|
|
リアクション
第16章 パーティー会場異常無し
「華やかですねー。お料理も美味しそうです」
「参加費用が安すぎるから少し警戒してたが……普通のパーティーのようだな」
グラスを手に、橘 恭司(たちばな・きょうじ)は会場の様子を見て安心した。ゆるネコパラミタの配達でたまに来るホテル。そこでパーティーが開かれるということで、彼は今日、フィアナ・アルバート(ふぃあな・あるばーと)と一緒にホテルを訪れていた。家の中の仕事を一手に引き受けてくれているフィアナ。いつも苦労をかけているし、こうして外でイベントに参加するのも悪くないと思ったのだ。
「……さっき出迎えてくれた女性……? が異様に筋肉質だったが気にしないでおいた方がいいんだろうな。世の中にはそういった女性やら、そういう願望の紳士もいるんだろう」
男女で来たからか何か凄く悔しそうな反応をされた気もするが、その辺もまあ、そう気にしないことにする。
「しかし、チラシに偽りが無いのはいいんだが……費用の部分で引っかかるな」
眉間に皺が寄っていたのだろう、フィアナが振り向いて手を伸ばしてきた。彼の額に近付いた中指が、親指を通してぴんっ、と、弾かれる。
でこぴんを受け、思わず「お」と声がもれた。
「いけませんよマスター、折角のパーティーなのにしかめっ面してたら」
至近距離で、フィアナは笑いかけてくる。その笑顔に、額をさすりながら恭司は言う。
「……しかし、怪しいモノを見つければ誰だってこうなる」
「しかしも案山子もありません。うーん、戻りませんねー」
彼女は彼の眉間をじーっと見つめる。
「そう言われてもな……、眉間というものはそう自由に動かせる場所でもないだろう」
「笑顔になりませんか?」
「…………」
「仕方ありません……なら、こうです!」
「……!?」
にごりのない瞳を向けられて困っていたら、突然、フィアナが右腕に抱きついてきた。寄せられた頭から、ふわりとした香りが届く。
「おい、フィーナ……」
「……今日位は、このままでいてもいいですよね? マスター」
内心で少々慌て、恭司は腕を解こうとする。そこで聞こえてきたのは、そんな声。ゆっくりと染み入ってくるような声に視線を落とすと、幸せそうな表情が目に入る。
「……好きにしろ」
駄目とも言えなくなり、彼は仕方なくそう言った。今日はバレンタイン。そもそも、彼女のためにここへ来たわけだし。
「ふふ……、マスターと一緒にこういった場所で過ごすのも、たまにはいいかもしれませんね」
嬉しそうに、ちょっと甘えて。ぴったりとくっついた腕から、彼女の暖かさを感じた。
◇◇◇◇◇◇
「うわー、来るまではそこまでじゃないだろうとか思ってたけど、本当に凄い豪華料理だわー」
空京にあるホテルのパーティーを訪れた白波 理沙(しらなみ・りさ)は、並べられた料理を見て感嘆の声を上げた。
「これで食べ放題なんてラッキー☆ 今日だけは何も気にせず、思いっきり食べて楽しんじゃいましょう♪」
料理を前にうきうきと、理沙は隣に立つ雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)に話しかけた。取り皿を手に真剣な表情をしていた雅羅は顔を上げ、理沙に対して笑顔を向ける。
「そうね、バレンタインパーティーだもの。さすがに今日は何の災厄もないわよね」
「そうよ! たとえ何かあっても私達のところまでは来ないわよ!」
そう、今日は災厄と縁の無い特別な日。だから、何もない。
災厄は全て――何となく、すごい出で立ちをしていた主催者の筋肉男へ行くような気がする。参加料を渡すのに彼と接しなきゃいけないのか、と一度は危険も感じたが、参加料は筋肉男のパートナーらしきアリスの少年が受け取りに来てくれた。実に無害そうな、普通の少年だ。
「この値段で食べ放題って安いわよね♪」
「ええ、元は簡単に取れそうだけど……、制限時間もないみたいだし、これでもかっていうくらい食べつくしましょう、理沙」
雅羅は燃えていた。
バイキングは女子にとって戦いの場。バイキングに来ると、何故かいつもの数倍はおなかに入る。普段は食べられないような高級料理やスイーツを安く堪能出来る絶好の機会なのだ。
この時ばかりは、摂取カロリーも気にしない。
料理を見渡して、うーん……と雅羅は悩む。
「何から食べようかしら。あの真ん中のチョコレートファウンテンも体験してみたいけど、やっぱりあれはデザートかな?」
