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第4章 くじけぬ心と創意工夫

 目の前には数種類のスパイス。
 刻んで、押しつぶし、すりつぶし、そうして用意された色とりどりのスパイスが、種類ごとに分別されてズラリと並んでいる。
「……」
 これ以上ないくらい真剣な顔をした島村 幸(しまむら・さち)は、指示されたとおりにスパイスを計り、混ぜ、ひとつのカレー粉として調合していく。
 はじめはパラパラと、次第にその動きが激しくなって、最後には何かをこらえるようにその指が震えだし――
「くくくっ…あはははっ! あっはっはっはっは!」
 いよいよこらえられなくなった哄笑が喉から躍り出た。
 ぶわさぶわさとカレー粉が振られ、撒かれ、散り、幸の眼鏡が妖しく光る。
 そして――
「ふつーにできんのかっ! ふつーにっ!」
 ゴスン、と。
 アスクレピオス・ケイロン(あすくれぴおす・けいろん)の突っ込みが一閃した。
「痛っ! ピオス先生、それ痛っ! 角っこですよ角っこ!」
「やかましい! てめぇーいちいち怪しすぎんだよ! 料理だぞ!? ったく、どんな場所だろうがマッドな実験室に変えやがって……」
 アスクレピオスはガリガリと頭をかいた。
「……おい、そこ」
 そのアスクレピオスの目にさらに気になるものが飛び込んでくる。
「はい〜?」
 呼ばれて振り向いたのは佐々良 縁(ささら・よすが)
「あんたは何今生の別れみたいな顔でニンジン見つめてんだ」
「だって……これ、包丁ですよ?」
 さも当然、なにを言っているんですかという表情の縁に、アスクレピオスは当惑する。
「そうだな……?」
「だって……包丁でニンジンで皮むきすると自分の指の皮むいちゃいますよぅ……あ、でも幸姐ぇだって頑張ってるんです、私くじけませんよぅ」
 瞳には力強い意思を宿し、グッと包丁を持つ手を握りしめる縁。
「退場ー! 退場ー!」
 包丁を取り上げ、アスクレピオスは高らかに宣言した。
 縁のパートナー佐々良 睦月(ささら・むつき)がやって来て、ガシリと縁をつかまえる。
「できることだけやってくれよねーちゃん。手遅れになる前に。な?」
「いやーですぅ。私も苦手だけど幸姐ぇをなにか手伝わせてぇ」
 じたばたと手を振り回す縁。
「だあー! じゃあ予備の鍋持ってきて水汲んでこい!
「はぁい。じゃあそれで我慢しますよぅ」
 しぶしぶと返事をする縁。
「ったく、手伝いに来たのか邪魔しに来たのかどっちなんだ……ってかおい、幸、今何入れた?」
「いえ、ちょっと……ちっ」
 幸が舌打ち混じりに顔を背けた。
「明らかに『ちょっと』じゃねぇだろ! 何で光ってるんだよこのカレー粉! どんなケミストリー起こっちゃってんだこれ!?」
 ぎゃああとアスクレピオスは髪の毛をかき乱した。
「野菜もまだ煮えてねぇのにいつ完成するんだよこれっ!」
「せんせー。野菜なら煮といたぜ」
 睦月が指差す方向には寸胴。中では沸騰した熱湯の中、ジャガイモやらニンジンやらタマネギやら、綺麗にカットされた沢山の野菜が踊っていた。
「ねーちゃんに任せたら待ってるのは惨劇だからな。さっきのニンジン以外は全部切っといたぜ」
「ああ……」
 アスクレピオスはほとんど歓喜に満ちたため息を漏らして、睦月の頭をぐいぐいと撫でた。
「よしっ! まだだ、まだ間に合う! 俺の『イルミン皆オツカレー』! さて、どこから直すか……やっぱまずは……幸が台無しにしてくれたからな、カレー粉か?」 
 元気を取り戻してはしゃぎ出すアスクレピオスに、
『ネーミングセンス?』
 三人の声がハモった。

「イルマ、お湯。これではお湯が全然足りませんな」
 ストーブのある部屋と紅茶の準備のある部屋を往復。茶葉の量をきっちり計って、蒸らし終わったポットの中身から手際よく注ぐ。
 道明寺 玲(どうみょうじ・れい)はパタパタと忙しく走り回っていた。
「それからティーカップとポット、茶葉もですな! ああ、そこの方、それはまだ蒸らしが足りていません! 飲むんじゃないですな!」
「もういいんじゃないどすかぁ、ティーパックと紙コップで。この際温かい飲み物ならよろしい気がしてきてはるんどすが……」
 玲のパートナーイルマ・スターリング(いるま・すたーりんぐ)はティーカップでいっぱいのトレイを両手に抱え、次から次へとやって来る生徒の群れを眺めた。
「よろしくありませんな。例えここの生徒さんの体が温まって満たされたとしても、そんな中途半端なお茶を提供したとあってはそれがしの心が満たされませんからな」
「……今は凍える生徒さんが満たされればよろしいと思うんどすが……損な性分してはりますなぁ」
 イルマはやれやれ、と首を振って見せた。
「ふむ。これだけ沢山の生徒さんが暮らす寮暖める暖房装置って……イルミンスールの魔法も中々大したものですな。それが止まる……気になるところではありますが、今は目の前のお茶を優先させましょうかってとこですな」
「磨はもう一個気になりはりますが」
「?」
「これだけ生徒がいるなら、絶対商売になったと思うんどすが」

