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リアクション
●カレータイムを皆様に
「校長、静香校長ー!」
松本恵は手を振って合図した。憧れのひとであり、この学校へ誘ってくれた恩人、桜井静香に。
「恵?」
着物姿の静香は気づいて、そそくさと駆けつけてくれた。
「野点は終わったの?」
「うん。大盛況だったよ! で、食い意地が張ってて恥ずかしいけど、お腹もすいてきたし、カレーのご相伴にあずかろうと思って」
静香は屈託なく笑った。
思えば恵と静香はちょっとした奇縁の間柄になる。遺伝子提供の件で知り合い、その功績が認められて恵は百合園女学院に転校してきたのだ。
「あら、お二人ともこちらでしたか?」
楚々とした仕草で、泉美緒がやってくるのが見えた。美緒は頭を下げた。
「恵さん、おかげでわたくしのカレー、美味しくできましたよ」
「え? ほんと? それは良かった!」
「じゃあみんなで美緒さんのカレーを食べてみようよ!」
静香が言ったので、皆賛成の声を上げた。
唯一人、アルジェンシア・レーリエルはシャツ状態のまま(「あたしも食べたいですわ!」)と嘆くのだが、彼女が人間状態に復すと色々大変……つまり、現在爆乳の恵がボーイ状態(※当然ながら胸は平原)になってしまうので、もうしばらく彼女には、我慢してもらう必要がありそうだ。
そこに水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)も加わった。
緋雨が、美緒の姿に気づいたのである。
「わー、美緒さん、お久しぶりー♪」
二十メートルほど先から、手を振りながら緋雨は駆けた。
こんなとき、緋雨はとても美少女してしまうのである。
いや、元々美少女なのだが、たとえるならそう、映画やドラマの中の美少女のように(無意識的に)なってしまうのである。
小走りすると皆が振り返る、そんな美少女に。
だからなぜかスローモーションになってしまう。
スローモーションで緋雨が駆ける。
なびく髪、きらきら輝く瞳……そして、
たったったった。
そんなスローモーションを無視して追い抜いていく天津 麻羅(あまつ・まら)。
しかも瓶ビールを片手に。
「あの……別にいいんだけど、一言だけ言わせて」
麻羅に追いついて緋雨は言った。
「麻羅って、すごくマイペースよね、いつも」
「何を今さらわかりきったことを」
ともかく、と、乱れた髪を直しつつ緋雨は美緒に話しかけた。
「美緒さん、お久しぶり……と、さっき言ったけど、そういえば妹の美那さん……エンヘドゥさんの事で少しお話をしただけなんだけどね。あは」
「緋雨も随分マイペースだと思うぞ、わしは」
瓶ビールをごっごと飲みつつ麻羅が指摘するが、緋雨は気にしないでおく。
純正お嬢様の美緒は穏やかに微笑んだ。
「ではこれからもっと、親しくなって色々なお話を致しましょうね。緋雨様」
「育ちがいい娘は余裕があるのう、緋雨よ」
けけけと麻羅が茶化すので、私はどうせ育ちが悪いですよーだ、と、イーッと言う顔を彼女に見せ、緋雨は顔を再度美緒に向けて同じように微笑むと、
「失礼ついでに聞いちゃうけど、美緒さんとエンヘドゥさんの関係って、結局どう落ち着いたんでしょう?」
「『泉美那を名乗ったのは、カナンを守るために仕方のないことだった』……とあの方からご説明をいただいております。実際、エンヘドゥ様がカナンから亡命してこなければカナンを救うことはできなかったのですから、その辺りの事情は気にしていません」
「うーん」
緋雨は思わず溜息した。次には、尊敬のまなざしで彼女を見るのだった。
「なんていうか、美緒さんの度量の広さ、っていうか、人間力には勝てないって気がするなぁ……素直に憧れちゃう」
「そんなことはないです。憧れるとおっしゃるなら……」
美緒は緋雨、それに麻羅を交互に見て言った。
「お二人の仲睦まじさ、息がピッタリのやりとりには、わたくしこそ、憧れます」
すると麻羅が即反応した。
「いや、これは仲睦まじいのとは違うのじゃ。あんまりにも緋雨が不肖すぎて、わしがなにかと支えてやらねばならぬだけじゃて。まったく、目が離せないのじゃよ」
しかしそんな麻羅の言に、緋雨が素早く口を挟んだ。
「何が『目が離せない』だか……などと言いながらまたビール開けてるじゃない。師匠っていうならそんなガンガン呑まないの! 酔いつぶれた麻羅を背負って帰るのは私なんだからねっ」
「たかがビール、何本呑んでもわしには水のようなもんじゃて」
