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リアクション
●婚約パーティー開催
読み終えた小冊子をぱたんと閉じて、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は横の窓へ目を向けた。
バルコニーを越えて広がる美しい庭園の向こう、太陽は城壁に沈んで見えず、西の空は夜の藍と赤焼けが混在した不可思議な色が広がっている。
「もうそろそろかな」
サイドテーブルに本を置き、組んでいた足をほどいて優雅に立ち上がる。
パーティーが開催されるのは夜の6時だと聞いていた。その前に召使いたちが呼びに来て手伝いをする手筈になっているのだろうが、それからバタバタと準備していては見苦しい。
「俺も一応イエニチェリだし、俺の粗相はルドルフさんへの悪評になりかねないから、立ち居振る舞いには気をつけないとね」
室内でくつろぐために開けていたシャツの前や袖のボタンを止めて、寝台へ置いてあった上着を取ろうと振り返る。
ちょうど部屋の中央に位置するテーブルでは、パートナーで黒いラブラドールの子犬の着ぐるみ姿のエーギル・アーダベルト(えーぎる・あーだべると)が、イスに立ち、テーブルに向かって前のめりの体勢で、一心不乱にぎゅっぎゅと両手で何かを押しつけていた。
「できた?」
「これー」
肩越しに覗き込んできたヴィナに、エーギルは折りたての紙人形を見せる。テーブルについた手元には、同じような紙人形がたくさんあった。
「いっぱいできたね」
「んーっ」
ヴィナに褒められたと、エーギルはうれしそうににぱっと笑う。
「どれがいちばんいい?」
「そうだね……これかな?」
テーブルの上の紙人形のうちの1つを指すと、エーギルはパッと飛びつくようにそれを取り、両手で掲げた。
「じゃあこれにする!」
「うん。そうしよう。だから、それを渡しに行くための支度をしようね」
「うんっ」
南カナン領主シャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)と東カナン12騎士タイフォン家の騎士セテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)の婚約パーティーは、領主の居城、表宮の大広間で執り行われていた。
東カナン12騎士といえど、通常その私的なパーティーを城で行うことは許されない。城はあくまで領主の所有物だからだ。しかし今回は相手の令嬢が国賓として遇する南カナン領主であるということ、そしてバァルの寵愛厚い騎士であるということから、今回の婚約パーティーは異例として城で開かれていた。
「すごい……!」
騎士の手によって大扉が押し開かれた瞬間目の前に広がった光景に、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)は思わず感嘆の声をあげた。
天井から吊られた十数個のシャンデリアがきらきらとまばゆい光を放ち、緻密なアラベスク模様がほどこされた壁が重厚な陰影を作り出している。窓に施されたステンドグラスの装飾もまたきらびやかだ。両側には赤く重いカーテンがまとめられ、金色のふさを垂らしている。そのふさが触れる床は、鏡のように磨きあげられたまろやかな乳白と灰色の2色で交互に組まれた石材で、それは中央で馬をアレンジしてはめ込まれた円形の大理石へと続いている。
そしてそのフロアを埋めるのは、中世時代ヨーロッパを思わせる、レースたっぷり、ドレープたっぷりのドレスとタキシードを着こなした紳士淑女たち。両側の壁に4カ所設けられた階段や踊場、そして吹き抜けの2階にまで人があふれ、用意された料理や飲み物をつまみながら談笑している。
まるで映画のワンシーンに入り込んでしまったような、そんな感覚にとらわれて、朱里はぱちぱちとまばたきをする。
ここにいるのは全員、この国の貴族たちだ。生まれながらの上流階級。
「これはすごいな」
脇からそんな言葉が聞こえてアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)がそちらを向くと、礼服に着替えたヴィナがエーギルの手を引いて立っていた。華やかなジェイダスやルドルフによって開かれる、あでやかな催しに出席することが多いヴィナの目から見ても――むしろ、だからこそ目が肥えて正確に把握できるのかもしれない――このパーティーの規模は感嘆の域であるようだ。だから、朱里が飲まれそうになってもおかしくない。
彼女の肩が強張っているのを感じ取って、アインはそっと優しく抱き寄せた。
「緊張してる?」
「う、うん」
「大丈夫だよ。僕も一緒にいる。それに――」
朱里にだけ聞こえる声でそう言うと、アインは一歩離れてほれぼれとした目で朱里を見た。
