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リアクション
第質章 Delikatessen
「へッ! どうやらここは安全のようだなァ……」
この洞窟にしては珍しく家具の類が残されていた小部屋に、何所からともなく聞こえる男の声が響いた。
僅かに歪みのある空間から、スキンヘッドの巨漢が現れる。吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)だった。
「さーて。ここに来る奴に恩でも売って、舎弟を増やすとするかねェ」
予め持ち込んだ冷水入りの水筒を取り出すと、傍らの椅子に座り込んだ。程なく、竜司が待ち構えていた舎弟候補たちが、現れた。
「ここで……行き止まりかな?」
激しい戦闘を繰り広げてきたのか、着衣に乱れのあるものの小柄で可愛らしい姿の人物、アルフィエル・ノア(あるふぃえる・のあ)が呟いて深呼吸した。
「よォ、お嬢ちゃん。その様子じゃ疲れたろう? 水、飲みたくねェか? オレの舎弟になるなら、飲み放題だぜェ」
そう言って、水筒をたぷんたぷん鳴らしている竜司の傍に、アルフィエルは迷わず近寄った。
「お? 即決たァ嬉しいね……えビョッ!」
竜司に向けられたアルフィエルの手は水筒を掴むことなく、高らかな音を立てて、平手打ちを繰り出していた。
「どこに目をつけているんだ! 僕は男だ!」
「そっちが怒りどころかよ……大人に手を上げるなんざ、義務教育が終わってからにするんだ……なギャッ!」
スキンヘッドに怒りの血管を浮き立たせながら、竜司は椅子から立ち上がろうとして、アルフィエルに思い切り脛を蹴り上げられた。
「こう見えても、僕は十八才だ! 馬鹿にするなァッ!」
「どうかお静かに。こちらに招かれざる客を、呼ぶやもしれませんからね」
一触即発の空気に、一服の清涼剤とも思える柔らかな声が入り混じった。見ればモノトーンの執事服に身を包み、唇の前に人差し指を真っ直ぐ立てた、黒水 一晶(くろみ・かずあき)の姿があった。
「そうそう。それに、行き止まりの部屋で長居はしたくないからねぇ」
一晶の隣から姿を現した、清泉 北都(いずみ・ほくと)が姿を見せた。
「クソッ! マジメか?! 正論だけにムカつくぜ!」
竜司は床を蹴りつけながら、襟首を掴もうとアルフィエルに伸ばしていた腕を引っ込めた。
「ふぅ〜……」
激情から冷めたアルフィエルも、改めて竜司の体躯に恐れをなし、足に震えを覚えていた。
「仲良き事は、美しき哉、ですね。それにしても北都君。よくここに来れましたねぇ。随分枝分かれしたルートでしたのに」
白手袋を嵌め戸棚の扉を開きながら、一晶が問う。
「道すがら、妙な目印が複数あってね。辿ってきたらこの部屋に着いた、というわけだよ……う!」
のんびりとした口調の北都の声に鋭いものが混じり、三人は反射的に武器を手にして北都へ駆け寄った。
「これは……人骨なのかな」
口に掌を当てながら、くぐもった声でアルフィエルが声を押し出す。
「散々腐った死体と追いかけっこしておいて、今更ホネにビビってンじゃねぇよ」
チェーンソーを握った竜司も、不快そうに顔を歪めている。
「実に興味深いですねぇ……」
ただ一人、一晶だけは緑色の瞳に、好奇心の輝きを満たしていた。
「ここに捨てられている大半の骨は人骨ですが、若干量、小動物の骨も見受けられます。しかも散らばっているわけではなく、掘った穴にまとめて捨ててあった」
「……まさか……」
顔面を蒼白にした北都が、改めて部屋に備えてある調度品に視線を巡らせる。
「流石バトラーの北都君。気が付きましたか」
新しい玩具を与えられた幼児のように、一晶の瞳は、つるりとした骨に釘付けになっていた。
「何がだよ。オレにも判りやすく、説明しやがれ」
焦れて説明を急かす竜司の傍で、アルフィエルが特徴的な平たい石……過去に社会の教科書で見た記憶のある平たい石を台の上から拾い上げた。
「これ……なんだっけな?」
