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●婚約指輪の行方は?
街の中心部にある大広場、そこに面して建てられた女神イナンナを祀る大聖堂の塔が、厳かに鐘を鳴らした。
祈りと昼食の時刻であることを告げる鐘だ。敬虔な信徒であるカナン人は、それぞれがそれぞれの場所で動きを止め、北カナンの方角へ向かい、短いながらも祈りをささげる。
「もう昼かぁ」
彼らの邪魔をしないよう、横をすり抜けながら七刀 切(しちとう・きり)がつぶやいた。
「パーティーが始まるのは何時だっけ」
「6時」
独り言のような切の言葉を小耳にはさんでリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が答える。彼女は今、どうにかして禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)の指をはずさせようとしていた。目前、これから入ろうとしている街路はすでに人でごった返している。もはや対人恐怖症ではないかと思うほどの極度の人見知りを発症させた河馬吸虎は、その混み具合に恐れをなして、ここから先へは進みたくないと言うように、小門の柵にしがみついていた。
それだけならそこに放置していけばすむ話なのだが、反対側の手ががっちりリカインの上着のすそを握り込んでいる。
「さっさとどっちかの手を放しなさい! ここに残るか、一緒に来るか、どちらかよ!」
リカインの剣幕にびくびくおびえながらも、河馬吸虎はぷるぷる首を振るだけである。
「両方はないの!」
しかりつけるリカインの横で、空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)が先のリカインの発言を補った。
「ですが、それは開始時刻ですから。手前どもの準備のことも考えますと、4時がタイムリミットかと思います」
「4時か。この街の規模を思えば、かなり絶望的だな」
周囲を見渡して、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)が冷静な意見を口にする。
「しっ。アルくん、そういうことは口にしちゃだめ。言霊ってあるんだから。本当になっちゃうかもしれないわ」
横からシルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)が服を引っ張った。
「ああ、すまない。
しかし絶望的と言ったんだ。絶望ではないよ」
「その2つは違うの?」
「うん。まったく違う」
そのもの言いと同じくらい、やわらかな光を浮かべた銀の瞳がシルフィアを見返す。
「じゃあどうするの?」
「そうだな……。まず、セテカと合流しよう」
彼らはセテカの父ネイト・タイフォンから教わった、下町にある警備兵の屯所の1つへ向かった。
ネイトの予想どおり、セテカの姿は警備兵たちとともにあった。
北区の一角、北西に位置する下町は、アガデの階級のなかでも下層に位置する。酒場、花宿がひしめく歓楽街であり、そこで暮らす人々に富裕層はまずいない。当然貴族である騎士も、街なかと違って、ここで姿を見かけることは皆無だ。(少なくとも普段とは姿を変えている)
目立たないようにとの配慮から、セテカもまた騎士装束ではなく警備兵たちと同じ格好をしていたが、彼らが今さら見間違えるはずもなかった。
「あー、いたいた。セテカだ」
「おーい、セテカさーん」
「――ん? ああ、おまえたちか」
名を呼ばれてそちらを見たセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)は、ぱらぱらと駆け寄ってくる見知った顔に、セテカは笑顔で応じる。
「セテカ、婚約おめでとう。シャムスを落とすなんて、あなたやるじゃない」
「おめでとうございます」
「ありがとう。
しかし、よくここにいることが分かったな」
「ネイトさんから聞いたのよ」
答えたのはルカルカ・ルー(るかるか・るー)だ。
「事情も聞いたわ。大変なことになったわね。ルカたちは手を貸そうと思って来たの」
「そうか。面倒をかけてすまない」
「あなた、大丈夫?」
婚約指輪が盗まれたというのは一大事だ。セテカは内心を隠すのがとても上手だからと、気遣わしげに尋ねてくる彼女に、セテカは偽りない笑顔で答えた。
「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫。たしかにちょっとした事件ではあるが、いざとなればパーティーは指輪なしでもこなせるからね。それに、犯人の人相は判明しているし、潜伏先も大分絞りこめている」