「チョコレートファウンテン?」
理沙は雅羅の視線を追った。広い会場の中央に、人が3、4人は入れそうなチョコレートファウンテンがある。その周りには、ぐるりと新鮮なフルーツや焼きたてのパン、チーズなどが並んでいて。
「めちゃくちゃおっきいわよね。あんなの見たことないわ。……うん、まずあそこに行きましょう!」
雅羅の手を取って、巨大な噴水のようなファウンテンに近付く。何となく、今行かないとと後半には食べられないような気がしたのだ。フルーツをフォークで刺し、流れ落ちるチョコレートにつけて食べる。
「うん! フルーツも果汁が多くて美味しいわ!」
「本当、とりたてって感じね。チョコレートも甘すぎないし」
オレンジを口にした雅羅は、次に大粒の苺に手を伸ばす。そこで、何かを思いついたように理沙は言った。
「あ、雅羅。来年は一緒にバレンタインのチョコ菓子作りしようよ、ね?」
「来年のバレンタイン? そうね……それまでに、渡す相手がいればいいけれど」
「相手? いいじゃん、そんなの気にしない!」
チョコレートに何をつけようか選びながら、理沙は笑った。からっとした、気持ちのいい笑顔だ。
「義理チョコや友チョコが手作りしちゃいけないなんて決まりないんだし。色々作ってみるの楽しいしさー。……あぁ、だったら別にバレンタインじゃなくてもまたお菓子作りすればいいのよね」
以前に、雅羅とモンブランを作ったことを思い出す。それから彼女は、そうだ、と自分の作ってきたチョコレートをプレゼントした。
「作ってきたの。良かったら食べて?」
「え! 手作り!?」
雅羅はびっくりして、手を止めた。本命チョコだと思ったのかもしれない。
「あ、さっき、義理や友チョコでも手作りするって言ってたわね。一瞬、どきっとしたわ」
「もー、雅羅ったらー、そうよ、私が作りたかっただけ!」
理沙は自分の答えを自分で誤魔化すように、殊更に明るく言った。彼女に対して恋愛感情があるかどうかは、まだよくわからなくて。ただ、自分にも居場所があるんだって感じてほしい。
そう思うから、気楽な調子で理沙は笑う。今日は女子同士で、とことん楽しもう。
◇◇◇◇◇◇
バイキングテーブルには、チョコレートケーキや何十種とあるスイーツや和菓子。その全てにそれぞれの気品、趣きがあり、技術力の高いパティシエや職人が手掛けたものだと分かる。料理も、気軽に食べられそうな身近なものから世界三大珍味を扱ったもの、肉料理から魚料理、サラダまで様々だ。
「すごいよね、これ。スタッフの人も多いし、午後一杯会場を借りてこれだけの料理の提供を続けるのは相当資金がかかるよ」
白雪 魔姫(しらゆき・まき)に誘われてパーティーに来た高原 瀬蓮(たかはら・せれん)は、用意された料理や会場の様子を見てそう言った。魔姫も、その見解には大いに同意するところだ。宣伝広告を見た時から金額の割に豪華そうだとは思っていたが。
「暇だからためしに来てみたけど、本気で豪華だったわね」
実はそれなりに楽しみにして来ていたが、そうは言わずに周囲を見回す。
パーティーの開始時刻からしばらく経ち、人気のある料理は無くなるのも早い。その度にスタッフが素早く対応し、バイキングのメニューが空になることはなかった。料理もスタッフも、全てが洗練されている。そう、当の主催者以外。
「チョコも料理も高級だし食べ放題だし、本当に1000Gでいいのかしら? あとで何かあるとかないわよね?」
これだけのものを開催するのに、1人1000Gではまるで採算が合わないだろう。だが今のところ、追加料金を請求された人はいなさそうだった。出入口では、新たに来た客と帰っていく客が普通にすれ違っている。
「まぁ……とりあえず今の所は何もなさそうだし、折角だし楽しむわよ」
「うん、何かあった時はあった時で、何とかなるよ。ほら、この料理とか美味しそうだよ! 食べてみる?」
「え? ええそうね、食べてもいいけど」
「じゃあ入れるね、はい!」
お皿の隅に、瀬蓮はオードブルの1つを盛り付けた。そうして、彼女達は一緒にバイキングテーブルをまわっていく。
美味しそうな料理を友人とあれこれ言いながら選ぶのは、やはり楽しい。
(……友人とこうして楽しんでいる人も他に居るし、まぁいいわよね)
バレンタインと冠されたパーティーに女子2人、というのもどうかという気もしたが、魔姫はそう考え直す。
(そうだ、瀬蓮はもしかするとアイリスと過ごしたかったかもしれないわね……迷惑だったかしら?)
