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●第一幕 第四節

 メニエス・レイン(めにえす・れいん)の指にも、デスプルーフリングが鈍く輝いていた。
 夜鷹のように音もなく、メニエスは上層を中心に捜索を行っていた。無情な彼女の辞書に、人命救助などという文字はない。彼女が求めるのは唯一、マヌエル枢機卿の姿である。
(「マヌエル枢機卿……ね。そのような御仁が鏖殺寺院の作った穢れた場所へ視察にいらっしゃるとは。どういう目的があったのかしらね」)
 彼女のやり方は徹底している。途上、生存者を見つけることがあっても、助けるどころか威圧するばかりだ。このときも、生存者の一人がメニエスを救援者と思ってすがりつくも、彼女はうっすらと笑みを浮かべて告げた。
「助けてくれ? あいにくそういう寝言を聞きに、こんな場所まで来たんじゃないの。いい? 枢機卿を見たのなら素直に『歌い』なさい。さもなくばあなたが聞いたこともないような残忍な方法で、うんと苦しめてから殺してあげる」
 といってもメニエスに、本当に相手を殺すつもりはなかった。目的のための殺人に何のためらいもない彼女ではあるのだが、鏖殺寺院と東が繋がっている以上、無駄なことをして余計な手間を増やしたくはないのだ。
 結局、その相手も枢機卿の行方は知らなかった。投げ捨てるようにして生存者を突き放すと、メニエスは舌打ちしてさらに混沌の奥深くへと向かった。このとき、
「教えていただけません? 『あなたが聞いたこともないような残忍な方法』というのは?」
 メニエスの影のように付き従うミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)が問うた。
「どんな方法だと思う?」
 するとミストラルは唇をメニエスの耳に寄せ、二三言小声で告げた。
「それも面白いわね……けど、残念ながらもっと酷い方法よ」
 メニエスは小悪魔的な笑みを浮かべると、まだ見ぬ枢機卿の姿を求め疾駆するのだった。
 彼には問いたいことがある。
 そして可能であれば、彼を連れ去り、味方にしたいともメニエスは思っているのだ。

 運命の悪戯か。それとも探し方の違いか。
 枢機卿を発見したのはメニエスとミストラルではなく、黒崎 天音(くろさき・あまね)一行だった。

 パワードスーツの操作に熟達し、実際、パワードスーツをプラント内に持ち込んではいるものの、天音はこれを装備していない。デスプルーフリングの力により、通常装備で行動していた。その分、パワードスーツのヘルメット(パワードマスク)は、特に衰弱してマスクが必要な生存者に与えるものとし、パワードバックパックは食料や医療キットとして使用するのだった。
 事実、役に立っている。天音は瀕死の生存者にマスクを被せ、その命をつなぐことに成功していた。
「よく考えたものだな……パワードスーツ貸与に関する違反ではない上、一人でも多くの人を救うことができる」
 彼のパートナー、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が感心したように言う。なお、彼はパワードスーツを装着している。ブルーズはこのスーツの完成度にも舌を巻いていた。
「剛力にブースター、自動姿勢制御や生命維持装置も内蔵しているとはな……このような装備を貸し与えてくれるのは良いが、万一持ち逃げされて複製を作られたらどうする気だろうな?」
 遭難者への応急処置を終え、天音は顔を上げた。
「それはないだろう。彼らはシリアルナンバーでスーツを管理している。逸失があれば見逃さないと思うよ」
「ならいいのだが……うん?」
 コンテナ隊を呼ぼうとして、ブルーズは足元に異音を感じた。よく見ると床の一部がハッチになっている。
 ハッチを開放してそこに見出したのが、法衣に身を包む人物だったというわけだ。
(「この人が……マヌエル枢機卿」)
 枢機卿という身分、その有する絶大な影響力から、もっと年配の人物を天音は想像していた。
