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リアクション
6
花は芽吹き始め、空は青みを増し、人々の服装が明るいものへと変わり行き。
すっかり街も春めいてきた、と雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)は思う。
「ねーえ。お菓子と茶葉を持って、みんなで工房へ行きましょうか」
気分がよくなるくらい、いい天気だし。
提案に、南西風 こち(やまじ・こち)がこくりと頷いた。読んでいた絵本を本棚に戻し、「支度してきます」と言って部屋を出て行った。
「素敵ですね。私もぜひ、お供させてください」
次に賛同の意を示したのはアドラマリア・ジャバウォック(あどらまりあ・じゃばうぉっく)だった。もちろん、とリナリエッタは首肯する。
(……さて)
ふたりが行くと言った。ひとりはむっつりとした顔で、窓から見える外の景色を睨んでいる。
「ベファーナはどうする?」
声をかけると、ベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)はリナリエッタへ視線を移した。いつも浮かべている余裕綽々といった笑みは消え失せている。ここのところよく、ベファーナはこんな風に不機嫌になった。大抵はだんまりで何も答えてくれないが、
「……行こうかな」
今日は答えが返ってきた。
「そう。じゃあみんなで行けるわね」
驚きを内心に押し止め、笑って告げる。
ベファーナが立ち上がるのと同時に、こちが支度を終えて戻って来た。次いで、アドラマリアがお菓子と茶葉をバスケットに包んでやってくる。
「それじゃ、行きましょうか」
工房のドアを開けると、クロエと手遊びをしていたリンスがこちらを見た。笑顔を浮かべ、リナリエッタは挨拶する。
「ごきげんよう、リンスさん」
艶っぽい態度で接しても、リンスは表情ひつと変えず淡々と「こんにちは」と返すだけだ。それがわりと、気に入っている。
さてここからが本題である。
今日、四月一日に、わざわざ工房に来た理由といえば。
「ああ、本当にここは可愛らしいものでいっぱい!」
大袈裟なまでの動きと共に、リナリエッタは商品棚の人形を見て目を輝かせた。リンスが少し、驚いたような顔をしている。それもそうだろう。だってリナリエッタは今まで、可愛いもの好きということを隠していたのだから。それなのに今こうして、可愛いものが大好きだというアピールに転じている。
「私、昔家にいっぱいお人形さんがいて、毎日服を替えておままごとやっていたんですよぉ」
そうなんだ。そう、リンスが相槌を返したところでこう、切り返す。
「……あら、今日は四月一日でしたわね」
にこり。笑って半ば以上のネタ晴らし。
「? うん」
だけどリンスは、全然わからないという顔でいる。
(え、わからないの?)
内心で焦った。いやこれ、嘘だから。嘘だと思ってもらわないと困るから。
「ほほ、嘘ですのよリンスさん。エイプリルフールですもの、今日は」
「それは知ってるけど。今の、嘘なの?」
いけない。これは悪い流れだ。笑みを引きつらせながら、「どういうことです?」と訊いた。
「嘘なら上手いよ。気付かなかったもん、言われなきゃ。本当に本気で好きなんだと思った」
「え、ええと……」
「でもそっか。嘘か。ちょっと残念」
「ごっ……」
ごめんなさい、と言いかけた口を慌てて閉じる。言ったら終わりだ。雷霆リナリエッタの、大人の女性像が崩れ落ちてしまうだろう。
だけど、ああ。
(なんなのこの罪悪感!)
