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リアクション
●書き初めのいろは
さて、空京市中や空京神社で騒ぎが起こるより前のお話。
元旦の午前中、蒼空学園。
「馬場 正子(ばんば・しょうこ)である!」
今年も気合い十分、のっけからたくましい校長のお言葉に、参加者はやんやと喝采した。
「書き初め大会、多くの参加者がつどい嬉しい限りだ。皆、己(おの)が思いを筆に託し、魂が溢れるほど力の限り書いてほしい! それでは、開始!」
不動明王みたいな大迫力の表情で、正子は挨拶を締めくくった。これに魂を注入されたのか、参加者の気力も無闇にみなぎっている! 書道ってそういうものだったっけ?……とか言わないでほしい。
「馬場校長はさすがですね、団長」
振袖姿のルカルカ・ルー(るかるか・るー)もなんだかカンフル剤を打たれた気分、はきはきと団長こと金 鋭峰(じん・るいふぉん)に感想を述べた。
「そうだな。彼女にはなんというか……余人にはない吸引力がある」
「カリスマなら団長も負けていませんよー」
「世辞はいらん」
「失礼しました! でも本心です! それはそうと吸引力……団長まさか、馬場校長のような女性が好みで……」
ゴフッ! 金鋭鋒は激しく咳き込んだ!
「だ、団長ご無事で!」
「風邪か……いかんな。午後には教導団の行事もあるというのにな」
「お薬をお持ちしますか?」
「不要だ」
「はっ!」
敬礼して団長の下を離れたルカに、カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が近づいて来て肘うちした。
「おいルカ、またつまらねぇこと言っただろ〜。団長に」
「えー、言ってないよう。馬場校長みたいな女の人好きですか、って言っただけ」
「……思いっきり言ってるじゃねぇか、つまらねぇことを」
「えー、馬場校長って格好いいと思うけどなー。腕すんごく太いし」
「あのなあ」
そこに、小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)と話し込んでいたダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が戻ってきた。どうやらウォーゲームの相談でもしてきた模様だ。
戻るなり、きっぱりとダリルは言った。
「まったく、たんぽぽ頭につける薬なし、だな」
「えっダリル? さっきの話、あんな遠くにいたのに聞いてたの?」
「聞いてないが予想して言ってみた。どうせルカの失敗話だろう」
そのあたり、妙に察しの良いダリルだったりする。ところがダリルのクールフェイスも、ここでにわかに崩壊する。
「よー、ダーりん★」
「ダー……なんだと!」
ぎょっとして振り向くと、ニヤニヤ笑いながら仁科 耀助(にしな・ようすけ)が手を振っていた。
「なにダーリンって!? 新恋人発覚!?」
「しかもそれが耀助かよ。乗り換えるにしても、もうちょっとこう……」
ルカはもちろん、カルキノスまで色めき立つ。
「そもそも今の彼女と別れてない!」
ダリルは声を上げて二人を黙らせ、「ちょっと来い」と耀助を呼びつけた。
「あ、Darlingって意味じゃないよ。『ダリルりん』って愛称がなまって『ダーりん』、格好良くない?」
「良くない。その奇っ怪な呼び名をやめろ。すぐやめろ。今やめろ」
「えー、可愛いじゃーん」
「はははそうか……まったく可愛くない」
ダリルは一応笑っているが、目が全然笑っていなかった。
というダリルと耀助の丁々発止(?)のやりとりを見つつ、なんだかルカは奇妙な顔をする。
「ダリル……友達増えたっぽい?」
さあどうなのだろう。
このとき、ずっと黙っていたルカの同行者が口を開いた。夏侯 淵(かこう・えん)であった。
「親睦会も良いが肝心の書初めはどうした」
夏侯淵は書道に関しては心得があった。ゆえに馬鹿話にも加わらず、真剣にこの場に臨んでいたのである。
「お。ツッコミ役がダリルじゃない!」
