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雪が降るまで待ってて

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第3章 部屋を出るには勇気が必要

 学生寮のそこここで何やら物が運び込まれる音と、がやがやと人のざわめきが聞こえてくる。
 そのどれもが悲鳴や怒声でないところをみると、暖房修理の見込みは未だ立たないながら、寮全体の状況はどうやら良い方向に向かっているらしかった。
 ただ一点、談話室の状況を除いて。

「サンタさん〜! お願い〜」
「だからわしはサンタじゃないと言っておるじゃろうがっ!」
 ビエーンと泣き続けるブリュンヒルトにしがみつかれ、無下に引きはがすわけにもいかない。
 ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)は珍しく困り顔で途方に暮れていた。
「よいか? よく見るのじゃ。色が違うじゃろ、色が?」
 ミニスカートとオーバーニー。
 若干寒そうな下半身の恰好を補うように、ファーコートからマフラーからをこれでもかと着込んだファタは、もこもこと着ぶくれしている。
 その口調も相まって、なるほど、シルエットだけならサンタクロースに見えなくもない。
「奴は赤と白、わしは赤と黒。な?」
 ファタは赤と黒が基調になった自分の恰好を示して見せた。
 一瞬涙を止めたブリュンヒルトが、上から下までファタを観察する。
「サンタさんより偉いサンタさん?」
「へこたれんな、おぬしも!?」
「今年はもうプレゼントいらないからっ! いらないからケインを助けてっ! お願い!」
 再びビエーンと泣き始めるブリュンヒルト。
「だーかーら! まずは話を聞いてやるから落ち着けと言っておる! ん? というかおぬし、魔女じゃろうが! 百歳単位で生きとってまだプレゼントもらうつもりじゃったのか? ヘコんどるところ悪いが結構図々しい奴じゃの? っておい、鼻水なするな、こらっ!」

「どうしたんですか、ギルさん? 早く中に入りましょう」
 談話室の扉に手をかけ、東雲 いちる(しののめ・いちる)は廊下の真ん中で突然立ち止まったパートナーに振り向いた。
 ただでさえ寒い学生寮の廊下にはここ三日で、凝固したような寒さが張り付き、じっと立っているだけでも足が芯から冷えていく。
「……ヒルトから話を聞いて、それでケインを探しに行くのか」
 ギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)がその整った顔に、床から這い登る冷気よりもなお薄ら寒い影を落としてつぶやいた。
「え、はい。お手伝いできそうなら」
 きょとんとした表情でいちるは答える。
「冬のザンスカールだぞ? しかもこの空模様、きっとひどい寒さだ」
「んー確かにそうですねぇ」
 ててて、とギルの側まで戻ってきたいちるは、廊下の窓から空を見上げ、少しだけ眉をひそめた。
「でも、だったら尚更です! 不安なときは、ひとりでも多く側にいてくれた方が、嬉しいですもんね」
 ギリリと、ギルベルトが奥歯を噛んだが、いちるはそれを見ていなかったし、その音もいちるには届かなかった。
「密猟者の噂を聞いてないのか? なんの考えもなく危険に首を突っ込みたがるのは、愚か者の証だ」
「それだったら、やっぱり尚更です。ひとりでも多い方が危険は少なくなります……」
 いちるはそこで、何かに気がついたようにギルベルトの顔をのぞき込んだ。
「……何かあったんですか、ギルさん?」
「もういいだろうと言っている。あいつは教師だぞ? いい加減放っておけばいい。さっさと部屋に戻ろう。ああ、お前のお気に入りのお茶があったろう? あれでも飲んで――」 
「ギルさんっ!」
 珍しく声を荒げたいちるにギルベルトがギョッとする。
「どうしてそんなこと言うんですか! そんなこと言うギルさんは、嫌いですっ!」
 今度はギョッとするどころではなかった。
「え、あ、いや……!」
「大事な人がいなくなったんですよ!? ギルさんは耐えられるんですか? 私はできません」 
 いちるはそれきりくるりと背を向ける。
 その背中が震えていたように見えたので、ギルベルトは言葉を選び出せずに沈黙した。
「だから、手伝うんです。だから、ギルさんにもゼッタイに手伝ってもらいますからっ」
 宣言したいちるは強引にギルベルトの手を掴むと、談話室に向かう。
 この寒さの中で、その手だけは確かに温かかった。