下町にいるのは下流階級の者だ。くだんの盗賊団もここに位置する。カナンは階級制度がはっきりしており、区画で住み分けられていた。
つまりは上流階級の者が住居をかまえる区画に入れる中級・下級は普段から限られているため、見知らぬ者が歩いていればそれだけで目立つし、逆もそうだということだ。
「今夜のパーティーのこともあって、どの区画の町にも通常の2倍から3倍の兵や騎士が割かれている。まずこの子たちがまぎれ込むのは不可能だ。おそらく目立たないこの北区や西区で、警備が緩まるのを待っているだろう」
そう言いながら、セテカは捕縛した盗賊団の首領デアマンたちからの聴取でできあがったばかりの人相手配書を彼らに手渡した。
そこには5人の子どもたちの人相書きが、それぞれの年格好とともに描かれている。
「この子たちのうちのだれかが婚約指輪を持っているのね」
「ああ。指輪を選んで指に嵌めて逃げたというから、1人が1〜10個の指輪を所持しているはずだ」
逃亡犯が子どもであることに軽く驚いたが、事情を聞いて納得し、ルカルカはさっそくダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)とともに打ち合わせに入る。
セテカに、アルクラントが進み出た。
「それで、きみが盗まれた指輪というのは?」
もちろん5人全員捕まえて盗まれた宝石を全部取り戻すのが一番だが、今急を要するのはセテカの婚約指輪だ。最低限、それを持つ子どもを優先して捕まえる必要があるだろう。
「これだ」
セテカはもう1枚、宝石店の預かり書を取り出して広げて見せた。どんな指輪かスケッチされており、詳細な特徴が注釈で書かれている。
「ああ、これは助かる」
「ふわー、きれいな指輪ね」
その特徴を記憶しようと、クロスデザインにはめ込まれたダイヤの数、玉縁などに注目するアルクラントの横から覗き込んだシルフィアが、少々うっとりとした声でつぶやく。
「地金はピンクゴールドだ」
「分かった。
あ、そうだ」
アルクラントは何か思いついたように、ポケットから何か取り出して、セテカに差し出した。
「これは?」
「『アル君人形ストラップ』だ。素敵なパーティにするためにも、指輪にたどり着けるように……まあ、お守りみたいなもんだ。きっと助けになるから持っていてほしい」
「お守りか」
紐を持ってぶら下げたそれを、セテカは上着のポケットにしまった。
「ありがとう。
じゃあそろそろ移動しよう」
セテカと、そして数名の警備兵とともに、彼らは潜伏場所として最有力候補の北区北西へ向かった。
ルカルカはその地区の人が最も行き交う場所であり、地区の中心でもある広場を選んで、セテカに案内を頼んだ。
そこにいる子どもたちを味方にして、協力を頼むという作戦だ。
「子どもには子どもの、独特の子ども社会があるわ。大人はまったく知らなくて、子どもだけが共有してることって案外多いのよ。視野と同じ。背の高い大人は気づかない、目につかない場所でも、子どもには見えているっていうのはよくあるわ。だから、子どものことは子どもに聞くのが一番」
準備をしながら持論を展開していたルカルカは、ふと茶目っ気のある表情でセテカを脇から覗き上げる。
「バァルやあなたとか、結構やんちゃしてたんじゃない? 案外子ども時代には城を抜け出してここらへんを走り回っていたとか? 秘密基地なんかも持ってたりして。男の子ってわりとそういうの好きでしょ?」
「いや、俺たちが街へ自分たちだけで下りることができるようになったのは、学舎へ通いだしてからだ」
バァルとセテカが相当大人たちを手こずらせる子どもであったのはたしかだが、子ども時代、彼らの遊ぶ範囲は城壁のなかに限られていた。バァルは前領主の1人息子、大事な東カナンの世継ぎだ。10分と居場所が分からなくなれば、城内をあげての大捜索になる。街にあって城で手に入らない物はなく、城の敷地内では城で雇用された職人たちの家族でちょっとした村のようなものがつくられていることから遊び仲間には事欠かないこともあり――もっとも、バァルの遊び相手として厳選された歳の近い貴族の子どもたちが何十人も城にあげられていて、セテカもそのうちの1人だったわけだが――バァルは14歳で街の学舎へ通うようになるまで、長時間街で過ごしたことはなかった。
「そのあともヤウズのような貴族の学友たちがいつも取り巻いていたから、バァルはほとんどこういった場所には足を踏み入れていない」
「ふーん」
(バァルは、ね)
