハルパー」
 床板を道沿いに進みながら晴明に話しかけたのは、宗吾だった。彼のその目は、まだ見ぬブライドオブシリーズのひとつを見据えていた。
「それが本当にここにあるかすらも分かんないんだろ? まあまず、それを確認しないことには始まんないってわけだ」
 晴明もいつも会話している相手とあって幾分自然体で言葉を返す。と、そんなふたりの会話に突然割って入ってきたのは、カイナ・スマンハク(かいな・すまんはく)だった。
「さんさん! さんさん!」
「ん?」
「……なんだ?」
 謎の呼び声に、晴明、宗吾は顔を見合わせ首をかしげた。しかし、目の前のカイナは、目をキラキラさせながらふたりの方を見つめている。いや、厳密にはふたりではなく、宗吾の方か。
「……ああ、参道宗吾だから、頭文字をとって『さんさん』か」
 視線と呼び方の意味に気づいた宗吾はぎこちない笑みを浮かべると、カイナに穏やかな口調で告げた。
「俺にはそんな可愛いあだ名は似合わないって」
 しかし、カイナはそれが気に入ったのか、さんさん、さんさんと何度か宗吾のことを呼んだ。宗吾も根負けしたのか、それを受け入れ話を進めた。
「分かった分かった。で、なんだ?」
 尋ねられたカイナは、宗吾の服を袖をくいくいと引っ張り、質問した。
「さんさん、その服、動きにくくないのか?」
 言われて、宗吾は自分の衣服を見下ろす。右肩から脇腹にかけて大胆に肌を露出している一方で、反対側は着崩した着物の上から胴鎧をつけている。確かに、あまり見慣れた格好ではない。
「これか? どうも全身が鎧で覆われてるってのが窮屈でな。ま、こっちの方が武器を振り回しやすいしな」
 言って、宗吾は持っていた武器をぐるんと一回転させてみせた。槍の先端に鎌のような刃先がついたその得物が、ぶうん、と風を切る。
「な? こんな感じで……って、おい」
 話をする宗吾の前で、質問しておきながらカイナは聞いているのか聞いていないのか分からない様子でお腹を押さえていた。どうやらお腹が空いてきたらしい。
「……自由なヤツだな」
 まあいいか、と宗吾がカイナから視線を外した時だった。
「ちょっと待って。なーんかいるなぁ……」
 マーリンのディテクトエビルが、不穏な空気を捉えた。急ぎ神の目をもって周囲を照らしだした彼が映しだしたのは、四体の甲冑を装着した骨――骸骨武者だった。
「さすがに目眩ましは無理、だよな」
 本来目があるはずの場所が空洞になっている目の前の骸骨には、マーリンの光は刺さらなかった。しかしそれはあくまで副次的な効果、敵の発見を果たした時点で彼の術は功を奏していた。
「本体とルーカン卿が戦えるよう、手伝う……」
 光精の指輪で周囲を明るくしていたグランが、骸骨に向けてブリザードを放つ。的確に足元へと収束していった冷気は氷となり、骸骨の動きをいともたやすく封じた。
「今のうちですね」
 その隙に、グランが「ルーカン卿」と呼んでいた真言のさらなるパートナー、沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)が武器を構えた。
 場は、瞬く間に戦いへと展開していった。その空気を感じ、思わず声を上げたのは木崎 光(きさき・こう)だ。
「ああ……! これ! これが俺様の求めてたものだ!!」
 光は瞳をキラキラさせながらそう言うと、戦闘態勢に入っている生徒たち、そして目の前の骸骨武者を見比べた。
「宝物を求めて探索に入った伝説の地下城、そこに出てきた骸骨戦士との戦い! シャンバラという大地に求めていた冒険の浪漫が、まさにここにあるッ!」
 何やら光は、興奮しきっていた。本人にとっては、今口にしたそれらすべてが冒険心をくすぐるものだったようだ。今回の話を聞いた時も、我先にと勢い良く手を挙げ探索隊に立候補しただけのことはある。
「俺様に戦わせろーーーッ!!」
 光はすっかり高揚し、武器を握り締めつつ骸骨武者へ突進していった。その切っ先には、炎が纏ってある。
「爆炎波!」
 技を叫ぶと同時に、光はその炎を放った。それが開戦の合図となり、マーリンやグラン、隆寛らもそれぞれ骸骨武者を撃退する姿勢をとった。
 それはもちろん晴明や宗吾たちとて例外ではない。
 が、宗吾は周囲の様子を軽く見回すと、晴明に笑って告げた。
「晴明、ここは俺らが片しとくから、先に行ってな。この程度のヤツらに時間食わされるのも勿体無いだろ?」
「……おう、分かった」
 晴明は宗吾の実力を信頼しているのだろう、拒否することはせず、短く頷くと骸骨たちが出てきた方向へと走りだした。それに続くように、他の生徒たちも駆ける。残ったのは、光を含む数名の生徒と宗吾のみだった。
「フゥゥゥゥゥ……ヒャッハー!!!」
 まさに狂人とでも形容すべき熱情でもって、光が叫ぶ。視界の片隅に自分のそばを走り抜ける晴明を捉えた光は、その背中に声をぶつけた。
「潔癖症のハルアキ! 掃除はしといてやる!! そして俺様に感謝することを許可するッ!!」
「だから誰だよ! 晴明だっつってんだろ!」
 首を回して晴明が言葉を返す。その姿も、すぐに見えなくなった。