よく見れば、形の似ている石が、いくつも並べてあった。石を手にするアルフィエルを見て、北都は胸中の憶測が的中していた事を理解し、瞳をきつく閉じた。
「……説明を聞いても、後悔しないで下さいね?」
ゆっくりと竜司に顔を向けた一晶は、彼の頭脳が描いた推測で、真実を言い当てた。
「食べたのですよ。この骨に付いていた肉をね。骨だけが綺麗な状態で捨てられていたのは、調理したからです」
「ぐゥ……」
アルフィエルは、喉の奥に逆流しかけた胃液を押さえ込んだ。
「……それはゾンビの食べ方ではないし、仮にゾンビが食べたとしても、骨を一箇所にまとめて捨てたりはしない……」
荒い息を繰り返し、己を落ち着かせる努力をしていた北都が、掠れた声で状況証拠からの憶測を口にした。
「じゃ、じゃぁ……この石は……」
冷たい汗をびっしりと浮かべたアルフィエルの掌の上にある石を見て、一晶はさらりと答えた。
「包丁でしょう。打製石器ですよ」
その瞬間、石器時代の項目に掲載されていた、モノクロ写真と掌に乗っているものとの姿が、アルフィエルの脳内で照合された。
「じゃあこの部屋は、台所だっていうのか!?」
竜司は改めて室内を見合わした。解答を得た目で部屋には、台所の特徴を示す情報が、そこかしこに散らばっていた。
「多分ね。使われなくなって時間が経っているみたいだけど、スキンヘッドのお兄さんの言うとおりだと思うよ」
アルフィエルの掌の上乗っていた石を除けると、北都は小柄な肩を抱いて、アルフィエルが冷静さを取り戻す助けをしている。
「どういった背景があったにせよ、それ以外に食べるものが無かった状況が発生していたのだとしたら……この事件は思っているより根が深いかもしれません」
手袋を脱ぎ去ることで、この部屋に長居無用と皆に示した一晶は、入ってきた通路の様子を伺った。
「ムシャクシャしてきたぜ……」
一オクターブ、竜司の声が低くなった、と思う間もなく彼が手にしていたチェーンソーが、モーター音を響かせる。
「難しいこたァ、オレにはわからねェ。だがよ、この事実は、急いで伝えなきゃならねェ……そうだな?」
竜司が背中越しに語っていた。その背中に、先ほどまでいがみ合っていたアルフィエルが走り寄る。
「その意見には、僕も共感した。一緒に戦わせてよ」
「遅れンじゃねェぞ、ボウズ」
そういい残して竜司は走り出した。通路を塞ぐゾンビをチェーンソーで八つ裂きにしながら、アラモを目指して。
「…上等だ。やってやろうじゃないか! 僕に追い抜かれるんじゃないよ!」
アルフィエルも走り出した。手にしたカルスノウトで進路を切り開きながら。
「僕らも行こう。ここにいても、事件の全容は把握できないからね」
奥で騒音の響き始めた通路に、北都も飛び込んだ。手にはデリンジャーが握られている。
「遅くなりましたが、どうか安らかに」
胸に手を当て骨に黙祷を捧げると、一晶も北都に続いて部屋を後にした。
第捌章 : 薔薇の名前
羽入 勇(はにゅう・いさみ)は、ツァンダ市図書館から洞窟の地図を手に入れた時に覚えた違和感を、今でも拭いきれずにいた。
広大な、しかも美しい鍾乳石を形成している洞窟であるにも関わらず、洞窟には名前すら与えられいない。まず、その段階で検索に苦労した。
ラルフ・アンガー(らるふ・あんがー)と二人で協力し、肝試し開催日までの短い時間、必死に探し回ってようやく古びた一枚の地図を、偶然から発見した。
洞窟に全く関係のない肝試し関係の書籍から、栞のように挟まれていた穴だらけの地図を見つけたのだ。
「なんだか胸騒ぎがする」
勇は、その胸騒ぎを抱えたまま、この事件に巻き込まれ、真実を知るために洞窟に踏み込んだ。
偶然から調査通路を同じくした三人に、地図を手にした経緯を説明したところ、三人は何かが心の琴線に触れたのか、勇と同行調査する事を固く約束したのだった。
勇の地図を手がかりに、五人はこれ以上ない、というほど慎重に通路を進んだ。幸運も味方したのか、五人が選んだ通路にはゾンビは全く存在しておらず、通路も比較的清潔なものだった。
