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intermedio 貴族達の幕間劇 (前編)

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第5章 推理の時間


「それにしても――普段は忘れがちだけれど、貴方って女王だったのよね。何処からともなく招待券をGETして来た時は流石に驚いたわよ。王侯貴族のコネクションというものは凄いわね」
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、美少女と言って良かった。グリーンのドレスで着飾った姿はパーティを華やかにさせる。しかし容姿は彼女に良く似ているパートナーは、彼女の美しさすらかすんで見せていた。
「ふふ、蛇の道は蛇、と言うではないか。良家の令嬢の集まる百合園の事、中には当然の事ながら英国出身の者もおる故な。妾本来の名を出せばその者達より招待券を献上させるは造作も無き事。まぁ、偶然もあったがの」
 グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)──エリザベス?世の名の方が知られているだろうか。母は英国王ヘンリー八世の二番目の妃アン・ブーリン。
血塗られた王妃たちの争いから生まれ、英国を黄金時代に導いた偉大なる女王の英霊である。
「英国史に於ける最も偉大な勝利者として知られる妾の知名度を見縊るでないぞ?」
 名だけではなく、その名を背負った堂々とした立ち居振る舞いが、パーティの場で主役のごとき輝きを見せているのだった。
「しかし政略結婚などと、愚かな……」
 その身を以て生涯独身を貫き通した彼女は、だが重い言葉を呟きつつ、人が近づけばその雰囲気と言葉を優雅に変える。
「お会いできて光栄ですわ、ディーノさん。あなたの歌声を楽しみに参りましたの」
 テノール歌手ディーノが、丁度会場へと入ってきたところだった。何やら失意を浮かべていた顔は、客の姿を見てすぐに笑顔に取って代わった。
(歌手とはいえ、流石に舞台に立つだけあるということか?)
 その代わり様に内心舌を巻きつつ、傍らの戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)が彼の代わりに、庇うように進み出た。
 小次郎は先ほど、オペラ関係者のスペースから大広間に入ろうとするディーノを見つけ、護衛を申し出ていたのだ。
「いいよ、この仕事は挨拶が大事だから。──光栄です、シニョリーナ」
 その小次郎よりディーノは先を行き、グロリアーナとローザマリアに恭しく礼をして見せた。
「この鱒と野菜のテリーヌ、絶品ですわよ? 宜しければ私が取って来て差し上げますわ」
「女性のお手を煩わせることはありません」
「お気遣いなく。……こちらの方にワインを」
 ローザマリアはボーイを呼び止め、さらに酒を勧めようとする。だが、酒ごと、彼女の目論見──酔わせて口を軽くする──を遮ったのは再び小次郎だった。
「いや、結構」
「ありがとうございます。舞台が終わってから頂きますので」
 ディーノは愛想よくローザマリアに返答したが、小次郎は逆に諌めるような視線を彼女に送った。
(そうでなくとも、飲んでもらっては困る。それに──真に狙われているのは、彼じゃないのか? 護衛の話も真剣に聞いてもらえなかった)
「そうでしたわ、先の援助打ち切りの件は、遺憾な事でしたわね」
「ボクも興味あるな。ディーノ氏にだけどね」
 再びローザマリアを遮ろうとした小次郎には厄介なことに。もう一人少女が現れた。
 黒いゴスロリ風ドレスの桐生 円(きりゅう・まどか)が、薔薇を象った皿の上にお菓子を乗せて、つまんでいる。その手と口を動かす合間に、立て板に水と質問を投げかけた。
「良かったら、演技が上手くなる方法とか、人になりきる方法とか教えて下さると嬉しいです。なりきるって難しいですよね。そうそう、当時のバルトリ家当主の役柄は、ご自分で研究なさって、独自に解釈していらっしゃるんですか? それとも他の方法つかったりするんです? 無知ですいませんが、教えて頂けると助かります」
「ああ、それはね……」
 話題が変わったことに、そして彼女が幼い外見であることにほっとしたのか。ディーノは饒舌に語り始めた。それが円の軽いジャブであることには気付いていない。
