イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

汚染されし工房

リアクション公開中!

汚染されし工房

リアクション


●第二幕 第二節

 工房の上層部と比べれば、上層の異常など序の口であったことが判る。
 下層部のナラカはまさに混沌そのものであり、あまりに無秩序な現象が次々と発生した。
 しばし、大理石の床を歩んでいたかと思えば、次の瞬間には足元が泥土に変化していたりする。戸をくぐるや否、地下であるはずなのに地平線がまっすぐに広がる光景となり、その地平線から明らかに大きすぎる太陽が、血のような赤色でぐつぐつ煮えたぎりながら上がって来たこともあった。しかもその太陽には、中央に黄金色の『目』が一つ輝いていたりするのだ。
 何百という赤子の泣き声がどこかから聞こえる回廊、片眼だけ潰された頭蓋骨ばかり通した綱で寄り合わせた吊り橋、あるいは、名画『モナリザ』の絵がタイルとなって数百並び、床という床を埋め尽くしている一室(しかもすべての『モナリザ』が、踏まれるたび狂おしい哭き声を上げるのだ!)……どこまでが幻影でどこからが真実なのだろう。それらすべては狂気がもたらす夢のようであり、その反面、確かな現実味も感じられた。

 連隊の先頭は樹月 刀真(きづき・とうま)が務めた。彼とそのパートナーはデスプルーフリングを装備している。
 先頭とは、肉体的負担もさることながら、精神的にも相当の重荷となる役割であろう。今も彼は、逆さに立てたシャープペンシルがぎっしりと並び、意味不明な『フロア』を形成している地点を歩んでいる。ブーツの底を打つ『尖った』感覚が落ち着かない。
 それでも彼がみずからを見失わないのは、己が身に課せられた使命をまっとうしているがためだった。
(「これがナラカか……。最近ナラカ関係の事件が多いのは、何かが動き始めている兆候(しるし)か」)
 この場所のナラカ化はこの程度で収まっているが、もっと大きな規模のモノを意図的に発生できるなら、エリュシオンやシャンバラなど関係なくパラミタ全土が危険にさらされるであろう。このような世界の到来を、果たして鏖殺寺院でも望むものだろうか。
 鏖殺寺院といえば……と刀真はふと思った。
(「環菜の暗殺、地球の鏖殺寺院やエリュシオン関係によるものだと思っていたが……全く別かもな」)
 今はそのことを考えている場合ではないはずだ、と刀真は疑念を頭から振り落とした。籠手型ハンドヘルドコンピュータのモニターに視線を落とす。数分前と同じで、画面が処理落ちして動きがおかしい。
「HCに何度も強烈なノイズが入る。データが保存できているかすら怪しいものだ……」
 普段は頼りになるこの機械が、ナラカ下層に到達するや信じられないような不具合を連発しはじめたのである。彼に続く連隊のメンバーについてもそれは同じで、手帳にメモを取るというマッピングを実施している者も少なくなかった。
 ナラカにおいてはすべてが不確実、されど刀真にとって、確かなことが一つある。
 それは、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)――信頼できる二人のパートナーが、常に傍らにあるということ。もしこの事実がなければ今頃、刀真の精神は疲弊の極みにあったかもしれない。
 シャープペンシルの道は細い一本道、両側に紫色の壁があったのだが、このとき壁が生物のように収縮し、塞がって進路を妨害した。されど刀真は冷静に、剣を抜いてこれを斬り払う。
 壁はぶるぶると震えながら道を空けた。もう何度も、こうやって彼は行く手を拓いていた。
「刀真、ずっと働きづめじゃない。先頭、私が替わろうか?」
 月夜が声をかけたが、刀真は首を振った。
「この程度でバテるほどヤワじゃない。それに、バテることが許されるような情勢でもない」
 そうだ、これ……と、彼は月夜に銀の飾り鎖を手渡す。
「月夜、これ持ってろ。『禁猟区』をかけてある。反応があればすぐに声を掛ける」
 月夜はしばし驚いたような顔をしていたものの、おずおずと礼を言って鎖を受け取った。照れ隠しのように言う。
「それにしても……情報が不足しているわね」
 故のない嘆きではない。事前に金鋭鋒から、月夜は情報を得ようとしていた。下層部中止には何があるのか、あるいは、その正体に心当たりは、という情報を。しかしそれは徒労に終わった。鋭鋒はもとより、彼に使える羅英照のガードは堅く、役立つ情報を漏らすことはなかったのである。だが、たとえ教導団首脳部らがオープンであろうとも、結局のところ何も掴んでいない、という雰囲気だけは伝わっていた。
 シャープペンシル道の悪夢を抜けたかと思いきや、白花の声はあまり明るくなかった。
「刀真さん、また扉ですね」
 まさしく扉だ。これを開ければ、今度はまたどのような悪夢が待っているのだろう。
 いつでも回復を行えるよう、白花は構えを崩さず刀真の後に続く。