なんとなく察しがついたので、ルカルカもそれ以上言葉として訊いたりはしなかった。ただ、視線に込めた意味は十分伝わったらしく、セテカはニヤリと笑う。
「じゃあ、ちょっと離れて見ててちょうだい。小さな子ども相手にはこうするのよ」
ルカルカはダリルを含め全員が等間隔で広場を囲うように散ったのを確認すると、おもむろに1本の筆を取り出して頭上に掲げた。
「さあさあ皆さん、ご注目! ただいま取り出したるは何の変哲もないただの筆。しかし実はこの筆はなんと、妖精の力が宿る魔訶不思議な筆なのです!」
母親に手を引かれて前をとおりすぎようとしていた女の子が、ぴたっと足を止める。
「……ようせいさん?」
「そう! これで描いた動物には、命が宿るの。ね? 何かお願いしてみて?」
しゃがんで目の位置を合わせたルカルカは、ウインクしながら提案する。女の子は少し考えて「ねこさん」と答えた。
「OK、ネコさんね」
ルカルカは地面にささっとネコを描く。整地されていない、でこぼこの地面に描いたので、そのネコはどことなくユーモラスで、愛嬌のある絵になった。
「……こぶたさん?」
「ネコさんよ。
さあ、一生懸命お願いしてみて。このネコさんに命が宿りますように」
「やどりますよーに」
女の子が両手を合わせて祈っているときに、ささっと隅にサインを入れた。とたん、線画のネコが地面から離れて身を起こす。
「うわあ! ネコさん!」
驚きと喜びがないまぜになった声で女の子はきゃーっと高い声で叫んだ。
女の子の声に、何事? と周囲の目が集まる。
「さあ次に描いてほしい子はだれ? 何がほしい?」
ルカルカの呼びかけに応じるように、わらわらと子どもが集まりだした。子どもにつきそうかたちで、大人たちも寄ってくる。あえて狙ってのわざとか実力かは分からないが、ルカルカがささっと描く1分絵の、妙に崩れた、でも愛嬌のある動物たちの姿は子どもだけに限らずその場にいるみんなのくすくす笑いを誘い、それがまた人を呼ぶというように、だんだんと彼女を中心とした輪が広がっていく。
ルカルカは笑顔で彼らに求められるまま絵を描き、それを飛び出す立体絵にして、子どもたちと一緒になって笑っていた。
「慣れたものだな」
「ああ。あれもまたルカの一面だ」
セテカの感心したつぶやきにダリルが答える。そして盗み見るようにセテカの横顔に視線を向け、少し逡巡するような間をあけたのち、口を開いた。
「今日はいろいろ多忙そうだから、今のうちに訊いておきたいんだが、いいか」
「なんだ?」
「シャムスと結婚するということは、将来おまえが南カナンの領主になるのか? それともシャムスが女領主になるのか」
ダリルからの問いを耳にした瞬間、セテカはまさかそんな質問がくるとは思いもしなかったというふうに目を瞠り、腕組みを解くとダリルへ正面を向けた。
「――シャムスは南カナンの正統な領主だ。継承は5年前彼女が前領主の跡を継いだときに完了していて、その勢威は彼女が死ぬか、あるいは女神様が統治代理権を剥奪するまで続く。
なぜそんなことを?」
「いや。興味があっただけだ」
「そうか。おれはてっきり、おれがいなくなったあとのタイフォン家はどうなるのかと訊かれるとばかり思っていたよ。そこに興味を持ってもらえなかったとは少し残念かな」
「あ、いや。それは――」
そのとき、セテカが何かに気づいた表情でそちらへ首を振った。
「いた。子どもたちだ」
輪の一番外側で、人垣の向こう側を覗こうとしている小さな男の子と女の子がいた。一生懸命背伸びをして、なんとか見えないかと、人と人の隙間を狙って体を揺すっている。
セテカが2人の一番近くにいる警備兵に合図を送る。警備兵たちはうなずき、そちらへ向かおうとしたが、その動きで悟られてしまった。
女の子ほど夢中になっていなかった男の子が、おびえた表情でくるっと反対側を向き、あわてて出てきた路地へ駆けこもうとする。
しかし次の瞬間、男の子の体がふわっと宙に浮いた。両脇の下からだれかが持ち上げているような体勢で、必死に足を動かすが、地面にかすりもしない。
「放せよ!! バカ!! クソ野郎!! ブッ殺すぞ!!」
そのほかにもいろいろと、小さな子どもらしくない、汚い言葉が男の子の口から飛び出し続けた。
「意味も分かってないくせに、そんな言葉口にしちゃだめよ。神官さまにお口をせっけんで洗われちゃうわよ?」
メッとルカルカがしかりつける。
もう1人、男の子がフラワシに捕まった隙に逃げようとしていた女の子もダリルがトラクタービーム発射装置で捕縛して、2人の作戦は大成功に終わった。
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