「バルトリ家に伝わる古王国時代の資料を読ませていただいたり……このオペラの元になった物語を……これもかなり昔のことだけど、バルトリ家の何代か前のご家族に書かれた方がいらして、それを読んだりしたよ。それで自分なりの当主像をつくるんだ。オペラの作者や演出家と意見を戦わせることもあるけどね」
「そうなんですかー。そうそう、失礼かと思いますが、アレッシアさんの事どう思いますか? やっぱり突然援助を打ち切られて複雑な所だと思いますが。あぁ、疑ってるわけじゃないんです、勘ですけど。ボクは、アウグストさんが脅迫状出したのかなーと思ってますから」
 その瞬間。
 ディーノの顔が凍りついたように一同には見えた。
「脅迫……状? 一体、何の話を──」
 彼にはそれは、初耳だった。小次郎も話してはいない。それが護衛の件を真剣に受け取られなかった原因のひとつだったのだが。
「あー、知らなかったらいいんです。それから、アレッシアさんの事好きだったりしましたー? パトロンってボクにはよくわからないんだけど、何だろう。大人の世界って感じがして、やっぱりそういうことがあったりするのかなって」
「……恋愛ではなかったよ。大変お世話になり、尊敬している方だ。彼女がいなければ今の僕はないと思っている」
 言葉を濁すように。ディーノは歯切れ悪く答える。
「んー失礼でしたね、すみません。あ、あとサインください」
 円は皿をテーブルに置くと、サイン帳を取り出した。ディーノはペンを走らせたが、その手は震えていた。
「ごめん、少し曲がっちゃったかな」
「いいですよ。ありがとうございます」
 円は小悪魔的な笑みを浮かべると、恭しく礼をして皿を取り、そのまま新しいお菓子を見つけに行ってしまった。
「まさか、そんな……脅迫状!?……誰が何のために。まさか……俺を憎んで……」
 彼女を見送ってから、青ざめた顔で。それを知っていたのか、とディーノは小次郎を見た。彼は小さく頷く。
「用件は本日の殺人予告。差出人は不明。宛名はアレッシア・バルトリ。……ディーノ殿にではない。貴殿への殺意も感じない。“禁猟区”には何も引っかからない」
 しかしそれを耳にしても、彼はちっとも安心したようには見えなかった。
「……私、貴方の新しいスポンサーに興味がありますわ。どのような方ですの? 事件に関係があると思うのですが」
 ローザマリアの質問に、ディーノは早口で答える。
「大貴族です。多大な援助をいただいています。……ただ、恋人なので、単なる援助者ではないのですけれどね。それにしてもアレッシアさんが……自分にできるならどうにかして止めたいが……」
 彼はうめいて、部屋の奥に目をやった。
 大きな扉。あの向こうに、舞台と観客席が設けられている。
 そして、扉の近くには、女生徒たちに囲まれたアレッシアの姿も、また──。


 一人は屋敷のメイド──泉 椿(いずみ・つばき)。早朝から、アレッシアにつかず離れず、彼女の護衛を務めている。
 一人はご令嬢──ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)。ヴァイシャリーに屋敷を持つパウエル家の令嬢。アレッシアと歓談中だ。
 こちらもご令嬢──橘 舞(たちばな・まい)。こちらは日本のお嬢様。パートナーのブリジットが失礼なことを言いださないか、はらはらして彼女を見ている。
 一人は侍女──イルマ・レスト(いるま・れすと)。パウエル家のメイド。今日もブリジットに付き従っている。
 一人は探偵──オープン・ザ セサミ(おーぷんざ・せさみ)。椿のパートナーにして、自称美少女探偵。貴族たちに目をつけて、噂話を聞いている。
 そして生徒──朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)。パートナーイルマの側に一歩引いた位置にいる彼女は、従姉妹の橘舞とは姉妹のように似ているが、制服姿でしかめっ面をしており、周囲から浮いていた。
 この六人の乙女たちは、百合園女学院推理研究会の面々である(そのうち百合園生は二人だけだったが)。
「お招き頂きありがとうございます。アレッシア様」
 にこやかに挨拶をしながら、ブリジットは、
 ──オペラなんて退屈そうだと思ってたけど、退屈しないで済みそうじゃない? 名探偵のいるところ事件って起きるものなのよね。
 なんてことを考えていた。有閑お嬢様にとって推理研究会は「おもしろき こともなき世を おもしろく」するためのクラブでもあった。パートナーの舞は純粋にオペラを楽しみにしているようだったが……。
