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●第二幕 第三節

 うんちょうタンを連れた状態で、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は先行偵察を行う。久世 沙幸(くぜ・さゆき)藍玉 美海(あいだま・みうみ)も一緒だ。最初、ゆる族のうんちょうタンの同行に(そしてその『目付役』という名目にも)正悟は難色を示したのだが、
「『光学迷彩』『カモフラージュ』持ちでござる、不足はござるまい?」
 と得意げな顔で彼が言うので、それを容れざるを得なかった。事実、うんちょうタンは立派に付いて来ている。
「最深部は……まだ先のようだね」
 発見した石段を降り、正悟は首を振った。
 ナラカと化した工房がどれほどの深さを有しているのか見極めることはできないものの、正悟は直感的にそう感じていたのだ。
 広大無辺――現在彼らが立つ場所を表現する言葉はこれに尽きるだろう。夜の海岸そっくりの地形だ。静かに波が打ち寄せ、足を濡らす。ここが本来は屋内、それも地下世界であることを忘れさせるような地点だ。
「海の水が冷たいよ。ねーさま」
 足元の海水に手をひたし、沙幸は美海を見上げた。見上げる視線は無垢なる少女のそれであり、リングの力によってパワードスーツを着ていないせいもあって、一枚のピンナップのように美海には思えた。
 この波は幻影なのだろうか。潮騒も海の匂いも、すべて嘘だというのか。
「地獄(ナラカ)だというのに、不思議とロマンティックですわね」
 美海の口元に微笑が浮かぶ。これまで散々、胸が悪くなるような光景ばかり見せられてきただけに、多少の安らぎを彼女は感じていた。
 だがその安らぎは、マッチ箱で作った家のように簡単に倒壊した。
 黒い海面がにわかに盛り上がったかと思いきや、そこから禍々しく巨大なものが、大量の海水を溢れさせながら姿を現したのだ。海の底で眠っていたのだろうか。だとすればこの海はきっと、龍の墓場なのだろう。
 ドラゴンに酷似した姿だった。その巨体はイコンを上回り、既に半ば以上海面に出ているも、体の果ては見えない。ただしその身は半ば以上腐り、死した老婆の指のごとく朽ち汚れた肋骨が、胴体から何本も飛び出していた。頭部に至っては丸きり肉は残っておらず、雨ざらしにされたビニールさながらの皮が、白骨にいくらか必死で貼り付いているだけだ。怪物は首を巡らすと背の両翼を広げたが、廃棄された傘の骨組みよりいくらかはまし、といった程度の骨組みだけが、虚しく左右に伸びるに留まっている。
 これぞ屍龍に違いない。神に見捨てられた生命があるとすれば、恐らくこのような姿をしているのだろう。
 すすり泣くような声を屍龍は上げた。と同時に息を吸い込み――肋骨の間から吸気の大部分を洩らして、毒色に濁った緑の息を吐き出したのである。物凄い匂いだ!