「でも、それが逆に気になります」
将来は確実にエキゾチック美人になることを今から予感させる容貌の荒巻 さけ(あらまき・さけ)は、端正な思案顔で呟いた。
「地図が存在するだけではなくって、通路に加工の跡があるし……人が住んでいたのなら、もっと簡単に地図が見つかったり洞窟の名前が判ったりしそうだよね!」
思考の海に沈んでいるさけとは対照的な美貌の持ち主、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が相槌を打った。
美羽は、下着が見えないこと自体がこの世の神秘、とまでに短いスカートから、スーパーモデルも裸足で逃げ出す美脚を惜しげもなく披露している。
「美羽さんの意見はもっともだと思います。この肝試しは、最初から奇妙な事が多すぎます」
控えめな装いではあるが、着飾れば美羽に劣らぬ魅力を発揮しそうな女性、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)も同意を示した。
「これだけ大量のゾンビにせよゾンビの依り代となる遺体にせよ、どうして洞窟下調べの段階で、運営委員は発見できなかったのでしょうね?」
思案顔を保ったまま、さけは漠然としていた事件の疑問点に、輪郭線を与えていった。
「埋められていたとか? ……って、あ、そうか。この洞窟は鍾乳石だから、簡単には掘れない」
ラルフは、靴で地面をつついた。硬質な反作用がつま先に返ってくる。
「それに、死者を悼むつもりで埋めたのであれば、墓標を伴うのが自然です。でも、それも発見されていない」
さけが首を横に振ると、濃い色の髪が広がった。
「その疑問は、解決できるかもしれないよ!」
勇の弾んだ声が、答えを探す後続四人の視線を前方に向かせた。
勇が皆を導きいれた空間には、書架が並べられており、湿気と虫食いで劣化してはいたものの、原型を留めている書籍が詰まっていた。
「ゾンビの発生源ではないけれど……発生原因は掴めるかもしれない! みんな、手分けして調べようよ!」
美羽がツインテールとリボンを揺らしながら、書架に向かい背表紙に目を走らせ始めた。
四人も頷き合うと、次々に書籍を調べ始めた。
持ち寄った光源を寄せ集め、細い光を頼りに頁を繰る音だけが室内に響いた。
どれくらいの時が流れたのか、誰も自覚できなくなった頃に、途切れて久しい肉声を勇が発した。
「……こんな……こんなことって……ッ!」
快活な表情を失い、驚愕に瞳を見開く勇の顔を見ても、さけも美羽もベアトリーチェも……そして最も付き合いの長いラルフですら、驚いた様子を見せなかった。
内容の差異はあれ、五人は一つの事実に突き当たっていたのだ。
「貴女が読んだのは、記録日誌でしたか……」
勇に先んじて、その書籍を手に取れなかった事を悔やみながら、ラルフは勇の手から日誌を引き取り、抑揚のない声で読み上げ始めた。
『洞窟が崩落して二週間が経過した。信者から既に死者が出ており、洞窟内の動物を捕獲する事も困難になってきている。だが、信仰を失わなければ必ず我々は助かる』
『洞窟が崩落して五十二日が経過した。昨日は十二名が魂の海へと旅立った。生き残った者は信仰を保ち続けているが、神はまだ、我々に試練をお与えになっている』
『洞窟が崩落して……』
「この先は、筆が乱れていて、判読できません……」
ラルフは日誌を手にしたまま、拳を固めて硬直している勇の傍らに身を置いた。ベアトリーチェが勇の背中に腕を回し、規則正しく撫でていた。
「洞窟崩落の原因は、ツァンダに通じる交易路の拡充工事が原因だと思われます」
表情を消したままさけは、手にしていたファイルブックを開いて見せた。そこにはツァンダ市で一般に流通している新聞のスクラップが貼り付けてあった。
内容はいずれも、交易路拡充に関する工事の記事と、法的な手続きを踏んだ上で工事に抗議する、教団の活動にまつわる記事だった。