 ところが枢機卿はずっと若い。天音と同年代、せいぜい数歳年長にしか見えなかった。シェイブドヘッド、すなわち丸刈りにした髪は黒、見目麗しいではあるものの、華奢な雰囲気はなくむしろ精悍な顔立ちで、目鼻立ちに鋭い――鋭すぎるほどの――知性が感じられた。
 彼は両手を組んだ状態で横たわり、目を閉じていた。眠っているのだろうか。
 マヌエル枢機卿の隣には、古代ローマ帝国さながらの兵装を帯びた人物がうずくまっている。がっしりした体躯だが反面、神経質そうな顔立ちでもあった。彼は枢機卿のパートナー、英霊ロンギヌスであろう。彼も意識はないようだが、それはまるで獅子が浅い眠りにいるかのようで、うかつに近づけば手にした槍で突き刺されるような気がした。
 格納庫内に降りていって助けようかと思ったものの、ためらいを天音は覚えていた。さすがは枢機卿、神聖にして近寄りがたい雰囲気がある。
(「奇跡が日常となった地球で、宗教家も楽じゃないだろうね。死後、人が天に召されるのなら、その『天国』は、まさしくこのパラミタじゃないかな。枢機卿が反シャンバラ発言を繰り返すのも色々な意味でおかしくは無いと思うけどね」)
 とすればここは、天国に生じた地獄(ナラカ)ということか……複雑な感慨を抱く天音だったが、このときふと、枢機卿の目が自分を見ていることを悟った。目を閉じたままだというのに、である。彼は意識を取り戻したのだ。そして天音を『視て』いる。
「失礼、枢機卿猊下(げいか)とお見受けしましたが」
 天音が呼びかけると、男は静かにその目を開いた。
「その通り。救出に来てくれたのだね……かくいう君は?」
「薔薇の学舎所属、黒崎天音と申します。神はわれらとともに」
「神はわれらとともに。して、そちらの御仁は?」
「ブルーズ・アッシュワース、僕のパートナーです」
「そうか。まずは礼を言おう。黒崎君、そしてアッシュワース君」
 枢機卿は身を起こし、立ち上がった。いつの間にかロンギヌスも復し、昏い目でこちらを視ている。
「礼には及びません、猊下」
 天音は恭しくその手を取ったのだが、ブルーズは心中、面白くなさそうな顔をしていた。正直、マヌエル卿という人物は好きになれそうもない。あれは命令することに慣れた人間の口調だ。それに、
(「ロンギヌス……不気味な英霊だな。錯乱して枢機卿を刺しかねん」)
 鈍く光るロンギヌスの目にも、油断のならぬものを感じる。
 枢機卿主従がハッチから出たところで、他に聞こえぬように声をひそめ、ブルーズは天音に問うた。
「さっき、『神はわれらとともに』と呼びかけていたな。あれはどういう意味だ?」
 されど彼は、
「ふふ、彼の名前だよ」
 とだけ答え、謎めいた笑みを返すにとどめた。(※)
 そして天音は、卿に呼びかける。
「予備のデスプルーフリングです。……地獄をもっと楽しむのなら、どうぞ」
「いただくよ。ナラカの影響下で生身のままでは、歩くこともままならないのでね」 
 天音はマヌエル卿にリングを手渡した。
 ちょうどそこへ、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)の引くコンテナが到着する。最初の遭難者を発見した時点で呼んでいたものだ。
「みんな無事? コンテナが来たからもう安心だよー」
 朱里の口調は明るいものの、『彼』の存在に気づくやはっとなる。
「ぇ、えーと、もしかしてマヌエル枢機卿……さま? ご、ごきげん麗しぅ……」
「無理に敬語を使わずともいいよ。いかにも、私がマヌエルだ」
「あ、はい。じゃあ普通に話すね。こんにちは、マヌエルさん。私は蒼空学園の蓮見朱里だよ。このコンテナに乗ってね、狭いかもしれないけれど地上までの辛抱だから」
 アインが黙礼してコンテナの入口を開ける。だがマヌエルは首を振った。
「いや、彼が先だ」
 枢機卿は、天音が最初に発見した負傷者を示したのである。
「マスクをしているようだが彼のほうが衰弱が激しい。まずは彼に一番良い場所を。私とロンギヌスは後から乗るとしよう」
「あ、うん。そうするね」
 慌てて負傷者を収容しつつ、朱里は思う。
(「もしかしてマヌエルさんって、いい人なのかも……?」)
「では、猊下もお入り下さい」