「いらしてくださって、とても嬉しいわ」
 アレッシアはそつのない笑顔でブリジットを迎える。人を不快にさせず、むしろ心地よくさせ安心させるような笑みだ。けれど……。
 舞はブリジットに視線を送った。本当に、彼女が容疑者の一人だというのか、と。
 ブリジットの推理によれば、脅迫状を送ったのは、寝室にカードを置くことができたのなら、夫アウグストかアレッシア本人のどちらかだという。
「夫であれば、オペラを潰したい嫌がらせ。アレッシアであれば、ディーノの関心を引こうとしているのか。どちらにしても痴情のもつれってやつよ」
 そう彼女は言ったが、舞には信じられない。ディーノとアレッシアがそういった、親密な関係だったとして、それは不貞、よくないことだ。でも、もしその通りなら。今日を殺害予告の指定にする意味がちゃんと通る。
「アレッシア様のお命を狙う者が近くにいるかもしれませんのに、怖くはないのですか?」
 たわいもない雑談。その合間、不意打ちのように、ブリジットは尋ねてみた。
 面食らったアレッシアは、数拍の間をおいて、目を伏せて、胸元に手を持っていき、手を握りしめる。
「ええ、もちろん……恐ろしくてたまりませんの。……ですが、皆さんのお力をお借りできるのですもの……」
 その表情は、本当に恐ろしそうに見える。
 けれどその前のほんの一瞬。彼女の瞳に映ったそれは、狙われるもののそれではないように、ブリジットには思えた。
「その脅迫状なのですが、どのような状況で届けられたのでしょう?」
 たたみかけるように、セサミが問う。彼女もまた、夫人の狂言を疑っていた。もしかしたら、アウグストのただの嫌がらせかもしれないけれど。
「その夜は、珍しくひどく冷え込んだ夜でしたわ。
 仕事を終えて食事と入浴を終えたわたくしは寝ようとしましたがなかなか寝付けず……午後十一時ごろまで、図書室で本を読んでおりましたの。その合間に夫が帰宅したようでした。午前一時を回っていましたかしら。
 それから、メイドに寝室にお茶を用意しておくように言いつけましたわ。部屋に戻ると脅迫状が置いてありましたの」
「その他に部屋に入った者はいないのですね? メイドさんはどのような方です?」
「ええ。他の者は帰宅するか寝ていた筈ですわ。メイドの名はモニカ、普段から私の身の回りの世話をしてくれている信頼の置ける侍女です」
 ──これで容疑者は絞られたわね、と。
 セサミは、銀のトレイ片手に給仕していた椿を、部屋の隅に呼んで一部始終を話す。
「なあ、本当に夫人の狂言だって思ってんのか? 確かに、恨みがあるんなら、脅迫状なんか出して警戒させずに襲えばいいことだし……けど」
 椿はアレッシアを警護するつもりでいる。彼女はセサミの言葉に信じられないというように首を振った。
「うん、ディーノはイケメンだったよ、さっき見た。憧れんのも分かるさ。けど旦那さんいるんだろ? 新しいパトロンだって……」
 椿と情報交換を終えたセサミは指を立てた。それを一本ずつゆっくり折っていく。
「容疑者は四人。夫、夫人、ディーノ、それに加えて侍女さんね。
 一番疑わしそうな、動機がはっきりしているディーノの場合。
 援助を打ち切られてアレッシアを恨んでいるかもしれないけど、代わりのスポンサーが見つかっているし。オペラが中止になっては困るはず。寝室に置くのも難しそうだしね。
 でもね、それ以上に。椿が言ったように、脅迫状を出したって、メリットなんてないの。寧ろデメリットでしょ? こんなに契約者がいるんだもの。
 むしろディーノに裏切られ、恨みを持ち罪をかぶせたいのは……夫人の狂言ではないかしら?」
 先ほどの反応と重ね合わせてみれば。それは尤もなことのように思われた。

 一方、挨拶を終えたイルマは、千歳をつれ輪を離れた。
(確かに、コントラクターの数が多い。これでは、夫人を襲おうとしても難しいだろうな)
 千歳が、イルマを目で追いながら頷く。
 イルマは、内部犯行ならばと使用人に話を聞いており、その反応を千歳は伺っていた。
(が、内部犯ならば、直接襲う必要はない。グラスや舞台に細工することは可能なはずだ)
(──なんてことを思っていそうですね。でも、そんな顔では怖がられてしまいますわ)
 生来の厳しげな顔つきに、余計難しい表情を浮かべている千歳をイルマは眺めてから、心中で呟く。
「……ええ、そうですわね。何処のお屋敷も大変ですわ。特に冬になりますでしょう、暖炉磨きが辛い季節になりますわね……」