朱里は今、母大樹のドレスを着ていた。このドレスは朱里が歌姫(ディーヴァ)として活動する際にステージ衣装として着用すドレスで、『母なる大樹』をテーマに上質な緑のシルクに若葉や蔦、白い花をモチーフとした文様が施されている。襟元や袖口にはアンティークレースがあしらわれており、瑞々しい自然を表現したそのドレスは、まとった朱里を、清楚でありながら大地に根を下ろした母の大いなる包容力をも感じさせる存在にしている。
「ここにいるだれにも負けないくらい、きみはきれいだ」
見つめる瞳から、アインが心の底からそう思ってくれているのを読み取って、朱里は赤らんだほおではにかみつつ「ありがとう」と応じた。
「そうですわ」
後ろで2人の様子をほほ笑ましく見守っていたエンヘドゥ・ニヌア(えんへどぅ・にぬあ)が言葉をかける。2人の会話が聞こえているはずはないので、おそらく雰囲気から察したのだろう。エンヘドゥは彼女に気づいた2人の元へ歩み寄る。
「何も臆することはありません。あなたたちはこの国の領主バァルさまが望まれ自ら招待された者たちなのです。むしろ、あの者たちよりずっと、あなたたちはここにふさわしい者なのです」
朱里の手をとり、さあ、とエンヘドゥは2人を広間の中心にいるシャムスの元へ導いた。
「お姉さま。とても懐かしい西の香りをあなたの元へお連れしましたわ」
「朱里、アイン。来てくれたのか」
総レース仕立ての美しい純白のドレスをまとったシャムスが、別れたときとまったく変わらない笑顔で2人を迎える。
「俺もいるよ。ひさしぶりだね、シャムス」
2人の後ろからヴィナがひょこっと顔を出す。
「ヴィナ! きみもか」
「ご無沙汰しています。本日はおめでとうございます」
「おめでとう。僕や朱里だけでなく、ほかのみんなもとても喜んでいるよ。僕たちは彼らを代表して、ここへ来たんだ」
アインは下げていた白い紙袋を持ち上げて、シャムスへ差し出した。
「みんなからの寄せ書きやビデオレターだ。あとでセテカさんと見てくれないか」
それは小さな紙袋だったが、込められた想いは熱くて重い。
自分たちのためにみんながわざわざこれをつくってくれたのだと知って、シャムスはうれしそうに、そして彼らのことを思い出して懐かしそうにほほ笑んで、両手で受け取った。
「ありがとう。そうさせてもらう」
「ところで、そのセテカさんはどちらに?」
「ん? ああ。もうじき来るんじゃないかな」
ヴィナが視線を泳がせた方へ、つられたようにシャムスも目を向ける。
本当は2人で入場するはずだったのだが、少し遅れるとの連絡が入って、急きょシャムスはバァルの導きで入場していた。シャムス自身、支度に忙しかったこともあって、まだ今日はセテカと顔を合わせていない。
ここが勝手の違う他国ということもあり、シャムスはまだ気づいていないようだが、裏の事情を知る朱里やアイン、ヴィナたちは、なんとなく察しがついて笑顔で表情を固めたまま視線を合わせる。
(もしかして、まだ見つかってないとか……?)
そんなことを懸念した直後。
「ああ、来た」
と、シャムスが少しほっとした声でつぶやき、上げていたかかとを下ろして自分たちの輪にセテカを迎えた。
「シャムス、みんな、遅れてすまない」
騎士としての盛装に身を包んだセテカは謝罪するように軽く頭を下げる。シャムスの目が、彼の手に握られている物に気づいた。
「それは?」
「ん、ああ。ダリルにもらった」
見せるように持ち上げたのは1輪の機晶フラワーだった。精密な機械で造られたこの花は、機晶石の力で花弁を開いたり閉じたりすることができ、見る者を楽しませる。
もらったのはセテカだが、しかしやはり花は女性が持つ方がいい。セテカはそれをシャムスに渡した。
ひと段落つくのを待って、ヴィナが握手の手を差し出す。
「初めてお目にかかります、薔薇の学舎のヴィナ・アーダベルトといいます。このたびはお招きいただきまして、ありがとうございました」
「きみがそうか。シャムスから当時の話はいろいろ聞いている。セテカ・タイフォンだ。よろしく」
握手を終えて下ろした手の袖口を、つんつんと、エーギルが引っ張った。ヴィナはエーギルを抱き上げて、セテカの方を向かせる。
「この子はエーギル。シャムスとは前に会ったことあるよね」
「ああ」
「はじめまして、えーくんです!」
エーギルの興奮してキラキラ輝く両目は正面のセテカに固定されている。片手でヴィナをぎゅむっと掴み、バランスをとると、身を乗り出してセテカに向かって例の紙人形をぶんぶん振って見せた。
「シャムス・ニヌア、コテカ・タイフォン、ごこんやくおめでとーございます! これ、えーくんからのプレゼントです!!」
自信満々差し出されたそれを、セテカはじっと見つめる。笑顔だが、よく分かっていないようだ。ヴィナが助け舟を出した。
「えーくん、これは?」
「コテカにんぎょうなの! えーくん、いっしょうけんめいおったの!」
これはそのなかでも一番の自信作なのだ。ヴィナだってこれがいいって言ってくれたし!