そこで、ふと思い出したのは瀬蓮のパートナーのこと。バレンタインは1年に1度。深く考えずに今日は付き合ってもらったけど。
「? どうかした? 魔姫ちゃん」
「! な、何でもないわよ。ただ、ちょっと……瀬蓮、今日は何か予定なかったの?」
「予定? うーん、あればいいんだけどねー」
トングを手に、瀬蓮は困ったように笑う。どうやら、他に約束事はなかったようだ。とりあえず良かったと安心して、それから、この日に友人同士で会っている事に改めて溜息をついた。
……あーあ、今年も恋人できなかったか。
付き合ってくれたお礼に、後でチョコをプレゼントしよう。
そんなことを、魔姫は思った。
◇◇◇◇◇◇
テーブルの上に置かれた自分用に取り分けられた皿を前に、アクリトは静かに食事をしていた。そこに、オペラを乗せた皿を持って姫神 司(ひめがみ・つかさ)が戻ってくる。
「こちらで良かっただろうか。チョコレートケーキも種類が多くて、少し迷ってしまった」
「ああ、構わない。それはそうと、先程から君は私の分の料理ばかり見繕っているようだが……」
アクリトはそう言って司を見つめる。彼が喜びそうな物を甲斐甲斐しく運んでいた彼女は、その視線に窘めるような色を――生徒を叱る時に似た空気を感じ取って困り顔を浮かべた。戸惑いながら彼に言う。
「教授の好みを知らぬゆえ、お世話させて貰いたいだけなのだが……では、一緒に料理を取りに行って貰えるだろうか」
話しているうちに、それは良い思いつきだと司の表情が明るくなっていく。その提案を聞いて、アクリトは頷いた。
「そうだな。私も行こう」
バイキングコーナーに向かうアクリトの隣を、司は笑顔で随行する。沢山の種類の料理を前に、今度は自分の好みを織り交ぜて。
横に並んで、他愛ない食べ物の話をしながら一緒にバイキングに参加する。それが何だかとても嬉しくて、司はぱぁっと楽しそうな表情を浮かべていた。
次は飲み物コーナーに行って、司とアクリトは炭酸入りのノンアルコール飲料を選んでグラスに注ぐ。アクリトが下戸、というわけではなく、学生と一緒だから、と配慮した結果らしい。
その途中、ふっ、と司は顔を上げた。パーティー会場にはカップルの姿がいくつもあって、彼・彼女達を眺め、そして、隣に立つ背の高いアクリトを少し見上げる格好で見つめる。
(わたくし達も、恋人同士に見えたりするだろうか?)
「どうした、疲れたのか?」
ぼーっとしているように見えたのだろう。アクリトも手を止めて、司の様子を伺っている。それは彼女を気遣っているようで、教授としてではない素が垣間見えたかのようで。
「い、いや……なんでもない」
赤面して、司は目を逸らした。
充分にパーティーを満喫し、司達は会場を後にする。その際、司は出入口近辺に立っていたむきプリ君に本命じゃない方のチョコを渡した。絡みも義理チョコも無くて何だか泣きっ面をしている彼の手に、ぎゅむとチョコを握らせる。
「……? 何カシラ、コレは?」
空気扱いされ過ぎて諦めの境地に入っていたらしい。現状が理解出来ていないようだ。
「楽しいパーティーへの礼だ」
にこりと微笑み、通路へ出る。「うおぉおおぉおぉおお!」という驚きと喜びに溢れた肉食獣のような叫びが届いたのは、エレベーターホールまで到着したところでの事だった。
そして、空京大学へ戻る帰り道。
カップルで賑わう通りを抜け、大学の茶色い外観が見えてきたところで、司はバッグからチョコレートの箱を出した。焦茶や濃紫、黒、金等の渋い色使いで綺麗にラッピングした、細い縦長のプレゼントBOX。
中には、手作りトリュフが入っている。包む前に味見してみたけど、美味しく出来たと思う。
「教授はこの後もお仕事であろうし、休憩時間にでも食べて貰えるだろうか? 甘い物は疲れを取ると言うからな」
「ああ、ありがとう」
アクリトは司に笑顔を向け、チョコを受け取る。
「生徒からチョコを貰えるというのは、教授職の役得だな」
まんざらでもなさそうだが、彼はあくまでも義理と考えているらしい。あるいは、生徒からの信頼の証か。
(……ああ、やっぱりこの方を守りたいなぁ……)
どことなく優しげな雰囲気を感じ、司はその勢いのままにアクリトに言う。
「わたくしは、アクリト教授の事がすごく好きだなと思います……できれば、一生お傍にいたい」
本当にぽろっと、つい出てしまった言葉だった。ここまではっきりと告げるつもりはなかったのに。
返事は無くアクリトの顔を見返すと、彼は眼鏡の奥の目に若干の驚きを浮かべていた。義理ではない、ということを理解したらしい。口を少しだけ開けて、どう言おうか逡巡しているようだった。司はそんな彼を見て、自分の言葉を頭の中でリピートして、改めて、ものすごく恥ずかしくなった。
「いや、これは、その、ううっ……!」
今日一番の赤面と共に、その場から逃げ出す。傍に居たい。それは彼女の本当の心で、でも、まだまだお互いを知らなくて。
司は貞淑な良妻賢母を育てるという古風な方針の女子高育ちの為、恋愛観は古めだ。告白が実ってから2人でスタートを切りたい。そう思っているけれど――