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リアクション
第15章 空京の始まりと海京の始まり
空京大学内。アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は自室にてバレンタインパーティーのチラシを眺めていた。執務机を挟んで彼の前に立っているのは姫神 司(ひめがみ・つかさ)。チラシを持ってきたのは彼女である。
今年はどんなチョコにしようか、とネット検索をした時、空京の街にチョコの材料を買いに行った時等あちこちでチラシを見かけ、大々的な広告と内容に興味を惹かれて彼を誘ってみることにしたのだ。
(高級ホテルの高級料理やゴヂバに釣られた訳ではないのだが……年に一度の行事ゆえ……、す……好きな相手と、こんな日に一緒に過ごしたいと思うのは我儘であろうか……)
勿論、チョコレートも持ってきている。大人の男性が喜ぶバレンタインは、と考えて手作りしてきた。それはまだ、バッグの中。
「ふむ……、バレンタインパーティーか……」
「甘い物はお好きなようなので、もし、ご都合がよろしければで良いのだが。パーティーに一緒に参加願えないだろうか」
普段はスパーンと竹を割ったような性格と行動の彼女だが、それとは打って変わり少しだけもじもじとして。
チラシを持つ仕草も思案顔も、いつ見ても、どんな表情のアクリトも格好良い、と、思う。
「甘い物を共に食す相手に私を選んでくれたわけだな。まあ、滅多に無い機会であるのは確かなようだ。同行しよう」
机にチラシを置き、アクリトは立ち上がった。
(楽しんで頂けると良いのだが……)
ほっとして少しはにかみながら、部屋を出る彼の後に司は続いた。
◇◇◇◇◇◇
「ふわぁ……ちょっと寝不足……」
ホテル内の待ち合わせ場所で、桐生 理知(きりゅう・りち)は1人あくびを漏らした。今日は、辻永 翔(つじなが・しょう)を誘ってのバレンタインパーティー。今年こそは翔に想いを伝えよう、と彼女は決心していて。だから、フラれるかもって思ったらなかなか寝られなかったのだ。
――翔くんに眠そうな顔を見せちゃダメだよね。しっかりしなきゃ!
眠気を払うように軽く頭を振って。理知は告白への意気込みを新たにする。
「とにかく、当たって砕けろだよね! ……って、砕けちゃダメだよ」
「理知、どうしたんだ?」
「ひゃっ!?」
1人ツッコミをしたタイミングで翔が来て、理知は思わず小さく跳ねた。当たり前だけど、今日、翔は制服じゃなくて私服を着ていた。それだけで、ああプライベートなんだな、という実感が湧いてくる。それにやっぱり、かっこいい。
「な、なんでもないよ! じゃあ行こっか!」
パーティー会場はすぐ近くだ。そこまでの短い距離を、ふたりで並んで歩く。
「美味しい料理が用意されてるみたいだし、楽しく過ごせそうだね」
「ああ、そうだな」
笑いかけると、翔も軽く笑い返してきた。それだけで、照れるような嬉しいような。明るく話しながらも意識するのは、バッグに入っている手作りチョコ。後から渡して告白するつもりで、その時の事を考えるだけでドキドキする。
――でも、今は内緒っ!
「それにしても、豪華なパーティーだね」
無事に入場を済ませ、その華やかさと規模に理知は控えめに周囲を見回す。まだ告白してないのに緊張してしまう。そわそわとしている彼女に、翔は話しかけてくる。
「落ち着かないみたいだな。大丈夫か?」
「え? う、うん!」
「あの辺りとか空いてるし、行ってみるか」
そう言って、翔は理知を先導するように斜め前を歩く。その様子はいつも通りで平常心っていう感じで、翔くんは余裕があるのかな? と、彼の横顔に視線を送る。バレンタインと名のつくパーティーで、2人で。その辺りのお店とはちょっと違う、普段食べられないような高級なものが揃っていて。
理知はもう、ドキドキしっぱなしなのだけれど。
「美味しそうな物がいっぱいで目移りしちゃうね」
彼女達の前に並ぶのは、たくさんのスイーツ。可愛いケーキやおしゃれなケーキ、大人っぽいものまで色々だけど、バレンタインパーティーだというだけあって、その中心はチョコレートだ。
(翔くんは何が好きかな? チョコは食べ過ぎないようにして欲しいな……。チョコ食べ過ぎて当分いらないって言われたら渡しにくいもん)
そこで、理知の目に入ったのは瑞々しく盛り付けられたフルーツだった。
「翔くん、あのフルーツとか美味しそうだよ!」
積極的に翔を誘って、理知は新鮮な輝きを放つコーナーの前へ移動する。
「へえ、随分珍しいものもあるんだな」
世界中から旬のものを集めているみたいで、これはこれで、美味しく楽しめそうだった。
◇◇◇◇◇◇
グレーのチェック模様のシャツに、生地の厚いカーディガン。それに、長めの青いマフラーを巻いて。宙野 たまき(そらの・たまき)は、空京の街角でアリサ・ダリン(ありさ・だりん)を待っていた。出会ってから2回目のバレンタイン。去年は彼が口紅型のチョコレートを贈り、アリサはお返しにクッキーをくれた。あちこちに出かけたりとかもしたけれど、まだ2人の関係は“お友達”で。