 イルマは世間話を呼び止めた使用人にしつつ、話題を目的のものへと徐々に変えていく。
「あら、あそこのお屋敷は休暇をほとんどくださらないそうですわよ。お皿を割ったメイドを激しく詰ったとか。ですのに、お気に入りのメイドには甘いようで……ご主人と言えば、こちらのご主人はどのような方ですの?」
 千歳は真面目に、メイドの反応をうかがっている。彼女の警戒と裏腹に、彼らは単に和やかに、仕事のほんの合間のお喋りを楽しんでいるようにしか見えなかった。
 でも、それでいいのですわ、とイルマは思う。千歳は考えがすぐ顔に出てしまうから、真意は伝えていないのだ。
「そうですの……ご夫婦仲は?」
 イルマが疑っているのは、アウグスト・バルトリ。妻の不貞を懲らしめるか、はたまたディーノを狙うつもりか。
 どちらにしてもその怒りは当然に思える。永遠の愛を誓いながらの浮気など、もし自身の身に起きたなら、イルマには許せることではなかったから。
 本当の目的は、真実を探るための情報収集に過ぎない。
 とはいえ主人もいるパーティの席でそうそう使用人が悪い意味の本音を吐露することもなかった。
「アレッシア様は、この屋敷の使用人全員が、主人としてお仕えするに足る方と思っていますわ」
 無理難題は言わないし、何より使用人には公平で公明正大。激しい感情の波もない。お給金は十分、事情で辞める使用人には紹介状を書き、適度な休日に、息抜きには使用人向けのパーティもある。
「他のお屋敷に行こうと思うのは、もっと良い条件があちらから提示された時くらいですけれど、そんなことそうそうありませんし。お給料が良くても当り散らすようなご家庭にお仕えするのは大変ですもの。ご夫婦仲もひどく悪いということもありませんし」
 ただ、と彼女は言った。
「最近、アウグスト様は外出がちで、お金遣いも派手になって……アレッシア様はお心を痛めていらっしゃいますわ。私達のお給金がいただけなくなるような、そんな事態にはなっていませんけれど……この前も、いつも磨いていた高価な調度品がなくなっていたりしましたもの。仕事は楽になりますけれど……心配ですわ」
 お喋りなメイドはそこまで話すと、仕事へと戻っていった。


intermezzo ──間奏、或いは沈黙

 ばたん。
 扉の閉められる音とともに、ディーノは息を吐いた。
 彼のために用意された小さな楽屋は、窓が締め切られ、暗い。
「灯りをつけるか?」
 戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の問いに、ディーノは力なく首を振る。
「いや、いいよ」
「そういえば、聞いていなかったな。援助を打ち切られた原因に、心当たりはないか?」
 ディーノは暗がりの中、水差しの水をコップに注ぐ。
「ない。ただ……、その日俺の家に夫人はいらした。いつもと同じ様子だったよ。用件は、今日のオペラの打ち合わせだ。これは時たまあるんだ。
 そして、お茶をお出しして、その新しいカップを見たときに……顔色が変わった。あれは俺がビアンカから最近貰ったもので、高価そうだったけど……別に変哲のないものだったと思うけどね。どこかのお屋敷で見た覚えもあるから、きっとありふれたものなんだろうな」
「そうか」
「──オペラの準備までまだ少し間がある。済まないが、三十分後に起こしてくれ」
 戦部小次郎にそう言いながら、彼はテーブルの上の薬瓶から、錠剤をざらざらと手に取った。
「そんなに何を飲むんだ?」
「最近公演の前はろくに眠れないんだ。薬に体が慣れてきたんだろう。君がいるうちに少しでも休んでおきたくてね」
 一気に薬を飲み下すと、彼は長椅子に体を横たえた。
 顔を腕で覆うようにして動かなくなった彼を横目に、小次郎はテーブルに近づく。茶色の瓶に張られたラベルは、睡眠薬の名が書かれていた。
 小次郎は、彼の横顔に目をやる。
 ディーノ。絶好の動機を持つ者。そして、やはり彼は無実だ。そう……誰かが、彼を狙っている。
 だが、禁漁区にも反応しない、殺気も感じない。
「そうか、それが──むしろ、それが狙いですか──」
 小次郎の守る対象、ディーノの命。それは護衛では防げない。
 この場ではない。誰も手を下さない。法的に、正しく、彼は裁かれて死ぬのだから。
「起きたら、そのパトロンとやらについて、詳しく訊く必要がありそうですね」
 彼は、その睡眠薬の瓶を自分の懐へと、入れ。
 扉に鍵をかけると、その前に椅子を置き、腰を下ろした。