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人魚姫と魔女の短刀

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人魚姫と魔女の短刀

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【駐屯地にて・3】

 太陽らとのやり取りが一段落したところで、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)がジゼルの方へとやってきた。
 ――フレイは必ずきてくれる。親友を信じていたからジゼルはその姿をみて何も言わずに微笑むだけだ。
「ジゼルさん、私からもこれを御守としてお渡ししたく――」
 正直今の心境で話し掛けるべきかと迷っていたものの、皆と話す様子を見て息を吐き、フレンディスはジゼルへの贈り物を取り出した。
 ラッピングされたそれを「開けていい?」と承諾を取って開くと、箱の中には天然石で組まれたブレスレットが入っていた。
「綺麗……。
 アクアマリンとムーンストーン、……ガーネット」
 指先で石の一つ一つを辿って、ジゼルは石の名前を口に出す。意味を含んだ石選びと配列を理解して、ジゼルはフレンディスがここまで自分を考えていてくれたのだと表情を和らげた。
「マスターが魔力を付与して下さったので、アミュレットとしての効果があるのです。
 ――気休めなのは承知の上ですが受け取って頂ければと思いまして」
 首を横に振るジゼルに、フレンディスは続ける。
「私、ジゼルさんがアレックスさんとご一緒ならばご心配致しませぬ
 私達も必ずや妹君をお救い致しますのでご安心下さい……」
「うん、私も皆を信じてる」
 互いにどちらと無く手を握り合う。暫しの沈黙の後先に口を開いたのはフレンディスだ。
「後は……えぇと、その、如何なる事態が起きても決して諦めず闇を拒絶して下さい!
 ジゼルさんには常に希望の灯がお側にいらっしゃる……
 それだけは覚えておいて下さい」
 この時フレンディスはターニャの姿を頭に描きながら、これまでの事を思い出していた。
 一度狂気にのまれたアレクは契約者達によって救われ、彼のストレッサーであったリュシアンは死亡した。ゲーリングの二度の策略にも関わらずジゼルはただの破壊者にはならずにいる。そこへ現れたのがミリツァだ。
 初めこそ彼女の態度に違和感と不信感を覚え、ミリツァこそが二人にとって危険な存在なのではとフレンディスは疑いすらしたが、全てで無いにせよ事実は大きく異なっていたのだ。
(またあの殿方……否、あの男が糸を引いていたとは。
 全てを知れば寧ろ、事情を察せなかった事を皆様に謝罪したい気分です……)
 きっと『この世界』はターニャが巡ってきたどの世界とも違う道筋を辿っているのだろう。 
 もう彼女が父親と対立する必要は無い。つまり正体を偽る必要も無いのだが、それを判断するのはスヴェトラーナ・ミロシェヴィッチ(すゔぇとらーな・みろしぇゔぃっち)自身であるし、この状況でごちゃごちゃと言っていられない事情もある。結局は何も口に出来ないもどかしさを押し込めてフレンディスが不器用な言葉を懸命に紡いだのに、ジゼルがふいに呟いた。
「Svetlo」
「――っ!」
「――って言うんだって、アレクの国の言葉だと。女の人の名前だとSvetlana、凄く綺麗な響きだと思って覚えてて、何か引っかかったなーってだけなんだけどね」
 ただの雑談を流して他の友人達とまた話しを続けるジゼルの元から少し離れて、フレンディスは感情が溢れそうな胸を抑えつけていた。