「ほら、サンタさんも……いや、違うんでしたっけ? とにかくあの様子ではヒルトさんはまだ混乱していますから、早く落ち着かせてあげましょう」
「……」
 菅野 葉月(すがの・はづき)は傍らでしゃがみ込んでいるミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)に声をかけ、ぽんぽんと肩を叩く。
「心の乱れは剣の乱れとも言いますから、まずは心穏やかに、冷静になることが大事です。ほら、ミーナ。そんなところに座ってても寒いだけですよ」
 声をかけながら、葉月の目はちらりとファタとブリュンヒルトの様子を確認する。
 その仕草を確認したミーナは、面白くなさそうにフンと鼻を鳴らして、ますます頑なに膝を抱え込んだ。
「ミーナ?」
「うん。だから行こうよ。ワタシ、反対なんてしてないもん」
「動く気があるようには見えませんよ?」
「別に。寒いだけだもん」
「そうですか?」
 葉月は、それでもギュッと葉月の服の裾を掴んで離さないミーナの手をながめた。
 ミーナはわずかに頬を紅潮させ、必死に憮然とした顔を保とうとしている。
「……寒いと人は、誰かの側にいたくなるんでしょうか」
 独り言のつもりだったのだけれど、思わぬ返答があった。
「寒いからじゃないもん」
「……なるほど。難しいですねえ。とは言え……弱りましたね、埒があかない」

「まったく、全然話が進まないんだから……ここからは、あたしが仕切るよっ」
 クラーク 波音(くらーく・はのん)はそう言って、談話室のテーブルに、ブリュンヒルトと差し向かいで腰掛けた。
「仕切るよっ!」
 ララ・シュピリ(らら・しゅぴり)が嬉しそうに言って、波音のすぐ横にぴたりと寄り添うように倚子を運んでくる。
「まず――」
 波音はキッと眼光を鋭くしてブリュンヒルトを睨んだ。
「動機から聞かせてもらおう――アタっ!」
「波音ちゃんが寄り道してどうするんです。さっさと進んでください」
 頭からすっぽりと毛布を被ったアンナ・アシュボード(あんな・あしゅぼーど)は手刀のツッコミを一閃させると、寒そうにその右手をまた毛布の中に戻した。
「ええと、はい。ええと、じゃあ、聞かせてね。ケイン先生はどこまで迎えに行く予定だったの? どんな恰好で出かけたの? 徒歩? それとも乗り物で? 先生がここから出発したのはいつ? それから――」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと。波音ちゃん波音ちゃん波音ちゃん?」
 取り出したメモをすらすらと読み上げる波音に、アンナがストップをかける。
「なーに?」
「『なーに』じゃなくて、早すぎ――ララちゃん、笑いすぎです」
 ララは「ちょ、ちょ」を連呼しながらきゃらきゃらと笑いころげている。
「とにかく……それじゃヒルトちゃんこんがらがっちゃいますよ」
「……どこまで行くか、は、わかんない。元々ロッテ――ほんとはシャルロッテって言うんだけど――がイルミンスールまで来る予定だったし……森を通ってくるって、それしかわかんない。恰好は、いつもと同じ恰好だよ? いつもの白衣……三日間着てるやつ……あと、コートは着てたけどそれから、うん。歩き『冬は運動不足になるからね』って……」
 話しているうちにまたケインのことを思い出したのか、じわりと涙を浮かべるブリュンヒルト。
「後、出発したのは昨日の午後……あれ、みんなどうしたの?」
 どうやらロッテというのが友達の名前らしいのだが、談話室に集まっていた生徒達はむしろブリュンヒルトが大量の質問を一発で記憶し、一気に答えることができているという発見に驚きを隠せなかった。「ただのちっこいトラブルメーカーかと思ってた」という小さなささやきまで聞こえてくる。
「みんな君の新たな一面にちょっと驚いているだけです。大丈夫、人は誰でも意外な一面を持っているものですから」
 ぽんぽんと、ブリュンヒルトの小さな肩を叩いたのは影野 陽太(かげの・ようた)
 言葉には妙な実感があった。
「そう言えば、携帯電話は繋がらないんですか?」
 ブリュンヒルトは無言で首を振った。
「そうですか……ええと、先生が出て行ったのは昨日の午後、でしたね。ちょっと俺もここで話を聞かせてもらいますね」
 陽太はすぐ隣のテーブルに腰を下ろして何やらノートを開いた。
「ワタシ達もご一緒させてもらいましょう」
 ガタガタと倚子を引きずってきたのはルイ・フリード(るい・ふりーど)リア・リム(りあ・りむ)
 席に着くなり、ばさりと近隣の地図を広げた。
「さぁ、再開といきましょう」
 にっこりと笑うルイ。
「ええと、では私から。お友達がここまで来る予定になっていたのに、ケイン先生は、どうして出かけたのですか?」
 波音から引き継いで質問を続けたのはアンナだった。
「……ロッテが、『行くね』って言ってた日を過ぎても来ないかったから『迎えに行ってくる』って……」
「お友達は、どんな子なのですか?」
 ブリュンヒルトは少し考え込んでから、とてもいいことを思いついたかのように顔を輝かせた。
「かわいい子だよ!」
「……出来れば主観では無いほうが、ありがたいんですが」
「んー、青い服来てるよ?」
「……もしかすると今回は違う気分で来る予定だったかもしれませんよね」