様々な意味で計画の失敗を痛感した。
工房に来るまでの間に、リナリエッタは言った。
「今日ってなんの日だかわかる?」
こちは、わからなかった。なんですかと問い返しても、リナリエッタは含み笑いを浮かべて黙るだけだった。
リナリエッタの態度を見て、アドラマリアは曖昧に笑うし、ベファーナは一緒にいるものの距離を大きくとってパーソナルスペースを確保しているしで聞けそうになく、
「きょうはなんの日なのでしょうか?」
結局、工房に来てクロエに訊くまでわからずにいた。
「エイプリルフールっていうの」
「えいぷりるふーる」
クロエの言葉をそのまま繰り返す。響きは可愛いが、あまりいい意味に思えなかった。そしてその直感は当たっていたのだと知る。
「いちねんできょうだけは、うそをついてもいいのよ」
だって、嘘をついていい日なんて、あるはずがない。
「だめなのです」
「えっ?」
「うそは、どんな日もだめなのです。悪いことをしちゃいけないのです!」
声は、無意識に大きくなっていた。家を出る前に読んでいた絵本の内容を思い出し、クロエに必死に訴えかける。
「サンタさんは、一年中みんなが悪いことをしていないか数えているのです」
「そうなの?」
「はい。数えて、引き算しているのです」
「ひきざん」
「悪いことをすると、生まれた時から持っているポイントが減っちゃうのです」
そうして、良い子と悪い子が振り分けられる。
良い子にはプレゼントが届くけれど、悪い子には。
「こちは、冬になったらサンタさんにお手紙を書きます。クロエさんのポイントを減らさないでくださいと、お願いしてみます」
「ほんとう?」
「はい。だから、大丈夫なのです。クロエさんにも、サンタさんからのプレゼントが届きます」
安心してほしくて、クロエの手を取った。ぎゅっと握ると、クロエもこちの手を握り返してきた。
「よかった! ありがとう、こちおねぇちゃん!」
「はい。素敵なクリスマスを過ごすのです」
こちのあれは、天然とはいえれっきとした嘘だよなァ、と紺侍は思う。
だけどとても可愛らしい嘘だ。誰かを笑顔にすることもできる、幸せな嘘。
そんな上手な嘘がつけたらいいと、思わないこともなかった。
アンニュイな気分になりそうなところを押し殺し、何か気分転換になりそうなことはないかと視線を巡らせる。と、ベファーナがひとりで佇んでいることに気付いた。近付いてほしくなさそうにしているし、病院での一件もある。どうしたものかと考えているうち、「こんにちは!」と空明るい声が聞こえた。振り返る。
「アドラマリアさん」
「あのですね実はですね、」
切り出しに、嘘が来るだろうなと思いながらもはいはいと返し、真剣に話を聞く素振りを見せる。
「私とベファーナ様、生き別れの双子なんですよ……アハハ」
「絶対に嘘とは言い切れない絶妙なラインっスね」
「えっ、本当ですか!? 私今、面白くない嘘ついちゃったなあって……」
「嘘っスよ」
「あっ……あっ、はい。そ、そうですよね……うう。ベファーナ様も巻き込んでしまいましたし、私本当に駄目ですね。また杖で小突かれちゃう」
バイオレンスな単語に、紺侍は苦笑いを浮かべた。
「でも写真立てちょっと動かしただけで怒られちゃうなん……」
ぽそぽそと独り言を続けていたアドラマリアが、はっとした顔で口を噤んだ。
「あっこれ言っちゃいけなかった……!」
その一言を口にしなければ、気にかけなかっただろうに。
アドラマリアもそのことに思い至ったのか、色白の顔をさらに白くさせて引きつった笑みを浮かべた。気休め程度にこちらも笑う。
「ご、ごめんなさい。本当に。忘れてください……」
「善処します」
「はい……」
怒られる前に退散しますと、アドラマリアが足早に去って行く。視線を感じて顔を上げると、ベファーナがこちらを見ていた。表情は、ない。会話が聞こえて怒っているのか、あるいは。
「ちわ」
無言で見詰め合うのもおかしいだろうと声をかけ、近付く。するとベファーナはピエロのような笑みを浮かべた。見ている方が痛くなるような笑顔とはこういうものなのだと、紺侍は初めて知った。
「ごきげんよう。今日は実にいい日だね」
「それ、嘘スか?」
「そこまで安易ではないよ、私は」
声音や口調から、嘘は好かないのだろうと判断する。
「そういえばきみ、誕生日だっけ。今日」
「あらよくご存知で」
「おめでとう、とだけ言っておくよ。今日会えたことに感謝を」
「ども」
「……今日はあまり調子がよくなくてね。それじゃあ、失礼するよ」
細い声でそう言って、ベファーナは紺侍に背を向ける。ひとりにしておいた方がいいな、と思い、紺侍もベファーナに背を向け、一歩。
「真実と」
先より小さな声が聞こえて、思わず耳をそばだてる。
「嘘が交じり合ってもいい日を作るなんて……やはり、人間は」
振り返ると、ベファーナがふらりと歩く姿が見えた。無言のまま工房を出て行く。窓から外を見てみたが既にベファーナは見当たらず、外には春の景色が広がっているだけだった。
(弱いからこそ人間は)
そういう日を作ったんじゃないスかね。
心の中で応えてみたが、当然返答はなかった。
(だって、そんな日だからこそ言えることってあるでしょう)
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