「ジゼル、アレクと結婚するってマジでか!?」
 一体何処で聞きつけてきたのか、現れたコード・イレブンナイン(こーど・いれぶんないん)に詰め寄られる様に言われて、友人達の視線を一手に受けながらジゼルは含羞(はにか)んだ笑顔浮かべた。
 肯定と取れるその表情に、コードはガクリと肩を落とす。コードはジゼルが大好きなのだ。ただジゼルの幸せの邪魔をしたいという気持ちは無いから、気持ちへの決着の付け方が分からなかった。
「――ジゼルは、俺の事好きか? 嫌っていないか? 少しでも好きの部類か?」
「好きよ」
 ジゼルの答えはある種『言わずもがな』のものだった。誰にでもフレンドリーで肯定から関係を築こうとする彼女の中で嫌いの側にカテゴライズされる人間が居るとすればよっぽどの人物だろう。しかしその明々白々たる事実に、コードは安堵の笑顔を浮かべ口を開いた。
「お婿さんが二人居ても良いよな?」
 そうコードが言った瞬間、彼等を囲む様に立っていたジゼルの友人達の空気が凍り付く。
 誰もが錆び付いた機械のように顔を向こう側へ動かし、この素晴らしいタイミングでロビーに入ってきたもう間もなくジゼルの正式な夫となる人物が下司官との話に集中していた事に大きく息を吐き出した。
 もう少しで自分達は戦いを前に戦力を一人失う――どころかむごたらしい虐殺シーンを目にするところだった。今此処で事が起こらなかったのは恐らく神の采配だろうと思うと謎の涙が出てしまいそうだ。そんな皆が風に胸に染み入っていると、暫し考え込んでいたジゼルが口を開く。
「……それはコードが私のお婿さんになるということ?」
 真面目な顔で頷くコードにジゼルはころころと鈴が鳴る様に笑い出し、パートナーの妙ちきりんな発言に頭を抱えそうになっていたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)を見上げた。
「コードはおばかさんねぇ。結婚は本当に好きな人、一人としか出来ないのよ。ね、ダリル」
「一夫多妻……この場合は逆だが……それは可能だが倫理的に奨められない」
 年下のジゼルにおばかさんと言われ愕然とするコードに、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)はジゼルとダリルの関係性を思い出して提案する。
「お兄さんとして見守る方向はどうだろう?」
 そんな助け舟の言葉を、ジゼルはきっぱりと否定した。
「コードは子供だからジゼルのお兄さんにはなれません」
「子供!? 俺は子供じゃねえ!!」
 声を荒げかけて慌てて口を噤み、暫し考え込んでコードはぽつりぽつりと言い出した。
「ジゼルが迷惑だってんなら、『ジゼルを好きじゃなくなる努力』はしてみるけどさ、けどさ……」
「あのねコード。私を好きでいてくれるならそれは嬉しいし、迷惑じゃないわ」
 ジゼルは困ったような笑顔でそう答える。つい先日男性が自分に劣情を含んだ好意を向けていた事を全く気づかず恐ろしい思いをしたばかりだ、告白めいて気持ちをぶつけられれば「ごめんなさい」と断った事だろう。しかしコードの言う『大好き』はまるで雛鳥の刷り込みのようにしか聞こえない。だから断るのではなく肯定に近い言葉を選んで口にする。
「――好きじゃなくなるっていうのは、ちょっと悲しい事だわ。
 でもお婿さん二人はだーめ、ね」
 にっこりと微笑まれて、コードはだめ押しにように提案する。
「額にキスしていいか? ……ちょっとだけ」
 ちょっとだけと言われても勿論駄目だ。ジゼル自身の気持ちだけでなくプロポーズに笑顔で答えた瞬間から、自分の身体は自分だけのものでは無くなったのだから、夫の承諾も無しにそういった触れ方はさせられない。
 『駄目よ』を出来るだけ柔らかい言葉にしてみようかと考えるジゼルの肩を、誰かが叩いた。
 頭一つ分高い位置にある顔を見上げて、ジゼルは微笑む。
「ハインツ、こちら私のお友達。皆、こちらハインツ。ハインリヒ・シュヴァルツェンベルク」
「全部は覚えなくて良いですよ、是非ハインツと」
 ハインリヒは端正で冷たさを感じる程色素の薄い見た目とは裏腹に、人懐こい笑顔を浮かべる。
「ハインツはね、見た目通り優しくて素敵でそれから――」
「モテない」
「そう、モテないのよね。なんでだっけ」
「人畜無害のつまらない男だから」
 ジゼルが吹き出すとハインリヒは巫山戯た真顔から困ったような笑顔へ変えて締めくくり、皆へ「失礼」と断った後、恐らくこの場ではジゼル以外に通じないであろうドイツ語で耳打ちする。
「ジゼル、アレクの機嫌がすこぶる悪い。もう隣に居るだけでコーリャとジーマが死にそうだ」
 ハインリヒの示す先では、腕を組んだアレクの隣で二人の少尉が大柄で筋肉質な身体に棒でも突っ込んだような真っ直ぐな姿勢で固まっている。
「ね。お友達と楽しんでいるところ悪いんだけど、僕らの命の為に君のパートナーの傍に戻ってくれるかな?」
「Ja(*独語・Yes)」
 慌てた様子で頷いたジゼルの肩を押して、ハインリヒは皆の方へ視線を向けた。
「すみません、ジゼルに頼みがあって。
 ところで皆さん、宜しければ少しお時間を頂けますか? 実は先程大尉から視野を広げろと命じられまして……。今回の作戦について外部の方の見解をお聞かせ願いたいのですが――」
 概要の書かれた端末を前に出しスマートに話を切り替えたハインリヒに、「Es tut mir leid.(*ごめんね)」と一言添えて皆に手を振り踵を返そうとしたジゼルは、コードの少々しょんぼりとした姿を目にとめる。
「……施設の制圧、頑張って来るよ。ジゼルも気をつけてな」
「コードも気をつけて」
 身を案じてくれたコードの手をとって笑顔を向けるジゼルを見て、ダリルはルカルカに耳打ちしている。
「コードがジゼルの兄になるよりも、ジゼルがコードの姉になった方が良さそうだ」
 そんな言葉に、ルカルカはコードに気づかれぬように密かに苦笑していた。