「……実際的な情報は出尽くしたか」
 隣のテーブルの話しに耳を傾けながら、リアは腕組みをして地図に目を落とした。
「絞り込むには情報が足りませんかねえ」
 ルイが自分のスキンヘッドをペシペシと叩きながら、難しい顔を作った。
「いや、そうでもない。ブリュンヒルトの友人は森を越えてくるという話だから……たぶんこのルートを通るということだろう」
 リアの指が、イルミンスールから森へ、さらにその先に直線を示す。
「そうすると、先生は徒歩で出かけたという話ですから……先生特に足速くないですよね?」
 陽太の疑問に、ルイとリアはこれ以上ないくらいの確信を持って頷いた。
「なら、大体こんな範囲……ですか」
 くるりくるりと、陽太がコンパスで円を描いていく。
「ふむ。こんなところであろうな」
 地図上には、複数の円で形作られたケイン先生の行動予測図が出来上がっていた。
「簡単にはいきそうにありませんが……まぁ闇雲に探すよりは、大分マシなはずです」
「後は捜索隊の振り分けといったところか」
 ルイとリアは談話室にいる生徒の数を数え始めた。

「ねえねえ、ヒルトおねえちゃん」
 談話室の中があわただしくなる中、「そう言えば」という顔でララがブリュンヒルトに声をかけた。
「ロッテおねえちゃんは、何の用事で来るところだったの?」
「遊びに来るんだよ。毎年寒くなるころに会うの。ロッテはリトルスノウっていう雪の精霊だから」

 ピタッと。
 それでピタッと喧噪が止まった。

『それだーっ!』

 大音声が寮を震わせる。

「ええいっ! そういうことはもっと早く言わんか」
 リアが髪の毛をかきむしった。
「リトルスノウと言ったら期間限定の希少生物の代表みたいなものですねえ」
 緊迫を滲ませながら、ルイが、密猟者の目撃地点を新しく取り出した地図にマークしていく。
「これなら大分絞り込めますよ。少なくとも方向だけなら確定です」
 再びコンパスで円を描きながら、陽太が少しホッとした表情を作った。
「すぐに準備といきましょう」

 部屋にとって返す生徒、持ってきた荷物をまとめ出す生徒。
 学生寮に集まった全員が、一気に出発の準備を始める中――。

 ちょいちょい。

 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)の手がブリュンヒルトを招いた。

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「行かなくていいの? 森に行くなら準備しなくちゃ」
 寮の外へ出たライヘンベルガーの後を歩きながら、ブリュンヒルトは二度、三度と寮の方を振り返る。
「ブリュンヒルト君。君はそろそろあのケインという男がとんだトラブル体質だということに気がついた方が良い」
「ケインはそんな変な体質じゃないよ! ちょっと虚弱体質だけど」
「……ああ、なるほど。そうか……ここからか……。ここからもうねじれているのか」
 ライヘンベルガーは空を振り仰いだ。
 鉛色の空に太陽はほとんど見えないが、なぜか陽光が目にしみる気がした。
「まあいい。ところで、君の友人は雪の精霊と言うからには暑いところは苦手だな?」
「うん。冬しか会ったことないよ」
「当然、冷え込んでいればいるほど、居心地がいいな?」
「……たぶん。でもそれがどうかしたの?」
「いや、確認しておこうと思っただけだ」
 二人は寮の裏に回る。
 調査に来た生徒達が、動力室を遠巻きに輪になっていた。
「ん? どうしたんだこれは。何を立ち尽くしているのだね?」
「危ないのですわ」
 クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)がやや興奮気味に口を開いた。
「いやいや」
 当惑気味のライヘンベルガーを見て、神和 綺人(かんなぎ・あやと)が割って入った。
「動力室に入ろうとしたんだけどね。ユーリが禁猟区の反応が止まらないって」
「……」
 綺人が指し示した先では、難しい顔をしたユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)が、じっと動力室の扉を睨み付けている。
「鍵はあるのかね?」
「あるにはありますが……」
 涼介が、職員室から預かってきた鍵をおずおずと差し出した。
「では俺が開けよう。おそらく中には、雪の精霊がいる。そのせいだと思うが」
 ライヘンベルガーは無造作に鍵を開け、物々しい鉄扉を引っ張った。しかし凍り付いているのか、扉は動かなかった。
「手伝うよ」
 綺人が手を差し出す。
「気をつけてくれ。かなり冷たいぞ」
「寒い冷たいには慣れてるんだ、僕」
 パキン。
 乾いた音と共に扉が動いた。
 そして今度は、ライヘンベルガー自身が凍り付いた。
 バタム。
 と、すぐに扉を閉じる。
「とんだ見込み違いだ。ブリュンヒルト君、すぐに寮へ戻って、他の生徒達と森に向かった方がいい。それから……今後頼むから彼から目を離さんでくれ」
 ブリュンヒルトは頷いて、寮へ駆け戻っていく。
「さて諸君」
 ライヘンベルガーは生徒達に向き直った。
「このクソ忙しい時にトラブルだ。すまんが戦闘準備を整えてくれ、今できる一番最高のやつだ……まったく、これでは、ケインのトラブル体質を笑えんな」