ルカが言うと、「本当だ」とカルキノスも目を丸くしている。
――お前らそこに着目してどうする。
ダリルはなにか言いたげな顔をするも、結局黙った。
「ほら、さっさと書くぞ。俺が見ておいてやる」
「なによ偉そうに−」
ぶーぶー言いながらルカは淵に引っ張られるようにして、屋外に用意された畳みの間に移動した。
正座して墨をする。だが面倒になってすぐ墨汁に切り替え、ぐりぐりとゆっくり書き上げた。
「『虚心坦懐』…そうなるといいな」
ダリルがその内容を評した。
夏侯淵は何も言わない。真剣に筆と紙に向き合い、『継往開来』としたためた。力強い書体である。止め、ハネも完璧だ。
「俺はこれだ」
ダリルがしたためたのは『冷暖自知』、これもなかなかいい。
ところがカルキノスはやりたがらなかった。
「えー、俺も? 俺やったことねぇし」
と難色を示す。
「好きな言葉を書けばよい」
淵がうながすと、
「といっても、書初めに『腹減った』とか『おせちはまだか』と書くわけにもいかねぇだろ」
「それでも構わぬ。まあ、文字数多いから大変かもな」
「ちぇ、わかったよもう……」
結局カルキノスは『勝利』と大胆に書き上げた。初めてにしては上手だ。しかし、大胆すぎて紙をはみ出し黒い下敷きすらはみ出して、机に太い筆跡を残したのはいただけないところだ。
「どうだー!」
がっはっはと笑うカルキノスだが、空気の流れが変わったように感じて口を閉じた。
「私も書こう」
と一声、金鋭鋒が筆を持って机の前に立ったのである。
日本式の書道なら畳に上がり正座して書くが、鋭峰は中国式の『書法』なので、椅子に座るか立って書くかのが正しい。
「団長が……!」
董 蓮華(ただす・れんげ)も駆けつけてきた。食い入るような目で、彼の筆先を見つめている。
一気呵成、筆を執ってからの鋭峰は早かった。たちまち流麗な文字で、『泰然自若』と書きあげたのだった。
「先ほど、少し落ち着きをなくす事態があってな。偽らざる気持ちだ」
と言って彼は筆を置いたのである。
ルカは何となく、鋭峰の書体は力強いものであると想像していただけに、その流れるような文字にまず驚き、そして、惚れ惚れと何度も見かえしてしまった。
美しい。溜息が出るほど美しい文字だった。芯は強いものの、どこか匂い立つような色気があった。このまま持って帰り、独り占めして飽かず眺めたいような気がする。
ふとルカが顔を上げると、ルカ同様に蓮華が、魅入られたように鋭峰の文字を見ているのに気がついた。
――あ、でも持ち帰ったりしたら蓮華ちゃんに怒られるよね……。
鋭鋒の字を見守る中に羅 英照(ろー・いんざお)の姿も見られた。彼も参加していたのである。
「参謀長は書かれないのですか?」
ダリルが問うも、英照は首を振った。
「字が下手なのでね」
「そう言わずに……是非拝見したいと思います」
「話したことがあったかな。私は、ジンに拾われるまで酷い貧困の中にいて、まともに教育を受けたことがなかった……つまり、長い間文盲だったのだよ」
だから今でも、字を書こうとすると潜在的な恐怖があるのだと彼は言った。字を書く必要があるときも直接記すことはなるだけせず、主としてキーボード入力か口述筆記なのだという。勉強がしたくてもできなかった――幼き日のその渇望感、無念の思いが、彼の心の傷になっているのかもしれない。
「けれどジンの文字は好きだよ。今日はそれを見に来た」
それだけ言い残して英照は立ち去った。
ダリルはしばし、黙って彼の背を見送っていたが、やがてぽつりといった。
「参謀長……なぜかあの人には、孤独な印象を受ける」
「……そうだな」
応じたのは淵だった。
「なにかあの御仁は……悲しい。どうにかならぬものか。金団長には想いを寄せる女性もいるが、参謀長は? 俺ですら想い人がおるのに。ちょっとは女性とも接点をもたぬと、いらぬ勘繰りをされてしまうぞ」
「そういうことを言うものではない」
「ああ、まあ、冗談だ」
そういえばルカも、じき結婚だな――二人は口にしなかったが、偶然、同じことを思った。