 天音とブルーズが、マヌエル卿とロンギヌスをコンテナ内に案内した。
 コンテナ内には、ナラカの影響が及ばない。つまり、生身でも自由に行動ができるということである。
「この瞬間を待ってたんでさぁ!」
 突然ロンギヌスは叫ぶと、自身の身長ほどある槍を振りかざした。
「旦那ぁ、もうワシは我慢の限界! どうせ逃れられない身ならば本懐を遂げてぇ! ここで刺させていただきやす!」
 目には狂気の光が宿り、釣り針で斜め上に引っ張れたような笑みが口元に広がっていた。
 しかし、突きだした槍の先端が、マヌエル卿を貫くことはなかった。
 槍は空中で躍り、コンテナの床に落ちて転がる。
 そしてロンギヌス自身、天音によって組み伏せられていた。
「注意しておいて正解だな。やはりこのロンギヌスとやら、錯乱している」
「隙をついたとはいえ凄い力だ……正面きって戦っていたら危なかったよ」
 ブルーズも天音も、ロンギヌスの暴走を危惧してともにコンテナ入りしたというわけだ。
「任せてくれ。英霊に対してこのような扱いをすることに気が引けるが、拘束させてもらうとしよう」
 アインが縄を手に、コンテナに入っていく。アインもやはり、ロンギヌスが事を起こしたときのために準備していたのだ。
 ところがマヌエル卿自身は、これら騒動にさして驚いた風もなく、
「拘束は致し方ないが、手荒な真似は許してやってくれ。ロンギヌスとて普段は忠臣だ」
 非礼は詫びよう、と告げて外に出たのである。
「せっかくリングを借り受けたのだ。ロンギヌスが興奮してもいけない。私はナラカを歩こう」
「えっ、いいの? マヌエルさん、疲れてるんでしょ?」
 朱里が言うも、枢機卿は手を振った。
「なに、眠っていたから諸君らより元気なくらいさ」
 と言って、コンテナの移動にあわせてどんどん歩いていく。苦にならぬ様子である。悪夢さながらのナラカを歩む聖職者の姿は、朱里の予想とはまるで異なるものであった。そしてまた、皮肉やあてこすりを言われるだろうと身構えていた彼女が驚くほどに、マヌエル卿は気さくに話しかけてくるのである。
「人はナラカを地獄と呼ぶが……知っているかい蓮見君、本来、我らの教えに『地獄』など存在しないということを」
「えっ、でも悪いことをしたら地獄行きで、善行を積んだら天国に行けるって話なんでしょ?」
「それは民草に布教をしやすくするための方便さ。本義的な教えではない」
「なら、悪い人はどうなるんです?」
 彼はしばし黙したが、やがて薄笑みを浮かべて告げた。
「『無』だな。最後の審判後、不信者は永遠に存在できなくなる。決して存在しない」
 声を荒げたわけでも目つきを歪めたわけでもないというのに、このときのマヌエル卿の横顔に、朱里は腹の底から恐ろしいものを感じた。しかしその恐ろしさは、現れたと同時に消失している。
「わかるかな? この意味が」
「えっと……その、わかったようなわからないような」
「いつか判る日が来るよ」
 マヌエル枢機卿はからからと笑った。
 一方でアインは、最前までの騒動を思い返している。
(「確かに聞いた。英霊ロンギヌスは、『どうせ逃れられない身ならば』と……」)
 それはどういう意味なのか……しかしこのとき、思考は中断された。
 突然床が口を開け、一行はコンテナもろとも、一階層下の暗黒に呑み込まれてしまったのだ。
「くっ……」
 不意を討たれたとしかいいようがない。落下に際して何か別の力が働いたのだろうか。コンテナは『く』の字ににひしゃげており、アインも身を強く打った。
 不幸はそれにとどまらない。
 カチカチという音が周囲から聞こえた。
 闇の中四方から、鈍い光が現れる。丸い光が一対ずつ。すなわちそれは……目。
 光る目の上には長い触覚があった。カチカチという音は、目の下の牙が立てている。蟻のような姿をしたナラカの生物であった。一匹一匹が虎のように大きい。しかもそれが、コンテナを中心とした周囲の至るところに存在する。まるで待ち構えていたかのようだ。
 合図は、先頭の蟻が立てた牙の音。蟻が一斉に襲いかかってくる。


 ※本文注:枢機卿の『マヌエル』という名は、「神はわれらとともに」の語義をもつヘブライ語『インマヌエル」に由来する