「この教団は、魂の海、って言い方に象徴されるように、スピリチュアルな教義を主旨としていたみたいね。人は死後、魂の海と呼ばれる存在に、合一するのだそうよ」
美羽は、経典を読んでいたらしく、教義を掻い摘んで口にした。
「加えて言いますと、活動内容も地域ボランティア主体で、非常に穏健なものです。金銭関係でも不透明なところはありませんでした」
教団の運営記録に目を通していたベアトリーチェが、美羽の情報を補完した。眼鏡の奥で、優しげだった瞳がどのような色をしているのか、今は覗えない。
「……しかし、この教団の教祖が持つ霊能力は本物で、実際に超常現象を起こすみたいですね……」
判読できる頁だけを読み進めながら、ラルフは言葉を補った。
「教祖は生きながらにして、魂の海とアクセスする能力がある、と記してあります」
「……魂の海に、アクセス……?」
さけはエメラルド色の瞳を閉じた。再び沈黙を保ち、脳をフル回転させる。
「もし……もしもよ? この洞窟で亡くなった信者が、魂の海に集まっていて、それでもって、教祖がまだ生きていたら……」
固唾を飲み下してから、美羽が乱暴な仮説を口にする。その仮説を耳にして、さけは瞼を跳ね上げ、瞳を見開いた。
「ゾンビの発生理由は……死霊術ではなく降霊術によるものかもしれません。しかも、教祖がバイパスになり、『霊自身の意思でこの世に降りている』のであれば、魔法陣や祭壇なんて、存在しない」
「じゃ、そういった大掛かりなものを探しているグループは、無駄足を踏んでいるってこと!?」
美羽の疑問に対し、さけは更に仮説を上乗せしてくる。
「もし、ゾンビが動く理由が霊であるなら、肉体の破壊に意味がありません。何しろもともと肉体が朽ちて骨も保存されていないような状態なのに、彼らは物理的な肉体を持っています」
「それだけ強力な怨念で、バラバラになった体を保っているのね……って、ちょっと待って!」
美羽はさけに顔を近づけた。接吻の距離まで指一本しかない。
「肉体の破壊に意味がない、って言ったわね? じゃ、最悪の場合、今まで倒したゾンビが……」
沈黙を保っていたベアトリーチェが美羽に歩み寄り、控えめに口を開いた。
「私から御説明します。最悪の場合、ゾンビは全て復活する可能性があります。物理的破壊よりもヒールが有効ではありますが、霊そのものを放逐する能力はありませんから」
下唇を噛み締め、美羽は俯いた。短い逡巡の後、決意に彩られた表情を上げ、経典を勇の体に押し付けた。
「私、先に行って皆に知らせてくる」
「美羽さん、一人では危険だよ!」
胸に抱えるようにして経典を受け取った勇は、美羽の見せる笑顔に圧倒されそうになった。
「私の美脚は、見た目だけじゃないんだからね? それに、真実を伝えたいなら、ここで資料集めをして外に持ち出す必要があるでしょ?」
美羽は自らの頬を両手で叩き、気合を入れると通路に向かってクラウチングスタートの姿勢になった。それでもやはり、下着は見えない。
「ベアトリーチェ、後からついてきてね?」
そう言い残した美羽は、美しいフォームで疾走し、通路の闇の中に消えていった。
「それでは皆様さん、私も美羽さんを追います。どうか、御無事にお戻りくださいね」
几帳面に頭を下げてから、ベアトリーチェは眼鏡を外して懐に入れた。その瞳の色は、美羽と同じ海の色だった。
「さけ、さん。ボクの我が侭を聞いてもらえるかな? 少しでも多くのドキュメントを持ち出して、外の世界に事実を知らせたいんだよ!」
経典と日誌を鞄に詰め込みながら、勇はさけの姿を探して言った。
「当然です。この事件を、タダのゾンビ祭りで終わらせるわけには、いかないではありませんか」
既にさけは、書架を回って重要文書を抜き出し、両手に抱え込んでいた。
「ありがとう! 本当に、ありがとう!」
感涙を袖で拭うと、勇とラルフも書架の間を飛び回り、真実を伝えるための文書を探し始めた。
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