「あああ! ちっとも商売にならねえ!」
 ブリュンヒルトと捜索隊の面々が出て行った後の談話室。
 さっきまでは息苦しさすらあった部屋の真ん中で、出雲 竜牙(いずも・りょうが)はその存外なほどの広さを、ひとりで味わっていた。
「手間暇かけた商品にファンシーなマスコット。何でだ、ヒットを飛ばす条件は揃ってるんじゃないのか!?」
「ライバル……というか、他の皆さんがただでいろいろ配っているからなのですね、たぶん」
 ほとんど床に近いような所からの声。
 ケサランパサランに手足をくっつけたようなふわふわの塊、出雲 たま(いずも・たま)は気遣わしげな目で竜牙を見上げた。
「くぅ、さすがだぜ俺の同窓生達め。経済感覚は大魔法遣い級って訳か」
「なんなのですそれ?」
「けどだぞ、いくら簡単製法とは言え、砂糖、黒砂糖、ハチミツたっぷりだぞ? それに生姜は俺がひたすら頑張ってすり下ろしたし、おまけに女の子に至っては使い捨てカイロもサービスだぞ! ちょっと、ちょっとくらい、お小遣いのちょっとくらい……」
「さっき見た部屋ではどてらというのを配ってたのです。なんだかふわふわしてたのです。あと女の子だけじゃなかったのです」
「ううう。同じ所出身の風物詩って点は同じなのにっ! ふわふわならウチにだっているのに!」
 竜牙はそう言うと、なにかを決めたように談話室の入り口の方へ歩いていって、扉を開ける。なにかを断ち切るようにグッと奥歯を噛んでから、大きく息を吸い込んだ。
「いらっしゃーい! 出雲印の生姜湯だよー!」
 冷え込んだ廊下は沈黙している。
「無料だよ」
 小さく付け加える。
 途端、沢山の足が踏み鳴らす地響きが聞こえた。
「あははは、せめて女の子に優先的に配るんだ。絶対そうするんだ」

「あのだな、クロセル、キミ、こんなところで北風に吹きっさらしになっているのはだな、もうとっくにお茶の間ヒーローの枠を逸脱していると思うんだが。おまけにやっていることは傍から見るとほとんどゴミ漁りに近い訳で……いや、もちろん私はキミの崇高な目的をわかってるぞ? 傍から見たらという訳で……くしゅんっ!」
 相棒のフードの中で、小さなドラゴニュートのマナ・ウィンスレット(まな・うぃんすれっと)がちいさなくしゃみをとばした。
「あっはっは、珍しく弱気ですねマナさん。なーに、俺のように心頭滅却すればこの程度の寒さなんて全然平気ですよ」
 からからと笑い飛ばしたクロセル・ラインツァート(くろせる・らいんつぁーと)は、言葉通り寒さにめげることなくキビキビと動き古紙をひとつにまとめると、手際よくギュウギュウと紐でくくった。
 イルミンスール大図書室の裏手。
 用済みとなった古紙はまだ膨大な量となって小山を作っている。
「いや、それは気合とかと別に技術として如実にできる者と出来ない者がいてだな……くしゅんっ!」
「にしても、図書室の司書の方は何故あんな厳しい目でここに案内したんでしょう? あっはっは、まさか焚き付けの材料に本でも盗みに来たように見えたんでしょうかね? ま、とにかくこれで燃やすものには困らなそうです。待ってて下さいよー! オニーサンが今よっく燃える物を持って行ってあげますからねー」
 クロセルはその目に、さらに強い意志をたぎらせた。
「うん、クロセル、キミの気持ちは判ったので私にも紙を一枚くれまいか」
「どうしたんですマナさん? ダメですよ、寒くてもフード中で燃やしたりしちゃ」
 笑いながらクロセルは適当な紙を探し始める。
「うん、ちょっと水っ洟がな。あ、ダメだクロセルすまん間に合わない。紙……もう髪でいいな? うん、同じだ同じ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 同じじゃありません、大問題です!」
 バタバタと慌てて、クロセルは古紙をかき回した。
「うわぁ!? ヌルッとした! ヌルッとした!」
 結局すべては間に合わなかった。
 クロセルはがっくりと肩を落とした。
 頭の後ろが冷たくて寒い。
 ガサガサと、右手で今はもう用済みとなった紙がむなしい音を立てた。
 ひょいと、何気なくその紙に目を落とす。
 先ほど通りがかった二人組が捨てていったメモ用紙らしい。

『プロジェクト・イルミン −寒さに沈んだ世界樹を救え!−』

「これー、大丈夫なのーですかー……?」
 恐る恐ると言った口調でエラノールが呟いた。
「エ、エルの設計でしょ!? 『大丈夫?』は私のセリフなんだけどっ」
 即席で組んだ足場の上から唯乃が叫び返す。
「そうなのですけどー。ちょっとイメージと違うのです」
「廃材利用じゃこれ以上のモノなんてとても無理よ。むしろ褒めてもらいたいくらいだわっ!」
 エラノールの目の前には大きな銀の半球。
 唯乃の言葉通り、廃材で作られたそれはところどころをいびつに歪ませながら、円の面を学生寮に向けていた。
「ほい、最終調整終了。これでいいわね」
「はーい……。わからないですけど……暖房効果を滞留させようと考えると……これしかなかったのです……」
 尻すぼみに声が小さくなっていくエラノールの肩を、バンバンと唯乃が叩いた。
「ま、ここまできたらやってみるってもんだわ。いくわよエル。火術、一番高威力のやつで!」
 エラノールの展開した火術は半球の中心まで飛び、そこでしばらく炎を形作る。
「よーし、ほぼ成功ね。あ、ちょっと暖かくなってきた気がする」
「唯乃……これ、大変なのです……」
「横でリチャージしててあげるから頑張って! 『プロジェクト・イルミン』は、エルにかかってるんだから!」