えっへん。エーギルは胸を張って言う。抱きしめたいくらい愛らしい。
「ありがとう」
2人が幸せになりますように。そんな気持ちのこもった贈り物を、セテカは両手で受け取った。
「みんな、おれたちのために来てくれて本当にありがとう。今日は楽しんでいってくれ」
シャオ(中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう))があいさつにやって来たのは、ちょうどそのころだった。
人と人の隙間を縫うように歩いて、どうにかセテカたちの元へ到着する。
「セテカさん、シャムスさん、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。
きみ1人? めずらしいな。いつもセルマとミリィが一緒だったろう?」
セルマ・アリス(せるま・ありす)とミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)の姿を捜すように、セテカの目が人波を泳いだ。
「あ、ええ。セルマとミリィはシャンバラ大荒野でドラゴンの大量の死骸が見つかったことで、数週間前からその調査に出向いていて、連絡がついたときにはもう間に合わなくて――あ、ごめんなさい。せっかくのお祝いの日にこんな血生臭いこと――」
「いや。病気とかでないのならいいんだ。元気にやっているみたいで安心した」
「ええ。相変わらずよ」
セテカの笑顔にくすりとシャオも笑顔で応える。
「しかし、セルマが来てないのは残念だ」
「何か用があったの?」
「いや、セルマにというより、厳密には彼の細君にかな」
セテカは簡潔に、昨年の夏ハディーブのオアシスであったことを話した。
2人がつきあい始めたことは、主に互いの立場的理由から隠してきていた。しかし、夏に2人のことが第三者に気づかれていたことが発覚し、それならばもういっそ、と踏み切ることにしたのだった。
「――あれがきっかけだった。だから、彼女のおかげと言えなくもない」
「へえ、あのときそんなことが」
これはぜひともセルマに伝えなくちゃ、と思ったとき、シャオはふと、セルマが送ってきたメールのことを思い出した。
ちょうど家を出る寸前でばたばたしていたものだから、すっかり忘れきっていたけれど、あれってもしかしてセテカたちへの伝言だったのかもしれない。
ちょっとはしたないけど、そういうわけだからごめんなさいと断っておいて、シャオは携帯を引っ張り出して開いた。
セルマからのメールを開いて、本文を読む。
『親愛なるシャオへ。
自分の幸せに気づくのってきっと難しいと思う。
それでも俺はシャオが自分の生きたい道を進んでくれる事を心から願っています。
セルマ・アリスより』
「………………」
(えーーーーとーーーー…………。
何? これ。思わせぶりな内容なのは分かるけど。
セルマは何が言いたいの?)
「どうした?」
携帯を凝視したまま固まってしまっているシャオに気づいたセテカの声に、ハッと現実に返って、シャオはあわてて携帯を閉じるとしまった。
「う、ううんっ、何でもなかった。ただの連絡事項だったわ。あの……ごめんなさい」
手を振って何でもないを繰り返し、とりつくろいながらも、内心ではパニックである。
(えっと、これ、東カナンへ行って来るって伝えたら、来たメールよね)
カナンに来て……いつも何してた?
…………オズを、捜してた。
何で彼にいつも会ってたの?
…………会いたかったから。
何で?
…………オズと一緒に居るのが楽しいから。
何で?
…………オズは……明るくてちょっと恥ずかしいけど女神とか言って、私とミリィが来るの喜んでくれて嬉しかったわ。
でもあれって、他の人に言われても同じ?
(――オズだけよ)
「私……」
ぎゅっとなかに勇気を溜め込むように、こぶしをつくる。
「セテカ、あの……」
「ん?」
「オズは、どこにいるか分かる……?」
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