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リアクション
戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)
軍人として任務を遂行していますと、個人の能力で成否、生死がわかれる究極的な局面にままでくわすわけですが、成功をおさめたが故に妙に自分に自信を持ってしまうタイプと、かえって謙虚になってしまうタイプがいます。
私はどちらかといえば後者でして、戦争でも謀略でも、そこでよしんば、どんなに超人的な働きをしようとも、個人は駒の一つにすぎず、組織の力や権力、宗教の力にはかなわないなぁと思ってしまうのですよ。
相手は実体がないですからね。
反抗してもキリがないんですよ。かないようがないです。
それらと敵対するのなら、相手が時代の流れの中で人々にあきられ、弱体化した時を狙うしかないんじゃないでしょうか。
ヨン・ウェズリーが教導団から消された件の背後にも、巨大な力が見え隠れしたので、私は手を引くことにしました。
シャンバラ教導団の戦部小次郎としてはですがね。
自分で言うのもなんですが、パラミタに来てからの波乱に満ちた日々のおかげで、私はいくつかの顔と名前を持っておりまして、戦部小次郎で動けない時には、彼らの力を借りるわけです。
空京にあるテーマパーク、マジェスティック。
十九世紀のロンドンを再現したこの街では、私はうさんくさいなんでも屋のお兄さんとしてのキャラクターと棲家を持っているのです。今回は、彼になって情報収集をすることに決めました。
数か月ぶりのマジェは相変わらずで、わけありの巨大複合アパートメント、ストーンガーデンは復旧工事中ですし、ロンドン塔の跡地はまだ立ち入り禁止のままです。
実際の地球の歴史でも、切り裂き魔事件の舞台になったホワイトチャペルのあたりは、娼婦と貧民層、シャンバラの各地から流れてきた犯罪者や後ろ暗い連中がごまんといて、ここでなら、ヨンを知る人間にも会えるはずだと私は思いました。
「お兄さん、ひさしぶりね。どこ行ってたのよ。
あんた、不死身になれる聖杯を手に入れたって噂があったけど、ホントなの」
「いいえ、そんなお宝みたこともありませんよ」
「あんたと寝ると不死身になれるらしいじゃない。あたし、試してみたいの。
もちろん、お代はいらないわ。
さっさとすませるから、すぐそこのあたしの部屋でお願いできないかしら」
「勘弁してくださいよ。
私は、はじめての相手は幼馴染のあの子と決めているんです。
それにウチの犬は毎晩、私と寝てますが、老け込む一方ですよ」
「ケチ。
でたらめばっかり言いやがって。
さっさと死んじまぇ。ニヤケ面」
ハハハ。
夜の街を少し歩くだけで、顔見知りのご婦人たちがこうして声をかけてくださいます。
忘れられていないようで、うれしいですね。
パブや娼館ばかりのダウンタウンを軽く一周した後、私はある作戦を思いて、路肩にとまっていた辻馬車を乗り込んで、御者に行く先を告げました。
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「私は博愛主義者ではないつもりだよ。
マジェスティックで、君の極めて個人的な望みをかなえるために誰かに救いを求めるのなら、私ではなく、ルドルフ神父のところへ行くべきではないかね。
君は精悍な顔立ちをした青年だ。ルドルフ神父なら喜んで力を貸してくれるだろう。
なんなら、彼のところまで私の部下に送らせてあげてもいい。
この屋敷まで、せっかくたずねてきてくれて、申し訳ないが、私がきみにしてあげられるのは、それくらいだ」
「アンベール男爵。
お言葉ですが、私は、無償の援助を求めにきたのではないのです。
あなたもコリィベルには興味がおありでしょう、いや、興味以上のなにかがあるかもしれませんね。
私はあなたのおつかいとして、コリィベルへ行ってそれをしてこようと言っているのです」
「君にヨン・ウェズリーの情報を与え、コリィベルに送り込む手間と、君の働きによって私が得るものがはたして対等な等価か。
ようするに私にはそう思えないのだ」
「それは、困りました」
マジェスティックの裏社会の実力者、アンベール男爵を訪れたのですが、どうも旗色が悪いですね。
「後十五秒だ。それだけ待って、きみの提案に価値があると思えなければ、この話はなしにしよう」
銀髪、口髭をたくわえた男爵は、懐中時計の文字盤に目をおとしました。
十五秒。
私は頭の中で一から十五まで数えて、いい案を思い浮かべることができず。
「時間だ」
「すいませんでした男爵。私は」
「すまんな。
交渉成立だ」
男爵は私に片手を差しだします。
決裂という名の交渉成立。別れのあいさつの握手でしょうか。
仕方ありませんね。
突然の訪問に、時間を割いてくれたのに感謝しつつ、私は男爵の手を両手で包みました。
「きみに情報を伝え、コリィベルへ入所させよう。
代わりに、きみはここへ、ある人物らを連れてきてもらう。
十五秒間、考えているうちに私は思いだしてしまった。
以前、切り裂き魔事件の時に、マジェを、私の街を荒らしてくれた連中が、いまはゆりかごで好き勝手にしていると聞いていたのだ。
斎藤ハツネ(さいとう・はつね)。
大石鍬次郎(おおいし・くわじろう)。
彼らのこの街での罪は、きみら教導団が私とテレーズの件で館を燃やし、やんちゃをした時とは、くらべものにならぬほど大きい。
戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)君。二人を生きたままここに。
きみにできるかね」
「今日、その名で名乗ったおぼえはないのですが、私のことを御存じでしたか。
はい。やらせていただきます」
自信はありませんが、ここはこう答えるしかありませんね。
私の返事に男爵は、唇を歪め、声をださずに笑いました。底意地の悪そうなこわい笑顔ですね。
「コリィベルについては、世間にはまだひろまっていない話があるんだ。
きみには、まず、それを教えなくてはならないな。
ああ、それと」
男爵は指を鳴らし、メイドに羊皮紙と羽ペンを用意させました。
「契約は交わそう。
きみには私との約束を守ると、ここに一筆書いてもらうよ。
サインは、戦部小次郎にしてくれ。
でなければ、なにも話せない」
ひょっとして、私は、男爵にハメられようとしているのかもしれませんね。
さて、どうしましょうか。