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リアクション
「……待ちなさい!」
背後から掛けられた朱鷺の声を振り切って、ウィニカは駆け出した。
ここまで来たんだから。
なんとしても、「紅蓮の機晶石」のところに辿り着きたかった。
足場の悪い岩場を、ウィニカは必死で登る。
情報屋から聞いたポイントは、このずっと奥にある筈。
一歩でも先に……進むんだ。
それだけで頭がいっぱいになっているウィニカには、周囲の気配に気を配る余裕はなかった。
だから、やり過ごした筈の甲虫が引き返して来たことにも気づかず、岩場を登り切ったところで目の前にある「もの」が何なのか、一瞬理解ができなかった。
「ウィニカ、逃げて!」
甲高い子供の声に、ウィニカはハッと我に返った。
目の前にある、甲虫の顔。
それを遮るように、アイ・シャハルの小さな体が飛び込んで来た。
「……えっ」
「早く! ボクが囮になるっ」
ウィニカは凍り付いた。
……また、おなじことが。
思いだしたくない、けれど一瞬も忘れることのない光景が、意識の中にフラッシュバックする。
この子を囮にして、逃げるなんてできる筈がない。
でも、どうしたらいいかわからない。
パニック状態で立ち尽くすウィニカの首根っこを、誰かの手が掴んだ。
「逃げろと言ってるんだ、ほらっ」
「きゃっ!」
ほとんど振り回すような強引さで、ウィニカの体が元来た方に投げ戻される。
岩の間を転がり落ちそうになったウィニカを、追って来た朱鷺がタイミング良く受け止めた。
頭上から声が降って来る。
「よーやく見つけた」
顔を上げると、紫月唯斗が岩場の上からウィニカを見下ろして笑っていた。
それから背後を振り返って、声をかける。
「逃げ足に自信があるってのは、伊達じゃなかったな」
「えへへー」
見ると、モンスターに追われて行った筈のアイが、涼しい顔で戻って来るところだった。
二人は軽い足取りで朱鷺とウィニカのところまで駆け下りた。
それから唯斗が、いたずらっ子を叱る先生のような顔でウィニカを睨みつけて言った。
「さて、嬢ちゃん。悪いがお前さんはこのまま帰れ」
「えっ」
ウィニカは短く声を上げて、抗議するように唯斗を見た。しかし、唯斗はまるで動じずに続ける。
「お前さん、ここで起こってることを何も知らんだろう。巨大モンスターが暴れてるとか、そいつの討伐隊がこっちに向かってるとか」
「巨大、モンスター……?」
「言っておくが、こいつは出発前に把握できた情報だぜ。お前さんに人並みの冷静さがあれば、な」
ウィニカが言葉に詰まる。
「巨大モンスターと言うと」
横から、朱鷺が聞く。
「さっきの甲虫とは、また別口ですか」
「ああ」
唯斗が答えて、思いだしたように苦笑を漏らす。
「あんたも、ちょっと迂闊だったな。こんな辺境でSPを空にするなんざ、自殺行為だろうが」
「……面目ない、完全に想定外でした」
朱鷺が笑って頭を掻く。唯斗も肩をすくめて、またウィニカに視線を戻した。
「まあ、おかげでこの嬢ちゃんは命拾いした訳だが」
ウィニカが顔を歪めて目を逸らす。握りしめた両の拳が、微かに震えていた。
ここで冷静になれと説教をしても、聞く耳を持つ状態ではなさそうだ。唯斗は軽くため息をついて、
「とにかく、嬢ちゃんは少し頭を冷やすんだな。まずは安全な所まで撤退して、本隊が来るまで待つ。いいな」
有無を言わせぬ口調だったが、ウィニカは頷かなかった。
「やだ……帰らない」
頑に、ウィニカは言った。
「帰るなんて、絶対にできない」
「あのなぁ……」
困り果てた顔で口を開きかけた唯斗の言葉が、ふいに途切れる。
傍らでリーズもそっと剣を取り直した。
「……唯斗」
「ああ」
リーズの声に唯斗が短く答える。
朱鷺も、先刻奥に消えた甲虫が、こちらに戻って来た理由を理解して身構える。
「ウィニカ」
唯斗が静かに言った。
「帰る帰らないは後だ。とりあえず、安全な場所まで撤退する。反論はなしだ」
何か言い返そうとするウィニカを手で遮って、リーズに視線を移す。
「リーズ、調査隊のキャンプのポイントはわかるな」
「もちろん」
答えた瞬間、地響きがした。身を竦ませたウィニカを庇うように一歩前に出て、気配の方に目を凝らす。
再び、地面が揺れる。
「アイ、朱鷺。ウィニカを頼む」
「えっ、うん!」
「了解……行きますよ、ウィニカ」
朱鷺が、ウィニカの腕をそっと掴んで言った。
「待って、あたし……」
言いかけた言葉をかき消すように、唯斗が鋭く叫んだ。
「……走れ!」
走り出しながら、ウィニカは目の端に「巨大モンスター」の姿を見た。
◇ ◇ ◇
「ウィニカ、大丈夫? 怪我とかない?」
岩陰の凹みで、膝を抱えてうずくまるように座るウィニカに、寄り添うように座ったアイ・シャハルが話しかけた。
唯斗とリーズの協力で、モンスターの攻撃をかわしてここに逃げ込むことができた。
無茶とわかっていても一人でやり遂げるつもりでここまで来たが、実際は、ウィニカ一人だったら既に何回も命を落としていたに違いない。
後悔と反省、それでも今すぐ飛び出して先に進みたい焦りという矛盾する感情を持て余すように、さっきからウィニカはこうして膝を抱えて黙り込んでいるのだ。
唯斗たちは周囲の警戒をしながら、ウィニカを確保したことを本体に連絡したが、合流できるまで、まだ少し時間がかかる様子だった。
「ウィニカはえらいね。アーティフィサーの本って難しくてボクよくわかんない」
返答のないことにめげずに、アイは続けた。
「ボクもね……うん、ホントはボクも、壊れちゃった、大切な人……を直したいんだけど……」
小芥子 空色(こけし・そらいろ)の姿を思い浮かべる。
アイの「大切な人」。
それから、壊れて動かない彼女を『お人形さん』と呼んで、綺麗に着飾らせて遊んでいる双葉 朝霞(ふたば・あさか)の姿。
「紅蓮の機晶石、だっけ……それがあれば、ソラもウィニカのパートナーも、起きるかもしれないんだよね」
アイの話を聞いているのかいないのか、膝に顔を埋めて答えようとしないウィニカの姿が、いつもつまらなそうな顔をして部屋に引きこもっている朝霞のそれと重なって見えた。
空色が元気になれば、朝霞もきっと明るくなる。
ウィニカも、パートナーが元気になれば、きっと明るくなる筈だとアイは思った。
「あのね、ソラが元気になって、アサカも明るくなったら、みんなで一緒に沢山お出かけするのが夢なの!」
アイはつとめて明るい声で、ウィニカに言った。
「だから、一緒に機晶石、探そう! 大丈夫だよ、みんなが着いたら、きっとみんなも手伝ってくれるよ、ね?」
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