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リアクション
第19章 Anser
「京子ちゃん、その袋は?」
空京の街中、パーティーが開催されているホテルが近くなってきた頃、隣を歩いていた椎名 真(しいな・まこと)は双葉 京子(ふたば・きょうこ)の持つ大きな袋を指してそう訊ねた。家を出た時から何だろうと気になっていたが、タイミングが無かったのと少々緊張気味だったのもあって今になってしまった。
「これ? まだ、内緒だよ」
京子は袋を見て真を見て、それから笑顔で答えを返す。
(『まだ』、ということは後で教えてくれるのかな……?)
真は確証のない、漠然とした思いを抱きつつホテルに入る。それはある意味正しい推測。彼が話を切り出した時に、開放されるもの。話さないのなら、そのまま。
けれど――真は決めていた。そして、予感もしていた。
去年、一昨年……自分達のバレンタインは何かがある。そういう予感が。
「じゃあ俺、ケーキと紅茶取ってくるね!」
パーティー会場に入ってプリムに参加費を払い、空いた席を見つけて荷物を置く。それから、真はテンションを上げて京子に言った。まずは、バイキングを楽しもう。
「お待たせ。京子ちゃんが好きそうだなっていうのを選んできたよ」
「うん、ありがとう、真くん」
彼女の前に出されたのは、クランベリーと苺が乗っている、ホワイトチョコレートでコーティングされたイチゴのムース。食べてみると、フルーツの酸味とチョコレートが程よく舌に広がって幸せな気持ちになる。ダージリンの香りが、またケーキに良く合った。
「とっても美味しいよ。真くんは抹茶のケーキなんだね」
「ああ、うん。甘すぎなくて、上品な味がするよ。……ちょっと、食べる?」
「いいの?」
京子は嬉しそうに抹茶ケーキを一口食べる。
「……真くん、ていう感じの味がする」
「え、それって……」
どんな味だろう。
パーティー会場の人のざわめきを避けて、廊下に出る。来場者は皆エレベーターを使うから、階段には殆ど人気が無い。そこで、真は京子に言った。
「京子ちゃん……去年のバレンタインから保留になっていた答え、聞かせてほしい。心の準備なら――出来たよ」
「真くん……」
京子は目を逸らさなかった。彼女も、答えを返す準備が出来ていたのだろう。去年、グリプスヒルフェ大聖堂で告白した時の答え。好きだと言った、その答え。
良くてもだめでも、期待があっても恐怖があっても、今の自分なら多分、受け入れられる。だから。
「うん……」
彼の目を見て、京子は頷いた。ずっと保留にしていた。けれど、今の真になら言っても大丈夫だ。そう信じて。
「真くん、私は真くんの主じゃない。御淑やかで護られてばかりな私は、真くんが想う誰かを映している。私は、違うの」
その姿は、京子と全く同じではないかもしれない。髪の長さや雰囲気、服装の趣味も違うかもしれない。でも、“彼女”は、いつかどこかに居る。それが、真の本当の“主”。
「今まで言い出せなくて……、ごめんなさい」
「…………。京子ちゃん、俺、京子ちゃんが主じゃないことは薄々気づいてた。俺も謝らなきゃならない」
「気づいてた……? そう、そうだったんだ……」
2人の間に、短い沈黙が落ちる。遠く、パーティー会場からの話し声が漏れ聞こえる。
「一昨年のバレンタイン……私が言ったこと、覚えてる?」
「一昨年……うん、もちろん覚えてるよ」
ルペルカリアの大聖堂。参列しようと思っていた結婚式は終わっていて。全てが片付いた静かな大聖堂の祭壇の前で、京子は言った。『……好きだよ』と。
「あれが、私の答え」
「それは、パートナーとして、ということ……?」
念のため、というように確認してくる真に、京子は首を横に振る。
「私は剣の花嫁。真くんが死んだらまた眠り、他の誰かを好きになるかもしれない。見た目の歳も取らない。子を生そうとも思わない。……そんな私でもいいの?」
「京子ちゃん……」
答えを聞いて、訊かれて。でも、彼女の疑問符の後に続く言葉を迷うことはない。それは、きっと、とうの昔に出ていた結論だから。
だから、彼は肯いた。
「全て話したらすっきりしちゃった。じゃあ、これ……」
そう言って、京子は笑顔で紙袋を差し出した。中に入っていたのは、新しい執事服と、新しい誓約書。
ベストと襟のラペル、縁どりが白のカササギをモチーフにした執事服に、契約期間・内容が未記入のまっさらな誓約書。
「これは……」
「真くんが長く留守の時、真くんの実家にいって取ってきたの。お爺様様からは大胆だ、って笑われちゃったけど逆に気に入られたみたい。……これが、私」
「…………」
執事服を広げ、真は暫し言葉を忘れた。感心と驚きがないまぜになったような、気持ち。
(いつの間に……大変だっただろうに。京子ちゃん、こんなにアクティブだったんだ……)
それから、改めて京子を見つめる。いや、これが、本当の彼女だったのだ。真はふと、大廃都で手に入れた智恵の実について思い出した。あの時、彼女は実をその場で食べなかった。だが、持ち帰った後に1人で食べたとしたら。
――京子ちゃん、もしかして記憶が……。
「……これも1つの形、だよな。なんかすっきりしたし、身が引き締まった」
京子には一時後ろを向いてもらって、プレゼントされた執事服に着替える。そして、振り向いた彼女の前で新しい誓約書にサインをした。最後に主従誓約書を破り捨てる。
真が浮かべたのは、迷いの一切無い、笑顔。問われた事への、答えを返す。
「京子ちゃん、俺は共に生きれるならそれだけで構わない。京子ちゃんの為に、俺は技術を磨いていきたいんだ」
「うん……わかった」
これが、始まり。3年目から始まる、新たな関係。この日を境に、もっと何でも話せるように。もっと、距離の近い関係に。
その時、2人の耳に腹の虫らしき音が聞こえた。「ん?」ときょとんとする真に、京子は照れ笑いを浮かべる。
「あれ、話したら……ほっとしてお腹すいちゃった。さっき、食べたのにね」
「いいよ、食べ放題だし、いっぱい食べよう」
真は踵を返し、会場へと歩き出す。
「さて、京子ちゃん、何が食べたい?」
一度だけ彼女を振り向いて、屈託なく笑い、彼は訊いた。