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東カナンへ行こう! 5

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東カナンへ行こう! 5

リアクション

 オーケストラが演奏をやめて、音楽が止まる。
 大広間の人々の注目が上座へとそそがれ、領主バァルによってセテカとシャムスの紹介と説明が為される。そしてセテカがシャムスの左手をとり、レースの手袋の上から婚約指輪をはめると同時に祝福の拍手が湧き上がり、大広間じゅうに響き渡った。
 音楽が再開され、シャムスの手をとったまま、セテカがフロアへと導く。最初のダンスはパーティーの主役である2人だけのものだ。 2人のダンスが終わり、壁に退いていた者たちが再びフロアへ戻っていくのを見て、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)はちらりと横にいるフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)に視線を落とした。
 武骨なジェイコブには分からない種類の、しかしとても美しい花の刺繍の入った優雅なオーガンジーのドレスをまとった彼の妻は、笑顔でフロアを見ている。小さく、かすかにリズムを口ずさんでいる姿に、ジェイコブは何か考えるように少しの間目を泳がせたあと、こほっと空咳をして、手を差し出した。
「踊るか」
 フィリシアは「え?」とその手を見る。
 夫のことを、ある意味彼自身よりよく知っているフィリシアは、今日もずっとこうして目立たない壁際に立って、眺めているのだとばかり思っていたし、それでいいと考えていた。こういう場は見ているだけで楽しいから。
 そのジェイコブが、まったく彼らしくないことに、ダンスをしようと申し込んでくれている。
 あんな衆目を集める場に出て行くなど、性に合わないだろうに……。
 それが彼なりの、言葉にはできない愛情なのだ。動作は粗暴で、女心も分からない朴念仁だけど、愛情だけはだれにも負けないほど熱く、深い。
「はい」
 フィリシアはありったけの愛情を視線に込めてジェイコブを見上げ、うなずくと、そっと手を重ねた。


 ダンスフロアにすべり出した瞬間、2人は場の注目をさらった。
 ジェイコブがシャンバラ国軍の礼服という、東カナンではめずらしい服装をしていることもある。さらには2メートル近い上背、厚い胸板にがっちりとした筋骨で、軍服が栄える体格であることが挙げられるだろう。
 そんな威風堂々とした彼と踊っているのは、対照的に、華奢でたおやかな令嬢である。清楚で控えめなドレスの胸元を補うように、大胆に配置されたルビーの首飾りがシャンデリアの光を受けて輝いている。
 女性たちは称賛の目を送り、男性たちは、ふんだんに花をあしらった髪飾りで結い上げられた髪の下から現れている白くほっそりとしたうなじに目を奪われているようである。
 踊っているうち、ジェイコブも男性たちのフィリシアを見るその視線に気づいた。
 衣装といい、彼女自身の持つ雰囲気といい、その装いは頭のてっぺんからつま先まで清楚可憐という言葉がぴったりなのだが、ほんの少しだけ、今のフィリシアは清楚さのなかにどことなく凄艶さを含んでいる気がする。
 まさか、昨晩愛しあったあとのそれが、まだ彼女に影響を及ぼしているのだろうか――そう思ったりもしたが、すぐに頭を振ってジェイコブは否定した。
(んなわけないよな。彼女はいつだって美しい)
 だから人目を引いても、当然なのだ。羨望の眼差しを受けるのも当然。
「……どうかした?」
 ジェイコブの意識がダンスからそれたのを鋭く察知して、フィリシアが伏せていた目を上げる。
「いや。何でもない」
「そう?」
 その言葉どおりに、ジェイコブは再びダンスに集中し、フィリシアをリードしていく。フィリシアは、まるで何もかも分かっているというようにうつむいた口元で小さくほほ笑むと、そっと目を閉じてジェイコブに身を任せた。