「無差別攻撃だ。やつは人間が『いる』ことを知っているが、俺たちがどこにいるかまでは特定できていない!」
 とっさに隠れ身を使った正悟が、同じくスキルによって隠身する沙幸、美海、うんちょうに小声で告げる。
「このメンバーで戦える相手じゃない。怯ませてから後退するぞ」
「よろしくてよ。では、沙幸さん?」
「うん! じゃあ手はず通りに」
 美海の呼びかけに応じ、沙幸は敵の首目がけ手裏剣を投じた。
 屍龍の腐りかけた肉に刃が沈むや、美海は同じ部位に雷撃を放っている。
 惨めったらしい声、されど地が割れるような大声で屍龍が苦悶の叫びを上げた。雷光が体内を灼いたと見える。
「戻るぞ!」
 パワードスーツの扱いには熟達している正悟である。二人を抱え、加速ブースターを吹かして戦場から離れた。うんちょうも同様に、パワードスーツで追ってくる。
「……再生能力があるのか」
 瞬時振り向いた正悟は、屍龍の首の傷が塞がりつつあるのを目にしていた。
 しかも屍龍が羽ばたくにつれ、黒い海も、過ぎたばかりの階段も嘘のように消え、真っ黒な虚空が拡大していった。

「屍龍! 屍龍だよ! 追ってくる!」
 声も枯れよと沙幸が急を告げた。
 かく引き返してきた偵察隊と交替するように、ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)が連隊前衛に飛び出す。
「そいつはナラカ化したプラントでは最強の敵だろうな。ついに来たか……」
 リング装備で生身のラルク、しかし彼が両の拳を胸の前で合わせて目を閉じ、深く息を吸うとその姿に急激な変化が発生する。
「龍のお出ましってんなら……これを使うっきゃねぇよな!」 
 目に見えて胸筋がパンプアップされ、両腕に膝、ぐっと隆起しいずれも鋼の硬さとなる。これぞラルクの本気、鬼の力を借りて身体強化する『剛鬼』なのだ。
 屍龍迫るの報に、九条 風天(くじょう・ふうてん)は親指で、スッと愛刀の鯉口を切った。
「恐ろしいものを呼び込んでしまったようですね。ゴーストイコンなんて良く分からないモノを使おうとするから……」
 刃の白銀の輝きは、ナラカにあっても不滅だ。
 ちゃり、と音を立てて一人の侍が、風天の真横に立った。
「うえぇ〜。ナラカの敵ってのは不気味で愛想無くてなんか臭くて、もう飽き飽きなんだけどよ、とうとうその親玉級が来るってのか」
 地獄にあっても闊達、腕組みしたまま男はガハハと笑って、まあいいか、と言った。
「おう大将、また隣、務めさせてもらうぜ」
 彼は豪傑、天下無双の大剣豪宮本 武蔵(みやもと・むさし)である。
「頼りにしていますよ、センセー」
 風天は心からそう応えた。
「白姉と嬢ちゃんも頼むぞ。いよいよ大物来訪って話だからな」
「ああ、頼まれたぞ武蔵。斃れたら骨くらい拾ってやる。線香の一本くらい上げてやってもいいかな」
 白絹 セレナ(しらきぬ・せれな)は後衛につく。風天の真後ろ、武蔵の斜め後方だ。セレナは切れ長の瞳を細め不敵に笑った。
「おいおい冗談きついなぁ。……ま、おかげさんで全力で生き残る気にはなったぜ」
 風天、武蔵、セレナの三人は、デスプルーフリングの効果で平素の姿だった。同じ風天のパートナーながら、坂崎 今宵(さかざき・こよい)のみ、パワードスーツで武装している。そんな今宵がきびきびと戦闘準備を終えたのは、彼女がパワードスーツ装備時の動作に習熟している証拠といえよう。
「殿、確認させていただきます。我々の狙いはブレスを吐いてくる頭部、この認識で宜しいですね?」
「その通りです。何かコアの様なものが見えてくれば、それを狙ってみるのも良いですが……」
 ここで風天は口を閉ざした。連隊の全メンバーも一斉に迎撃姿勢を取る。
 屍龍だ。虚空を拡大しながら羽ばたき、迫ってくる。
 ところが思わぬ展開がつづいた。屍龍の出現はそれのみにとどまらない。龍が近づくとともに、その背の世界が消失していく。壁面も天井も墨で塗りつぶしたかのように、紫がかった黒い闇へと帰すのである。床までもが消失しているではないか。さらに突風が渦を巻き、荒れ狂っているのである。
「これは一体……!?」
 満足に言葉を告げる暇もなかった。屍龍が頭上を翔けるや、樹月刀真の足元も周囲も消失する。
「おっと! こういうのは予期してなかったな……!」
 ラルクの足元も消えた。背筋が寒くなるような落下感が襲ってくる。真っ暗闇に放り投げれた、まさにそうとしか表現できない。
 風天、伽羅もノーンも……連隊の大多数のメンバーは渦巻く風に呑み込まれてしまった。