 進路を阻むのは地形のみではない。当然のように、ナラカに棲息する生物も波状攻撃をかけてくる。
 確かに、一団となって行動して正解だったかもしれない。敵の数は多く、能力にしたって上層よりも強力だ(現在の彼らに知る術はないが)。また、そのほとんどが奇想天外な地点から飛び出してくるため、せいぜい四人程度で動いていれば、またたくまに各個撃破されていた可能性はある。
「環菜おねーちゃんを迎えに『ならか』に行ってるおにーちゃんたちの役に立ってみせる!」
 本日のノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)影野 陽太(かげの・ようた)の代理だ。彼女のマスターたる陽太は、命を奪われた御神楽環菜を救うため別の場所にて全身全霊をかけ活動しているため、この地に来ることはできなかった。しかしその分、ノーンは存在感を示すべく奮闘するのである。幸せの歌で味方を闇より守り、怒りの歌で活力を与える。危うい状況でも、大地の祝福で彼らを護った。
 このとき一団が交戦している相手は、首のない甲冑騎士(デュラハン)の軍団である。騎士の付き人や乗馬すら、首がないのは悪質な冗談としか思えない。彼らが装備している鎧にしたって、女神のレリーフがなされている部分は、ご丁寧にも首だけ削り落とされている。
(「教導団の旅団長とやらに、単独行動を却下されちまった……こうやって見つかるのは本意じゃないから、本当は一人……いや、リリーと二人きりで行動したかったけど」)
 この行動方針に、ミューレリア・ラングウェイ(みゅーれりあ・らんぐうぇい)が完全に納得しているかと問われれば答は否だ。ただ、沙鈴が懇切丁寧に一団となる意義を説いてくれたので、胸の内に不満はない。
「まあ、こうなったら私は私の得意とするもので全力、相手させてもらうだけだ」
 跳躍するや空中で二回転、甲冑騎士の槍をかわすだけでなくその背後を取って山猫さながらに着地、同時に魔道銃で、心臓にあたる部分を精確に撃ち抜いている。新たな敵による背後からの一撃も、ミューレリアは毫も振り返らずにステップして回避していた。
「防御や攻撃はパワードスーツのほうが有利かもしれないが、身軽さと索敵では私の方が上だぜ」
 ちろっと舌を出して敵をからかう。その戦いぶりは、苛烈でありなおかつ可憐でもある。無論、ミューレリアの指にはデスプルーフリングが鈍い光を発していた。
「それにしても、ナラカって不気味な感じなのです……ホラー映画っていうより、異様な前衛映画みたいだったりしますよね、ミュー」
 と呼びかけてくるのはリリウム・ホワイト(りりうむ・ほわいと)、現在その身は魔鎧として、ミューレリアに装備された状態にあり、様々なスキルを提供して彼女を支えているのである。
「前衛映画……そうかもね。いくらか悪趣味ではあるとだけは言っておきたいぜ。ま、好奇心だけは存分、満たしてくれるけどな」
 後転して別の敵の首……いや、首のあるべき場所を踏みつけ、二段ジャンプの体勢でミューレリアは膝を曲げた。
「この現象の原因、きっとつきとめてみせるぜ。破壊して終わり、ってんじゃ不安だ」
 二度とこんなことがないように! と言い残し、膝を伸ばして錐揉みジャンプ、特撮ヒーロー顔負けの派手な空中アクションで銃を撃ち、敵の残骸をひとつ追加するミューレリアなのである。そのあまりの格好良さ、そして、自分がいまミューレリアと共にあるという感激に、リリウムは鎧状態のままぶるぶると震えてしまった。
 近くでは国頭武尊が敵攻撃を器用にかわしながら反撃し、それとは対称的に猫井又吉が、
「不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまいな!!」
 と、強引なまでの力業で、パワードスーツの力を活かし敵を砕いている。
 やがて敵が完全に片付くと、
「よいしょ、っと」
 広げた絵日記帳に、今見た光景をノーンは描き込んでいた。可能になったらすぐ、資料としてこれらの絵日記を陽太に送りたいと思っている。