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リアクション
「あー、食った食った。全料理ひととおり制覇してやったわー!」
腰に手をあて、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は満足そうにうははと笑う。
「食べ物はおいしいし、お酒もおいしい! 魔法みたいにどんどん出てくるし! 給仕はイケメン揃いだし! ここ、ほんとサイコー!」
「はいはい」
後ろをついて歩いていたセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はあいづちを打つと、ふっと息を吐く。
たしかにセレンフィリティの言うとおりで、料理もお酒もおいしかった。ダンスも楽しく、この3時間はあっという間に過ぎて、アルコールの入ったセレンフィリティがこんなに上機嫌になるのも分かる気がしたが、セレアナは今のセレンフィリティに妙な違和感を感じずにいられなかった。
ずっと、昼も夜も、公私ともにパートナーとしてそばにいるからだろうか。どことなく、上滑りしているというか、意識してはしゃいでいる気がするのだ。
今も、フロアでのダンスを思い出しているのか、メロディを口ずさみながら1人踊っている。
くるくると回転し、閉じていた目をぱちっと開くと、セレンフィリティは今思いついたように唐突に言った。
「ね? 今から空中庭園に行かない?」
表宮から奥宮へ。ひと気のない回廊を渡り、滝の流れる音に導かれるように庭へと下りる。
緑あふれる春の庭園は夜でも花のあまい香りに満ちていて、セレンフィリティはすーっと深呼吸をした。
その姿に、セレアナは自身気づかぬうちに見とれる。
今日、セレンフィリティは普段身につけているトライアングルビキニの目にも鮮やかなメタリックブルーとは対照的な、薄い桜色のビスチェドレスを着ていた。二の腕までおおうレースの長手袋。胸元には甘くなり過ぎない程度にさりげなくフリルがあしらわれており、セレアナがつけている自分の瞳に合わせたサファイアのネックレスとまったく同じデザインで、対でつくられたに違いない、やはりセレンフィリティの瞳と同じエメラルドのネックレスが鎖骨の間で光っている。うなじのすぐ上で結われた髪にもドレスと合わせた桜色のコサージュがついていて、そこから伸びるオーガンジーの細紐が軽く夜風に舞っていた。
まるで、春の訪れを告げに現れた妖精のようだ。
しかしじっと空の月を見上げているその姿はとてもはかなく、今にも夜気に溶けて消えていってしまいそう……。
「セレン!」
思わずセレアナはひじを掴んで引いていた。
「え? なに?」
きょとんとした表情で振り返ったセレンフィリティはいつものセレンフィリティで――セレアナは「いえ。なんでもないわ」と首を振った。
「ふーん。おかしなの」
くすくす笑って、今度は逆にセレンフィリティがセレアナの手をとる。そしてそのまま、昼間のうちに下見しておいた、2人だけでいられる場所へセレアナを導いた。
流れる水音と、風に吹かれる葉のさざめきとがほどよく混ざり合って心地よい場所。枝葉を透かして届く月光に照らされたそこは、まるで子どもの秘密基地のような茂みの奥だった。
獣道を思わせるドーム状の茂みに、ひざをついて入って行かねばならず、マーメイドドレスを着たセレアナにはちょっと骨の折れる作業だったが、無事ドレスを木の枝に引っかけることもなくたどり着くことができた。
セレンフィリティとセレアナ、ちょうど2人が座って収まる程度の空間で、互いに肩を寄せ合う。
「……ね。セレアナ」
しばらく無言で2人、周囲の自然に耳をすませたあとで、ぽつり、セレンフィリティが呼んだ。
めったにない真剣さを含んだその声にセレアナが閉じていた目を開けると、セレンフィリティが彼女を見つめていた。エメラルドの瞳に浮かぶ光は、周囲が暗いせいか、いつになく沈んで光がないように見える。
どうかしたの? と問いかけそうになった唇に、そっと人差し指が触れて、言葉を封じた。
「これまで1度もしてこなかった話をしようと思うの。
まだ自分でもまとまりがついていないし、どう話せばいいか、こうしてる今も分からない。だから、うまく話せないと思う。最後まで話せるかも……」
心もとなそうな表情をして。寄る辺なく見えるセレンフィリティを見つめて、ああ、彼女は今日、最初からそのつもりでいたのだとふいに悟った。だからあんなにもはしゃいで、心のなかではおびえていたのかと。
「お願い。何も言わないで、聞いてくれる……?」
セレン、と唇が動くのを指先で感じた。そして、応じるうなずきも。
セレンフィリティは小さく、囁くような声で――だがこの静寂に満ちた空間では十分すぎる音量で――話し始めた。
「あたし、本当の親がだれか、どういう人か、全然知らないの。捨てられたのか、売られたのか、さらわれたのかも分からない。一番古い記憶のどこにも親らしい人の姿はなくて……あたしは1人ぼっちだった……」
ぽつり、ぽつりと。ときには早口に、ときには数分間押し黙って、言葉にすることでよみがえる記憶と戦いながら、セレンフィリティは一生懸命言葉を紡ぐ。両手がひざを抱き、体を前後に揺らしていることに気づいている様子もなく。草むらに転がった小さな小石を見つめて、ひたすら最後までしゃべり続けようとするセレンフィリティを、セレアナは黙って見つめていた。
「……あ、あたしは……ずっと、忘れようとしてきた。こんな汚い記憶なんか、なくなっても全然惜しくない。振り返らなかったらいい、思い出さなかったらいい、口に出しさえしなかったら、だれにも知られなかったら、それはなかったも同じ。だって、あたし以外、だれもそんなこと、知らないんだもの!!
……でも、違ったの。だれでもない、あたしが覚えてる。あたしが、あたしは汚いって知ってる! 記憶はどうやったって消せっこないのよ! 肌に染みついたこの汚れが消えないのと同じに!!」
「セレン!!」
生々しくよみがえった当時の記憶に飲み込まれそうになり、感極まって叫んでしまったセレンフィリティを、セレアナは抱き寄せようとした。しかし過去に戻ってしまったセレンフィリティは激しくそれを拒絶する。
「いや!」
突き放そうとするセレンフィリティに負けまいとセレアナは彼女を掴む手にますます力を込め、強引に引き寄せ、体全体で取り込むようにおおいかぶさり、胸に抱き込んだ。
「セレン、よく聞いて。そして信じて。これは真実、私の想いよ。
私を見て。私だけをまっすぐ見て。私と一緒にいるときは、私以外のものは見ないで」
面を上げさせ、ほおを両手で包み込む。
「その瞳にも、胸のなかにも、ほかの何も入り込ませたりしないで。私のことだけ考えるの。
愛しているわ、セレン。あなたが何者でも、どんな過去を持つ者でも、そんなことは関係ないのよ。だって私が愛したあなたはその過去をくぐり抜けてきたセレンフィリティ・シャーレットなんだから。私は、今のあなた以外の者になってほしいと思ったことは、1度だってないわ」
まばたきもせず。静かに、セレンフィリティのほおを涙が伝った。
「……キスして、セレアナ」
彼女の求めに応じて、そっといたわるようにやさしく唇が押しつけられた。
凍えて固く凍りついてしまいそうだった体の隅々まであたたかな息吹が吹き込まれ、ぬくもりを取り戻していく気がした。セレンフィリティはさながら命綱にすがりつくように夢中でセレアナを求めたのだった。
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