「そんなこと言って、カレーができるまではずっと、塩だけをつまみに日本酒飲んでたじゃない! ていうかそもそも、ロクに食べもせずそんなに飲んじゃだめっ」
緋雨は麻羅の手から瓶ビール(中瓶)を奪い取った。
「あー」
丁々発止のそのやりとりを、美緒はまた、くすくすと微笑んで眺めているのだった。
「あ、そうだ。カレーでしたね。さあ、できあがっております」
美緒のカレーを二人は味わうのである。
美味であった。みんなが手伝ってくれたからだろうか、なんともハートまで温かくなるカレーライスなのである。家庭の味、という感じだ。
「美味しい!」
緋雨は太鼓判を押しつつ、そうだこれ言わないと、と口を開いた。
「美緒さん、甘いわ! 甘いわと言っているのはこのカレーの事じゃなく、最初に用意したカレーの事を言っているのよ!!」
「なんのことです?」
「手料理と言いながら、『VANカレー・ゴールド』(レトルト食品)でお茶を濁そうとしていたでしょう」
「それは反省しております」
「いや、そういう意味じゃなく、チョイスが甘いと私は言いたいの」
なぜか熱っぽく語る緋雨なのだ。
「確かに『VANカレー・ゴールド』は市販の物としては一般的に出回っているから、普通にカレーを食べる選択肢としては無難かもしれないわ。でも『花嫁修業の一環』としての選択としては今一つ足りていないわ! 花嫁修業の一環としてなら、一般的に出回っている物より珍しい物が良いと思わない?」
そういうものなのか、と言いたげな顔を麻羅がしているが気にせず緋雨は畳みかけた。
「そこで私がネットで探した物はコレ……『熊カレー』よ!」
箱入りのレトルトカレーを取り出し、今日のお礼よ、と言って美緒に手渡した。
「味はわからないけど、ただ珍しいってだけで探しただけだからね♪」
「あ、はい……ありがとうございました」
じゃあね、と手を振って緋雨らは美緒から離れた。
「お嬢様に間違った常識を教えておらんかったか……?」
いいのか、と麻羅が妙な顔をするも、「いいはず!」と緋雨はむしろ胸を張った。
さらに緋雨と麻羅は、あちこちの鍋を回って様々なカレーを堪能した。
「ふぅむ。どれもなかなかに美味じゃの」
いつの間にやら緋雨からビール瓶を奪い返している麻羅だ。ごっごと呑んで言う。
「まあしかし、やはりカレーに合う酒はビールくらいかのう? カレーはスパイスやら何やらで、繊細な酒なら味を打ち消してしまうからのう」
「私、お酒飲まないから知らないけど、そういうものなの?」
涼司特製黒カレーを味わいながら緋雨が問うた。
「然り。ビールならなんでもいいというものでもないぞ。ほれ、見てみ、これはインドのラガービールじゃ。中瓶しかないから面倒じゃが、カレーに負けないしっかりしたコクでないとどうしようもないからな。日本の軽いやつや、あの妙に売れとるがコクのかけらもないなんとかドライなんぞでは太刀打ちできん」
そんな益体もない話をしていた二人に、大柄な少女が話しかけてきた。
「また一つ焼いたところ、焼きカレー、食べるか?」
ローラだ。大きな目、やはり大きな口、くりっとした顔立ちで、南洋系の美人と言っていい。
「おお、おぬしは……これ、どうした?」
ローラは麻羅を見て、少し眉を曇らせたのだ。
が、すぐに、申し訳なさそうに言った。
「……なんでもない。あなた、知ってる人にちょっと、似てたから」
「なんじゃ。そやつは聡明で博識、おまけに神がかってる人物だったと申すか? 世にそういう者が何人もおるとはあなどれんのう」
からからと麻羅は笑ったが、そっと緋雨が囁いた。
「聞いたことがあるけど……多分、あのクランジΠ(パイ)に似てるのよ」
特に背丈が、というところは黙っておいた。
「ふむ、そういうことなら、ちと優しくしておいてやるかの」
緋雨にだけ聞こえる声で言うと麻羅はローラを見上げて笑った。
もらったカレーを食べ、
「おぬし、ローラとか言ったの? この焼きカレー、工夫されていて美味いぞ。その工夫力を活かして、日本酒に合うカレーを作ってくれんかのう」
「ちょ……なに無理難題を言ってるのよ」
思わず緋雨は麻羅の首を絞めそうになった。
しかし、
「似てる、そういう、無茶振りしてくるところも」
と、やはり太陽のような笑顔でローラは言ったのだった。
まだまだ食べても尽きぬカレーライス。炊きたてご飯もたっぷり。
格闘で汗をかいた顔ぶれも、野点をしていた少女たちもやってきたようだ。
百合園女学院の文化交流会は、かくて成功のうちに幕を閉じた。