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人魚姫と魔女の短刀

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人魚姫と魔女の短刀

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【逆襲・1】


 金メッキのアンティークの愛銃は、あの忌むべき日に何処かへ消えてしまった。
 今は黒ずんだただ古いだけの、撃てるかどうかすら怪しいハンドガンを握りしめて、オスヴァルト・ゲーリングは誰も居ない手術室の扉を蹴破るように開く。
「私が、ただ逃げているだけだと思った?」
 マスクを剥ぎ取り露になった唇は醜悪に歪んでいる。契約者の介入でミリツァに逃げられた時は彼等への恨めしさと悔しさで頭が真っ白になったが、冷静に考えればこれはチャンスだった。
 あの契約者達とアレクサンダル・ミロシェヴィッチはミリツァを助けにきた。
(そしてセイレーンも……)
 そんな彼等の前でミリツァを殺し、死体を投げたらどれだけの愉悦が待っているのだろう。考えるだけで天にも昇る気分だ。
「そこにいるのは分かっている!」
 ただでさえものの少ない手術室で隠れる場所がそんなに多い訳が無い。
 ゲーリングが何らかの端末を乗せた棚を押しのけると、倒れたそこから器具が床にバラバラと落ちる。
 足の上に落ちないようにそれに気を取られていると、黒い髪が目の前を横切った。
「ははははははは!」
 狂気の笑い声を上げながら、ゲーリングは走り去る女の影を追いかける。
 この先は袋小路だ。
 遂に追いつめた背中へゆっくりと照準を合わせ、トリガーへ指を掛けた。
「ああ、私は早く見たくて堪らないよセイレーン、あなたの絶望に歪んだ顔を!!」 
 
 しかし古びた銃は遂にその性能を確かめる事も無く、地面へ落ちる。
 銃を支えていた左手ががくんと下へ落ちたのだ。
「……え?」
 気づけば左肩に痛みを感じて、ゲーリングはわなわなと震え後ろを振り返った。
 いつかの、ゲーリングを『小物』と、『名前すら忘れた』と罵ってきた赤い髪の契約者がそこに立っている。
「ここに契約者は誰も居ないと……、マスクをつけて隠れて逃げ切ったと思ったかい?
 残念だけどねオスなんとかさん。臭うんだよねぇ、君の下衆さがさ」
 託の、笑いながらも底冷えすら感じさせる言葉に、ゲーリングは咄嗟に反撃しようと屈みかけた。
 だが今度は右手が託の後ろから飛んできた銃弾に撃抜かれる。
「一応急所は外しといてやったぜ。
 ていうかあの怪我でよく生きてここまで回復したよな……。ちと警戒しておくか」
「まったく、ヤな男。
 女の子を兵器としてしか見られない屑、蹴り飛ばされても文句はないわよね」
 陣の言葉に続いて、ユピリアが隙あらばという顔でゲーリングを睨み据える。
 その間に何処からか聞こえてくるアデリーヌの歌はゲーリングの心を消沈させていく。
「やめろ! やめろ!!
 私に歌を下らない聞かせるな!! 私は――!」
 それを最後まで言う事は出来なかった。一喝するようなリカインの咆哮が放送設備から流れてくると、直後に目の前に飛び込んできたのは、あの日にゲーリングの首を締め上げた契約者――美羽だった。
 今度こそ許さないと美羽は一発一発に怒りを込めた拳を、ゲーリングに叩き込んでいく。
(あんたが踏みにじってきた心や命の重さ――、思い知るがいいよ!)
 美羽の動きがやっと止まった時、ユピリアの低い声がゲーリングの上に落ちてきた。
「前にティエンの歌を聞いた時と同じね。
 高尚な歌しか聞けないっていうの?
 だったら本物のあの娘の歌を聞く事ね」



 恐らくの最後の一人の警備員を倒したのはオタマのフルスイングだった。
 目を腫らしたまま壮太におぶされたミリツァは、「何よそれ」と尤もな事を口にする。
 するとオルフェリアは直前にミリオンが放ったパイキネシスの残滓を背中に、所謂ドヤ顔でふんぞり返った。
「ふっふっふ、このお玉さんは、凄いんですよ?
 なんと、自分の任意の物しか攻撃しないお利口さんなのです!
 つまり、どんなに防御しようと、オルフェが壊したいものにしか当たらないように調節できるのです!」
「パラミタの技術は凄いのね……。
 まさかレードルが料理以外の目的に使えるだなんて……」
 ミリツァがあんまり感心しているので、ミリオンも「あれは光条兵器の一種です」と説明するのを放棄する。
 こうして一階に辿り着くと、既に被害者を病院等の施設へ連れ戻ってきたプラヴダの兵士達と、先に上に上がっていた契約者達が慌ただしく動いているのが見えた。
「トーヨーダインの職員達の輸送が始まったのですね」
「思い知りなさい……命を弄んだ罪、万死に値するとね!」
 墓守姫が呟くように吐き捨てると、後ろでエレベーターの扉が開く音がした。
「どうやら向こうも作戦通り、上手くいったようね」
 開いた扉の向こうから、契約者に連れられたゲーリングが見える。
 そしてゲーリングは施設の表から聞こえてくるセイレーンの歌声に目を輝かせ、やがてそれがたった一人の為だけに紡がれる歌だと気づくと、絶望に顔を歪ませるのだった。