今年は去年よりももっと近くで、2人でうきうきやドキドキしたいと念願している。
やがて正面方向から歩いてきたアリサは、白いもこもこのコートを着ていた。コサック帽も白で揃えている。コートの下から伸びたスキニーパンツの上には、これまたもこもこのブーツを履いて。チラシを見せた時に、立食形式のパーティーみたいだからドレスもスーツもいらない、と言っておいた。だから、あれが彼女の普段の私服なんだろう。
「ん、待ったか?」
たまきの姿を認めた彼女は、若干早足で彼の方へやってきた。
「いや、そんなに待ってないよ」
軽く首を振ってたまきはアリサに笑いかける。
「その服、似合ってるぜ」
「……そうか? たまきも悪くないぞ」
アリサは照れたように頭をか……こうとして帽子を被っている事に気付きやめる。その白い指先は少し赤くなっていて。
「……やっぱり外は寒いな」
たまきはそして、彼女に手を繋がないかと促した。
小さな手を温めるように包み込んで。たまき達はホテルに到着した。
「参加費は……彼に払えば良いようだな」
会場に行くと、アリサはむきプリ君の手前にいるプリムに当然のように近付いていく。素晴らしいスルー能力だ。財布から、彼女は1000Gを出しかける。だが、それより先にたまきが2000Gをプリムに払った。
「はい、2000G、2人分だね」
プリムに見送られ、中に入る。会場は既に賑わっていた。中には正装をした明日香達のような人々もいて、たまきは彼女達の邪魔をしないように気をつけながら歩く。アリサは慌てて、ちょっと怒ったようについてくる。
「た、たまき……私も払うぞ。そなたにだけ払わせるわけには……」
「俺が払いたかったんだよ。それより……」
たまきはアリサの方を見て、立ち止まる。
「アリサ、今日1日を俺と一緒にいてほしいんだ。その方が、俺は何倍も嬉しい」
「…………」
照れながらも、たまきは真っ直ぐにアリサの目を見た。彼女は驚いて、それから困ったような納得しかねるような顔になった。それから、笑う。
「バレンタインのせいだろうが、そなたがいつもよりも男前に見えるぞ」
「え、そ……そうかな」
「全く、私は最初からそのつもりだというのに」
アリサは仕方ないな、と言いつつ歩き出す。少しだけ、先程よりも機嫌が良さそうに見えた。
「思ったより沢山あるな。全種類を食べるのは無理だな」
バイキングのメニューを適当に取って食べながら、たまきとアリサはそれぞれに味の感想を言い合った。
「珍しい料理が多いな。おお、これは前から食べたいと思っていたんだ」
雑誌やテレビでよく見る高級食材を前に、アリサは目を輝かせる。
「食べたことないのか?」
「む、たまきはあるのか?」
「ないけど……」
「それではまた次回の楽しみにしておけ。これが最後の1個だからな」
嬉しそうに、アリサはそれを取って大事そうに食べる。もぐもぐとしながら、段々とその表情に疑問符が浮かんでくるような。
「どうだ? 味」
「そうだな……。値段の張るものというものは、実際に味わってみるとそうでもなかったりするもの、という感じだな」
それからまた別の場所に移動する最中、背後でスタッフが食材を追加しているのが見えた。彼の後ろを歩くアリサがむむ、と唸った。
「取りには戻らないぞ。だが……ふむ、さすがに高級ホテルのスタッフだな」
そんな事を言っているうちに、アリサとたまきの間を人が横切る。振り返っている僅かな間に、少し距離が空いてしまったらしい。
「た、たまき……」
慌てるアリサに、たまきはすぐに戻ってきて腕を差し出す。離れないように気にしていたので、戻るのも早い。
「袖は引っぱっても構わないぜ」
「う、うむ……」
アリサはちょこん、とたまきのカーディガンの裾をつまんだ。
(思いきり毛糸地のようだが、大丈夫なのか?)
だが、たまきは服が伸びる可能性については考えていなかった。冷静にリードしているように見えて、割といっぱいいっぱいだったからだ。今回のような経験が少なく、アリサにカッコいいところを見せたいと思っていた彼は、知らないうちに周囲に迷惑をかけていないか心配したり、何かミスして2人で恥をかかないように、と気を張っていたからだ。
飲み物コーナーに行ってグラスを取る。氷を入れたジュースは凄く冷たくて、緊張した頭をリフレッシュさせてくれる。
「アリサ達も来てたのか」
次に何を食べようかとバイキングコーナーを歩いていると、そこで2人は翔と出くわした。翔は理知と料理を選んでいる最中だった。
「偶然だな。翔達もチラシを見て来たのか?」
たまきも彼らに挨拶して、知った顔に安心して親しみを込めて話しかける。それが雑談に発展しかけたところで、アリサが言った。
「話すなら隅の方がいいんじゃないか? それと、水滴が落ちかけているぞ」
彼女は持っていたハンカチをたまきに渡す。急いで、たまきは汗をかいたグラスを拭いた。このまま歩いて水滴を落とせば、誰かが足を滑らせないとも限らない。
「ありがとう。助かった」
ぬかりやくやろうと思っても不慣れなものをいきなりスマートにこなせるわけもなく。たまきはそれから、少し肩の力を抜いてパーティーを楽しんだ。