 やがて軽快なダンス音楽がやんで、小休止に入った。
 ゆったりとしたムード音楽が流れるなか、室内照明が明度を落としてうす暗くなる。
「ん?」
 それまで一切ダンスには興味を示さず、食べることに精を出していた月谷 要(つきたに・かなめ)が、フォークを動かす手を止めて頭を起こし、フロアの方を振り返った。
「何事?」
「朱里さんたちが持ってきたビデオレターを見るみたい」
 料理を取り分けに席を立っていた月谷 悠美香(つきたに・ゆみか)が戻ってきて答える。
「ほら、あそこ」
 と指さされた場所では、柱と柱の間にある白い壁をスクリーンに見立てて、やはり朱里たちが持参した映写機が録画映像を映し始めていた。
『やっほー、シャムスさん、元気ー?』
 画面いっぱいに映る笑顔の面々。ほかの者たちを気遣ってか、ボリュームは絞られていて、何を言っているかははっきりとは聞こえない。ひと言ふた言しゃべっては切り替わる、そこに映っているのは主にシャムスと仲の良かった南カナンに縁のある者たちだった。
 シャムスは懐かしい顔ぶれに見入っているが、セテカは少し離れた場所でそれを見守っているだけだ。それまで2人に祝辞を言おうと入れ代わり立ち代わり現れて周囲を埋めていた東カナン貴族たちもいなくなっているのを見て、悠美香が提案をした。
「ね? 今のうちにセテカさんに話しに行かない?」
「あ、そうだねぇ」
 フォークをくわえたまま立ち上がり、料理の乗った皿を手にそちらへ向かおうとする要の姿に、悠美香はふうと息をつく。
「だめよ」
「え? 何が?」
「それ」と、フォークを持つ手を指す。「それからこっちのお皿も。テーブルへ戻して。お行儀が悪いわ」
 あと、食べ過ぎよ、と付け足した。
 ここへ来てからずっと、要のフォークが止まる瞬間は料理を取りに行っているときだけだった。1回に取り分けてくる量は人並みを少し上回る程度だったので派手に人目を引くことはなかったが、テーブルと往復する回数を照らし合わせれば相当な量だ、ということに気づいている者がちらほら現れ出している。
 それらがすべて要の口のなかへ消えていく驚異に部屋のあちこちで驚愕の目を瞠る人たちがいることに、悠美香は気づいていた。
(要の食いっぷりは有名で、シャンバラでは今さら驚く人なんていなかったから私も感覚が麻痺してたけど、これって普通の人からするとすごいことなのよね)
 要自身、まだ腹八分目といったところでいつもほどにも食べていないという自覚があったため、悠美香の「食べ過ぎ」という言葉にはピンとこなかったが、とりあえず「分かった」と応じることにした。
 フォークと皿はテーブルに戻して、セテカの元へ行く。
「やはー、セテカさん」
「やあ。きみたちも来てくれていたのか」
「ご婚約、おめでとうございます」
 悠美香のあらたまったあいさつに、セテカは少し照れくさそうに笑顔を見せた。
「ありがとう」
 そんなセテカを、にやにやと要が見つめる。
「なんだ?」
「いや……あのね。
 これを機に、俺みたいに無茶する回数減るといいね?」
「なんだ、それは」
 プッとセテカは吹き出した。
「セテカさんも、結構無茶人だから」
「無茶人か……」
 まあ、自覚がないわけではない。なにしろこの数年で死にかけたこと多数、うち2回は本当に死んだりもした。
 セテカが心当たりがありそうな含みのある発言をしたことに、うん、とうなずく。
「むしろ、自分で減らさないとダメだよね? 南カナン領主さまの夫ともなると、そんなにホイホイ死地に赴くわけにもいかないし。……何より。自分のせいで好きな人が泣いちゃうのって、結構つらいよ?
 今までのことだけど。あらためて振り返ってみると、たしかにそのときは「そう」しないといけなかったのかもしれない。そう動かなくちゃいけなかったときとか。けど、それとコレとはまた別の話。
 自分が流した血の量以上に大切な人が涙を流して、自分が負った傷の数以上に大切な人が心を抉られるんだよ?
 俺だったら、悠美香がそんな事になることに耐えられないから。もうやらないようにって、決めたんだ」
 最後はこそっと、セテカにだけ聞こえる声で、けれどしっかり目を合わせて言った。
 そして語意を和らげるように、ふっと笑う。
 そんな要につられるように、セテカもくすりと笑った。
「――肝に銘じておこう」
「うん。そうして」
 そう告げたあと。
「なーんて、ね?
 ハイ、シリアスは話はここでおしまい! 言いたいことも言ったし、気分変えて食べるよ! せっかくだから、いっぱい食べるよ!」
 先までと打って変わった口調でぽんぽん肩をたたき、わははと笑って要は抱き込むようにしてがっちりセテカと肩を組む。そしてできたての料理と交換されたばかりのテーブルの方へ、半ば引っ張るようにして連れて行った。
「めでたい席で食べぬは損ってね。ここからは本気モードだ! 料理人さんたちを過労で倒れさせる勢いで行くよ…ッ!」
 我は食の代理人
 食欲の地上代行者
 我が使命は我が前に並ぶ料理どもを
 その肉の最後の一片までも美味しくいただくこと―――

 い た だ き ま す !

 Let’s eat!

 セテカとテーブルにつき、映し出されたビデオレターを横目に、大変で、でも楽しかった日々の思い出話をしながら料理をつつく要を、今度ばかりは止めることなく、悠美香はほほ笑みながら見守っていた。